「自由に働いてるんでしょ?昼寝とかできて羨ましい」
よく言われますが、10年、自営でやってきて――
実は、一度も昼寝したこと、なかったんです。
こんにちは、神社昌弘です。
自営で10年。
好きな時に仕事をして、好きな時に休める
――そんな理想のスタイルを選んだはずなのに。
平日の昼間、ベッドに横になるなんて、10年間、一度もなかったんです。
でも、一昨日、ふと思って、昼寝してみたんです。
そしたら…
なんて、しあわせ。
心も体も、ふっとゆるんで、午後の時間が別物のように軽くなった。
あれ?
なんで今までしなかったんだろう?
せっかく自由なのに、せっかく誰にも縛られていないのに。
どうやら、僕の中には、まだまだ「サラリーマン脳」が残ってたみたいです。
「ちゃんと起きて、ちゃんと働いて、スキマ時間も有効活用して」
そんな“まじめ思考”が染みついていて、昼寝なんて「怠けてる」って、どこかで思ってたんでしょうね。
でも、思いきってお昼寝してみて、気づいたんです。
昼寝って、ぜいたくじゃなくて、メンテナンスだった。
・仕事の効率があがる
・心が柔らかくなる
・人生が少し、やさしくなる
主婦の方も、会社員の方も、がんばり屋のフリーランスさんも――
「やることが尽きない」
そう思ってる人ほど、ちょっと目を閉じてみてください。
きっと、なにかが変わります。
あなたの「午後」が、もっと優しくなるかもしれません。
今日も読んでくださって、ありがとうございます。
あなたが毎日、自分のために過ごせる時間が、ほんの少しでも増えますように。
そして、今日の午後が“あなたらしく”ありますように。「私が悪いんです」
そう言って涙をこぼされる方が、カウンセリングでは本当に多くおられます。
誰かが怒っているとき、
誰かが困っているとき、
何か問題が起こったとき――
反射的に、
「自分のせいかもしれない」
と思ってしまう。
でもね、それ、あなたの“性格”のせいじゃないんです。
「あんたが悪い」で育った人へ
小さい頃から親に、
「あんたが悪い」
「ちゃんとしないからこうなった」
と繰り返し言われてきた方ほど、
何かあると「自分が悪い」と思ってしまう癖がついています。
これはもう、“心のクセ”なんです。
とても真面目で、責任感があって、優しい人に多いのも特徴です。
そういう方は、無意識のうちに、
「私さえガマンすれば」
「私が悪者になれば」
と、その場を収めようとします。
でも、それって、本当に必要な“ガマン”でしょうか?
スピリチュアルが、罪悪感を強めてしまうときもある
もう一つ。
スピリチュアルを学んでいる方にも、
同じような傾向があります。
「この現象は、自分が引き寄せたもの」
「現実は、自分の内面の投影」
それが本質的に間違っているわけではありません。
けれど――
本来、自分を癒すための言葉が、
いつのまにか「自分が悪いからだ」という思考にすり替わってしまう。
それでは、自分を責めるためのスピリチュアルになってしまいます。
ノンジャッジメンタルで、まず自分を救おう
僕はいつも、
「ノンジャッジメンタル(裁かない)」
という姿勢を大切にしています。
何か問題が起きたとき、
誰が正しい、誰が悪い、と白黒はっきりつけようとしすぎない。
なぜなら、現象だけで人の本質は判断できないからです。
自分が悪いと決めつけるその前に、
“今、どう感じているか?”に耳をすませてほしいのです。
自分を悪者にしないでください
本当に、全部あなたのせいですか?
確かに、自分が反省すべきことも、あるかもしれません。
でも「全てが自分のせい」ではないはずです。
罪悪感という“見えない呪い”に苦しんでいる方へ。
あなたは、悪くありません。
少なくとも、いつも自分を責めてしまうほどには。
どうか、この呪いを、そっと手放してほしい。
僕は、あなたの中の“やさしさ”を、
責めるためではなく、癒すために使ってほしいと願っています。
僕の家に来た人が、ほぼ全員、
必ず驚いてくれる場所があります。
それが――トイレです。
「なにこれ、無茶苦茶キレイ…!」
「いい香りがする…!」
「人生でいちばん美しいトイレかも…!」
そう言ってもらえるのはありがたいですが、
僕にとっては、正直、それが“普通”なんです。
もちろん、毎日のように掃除しています。
以前は、自己啓発セミナーの影響で、素手で掃除していたこともあります(笑)
でも、僕がトイレを丁寧に整えているのは、
風水やスピリチュアル的な理由というより、
「気持ちのいい空間でありたい」
という、シンプルな感覚からです。
トイレって、
誰かに見せる場所じゃないし、
一番“後回し”にされがちな場所。
だからこそ、その人の本性が出る気がするんです。
見えないところをどう扱うか。
触りたくない場所をどう整えるか。
「誰にも見られない部分」に、
その人の優しさや、誠実さが滲む。
僕にとって、
トイレを整えることは、
人を大事にすることと同じことなのかもしれません。
ちょっとだけ立ち止まって、
自分の“日常のどこに心を込めているか”を思い出してみると、
案外、自分の美意識ややさしさが見えてくるものです。
…というわけで、今日もトイレはピカピカです(笑)
「今日は酔ってもいいや」
そんな一言が、どうしても言えない自分がいる。
ちゃんとしてきた人ほど、心のどこかで「ゆるみたい」と願っているのに。
僕は昔から、どちらかというと「ちゃんとしてる人」に見られがちです。
たしかに、自分でもそう思います。
でも――
その「ちゃんと」が、僕から“楽しむ”ことを奪っていると感じることがあるんです。
たとえば、「お酒」。
実は、僕はけっこうお酒に強いタイプです。
でも、それでも“酔えない”。
なぜかというと、
そんなふうに、いつもどこかで「先のこと」を考えてしまう。
だから、どんなに楽しくても気を張っていて、
「今日は酔っ払ってもいいや」
って、思えない自分がいる。
実際、僕の“酔った姿”を見た人は、ほとんどいないと思います。
いつも“しっかり者”でいようとしてしまうから。
でも、本当は――
酔ってみたい。
ゆるんでみたい。
みんなみたいに、はしゃいでみたい。
そんな気持ちも、心の奥にはちゃんとあるんです。
じゃあ、なぜそれができないのか。
周りを信頼してないのか?
……いや、違う。
それは、きっと「自分がそうしたいだけ」。
“備えていたい”自分がいるだけなんです。
でも、時々、思うんです。
「誰かに任せてもいい夜があってもいい」
「全部を背負わなくてもいい」
って。
ちゃんとしてきた人ほど、
きっと、もう「ゆるんでも大丈夫」なんです。
今日はそんなことを、
真面目すぎる自分に、そっと伝えてあげたくなりました。
実は、5月の連休から髭をはやし始めました。
理由は、ちょっとしたイメチェン。
大人の男を目指して、ダンディー路線へ…と思ったのですが——
誰も、気づいてくれない。
いやいや、自分ではけっこうな変化のつもりなんです。
鏡を見て、「ちょっと雰囲気変わったやん」と自己満足してる。
でも、周囲の反応は、まさかの“完全スルー”。
最初は笑ってたけど、だんだん…
「え、ほんまに誰も見てないの?」
「これ、似合ってないのか?」
「そもそも、変な方向にいってない?」
って、急に不安になる自分がいる。
本当は、自分がやりたくてやってることなのに、
なぜこんなに人の目が気になるんだろう?
結局、「認められたい」んですよね。
「似合ってるよ」
「いい感じやん」
って一言が、どうしても欲しくなる。
そして聞くんです。
「この髭、どう?」って。笑
すると返ってくるのは、
「え、めっちゃいいやん!」
「ダンディーになったね」って言葉。
……でも、それを聞いてもなお、
「ほんまか?」って思ってしまう(笑)
まだまだ、僕の中の承認欲求くんは健在のようです。
でも、そんな自分も嫌いじゃない。
誰かに見てもらいたい。
認めてもらいたい。
かっこいいって思ってほしい。
それって、なんだかんだ言って、
「人間らしさ」そのものなのかもしれません。
だから今日も、ひげを整えて、
少しだけダンディーに生きてみようと思います。笑
カウンセリングをしていると、よくこんな質問をいただきます。
「自分に優しくするって、甘やかしてるだけじゃないんですか?」
はい、正直、めちゃくちゃわかります(笑)
特に、真面目でがんばり屋さんほど、
「優しくする=ゆるむ=ダメになる」
って、どこかで思ってしまっている。
でも、ここでひとつ、声を大にして言いたいんです。
そもそも、甘やかして何が悪い?
それなら、むしろどんどん甘やかしていい。
問題なのは、自分を追い詰めすぎること
「もっとちゃんとしなきゃ」
「こんな自分じゃダメだ」
「弱音を吐いちゃいけない」——
そんなふうにして、
心の声を無視して、
どこまで自分を責め続けるつもりですか?
厳しくする=正しい、ではない
それ、もはや自分いじめなんです。
特に真面目な方の多くが、残念ながら、
“努力”という名のもとに、無意識のうちに自分をいじめている。
じゃあ、どこに線を引けばいいのか?
それは、
“終わったあとに気持ちがどうなってるか”
で判断してみてください。
甘やかしたあと → 元気になる、自分に優しくなれる
甘やかしたあと → やる気がわいてくる
↓
それはもうセルフケアです。
逆に、厳しくしたあと → 落ち込む、動けなくなる、責めたくなる
↓
それはもうセルフクラッシュです。
“自分に優しくする”って、
弱くなることじゃない。
立ち上がれる力を、もう一度取り戻すことなんです。
今日もがんばっているあなたに、
そっとお伝えしたかった言葉です。
「ちゃんとしなきゃ」が、いつのまにか口ぐせになっていませんか?
誰かに言われたわけでもないのに、
“ちゃんとできる自分じゃないと”と、今日も無意識に頑張っている――
・人に迷惑をかけないように
・失礼のないように
・期待に応えられるように
誰かにそう言われたわけじゃなくても、
“ちゃんとする自分”じゃないと認められない気がして、
気づけば今日も、ちょっとだけ無理してる。
そんな声が、カウンセリングでもとても多いんです。
でもね。
人って、本当にしんどくなると、
「何もしたくない」じゃなくて、
「何も感じたくない」って思い始めるんです。
心を守るために、シャッターを下ろす。
そのくらい、自分に厳しく生きてきた人が多い。
そんなあなたに、今日ひとつだけ伝えたいのは…
「ちゃんとしすぎなくていい」
ということ。
“ゆるむこと”は、崩れることじゃない。
“わがまま”になることでもない。
「本当のあなたで在ること」
なんです。
今日は、ゆるめていい日かもしれません。
自分の呼吸のペースで、
静かに心を整えていきましょう。
僕はこれまで、8度の手術と4年間の絶食、
そして大切な人との別れや、生きることへの葛藤も経験してきました。
その中で、たくさんの人に言われた言葉があります。
「頑張ってね」
きっと、悪気があって言ってるわけじゃない。
応援してくれているのも、わかってる。
でも、僕にとって「頑張れ」という言葉は、時に重たすぎました。
もうこれ以上、どう頑張ればいいのか。
誰にも見えないところで、
すでに全力で踏ん張ってるのに——
だから、言葉だけで放り投げられるような「頑張れ」は、今でも少し苦手です。
でもね。
僕には、好きな「頑張ろう」があります。
それは、
「一緒に頑張ろう」
という言葉。
この“ひと言”だけで、
孤独が少しだけ和らいだり、
「自分だけじゃないんだ」
と思えたりする。
カウンセリングでも、
僕は決して「頑張ってください」とは言いません。
でも、隣でこう言います。
「一緒に頑張りましょうか」
人は、ひとりで全部を抱えようとすると潰れてしまう。
でも、誰かがそばで「一緒に」と言ってくれるだけで、
その瞬間、すこしだけ力の向きが変わるんです。
だから今日、
今もしも、誰かの「頑張れ」がしんどくなっているあなたへ。
ひとりで頑張らなくていい。
一緒に頑張れる場所、ありますよ。
あなたは「頑張らないと愛されない」と思っていませんか?
今日は、「魅力」について、少しだけ本音でお話してみようと思います。
カウンセリングをしていると、
恋愛でも、仕事でも、人間関係でも――
「私、もっと努力しないとダメですよね…?」
「魅力が足りないから、ちゃんとしないと」
「頑張りが足りないから、うまくいかないんだと思います」
そんな声を本当にたくさん聞きます。
でも、僕はこう言いたい!
あなたの魅力は、“がんばる”ことで増えるものじゃない。
むしろ、“思い込みをやめた瞬間”に、ふっと開いていくものなんです。
魅力を覆っているのは、思い込みのベール
多くの人が、自分にこう思っています。
「私なんて…」
「もっと痩せなきゃ」
「あの人みたいに話せないし」
「ちゃんとできない私は、選ばれない」
でも、それって本当に“事実”でしょうか?
実際にセッションでご本人の話を聞いていくと、
その人が無意識に「自分の魅力を隠すために」努力していることに気づくんです。
⸻⸻
魅力というのは、“緩めたとき”にこそ、あらわれる。
僕のもとに来てくださる方の中には、
「最初は自信なさそうだったのに、どんどん美しくなっていく」
方が、本当に多いです。
それは、整形したとか、SNS映えしたとかじゃなく――
“本当の自分”に許可を出せるようになったから。
そう思えたとき、表情がふっと変わるんです。
声も、姿勢も、言葉も変わる。
そのとき初めて、魅力って“あらわれる”。
⸻⸻
僕自身も…
実は僕自身、
昔は
「ちゃんとしなきゃ」
「がんばらないと」
ばかり思っていました。
でも、クローン病で4年の絶食生活を送ったとき、
努力ではどうにもならない“無力な自分”と向き合わざるをえなくなったんです。
そこで知ったのは、
「できない自分にも、価値はある」
っていう感覚でした。
それから、人の魅力を見る目も変わりました。
魅力って、“理想の姿”に近づいたときじゃなくて、
自分で「これでいい」と思えたときに、自然ににじみ出るものなんだと。
⸻⸻
あなたに伝えたいこと
あなたはもう、十分がんばってきました。
あとは、「思い込み」を手放していくだけです。
“こうしなきゃ”
“これじゃダメだ”
“選ばれないかも”
そういう無意識の足かせを外して、
そのままのあなたを見せても大丈夫だよって、まず自分に言ってあげてほしい。
魅力は、足し算じゃなくて、引き算です。
“手放す”ことで、ちゃんと、開きます。こんばんは。神社昌弘です。
今日は、ちょっと嬉しかった朝の出来事を、
静かにシェアさせてください。
今朝、京都新聞「窓」欄に、僕の寄稿が掲載されました。
この「窓」欄に文章を送るようになったのは、コロナ禍が始まった頃。
誰もが、不安や孤独、見えない重さを感じていた時期です。
だからこそ、
「ほんのひと言でも、誰かの心が軽くなれば」
そんな想いで、文章を書いてきました。
気づけば、これで掲載は20回以上になります。
そして、今朝。
まだ目を覚ます前の時間に、
「今朝の新聞、見ましたよ!」
と連絡をくださった方がいました。
さらには、
「この記事を読んで、元気が出ました」
という心あたたまるメッセージまで届いて。
自分の言葉が、
誰かの“今日一日”を、そっと明るく照らせたとしたら。
それは、僕にとって何よりの報酬です。
文字は、音がしない分、
静かに、やさしく、人の心に届いていく。
それは、カウンセリングの言葉と、
どこか通じているのかもしれません。
これからも、
「言葉の力」
「人とのご縁」
その両方を大切にしながら、書き続けていきたいと思っています。
🌙一日の終わりに、
このnoteが、どこかで誰かの心をふっとやわらかくできますように。
「恋愛の相談って、どこでしていいか分からない」
そう感じている方が、実はすごく多いんです。
だから今、僕のカウンセリングに変化が起きています。
こんにちは、神社昌弘です。
今日は最近よく聞かれるようになったことについて、少しお話しさせてください。
最近、僕のもとに
「恋愛やパートナーシップの相談」
が急に増えてきました。
なぜかと言えば――
きっかけは、嬉しいご報告の連続でした。
これまでカウンセリングを受けてくださった方が、
素敵な人と出会い、幸せな関係を築かれていく姿をたくさん見てきました。
中には、
「あのアドバイスのおかげで結婚が決まりました!」
というご報告も。
その幸せが、口コミでじわじわと広がり、
「実は私も恋愛で相談したいことがあって…」
という方が増えてきたんです。
僕自身、これまで“恋愛専門”というかたちでは発信してきませんでした。
でもあるとき、あるお客様からこんなことを言われたんです。
「先生って、パートナーと10年以上一緒なんですか?
その秘訣、もっと早く教えてくださいよ!」
――そうなんです。
ありがたいことに、僕はもう10年以上、同じパートナーと穏やかに暮らしています。
秘訣なんて大げさなものはないのですが、
ただ
「話す」
「尊重する」
「笑い合う」
それを、毎日コツコツと大切にしてきたように思います。
💡なぜ僕の恋愛相談が役に立つのか?
正直に言うと、僕は男性ですが、
昔から女性の気持ちも、男性の気持ちも、どちらもよく分かるとよく言われます。
さらに、
年齢・性別・国籍を超えて、
人の本質や、その人の「魂のパターン」のようなものを見抜くのが得意です。
これは、カウンセラーとして3万人以上のご相談に向き合ってきた経験と、
長年スピリチュアルと心理の両方を学んできたからこそ、かもしれません。
🕊 僕が恋愛で大切にしていること
僕が恋愛において一番大切にしているのは、
「その人が、自分の魅力に気づき、自然に輝いていくこと」
です。
誰かを好きになることで、
自分のことも好きになれるような関係。
我慢や自己犠牲じゃなく、
対等で、思いやりがあって、尊重し合えるつながり。
そして、誰かと一緒に生きることで、
人生の喜びも、楽しさも、倍になる――
そんな関係を、必要な人に届けたいと思っています。
恋愛って、“テクニック”よりも“自分との向き合い方”の方が大事です。
だからこそ、
心を整え、魅力を思い出し、そして行動できるようになるために、
カウンセリングという時間を通して、あなたと一緒に歩んでいけたら嬉しいです。「できすぎるが故に、誰も私の頑張りをわかってくれない」
「どれだけ必死でも、“余裕がある人”に見られてしまう」
あなたにも、そんな経験はありませんか?
何でもそつなくこなしてしまう。
自分から弱音を吐くのが苦手。
むしろ、まわりを気づかう側でいることが多い。
でも本当は、
“平然としている裏側”で、
どれだけ踏ん張ってきたか――
誰か、気づいてほしいって思うときがある。
でも、それを言葉にするのは難しい。
言ったところで
「そんなふうに見えないよ」
って返される。
期待するだけ無駄な気がして、
また一人で飲み込むしかない。
「わかってほしい」と思う自分を、嫌になってしまうときさえある。
強くありたい自分もいて、
わかってほしい自分もいる。
その狭間で揺れてしまうことがある。
でも、僕は思うんです。
どちらの自分も、
どちらも「本当のあなた」です。
強く見せるのは、優しさ。
弱さを隠すのは、誇り。
でも時には、ちょっとだけ…
「実はけっこう頑張ってるんです」
って、誰かに言ってもいい。
“話す”って、必ずしも言葉じゃなくていい。
ただ、わかってくれる誰かと同じ時間を過ごすだけで、
ほんの少し、心がほぐれることもあるから。
今日、もしあなたが孤独の中にいたら、
そっと言わせてください。
「あなたの頑張り、ちゃんと届いています」
神社 昌弘(かんじゃまさひろ:本名)
今日は少しだけ、最近増えてきたご相談テーマのお話をさせてください。
実はここ数ヶ月、「恋愛やパートナーシップに関するご相談」がとても増えています。
たとえば、こんな声をよく耳にします。
「今付き合っている人と、うまくいく気がしなくて…」
「離婚したいけど、踏み出す勇気が持てない」
「これから出会いたいけど、どう動けばいいのかわからない」
「自分の魅力って、どうやって伝えたらいいですか?」
恋愛って、単なる“恋の話”ではなく、
その人の“生き方”や“あり方”があらわれるテーマだと感じています。
そんな「心のクセ」や「関係のパターン」を見つめ直すだけで、
驚くほどパートナーシップは変わっていきます。
ありがたいことに僕自身、
10年以上同じパートナーと暮らしています。
決して“完璧な関係”ではありませんが、
感情をため込まず、違いを面白がるように話し合うことで、
心地よい関係を育ててきた実感があります。
また、僕のカウンセリングでは
「出会い方」
「マッチング」
「魅力発信」
のような実践的なご相談も、とても得意としています。
そんな方にも、行動と心の両面からしっかりサポートできます。
💡現在はこんなご相談も承っています:
📩通常のカウンセリング内で扱っています。
ご希望の方は「恋愛相談希望」と添えてお申し込みください。
▶ ご予約はこちら
https://kanja.info/contents_507.html
🕊こんな方にこそ、届けたいです:
恋愛は、“行動”と“心の土台”のバランスでできています。
だからこそ、
どちらか一方だけでは解決できない悩みがたくさんあります。
感情の整理、ブロックの解放、魅力の見つけ方、表現の仕方――
必要なことを、必要な順番で、一緒に整えていきましょう。
あなたらしい愛のかたちに、きっと出会えますように。
こんにちは。
神社昌弘です。
今日は、少しだけ個人的な心の内を綴らせてください。
どこかで誰かの胸に届いてくれると信じて、書いています。
僕はこれまで、
「嫌われたくない」
「誰かを傷つけたくない」
そう思いながら、発信を続けてきました。
毎日、言葉を選び、
角が立たないように、気をつかって。
誰にとってもやさしく、誰からも嫌われないように。
そんな気持ちで書いていた気がします。
でも、ふとある日、気づいてしまったんです。
そのやさしさの裏で、一番無視していたのは、
他でもない“自分の本音”だったということに。
正直に言うと、寂しさもありました。
「こんなに毎日言葉を届けているのに、
誰にも届いていないのではないか……」
そんな孤独が、心のどこかにずっとありました。
でも、それは、
僕が“ほんとうに言いたいこと”を言わずにいたからかもしれません。
だから、ここで決めました。
これからは、
“誰かの期待に応えるため”ではなく、
“自分の本心を生きるため”に、言葉を綴っていこうと思います。
やさしさも大切にするけれど、
怒りや迷い、不安や情けなさも、隠さずに出していきたい。
響く人にだけ、届けばいい。
全部の人に好かれなくてもいい。
それが、ようやく持てた「自分への誠実さ」なのかもしれません。
それでも読んでくださる方がいるなら、
こんな僕の言葉に何か感じてくださる方がいるなら、
これほど嬉しいことはありません。
どうか、これからは
“本音でつながる”時間をご一緒できたら、うれしいです。
「人を愛するって、どういうことですか?」
カウンセリングをしていると、よく聞かれる質問です。
僕もこの問いに、すぐに答えることはできません。
むしろ、答えは人の数だけあると思っています。
でも、たったひとつだけ、
確信していることがあります。
それは、
「人を本当に愛するとは、相手を変えようとしないこと」
です。
もっとよくなってほしい。
楽になってほしい。
幸せになってほしい。
そんなふうに、
「こうしたらいいのに」
と思ってしまうことは、
優しさや想いの裏返しでもある。
でも、ふと気づくんです。
それって、
どこかで
「今のあなたじゃ足りない」
と言ってしまっているのではないかと。
愛するって、
相手を変えようとせず、
“今のままのその人”を見つめること。
どこか欠けていたって、
うまくいかなくても、
弱くても、
「それでもあなたは、あなたでいい」
と伝え続けること。
それは簡単なことではありません。
むしろ、本気で大切に思っている人に対してほど、難しい。
「もっとこうすればいいのに」
「自分のやり方のほうが正しい」
つい、そんな“変えたくなる衝動”が湧き上がってしまうから。
でもその衝動を手放すことこそが、
愛の本質なのかもしれません。
誰かを変えようとせず、
ただ、そばにいること。
黙って見守ること。
その人がその人らしくあることを、許すこと。
愛って、行動じゃなくて、「在り方」なんです。
ちなみに、あなたは今、
誰かを“変えようとして”いませんか?
あるいは、
誰かに“変えられようとして”苦しんでいませんか?
「そのままでいい」
そう言える関係性こそが、
きっと本当の愛なのかもしれません。
神社 昌弘(かんじゃまさひろ)
こんにちは。
神社昌弘です。
昨夜の満月、空を見上げましたか?
5月の満月は「フラワームーン」とも呼ばれ、
自然のリズムとともに、心がふっとゆるむようなエネルギーに満ちています。
そして今日は、その満月の翌日。
このタイミングは、
感情や心の揺れが少し落ち着いてきて、
“整える”ためのアクションを始めるのにぴったりです。
なんとなく疲れが出てきたり、
気分が不安定になったりしていた方も、
今日は「自分を整える行動」を意識してみてください。
おすすめは、
神社参拝
神社に行くことで、自然の気と土地の記憶にふれ、
自分の中にある“静けさ”を取り戻すことができます。
でも、実は――
どの神社を選ぶか、どう参拝するかで、
“受け取れるもの”が大きく変わってくるのです。
そこで、今回は
【保存版】として、こんな動画をご用意しました。
🎥 運気が上がる神社の選び方|ご利益を最大にする参拝のコツ
✔ 神社選びで意識するといいこと
✔ 参拝時のちょっとしたコツ
✔ 効果を最大にする「祈り方」 など
これからの季節、
自然にふれたくなる日も増えてくるでしょう。
「なんとなく気が重い」
「気持ちを整えたい」
そんな時こそ、神社へ足を運んでみてくださいね。
🌿静かな境内で、深呼吸を。
自分を見つめ直すきっかけが、きっと見つかります。
神社 昌弘
体調を崩したとき、
本当は休んだほうがいいとわかっていても、
なぜか、焦ってしまう自分がいます。
せっかく体が「止まりなさい」とサインを出してくれているのに、
それを無視して、余計にがんばってしまう。
そうして、空回りして、かえって時間がかかる。
僕も、クローン病だったとき、
大学の授業に遅れないように、就活できるようにと、
必死でした。
焦ってばかりいました。
結果、病気はこじれて、
治るまでにとても時間がかかってしまった。
あの頃から、ずっと僕のなかにある問いがあります。
「休むって、悪いことなんだろうか?」
止まるのが怖い。
休むのが怖い。
置いていかれる気がして。
ダメな人間だと思われそうで。
でも、それでも僕は、今ならこう言えます。
止まること、休むこと。
それは、立派な“選択”です。
カウンセリングでも、僕がよく伝える言葉があります。
「休むことに、勇気がいる時代ですね」って。
本当にその通りだと思う。
だから僕は、ちゃんと自分にも言い聞かせています。
「焦らないでいい」
「止まっていい」
「今は、そのタイミングなんだ」と。
もし、あなたが今、休むことに罪悪感を感じていたら、
まずは、その感覚こそが“頑張りすぎてきた証”なんだと思ってほしい。
そして、もし休んだことで文句を言ってくる人がいたとしたら、
その人こそ、もっと休んだほうがいいのかもしれません。
私たち、ほんとうによく頑張ってきました。
だからこそ、「休む勇気」も、
大切にしていきませんか?
神社 昌弘(かんじゃまさひろ:本名)
今朝、不注意から、右手の親指を包丁で切ってしまいました。
けっこう深く、
しっかり血が出てしまい、
急いで圧迫してもなかなか止まらず、
しばらく腕ごと心臓より高くあげて、
ようやく「傷パワーパッド」で止血。
ひと段落して、
落ち着いたタイミングでふと思いました。
身体に傷がつくと、
僕たちは本能的に
「すぐに手当てしなきゃ!」
と動きます。
血が出れば慌てて止めるし、
傷口が開けばすぐに消毒して、
「これは早めに処置しないとマズい」
と、誰でも思う。
でも――
心が傷ついたときは、どうでしょうか?
カウンセリングをしているとよく感じるのですが、
特に昭和世代や、
我慢強くて人の期待に応えようとする人ほど、
心の傷に対しては“驚くほど何もしない”傾向があります。
「そのうち治るだろう」
「大人なんだから、弱音は吐けない」
「こんなことで泣いてたらダメだよね」――
そうやって、
出血していることにすら気づかないふりをしてしまう。
でも、放っておいた心の傷は、
知らないうちに“骨折”や“内出血”にまで進行していることも多いのです。
そして、ようやくカウンセリングに来られたときには、
その痛みはもう「長年の積み重ね」になっている。
身体の傷は、誰でもすぐにケアするのに。
どうして心の傷だけ、「勝手に治る」と思ってしまうんでしょうか。
目に見えないからこそ、
もっと早く、もっとやさしく、もっと丁寧に。
自分の心の声に、耳をすませてほしいなと思います。
傷を放っておくことが、「強さ」ではありません。
自分の痛みに気づいてあげることこそが、
本当の意味での「やさしさ」だと思います。
手のケガは、しっかり手当てしました。
じゃあ、心は?
今のあなたの心にも、
そっと絆創膏を貼ってあげてくださいね。
神社 昌弘(かんじゃまさひろ:本名)
今日は母の日ですね。
先日から、花屋さんの前にはカーネーションが並び、
少し照れくさそうに花を選ぶ人たちを見かけました。
この日が来るたびに思い出すのは、
クライアントさんとの何気ない会話の中で、よく出てくる言葉です。
「義母のことなんですけど……」
「夫のお母さんが体調を崩していて……」
「お義母さんから頼まれると、断れなくて……」
そう。
母の日は“感謝”のイメージがあるけれど、
同時に“義理の母との距離感”に、もやっとする人も実は多いのです。
僕のクライアントさんの多くは、
とても真面目で、賢くて、チャーミングな女性たち。
気立てもよく、愛想もいいから、
つい周りの期待に応えすぎてしまう。
特に義母からの頼まれごとには、
「断れない」
「角を立てたくない」
「自分が我慢すればうまくいく」
と思ってしまう。
でも、それって本当に“やさしさ”なんでしょうか?
自分をすり減らしてまで応えることが、
本当に家族のためになっているのか?
母の日だからこそ、あえて言いたいんです。
「ありがとう」を伝える日だけど、
自分にも「ありがとう」を言ってあげてください。
家族のためにがんばってきたこと。
角が立たないように気を配ってきたこと。
何も言わずに受け入れてきたこと。
どれも、立派な“愛”です。
でも、あなたの心が悲鳴をあげているなら、
少し立ち止まってみてもいいんです。
期待に応えられなくても、
あなたの価値が下がることはありません。
「断ること=冷たい」じゃない。
「距離を取ること=不義理」でもない。
むしろ、自分を大切にできる人の方が、
本当に周りにやさしくなれると僕は思います。
だから今日は、
「がんばりすぎる優しさ」に、そっとエールを送りたい。
あなたが今日、
ちょっとでも心穏やかに過ごせますように。
そして、心の中で、
こっそりこうつぶやいてみてください。
「ありがとう。
でも、ちょっと疲れたから、今日は自分を優先してもいいかな」
って。
神社 昌弘(かんじゃまさひろ:本名)
こんにちは。
神社昌弘です。
先日のゴールデンウィーク、ある友人から、ふと届いたメッセージがありました。
「たすけて」
そのひと言に、迷わず動きました。
風邪をこじらせて、しばらく動けないとのこと。
ドラッグストアで、風邪薬、栄養ドリンク、ビタミンゼリー、冷えピタに食料品――
思いつく限りのものを詰め込んで、お見舞いに向かいました。
手渡しながらふと思い出したのは、
僕がクローン病で、長く寝たきりになっていた頃のことでした。
病人は、つらい。
でも、目の前の人がつらそうにしているのに、何もできない看病する側の方も、
同じくらい、いや、それ以上につらいのかもしれません。
あの頃、母はどんな想いで、僕のことを見守ってくれていたのだろう?
毎晩、点滴が止まっていないか、2時間おきに僕の部屋をのぞいていたと聞いたとき、言葉にならない気持ちが込み上げました。
病気の本人以上に、看病する人が“何もできない苦しみ”を抱えていること。
今になって、ようやく、少しだけわかるようになった気がします。
ただ「ありがとう」。
それしか言えない。
でも、それだけは、ちゃんと伝えたいと思いました。
カウンセリングをしていると、よく聞かれます。
「心配しすぎる性格を、どうにかしたい」
「もう少し、ラクに生きられるようになりたい」
「頑張りすぎて疲れてしまう自分を、変えたい」——と。
けれど、
「心配しないでください」
「頑張らなくていいんですよ」
そんな言葉は、案外、響きません。
それは、すでに本人が一番よくわかっているから。
それができないから、苦しんでいるのです。
人の性格や気質というのは、長い時間をかけて培われたもの。
それを変えるには、「気合い」や「一言」では動かないのが現実です。
でも、その中でも希望はある。
それは、
「変わりたいと思っている自分が、ここにいる」
という事実です。
変われないのではなく、
今はまだ、本気で変わる準備が整っていないだけなのかもしれません。
人は、ある意味、“死ぬような体験”をしないと、本気では変われない。
僕自身も、クローン病を通してそれを体験してきました。
だから、カウンセリングでは焦らずに、
相手の話をただ、誠実に聴きます。
アドバイスではなく、傾聴と尊重からはじめます。
小さな気づきが、
やがて大きな行動に変わるその瞬間まで、
信じて、付き合い続けるのが僕の仕事です。
それでも、特に“身内”に対しては、
なかなか変化を信じられない自分が顔を出します。
言っても伝わらない。
わかってもらえない。
何より、心がすり減る——
だからこそ、僕はあえてこう伝えたい。
「変わってもいいし、変わらなくてもいい。
でも、いま苦しいなら、“いまと同じこと”を繰り返さない方がいい。」
その一歩が、いつかあなた自身の未来を救ってくれるから。
今日もまた、そんな想いを胸に、
僕はひとりひとりと向き合っています。
ゴールデンウィークに、映画『ベイマックス』を観ました。
…といっても、もともと僕は、
ディズニーも、アニメも、まったく興味がなかったタイプです。
きっかけは、友人からのプレゼント。
ディズニーランドのチケットをいただいて、
“人生で初めて、大人になってからのディズニー”へ。
そして、ふらっと乗ってみたアトラクション――
ベイマックスのライド。
最初は、「なんなのこの雪だるま?」くらいの感覚だったんですが(笑)、
なぜか、印象に残ったんです。
ゆるくて、真っ白で、
何を考えてるのかわからないけど、なんだか、気になる存在。
そして、帰ってから映画を観てみた。
正直、びっくりしました。
子ども向けかと思いきや、
大人こそ、心を揺さぶられるストーリー。
「ケアとは何か?」
「癒しとは何か?」
まさに、カウンセラーとしての自分にも深く刺さるテーマでした。
ベイマックスは、人の心を癒すロボット。
でも、彼がしていることは、
実は僕たちが日々やっていることにとても近い。
ただ黙ってそばにいること。
必要なときに声をかけること。
相手の痛みを“評価せず”に、認めること。
それは、何か特別な力ではなく、
「誰にでもできる、やさしさの形」
だと改めて感じました。
僕もまた、誰かの心のベイマックスになれるように。
今日も、声を聴きながら過ごしています。
…それにしても、ベイマックス。
なんであんなに、かわいいんでしょうね(笑)
僕は時々、一人でカラオケに行きます。
理由は単純。
ただ、大きな声を出したいだけ。
ストレスを発散したくて。
そして、何より――ただ楽しみたいから。
でも、不思議なもので、
2回目、3回目と通ううちに、少しずつ“変化”が起きました。
最初は歌うことが純粋に楽しかったのに、
いつの間にか、画面に表示される“点数”が気になり出していたんです。
「え、89点か…。もう一回やり直そう」
「95点超える曲だけ、選ぼうかな」
そんなふうに、“楽しさ”よりも“正しさ”を求めて、
「うまく歌える曲」ばかりを選ぶようになっていた。
これって、人生と似ているなと思いました。
ほんとは歌いたい曲がある。
ほんとはやってみたいことがある。
でも、「失敗したくない」
「うまく見せたい」
「人からどう見られるか気になる」――
そんな理由で、
“うまくやれること”ばかりを無意識に選んでしまっていた。
大人になるって、
そういうことなんだろうか。
無難にこなすこと。
叱られないように動くこと。
目立たずに、安全に生きること。
でも、本当にそうだろうか?
それって、自分の人生を「点数」で測るようなものじゃないか?
もちろん、まわりの目も気になります。
うまくやりたい気持ちもあります。
でも、それよりも、
「心から楽しむ」という感覚だけは、忘れたくないと思いました。
“正しさ”に縛られて、
“楽しさ”を見失ってしまうくらいなら、
たとえうまくできなくても、
自分がワクワクする方を、選びたい。
今、あなたがやっていること。
ほんとうに心が動いていますか?
それは、「歌いたいから歌ってる」ことですか?
僕は今日も、点数は気にせず、
ちょっと懐かしい好きな曲を、
誰もいない部屋で思いっきり歌いました。
正解じゃなくて、
共鳴するものを選べる人生でありたいですね。
神社 昌弘
こんにちは。神社昌弘です。
今日は少しだけ、私がなぜこの仕事をしているのか、その原点についてお話ししたいと思います。
私が20歳の時、突然「クローン病」という難病を発症しました。
大学生でした。
これから人生を切り拓いていこうという時に、
「一生治らない」と言われる病気に、いきなり立ち止まらされたのです。
その後、8度の手術と、4年間の絶食生活。
口から何も食べられず、点滴だけで命をつなぐ日々が続きました。
若さも夢も未来も、
すべてが遠く感じられ、
正直、「なんで自分だけが…」と何度も思いました。
でも、そんな苦しみの中で、
少しずつ見えてきたものがありました。
■ 「心の状態」が、身体や病気の向き合い方に大きく影響すること
■ 「誰かに話せる」ことで、自分を取り戻せる瞬間があること
■ そして、「痛みを知った人」だからこそ寄り添えることがある、ということ
これらの体験が、
今の私のカウンセリングの土台になっています。
2016年には、テレビ東京『生きるを伝える』という番組に出演し、
この経験についてお話しさせていただく機会をいただきました。
▶︎ 番組ページはこちら
全国放送で自分の病気の話をするのは、正直とても勇気が要りました。
でも、それ以上に、「この経験が誰かの力になれば」と願っていました。
今では、3万件を超えるカウンセリングを重ね、
少しでも“生きづらさ”を抱える方に寄り添いたいという思いで、
日々、画面越しや対面でお話を聴かせていただいています。
痛みや悲しみは、
それだけでは「意味のない苦しみ」に感じるかもしれません。
でも、そこから誰かに手を差し伸べられる力に変わったとき、
人生は少しずつ、希望の方向へと動き出す。
私は、それを身をもって体験してきました。
だから、もしあなたが今、
自分の道に迷っていたり、心に疲れを感じているなら、
どうか思い出してください。
「今いる場所が、終点ではない」
ということを。
そして、よかったら、
私と一緒に「心を整える時間」を持ってみませんか?
あなたの中にある光が、また輝き出すように。
そのお手伝いができたら、何よりうれしいです。
神社 昌弘
東京にいると、なぜかよく外国人の方に道を聞かれます。
駅前でも、信号待ちでも、
「あ、絶対に来るな…」
と感じたその瞬間、スッと近づいてこられて、声をかけられる。
「Excuse me…」
「ホテルはどこですか?」
「この場所に行きたいのですが…」
昨日も、スペインから来られた女性が、迷い込んだようにキョロキョロされていて、目が合った瞬間、にこっとしたら、一気に駆け寄ってこられました(笑)
幸い、多少は英語が話せるので、身振り手振りも交えて、目的地を案内。
不思議と、話しかけられるのって、
“話しかけても大丈夫そうな雰囲気”
があるのかもしれません。
でも、それはたぶん、僕自身が、何度も海外で道に迷いながら、たくさんの人に助けてもらってきたから。
ロンドンの駅、
シドニーのバス停、
まったく読めない標識の国で、
やさしく声をかけてくれた人たち。
その時の“安心”って、忘れられないんですよね。
だから今は、立場が逆になっただけ。
持ちつ持たれつ、助け合いのリレー。
はじめての場所には、ワクワクと不安が、どちらも詰まっています。
そんなときに、
「大丈夫。楽しんでおいでね」
と言ってもらえると、人って、ぐっと安心するものです。
僕もそんなふうに、誰かの“少しの不安”に手を差し伸べられるような、さりげない存在でありたいと思います。
道を聞かれるって、案外、光栄なことなのかもしれません。
大切な人と、想いがすれ違ったまま、
そのまま離れてしまった――
そんな経験、ありませんか?
カウンセリングの現場でもよく聞きます。
夫婦でも、親子でも、親友でも。
「大切だからこそ、うまくいかない」
「想いが強いからこそ、ぶつかってしまう」
そんなことが、本当にたくさんあるんです。
お互いを思っているのに、
誤解が誤解を呼んで、
勝手な想像が重なって、
いつの間にか、距離ができてしまう。
本当は、こんなはずじゃなかったのに――と、
誰かを想いながら泣いている人も、実は多いのです。
じゃあ、どうすれば元に戻れるのか?
答えは、とてもシンプル。
ただ、「ごめんなさい」と「ありがとう」を、
素直に伝えること。
でも、これがなかなか難しい。
なぜって、人はみんな
「自分は悪くない」と思っているから。
プライドがあったり、
傷ついたままだったり、
“自分から”ができなかったり。
だけど、やっぱり思うんです。
「ごめんなさい」と「ありがとう」
この二つの言葉は、想像以上にすごい力を持っている。
それだけで、
すれ違っていた空気がふっとゆるむことがある。
それだけで、
止まっていた関係が、また動き出すことがある。
だからこそ、伝えたい。
今、もし心に浮かぶ人がいるなら、
今日、「ごめんなさい」と「ありがとう」を、セットで伝えてみてください。
たった一言で、人生が変わることだってあるんです。
もしかすると、
相手もずっと、その言葉を待っていたのかもしれません。
いつも、自分から。
自分から動くと、未来が変わります。
自分を幸せにできるのは、自分しかいません。
世の中って、「なんで?」と思うことばかりです。
カウンセリングをしていると、
「どうしてこんなに真面目で、やさしい人が、こんな目に遭わなきゃいけないんだろう?」
と思うことが、本当にたくさんあります。
それはまるで――
ちゃんとルールを守って安全運転していたのに、
いきなり後ろから追突されて、むち打ちになったようなもの。
何も悪くないのに、
心に傷を負ったり、生活が一変したり、
そんな“納得できない出来事”に直面することがあるのが、現実です。
クライアントさんの多くも、こう言います。
「私じゃなくて、世の中にはもっと悪い人がいるのに」
「なんで私がこんな目に…」
「ちゃんと生きてきたのに、報われないなんておかしい」
その気持ち、よくわかります。
僕も、何度も同じ思いをしてきました。
でも――
その「理不尽さ」の中に立ち止まっていても、
現実は、何も変わらないんです。
辛いし、悔しいし、腹も立つ。
だけど、過去に引きずられてばかりでは、前に進めない。
文句を言っても、頭でこねくり回しても、
“今”を変えてくれるわけじゃない。
だから僕は、いつもこう思っています。
「割り切れなくてもいい。
でも、引きずらない。
止まらない。
それが、一番いい。」
人は、前を向いて歩いていくときにだけ、
少しずつ光を取り戻していけるんだと思います。
それは、自然が教えてくれる“幸せの法則”。
今日がどんなに重たくても、
明日を生きる力は、あなたの中にちゃんとある。
僕はいつでも、そう信じています。
僕には、毎朝欠かさず行っている、ひとつの習慣があります。
それは、継続カウンセリングや顧問契約を結んでくださっている方のカルテを一枚ずつ手に取り、その方の今の状態を静かに感じながら――
「今日も一日、穏やかに過ごせますように」
と、そっと祈ることです。
ときどき、違和感を感じた方には、こちらからメールをお送りします。
すると決まって、こんなお返事が届きます。
「ちょうど連絡しようと思っていたところです」
「神社さん、見てました?」
「なんでわかったんですか?」
僕にとっては不思議でもなんでもなくて、
その人の“エネルギーの流れ”に変化があると、自然にわかるんです。
あ、今かな。
あ、ちょっと届きにくくなってるな――と、感じるんです。
でも、これって“特別な感覚”じゃなくて、
誰の中にもある力だと思っています。
誰かを本気で想っていれば、
たとえ離れていたとしても、
ふとした瞬間にその人のことが浮かんだり、
連絡を取りたくなったりすることって、ありませんか?
それは、きっと「つながっている」証。
目に見えないけれど、ちゃんと届いているものなんです。
シンクロニシティって、スピリチュアルな言葉に聞こえるけれど、
本当は、思いやりの延長線上にある現象だと僕は思っています。
「なんとなく気になったから」
「今日、声をかけてみようと思ったから」
「なぜか、あなたのことを思い出したから」
それだけで、誰かの救いになることもあります。
どうか今月も、あなた自身と、
あなたが大切に思う人のために、
そっと心を向ける時間を持ってみてください。
その優しさは、目に見えなくても、
きっとちゃんと届いていきますから。
静かにやってきた5月。
あなたにとって、穏やかでやさしいひと月になりますように。
神社 昌弘