こんにちは。
神社昌弘です。
大切な人や好意を寄せる人ほど、なかなか本心が言えないし、本当の気持ちは伝えにくいものです。
かつての僕は、それが、相手のことを真剣に想い過ぎたり、気遣い過ぎているからだと思っていました。
しかし、ある日のこと。
それが相手のことを想うどころか、自分のことしか考えていないという衝撃の事実に気づいてしまいました。
相手のことを想って言えなかったのではなく、実は、自分の本心や本当の気持ちを受け容れてもらえなかったり、共感してもらえなかったりするのが「怖い」から言えなかったのです。
例えば、告白して断られるくらいなら、もしかしたら、まだ脈があると思っていたい…
失敗して、自分の実力を思い知らされるよりも「僕だって本気を出せばできる」と思っていたい…
つまり、傷つかない幻想の中にいたかっただけなのですね。
なにか発言するということは、現実に影響を与えることです。
今とは違う状態になってしまうから、時には、言うことによって、傷ついたり、嫌な思いもするかもしれません。
でも、逆に、言うことによって、素晴らしい感動を共有できたり、幸せになれたりもします。
言う気は「勇気」!
今日、あなたの本当を言う勇気が、あなたとあなたの大切な人を幸せにしてくれますように!
こんにちは。
神社昌弘です。
アメリカの心理カウンセラー、Les Giblinが、こんなことを書いていました。
私たちが他人に「あなたのためを思って言っている」と言う時、約95%の確立で、そうではない!
相手の欠点をあげつらって、自分の自尊心を満たそうとしているだけである。
まさか!?
95%も??
この数字に驚きましたが、事実、僕が他人から「神社さんのためを思って言っている」と言われた時のことを思い出すと、それには深く頷けます。
人が誰かを注意する時、本来であれば、相手を向上させるために言うべきはずなのに…
もともと、すべての人が自分の重要感を満たす必要があって、そのために自分を認めてほしいと願っているところがあるから、これは仕方のないことかもしれませんね。
でも、いま、この事実を知ったなら、“気づかない内”に「あなたのためを思って言っている」ことが、本来の意図から離れていることがあるかもしれませんので、注意をした方がいいですね。
それがお互いのためでもあります。
かつて、どなたかがSNSで「怒る」と「叱る」の違いをシェアされていましたが、本当に相手のためになっているかどうか?を確認できる指標になったので、今日は、それを最後にシェアしたいと思います。
【怒る】 | 【叱る】 |
感情的に | 理性的に |
過去に焦点をあてて | 未来を見据えて |
怒りと勢いで | 愛と勇気で |
自分の言いたいように | 相手に伝わるように |
感情に任せて | 試行錯誤しながら |
相手を批判するように | 相手を認めながら |
決して、怒りと勢いで怒るのではなく、愛と勇気で叱る…
これから「誰かのため」にやることがあるなら、お互いの自尊心を満たし合うような形で、相手を否定することなく、相手が本当に求めていることを与えられたらいいですよね。
大切なことを、僕に教えて下さった方々に感謝します。
ありがとうございます。
こんにちは。
神社昌弘です。
僕は、飛行機が大好きです!
乗ることはもちろん、見ているだけでも満足!
歩いている時に、空でゴーっと音がすると、つい見あげて飛行機を探してしまいます。
とにかく飛行機が好きで、空港で離発着する飛行機を眺めているだけでも幸せですし、機内で飛行機の模型を買えると、もっと幸せになれます。
さて。
今日は、なぜ飛行機のことを書いているかというと…
飛行機が「予定ルート」を飛んでいる割合をお伝えしたいからです!
答えは…
なんと…
0パーセント!
ゼロパーセントですよ!!!
びっくりしませんか?
てっきり、現代の技術だと100パーセント近くの割合で飛行していると思い込んでましたが、飛行機は、補助翼によって、常に軌道修正されながら飛んでいるようです。
2年前に、あるビジネスコンサルタントから、その衝撃の事実を教えてもらって驚きました。
飛行機好きなのに、そんなことも知らなかった自分が恥ずかしかったのですが、実は、それよりも恥ずかしくて、衝撃的だったことがあります。
それは…
僕が軌道修正に関して、全く良いイメージをもっていなかったこと!
何ごとも出発点が肝心で、計画通りにキッチリ進めることこそ大事!軌道修正するなんて邪道だと思っていたのですが…
彼が教えてくれたのは、その考え方とやり方だと失敗する!ということでした。
(事実、僕は失敗していました)
それ以来、彼がいつも僕に教えてくれたのは…
ものごとは計画通りに進むことなんてない!
だから、もっと柔軟に対応することや積極的に修正し続ける技術を身に付けなさい!
ということでした。
・ダメだと思ったら、潔く変える
・無理だと思ったら、そこに留まらない
とにかく、柔軟に対応して、常に軌道修正することこそ、目指すべきゴールに到着できるポイントだと教えてくれました。
彼が、僕の大好きな飛行機を例に出して、わかりやすく教えてくれたおかげで、今では、すっかり積極的に軌道修正できるようになり、仕事もうまくいくようになっています。
現在、コロナウイルスの影響で、多くの人たちが、日々、軌道修正していかなければいけない状況です。
これまでの「やり方」に固執することなく、ためらわずに修正して、あなたとあなたの大切な人たちが笑顔になれるゴールへとたどり着けるといいですね。
こんにちは。
神社昌弘です。
こわい…
つらい…
くるしい…
かなしい…
しんどい…
くやしい…
かつての僕は、そんなことを言うのは「負け」だと思っていました。
男のくせに“情けない”と思っていて、必死に大丈夫なフリをして、強がっていたように思い出します。
いま思い返すと、なんてバカなことをやっていたんだろうと恥ずかしく思いますが…
僕が「そうしたかった」のだから、それは仕方のないこと。
そうしたかったのだから、それでいい…
やっぱり、それが良かったんだと思います。
今更、過去を振り返って、自分をジャッジしたところで、何も変わりませんから「それでもよく頑張って生きてきたなぁ」と思うだけです。
この経験があるからこそ、今となっては、強いフリをすることほど弱いことはないと知っているし、自分自身にウソをつくことほど悲しいことはないとわかっています。
誰だって、悩むことがあって、かなしくなることがあって、いろんな時期があります。
それは、勝ち負けや良し悪しでは計りきれないものです。
でも…
もし、勝ち負けがあるとしたら…
勝ち負けを気にしている時点で「負け」なのでしょう。
そして、もし、良し悪しがあるとしたら…
良し悪しを気にしている時点で「悪い」ことなのでしょう。
なぜなら…
自分らしく生きていく上で、自分をジャッジしないことが一番大切だから!
これが、いま、僕が実際に体験してわかっていることです。
だから…
いまのあなたは、それでいい!
やっぱり、あなたはあなたのままがいいから、どうか、どんな自分にもOKを出してみてくださいね。
あなたがあなたを丸ごとOKできた時に、あなたの命は輝き始めますよ!
こんにちは。
神社昌弘です。
「祝い」と「呪い」
部首が違うだけで、全く違う意味になってしまいますが、実は、どちらも「祈り」から派生した言葉だと聞いたことがあります。
つまり、祈り方によっては、祝いにもなり、呪いにもなるということなんですね。
今日は、僕が、忘れられない話をシェアさせてください。
それは、僕が小学5年生だった時のこと…
みんなが給食を食べ終えて、午後からの授業が始まった時のことでした。
急に外が騒がしくなって、教室の窓から、消防車やパトカーが自宅の方向へ走ってゆく様子が見えました。
僕は怖くなって、どうしようという気持ちを抑えられなくて、頭を抱えて、その場にうずくまり、
「どうか、僕の家ではありませんように!」
「神様、助けてください!」
と必死に祈りました。
担任の先生が、すぐに状況を調べてくださって、幸い、僕の家ではないとわかって、ホッと安心できたのですが…
なんと、そこは知人のお父様が経営する会社でした。
それから何年も経って…
僕が仏教を学び始めた時に、祈りには、良い祈りと悪い祈りがあることを教わり、かつて、僕が「自分の家が燃えてませんように」と祈っていたことが、悪い祈りだったと指摘されて、衝撃を受けました。
「誰だって、自分の家ではありませんようにと祈って当然でしょう?」
と言い返したところ、師匠は、
「自分の家が燃えていませんようにと祈るのは、他人の家が燃えてほしいと祈っていることと同じです」
「すでに、どこかの家が燃えている事実に変わりはないのだから、その祈り方では、無意識に他人の不幸を願っています」
と教わって、目が覚めました。
言い返す言葉がありませんでした。
では、どのように祈ればいいのか?
「みんなが無事であります様に」
「誰もケガしていません様に」
「被害が最小限であります様に」
そんな風に祈ることが良いみたいです。
人は誰しも、大変な時には、自分のことや家族のことでめいっぱいで、他人のことなど考えられないものです。
それは仕方のないことだと思います。
でも、僕たちが大変な時には、僕たちと同じように大変な人がいることも、ほんの少しで良いから、心に留めておきたいですね。
時々、立ち止まって…
今、自分がやっている祈り方が、他人を呪っているものではないか?
他人の幸福を願っているものか?
それらを確かめられるといいですよね。
祈り方さえ間違っていなければ、きっと神様は、あなたの願いを叶えてくれると思います。
こんにちは。
神社昌弘です。
僕は、信心深い古風な祖母の影響で、小学生の頃から「暦(こよみ)」を見るのが好きでした。
月齢や天体の出没(日の出・日の入り・月の出・月の入り)の時刻をチェックしたり、潮汐(干満)の時刻などの予測値を見たり、曜日、行事、吉凶を眺めたりして、それらが、
・本当に、日常と合っているのか?
・実際のところ、どうなのか?
・どんな風に影響を与えるのか?
を確かめることが好きでした。
「なぜ、そんなことが好きだったのか?」
正直よくわかりませんが、ただ好きでした。
きっと、好きに理由はないのでしょうね。
いつも、大切な行事には、祖母が暦を見て日時を選んでいたので、僕も自然とそれが身につくようになって…
2016年から1,300日間は…
毎朝7時にデイリーメッセージを配信していたのですが、その際、まずは暦を見て、その日に合った写真とメッセージを選び、気が落ちる時には気を取り戻す写真を選び、気を澱む時には浄化のメッセージを配信し、見た人に良いことが起こるように工夫して配信していました。
すると、やっぱり、多くの人たちに喜んでもらえて、こんな風に活用すればいいんだなぁと確信することもできました。
長年、ただ好きだけでやっていましたが、そのおかげで、人生にも流れがあることがわかり、それには逆らえないこともわかり、宇宙の流れに従って、ただ自然に生きてゆくことがいいんだなぁとわかります。
そんな僕は、かつて「占い」にハマったことがあって、いろんな種類の占いを体験し、学び、実際に鑑定することがありました。
たまたま最初に出会った占い師が素晴らしくて、その方の元で学べたおかげで、僕は目が覚めることができたのですが…
もしあの時、僕の間違いに対してガツンと喝を入れて指摘してもらっていなければ、本当に危険だったなぁとつくづく思います。
今日は、僕が教わった占い師を見極めるポイントをお伝えしたいと思います。
占い師には、これだけは絶対に触れてはいけない3つのジャンルがあります。
以下を口にする人は、信用してはイケナイといわれていますので、参考になさってくださいね。
この三つを言わないことが信用の証になりますので、占い(うらない)師に、自分自身を売らない(うらない)ように気を付けてください。
自分自身を売り、明け渡した瞬間、あなたは占い師に支配されるようになっていきますから…
占いは、あくまで人生を豊かにするエッセンスだと認識した上で、ご自身で“よいふうに”ご活用くださいね。
こんにちは。
神社昌弘です。
3月に入り、急に学校が休校になり、さらに今度は春休みになって、また子どもたちが家にいるようになって…
子育てママたちのイライラはピークを超えて、イライラをぶつけることが多くなっている様子です。
「子どもにイライラをぶつけてしまいました…」
「また、八つ当たりしてしまいました…」
…やってはイケナイとわかっているのに…
僕のところには、ついやってしまったお母さんたちからのSOSが届きます。
僕のまわりには、根が優しくて、とっても真面目なお母さんたちが多いので、やってしまった自分を責めたり、後悔したり、自責の念にかられたりして、どうしようもなくなっている様子…
けなげに一生懸命やっているからこそ、おつらいですよね。
そんな時は、反省はホドホドにして、
「ごめんね」
と謝った後に、
「怒っちゃってスッキリしたわ!ありがとう」
と言ってみてください。
「え?」
「ありがとう?」
最初はびっくりされますが、実際に「ありがとう」を試してみたお母さまたちの反応を見ていると、
・私自身が救われた気持ちになった
・意外にも子どもの反応がよかった
・子どもに対して感謝の気持ちが湧いてきた
・子どもが更に愛おしくなった
など、そんな感想が寄せられています。
本来であれば、イライラをぶつけない自分になることができたらいいのですが、この状況です!
みんな大変なんです!
だから、もし八つ当たりをしてしまうようなことになってしまったら、自分を責め続けることよりも、まずは素直に「ごめんね」と謝って「ありがとう」と伝えられるといいですね。
謝りを感じて、感謝の気持ちで「ありがとう」と言えた時に、心の傷が癒えます!
親が、自分の非を認めて「ごめんね」と「ありがとう」と言うことによって、子どもは、自分が悪い子だから怒られたのではなく、親の気持ちの問題だったんだと理解できるようにもなっていきます。
「ありがとう」という言葉によって、子どもは自分だけのせいではないことがわかるんですね。
もし、今度、怒るようなことがあれば…
「イライラをぶつけてごめんね」
そして、
「ありがとう」
と言ってみてください。
こんにちは。
神社昌弘です。
僕は、共著や自費出版、電子書籍を含めると、計13冊の本を出版しています。
初めて出版した時は、何もわからなかったから、ただ編集長の指示に従って、言われた通りに仕上げていましたが、本を出版する度に、だんだん一人で作れるようになって、ある程度のものができるようになっていきました。
わからない間は謙虚だったものが、気づかない内に傲慢になっていたのか?!
4冊目の出版を終えた頃、その傲慢さに気づかされました。
それは、ある日のこと。
凄い自信作ができて、すぐに出版社に原稿を送り、
「新しい本を書いたので、改善点があれば教えてください」
と言った時のことでした。
有難いことに、編集長からすぐに電話がかかってきて、ワクワクしていたのですが…
あまりの改善点の多さとダメ出しに、イライラして、しまいには、悔しさと悲しさ込み上げてきました。
この時、僕は、アドバイスよりも、褒めてほしかったんだなぁと思い知りました。
「改善点を教えてください」と言いながら、実は、僕は自慢したかっただけで、「素晴らしい」と言ってもらいたかったんだなぁと気づきました。
僕は、無意識に称賛や同情を求める癖があったんだなぁ、と気づいて、それ以来、他人がアドバイスを求める時には2つのタイプがいることを念頭において対応するようにしています。
多くの人は、基本、他人に何かを求める際に、誰もが相手に好意を求めて、自分を受け入れて、認めてほしいと願っています。
だから、アドバイスも大切ですが…
仕事以外の場合は、実はアドバイスよりも称賛や同情を求めていることが多いので、まずは、そのままを受け入れて、認めて「褒める」こと、それが大切なんだなぁと思います。
こんにちは。
神社昌弘です。
僕には、師と仰ぐメンターが数名いるのですが、その一人が「増岡弘(ますおかひろし)」さんです。
長年、日本国民から愛され続けた声優で、アンパンマンのジャムおじさんやサザエさんのマスオさんを担当されてきました。
今から13年前のこと。
僕がイギリスで日本語教師をしていた時に、ロンドンのゲストハウスで出逢ったのですが…
その衝撃的な出会いは、この本の最終章で書かせていただきました。
御縁をいただいてから今日まで、“文通”や一緒にお食事をさせていただいたりして、大切なことを教えてもらってきましたが、中でも印象に残っているのが「正義」について。
増岡さんに出会う前、僕は正義とは悪を退治するイメージがあって、それはウルトラマンや仮面ライダー、スーパーマンなどのように、敵となる悪人や怪獣を、必殺技でハチャメチャに倒して、無残にやっつけて勝つものでした。
そんな正義がカッコよくて、そんな姿を真似たり、憧れたりしていましたが、長年ジャムおじさんをしていた増岡さんからは、悪人を倒すことよりも大切なことを教わりました。
それは…
正義を行う人は、実はアンパンマンのように、必ずしも強い者ではなく、普通に弱い者で、誰かが飢えていたり、元気がない時に、そっと自分を後回しにして救える人…
溺れている人を見つけたら死ぬ気で飛び込んでしまうような、本当は強くないけど、やらなきゃイケナイ時に勇気を出せる者…
正義とは…
・決してカッコいいものではなく、自分自身も必ず深く傷つく覚悟があること
・アンパンマンが自分の顔をちぎって、元気のない人たちを助けるような勇気があること
そんな風に教わりました。
勝ち負けにこだわったり、勝った負けたで判断している時点で、そこに本当の正義は無いんだなぁと思い知ります。
そして、やっぱり、困っている人のために愛と勇気で手を差し伸べることの方が素敵だとなんだぁと目が覚めます。
正義とは、カッコよくない、傷つくようなことを覚悟する勇気なんですね。
そんな増岡さんからいただいた教えは、今ではファイル3冊にもなっています。
未だに大切なことを教え続けてくださっていることに感謝しています。
こんにちは。
神社昌弘です。
僕は、かつてイギリスのカレッジで、恩師たちとスピリチュアリズムを追究していたので、帰国してからは、色んな不思議な人と出会う機会がありました。
というより、僕が不思議な人に会いたくて、たずね歩いていただけなのですが…
海外に出て、異文化を学んで、日本とイギリスを行き来し始めると、新たに「見えるモノ」が沢山ありました。
ある日のこと。
僕の講演会が終わった直後に、ある一人の女性がツカツカと歩み寄ってきて、
「神社さんにお話があります。この後、喫茶店にお越しください」
というので、特に予定もなかったので、
「はい、わかりました」
とだけ言って、指定された場所に行きました。
すると、初めて出会ったその方から、
「神様からのメッセージが届きましたので、あなたへお届けに参りました」
と言われたのです。
「え?」
と思って、話を聴いていると、
「あなたは、今後○○しなければいけない。あなたには、○○のお役目があります…など」
なんだか凄いことを言ってきました。
その場は、とりあえず
「はい」
とだけ言って、帰宅後、すぐに恩師に相談することにしました。
すると、恩師は
「そのメッセージは無視しなさい」
と言われました。
「え?なんでですか?わざわざ、せっかく伝えに来て下さったのですよ」
と言い返すと、
「神様が、もし本当にあなたに必要なメッセージを伝えたいなら、他人経由などは、決してありえません」
「そんな面倒なことはしませんから、無視しなさい」
と言いました。
“そうかぁ!”
“なるほど〜!”
と思う反面、その女性からは、僕の凄い使命や役割を伝えられたので、ちょっぴり残念な気持ちもありました。
でも…
よくよく考えてみると、神様からメッセージがあると言われて、それを信じた瞬間に、僕は、その人からの指示に従って、コントロールされるようになってゆくんだろうなぁとも思いました。
それを考えるとゾッとしますよね?
僕は、凄いと言われるのが大好きで、おだてられたり、特別だと言われると、つい調子にのってしまうところがあるので、いつも恩師の言葉を忘れないようにしています。
神様は、本人が望まない限り、他人を介して特別なメッセージを伝えることはない!
それを肝に銘じることにしています。
こんにちは。
神社昌弘です。
僕は、まわりが驚くほど行動派なので、直観でピンときたらポンと動くようなところがあります。
まず動いて、実際の目で見て、確かめないと気が済みません。
そのおかげで、これまで沢山の面白い人たちと出会い、素晴らしい知恵をたくさん共有していただくことができました。
中でも、興味深かったのは…
イギリスで出逢ったある占いの大家(たいか)!
その国では、知らない人はいないというくらい有名な方で、鑑定してもらには何カ月も待たないとイケナイような方。
おそらく70歳を超えているような方で、見た目はいたって“普通”のおじいちゃん。
その占い師に偶然会うことができて、ここぞとばかりに、
「運勢をよくする秘訣はなんですか?」
と尋ねたことがありました。
元気であること!
「え?それだけですか?」
と聞き返すと
「ただ、それだけ」
と返ってきました。
あまりにも当たり前すぎる「答え」に、拍子抜けしましたが、元気に、明るく、楽しく生きることが、一番、運勢をよくする秘訣だと言っていました。
自分自身の心身を元気にできない者が、運勢をよくできるはずがない!
規則正しい生活をした上で、心身ともに健全で、元気に、明るく、楽しく生きることが一番運勢をよくする方法だ!
と言っていました。
密かに「凄い答え」を期待していた僕は、正直ガッカリしてしまいましたが、「やっぱり」というふうにも思いました。
大切な「答え」というものは、ごくごく当たり前で、いたって自然でシンプルなものなんですね。
やっぱり、自分の心身が元気であってこそ、何ごともよくなってゆくのでしょう。
こんにちは。
神社昌弘です。
今日は、春分の日…
お彼岸(ひがん)の中日ですね。
春のお彼岸とは「春分の日」を中日に、前後3日間、計7日間が「お彼岸」になりますが…
・3月17日(火)彼岸入り
・3月20日(金)中日(春分の日)
・3月23日(月)彼岸明け
この時期には、お墓参りに行かれる方も多いかもしれませんね。
春分の日は、太陽が真東から上がって真西へ沈みますが、この日に、あの世とこの世が通じやすいようで、昔の人たちは、このタイミングで先祖供養をすることによって、ご先祖様たちと交流をしていたようです。
だから、いまでも、その風習が残って、お墓参りをするのですね。
僕もお墓参りに行きたいのですが、最近は、いろんな事情で行くことが難しくて、うしろめたさと罪悪感を持つことが多いです。
そんな時、日頃、お世話になっている和尚様は、
「それでもいいです」
「お墓参りをしないからといって、先祖がたたることは絶対にありませんから大丈夫です!」
とおっしゃってくださいます。
もちろん、お墓参りに行けたらご先祖様も喜ばれるだろうし、それはそれでいいのでしょうが、それができなくても大丈夫!
心配は要りません。
お墓参りをしないからといって、罰をあてられたり、病気になったり、事故に遭うことはありません!
もし仮に、そんなことがあるとしたら、それはご先祖様のせいではなく、自分のせいです。
自分のうしろめたさや罪悪感、「たたりがある」という悪い予感を信じている姿勢が、そのような現実を引き寄せているのでしょう。
そもそも、僕たちが亡くなって、あの世からこの世を見た時に、自分の子孫が墓参りをしないからといって“たたり”ますか?
そんなわけがありません!
僕たちが生まれてくるまでに、沢山のご先祖様たちが関わってくれて、そのおかげで、いまここに「僕たち」がいます。
だから、この「大切ないのち」を脅かすことなどありえません。
もしそれでも心配な方がいたらこちらをご一読ください。
お墓参りができても、できなくても、せっかく、このブログを見てくれたなら…
せめて今日くらい、ほんの少しでいいから、過去から引き継がれた「いのち」に意識を向けて、その場で手を合わせて、そっと、ご先祖様たちに感謝ができるといいですね。
そして…
いまここで、とびっきりの笑顔で喜んでいる姿(命を輝かせている姿)を見せられたら、きっとご先祖様たちは、あの世で大喜びしてくれると思います。
こんにちは。
神社昌弘です。
僕は、いつもポストカードをプレゼントしているのですが…
(ご希望の方だけにですが…)
自作の1,300種類の中から“8枚”をカバンに入れて持ち歩き、出会った人に“直観”で選んでいただいています。
そのポストカードの裏には「名刺」を入れているのですが…
以前、僕は、そこに着物姿の名刺を入れていたことがあります。
父も母も茶道や華道を習っていたことがあり、僕も少しばかり茶道や華道を習っていたので「着物」は好きだったのですが、実は自分の着物を持っていなくて、いつもレンタルしていました。
もちろん、その名刺に写っている着物はレンタルで、自宅ではない凄い場所で撮影したものでした。
それなのに、
まるで自分の着物のように…
しかも自宅のように…
振るまっていたんですよね。
そんなある日のこと。
大企業の会長の奥様と御縁をいただいて、名刺交換をした際に、
「うさんくさい」
「これ、あなたの着物じゃないでしょ?」
「ありのままの“等身大”の自分に戻しなさい」
「これだと、あなたの“本当の良さ”が伝わらない」
って言われたんです。
すごいショックを受けましたが「バレた」って観念しました。
最初は、イラっとしましたが、その後、すぐに恥ずかしさが込み上げてきて、顔から火が出る思いでした。
見る人が見たらわかるんだなぁと思って、すぐに名刺を作り替えることにしました。
そうして、その日の内に名刺を処分して、新たに作り替える手配をして、出来上がると同時に、再度ご挨拶に伺うと、あまりの速さにびっくりされて、とても気に入ってもらえました。
それ以来、とてもよくしていただいているのですが、自分が特別なことをしようとしている時や凄いことをしようとしている時ほど、細心の注意が必要だと思いました。
とはいうものの、知らない間に傲慢になったり、勘違いするような時もあるので、ショックを受けた時やイラっとした時こそチャンスだと思って、定期的に「注意」してくれる人に出会って、率直なアドバイスをいただくようにしています。
僕がこれまでに教わった、その人が本物かどうかを確かめるポイントは3つあります。
・身分相応の生活をしているか
・その人のまわりにいる人が、明るくて楽しくしているか
・家族や身近な人に怒鳴りつけていないか
です。
もし自分の中に、ゆるぎない自信があれば、外見にこだわる必要はありません。
見た目が普通の人の方が、実は本物の場合も多いので、僕も等身大の自分で“ありのまま”にいたいと思います。
こんにちは。
神社昌弘です。
僕の趣味はカメラです。
アマチュアカメラマンだった母の影響を受けて、2007年から本格的に写真撮影をするようになりました。
おかげさまで、フォトエッセイ集も2冊(しあわせのありか/あなたらしく咲く)出版できて、即完売しました。
好き勝手に撮影しているだけでしたが、年数を重ねる度に良い写真が撮れるようになり、まわりからも認められて、普通の写真では物足りなくなっていきました。
いつしか、みんなを驚かせる凄い写真を撮りたくて、いろんなパワースポットにも出かけるようになりました。
ある日のこと。
有名なパワースポットに到着した瞬間、もの凄い光が差し込んできて、これは奇跡だと思って、急いでカメラに収めました。
その写真には、明らかに不思議な“銀色に輝く光”が写っていました。
よく見ると、それは七色に光っていて、どこか荘厳な雰囲気を醸し出していました。
しばらくして、その写真を恩師に見せたことがあったのですが…
「この写真、凄いでしょう!?」
「あるパワースポットで撮影したんですが、この凄まじい光を見てください!」
「この光が僕を包み込んで、凄いエネルギーをもらったんですよ!」
興奮して説明し終えると…
「たまたまだね」
って言われて、
「えっ?」
と拍子抜けしていると、
「これは勘違いだね」
って言われて、イラっとしました。
その時、ハッと目が覚めました!!
僕は「自分が特別だ」と思いたいところがあったんですね。
悲しいことに、いつも「自分が凄い人」だと思いたいところがありました。
だから、わざわざ凄い写真を見せつけて「神社さんは特別」「やっぱり凄い」と言わせたかったんですよね。
もし仮に、それが、本当に凄いエネルギーだったら、すでに『本当に凄いこと』、つまり、急に僕の著書がベストセラーになったり、宝くじが当たったり、大金が手に入ったり、奇跡のようなことが起こっているはずなんですよね。
でも、僕自身に奇跡が起こっていないということは、やっぱり『たまたま』だったのでしょう。
もちろん、僕自身が幸せを感じて、それに感動しているだけであれば、それはそれでよかったのですが…
それを誰かに見せたり、確認したり、それで凄いと言ってもらいたかったというのは、やっぱり、それは勘違いだったのです。
スピリチュアリズムを追究していた頃、僕は、他の人よりも感性が鋭いというだけで、いつも、心のどこかで、今の自分は本当の姿ではないと勘違いをしていて、本当の自分は別のところにいて、いつかウルトラマンのように変身できるんだと思っていたように思い出します。
本当の自分は、いまここにある『そのまま』の自分なのに、いつも別のところにいる自分を夢見ていた自分を恥ずかしく思います。
でも、その間違いと勘違いの経験があるからこそ、『ありのまま』という意味の、本当に深い部分を理解できるようになれたと思います。
こんにちは。
神社昌弘です。
2006年10月〜
僕は、幼少期からの疑問を解決するべく、イギリスで、目に見えない世界(スピリチュアリズム)を学問的に勉強し始めることになりました。
ロンドンで出逢った霊能者が、僕に「サイキックサイエンス」を専門的に学ぶように勧めてくれて、それから本格的に勉強するようになったのですが…
金銭的な面と、ビザの関係で、そこで出会った恩師や講師たちとは文通やメールのやりとりを通して、色々学ばせていただきました。
年に一度、イギリスへ通い、現地では復習を兼ねた実践練習を積み重ね、それは恩師が亡くなる2012年まで続きました。
イギリスで勉強をする前、僕は霊に対して、どこか恐ろしいイメージや勝手な先入観を抱いていました。
でも、恩師から言われた一言で、その意識が一変しました。
「あなたの偏見の方が怖いわ」
「勝手なイメージで物事を見ていることが恐ろしい」
そんなことを言われて、びっくり仰天!
でも、図星だと思いました。
この世で一番怖いのは「人間」の方で、僕たち人間が、勝手に物事を決めつけたり、狭い価値観のもと、見たり聞いたりして、それぞれに意味づけしているところなんだなぁと思いました。
恩師は、どんなものに対しても、愛をもって「対等」であることを教えてくれて、みんなが、お互いを尊重し合って対等でいるところからしか、何も始まらないと言っていました。
恩師から学んだことは、凄い技術はもちろん、振り返ってみれば、見方をクリアにして、愛をもって対等であることを学べたことが、一番よかったと思っています。
もし、いま、霊が怖い人がいるなら、それは目に見えないものに対して偏見を持ち、勝手に怖いイメージをもっているだけのことです。
もちろん、生きている人間と同様に、霊にも怖いものもいますが、「わからないもの=恐ろしい」という公式のもと、何か悪いことをされると信じ込んでいるところが、恐怖を増幅させてしまっています。
一般的に、霊にとりつかれる人の特徴としては、以下のようなものが挙げられるのですが…
・霊や見えないものに対して勝手な先入観を持っている
・自己肯定感が低く、いつも自分の方が下だと思っている
・「No」が言えない「要らない」「止めて」など断れない
・相手の方が正しいと信じて、自分の意見をハッキリと言えない
・言行不一致、など
そもそも“なにか”にとりつかれるというのは、自分の言動にスキがあるからで、そのスキに“なにか”が入り込んできているだけのことです。
これは、霊に限ったことではなく、生きている人間も同様ですよね?
相手が悪いのではなく、また自分が悪いのでもなく、偏った見方から出発して、相手を悪者にしたてて、不安でものごとを見ているからおかしくなるんですよね。
僕は、イギリスでスピリチュアリズムを学びながら、決して特別ではない、ごく当たり前の「対等」の基本姿勢と在り方を学ぶことができました。
そのおかげで、これまでの見方が一変して、一気に味方が増えたように思います。
こんにちは。
神社昌弘です。
僕の名字は「神社(かんじゃ)」という珍しいものです。
そのため、昔から「家は神社(じんじゃ)なの?」「お父さんは、神主さん?」と聞かれることがよくありました。
いまでもよくありますが…。
個人的には、神様から選ばれた由緒正しき家で、先祖代々継がれる立派な家系だと思いたかったのですが…
実際のところ、父も祖父も公務員で、兼業農家、僕の幼少期は、一家四人、たった二間に小さなキッチンがついた職員住宅で過ごしていました。
大昔の出生をたどると、多少の謂れ(いわれ)はありますが…
それも、ご先祖様たちが立派なだけで、決して、いまここにある「僕たち」が凄いわけではありません。
それなのに、僕は「かんじゃ」というブランドに固執して、何か特別な使命があるはずだと思い込み、独自の感性や能力を開発することに必死でした。
有難いことに、目に見えないものと対話をしたり、不思議な感性を尊重しながら育てられたおかげで、それなりに特別なことはできるようになっていきましたが…
それに比べて、父は「かんじゃ」という名前に固執することなく、むしろ、その名前は恐れ多いと、日々控えめに、目立たず、ひっそり過ごしていました。
まわりからは「仏(ほとけ)の神社(かんじゃ)さん」と呼ばれて、ごく普通の、ごくあたりまえのことを大切にしていました。
僕は、そんな父が大嫌いでした。
絶対に「あんな平凡にはなりたくない」と思っていました。
でも…
そんな意識が一変する出来事がありました。
それは、父が亡くなった二日後のこと。
父のお葬式のことです。
なんと、900人以上が参列したのです!
バカ正直で、クソ真面目で、アホほどお人よし…
本当は、もっとできるはずなのに、いつも控えめで、自分は裏方にまわり、いつも損ばかりをして、人の依頼ばかりに振り回されて…
そんな父が大嫌いでしたが、その香典帳に書かれた929名の名前を見て、僕は、深く反省すると同時に、目が覚めました!
『特別なことは“何も”しなくていい!』父から教わったことは…
ただ、毎日を丁寧に生きること。
ただ、目の前にいる人の役に立つこと。
ただ、人の嫌がることを率先してやること。
ただ、どんな依頼に対しても「はい」と笑顔で答えること。
ただ、損得よりも喜ばれることを優先すること。
ただ、神仏に感謝をして、自分に正直に生きること。
ただ、それをするだけで…
こんなにも多くの人たちから愛されて、ごく自然に慕われるということでした。
「もし僕がいま死んだら、いったい、何人が会葬してくださるだろうか?」
改めていま、自分自身を振り返り、目の前にいる人に喜んでもらえるように、毎日を丁寧に、心を込めて生きたいと思います。
こんにちは。
神社昌弘です。
僕は、幼い頃から不思議な体験をすることが多く、目の前で父を亡くしたことや自身が難病を患ったことをキッカケに、17歳〜37歳までの約20年間、日本とイギリスでスピリチュアリズムを追究してきました。
僕の人生、あまりにも理不尽で、納得ができないことが多かったから、その意味や理由を知りたくて、ただひたすらに「答え」を探し求めていたのですが…
どこにいっても納得できる「答え」はなくて、気づけば、あの世や宇宙、外にばかり目がいって、自分の気持ちや感情は置き去られていきました。
自分を救えるのは「自分だけ」で「答えは自分の中」にある!
これは恩師たちが、いつも教えてくれたことで、どの本にも書かれている内容です。
おそらく、一度でもスピリチュアリズムを学んだことのある人なら、当たり前の「答え」ですよね?
もちろん、僕も頭ではわかっていました。
でも、それに納得できませんでした。
それにはワケがあるんです!
僕は、幼い頃から人一倍信心深くて、神様やご先祖様たちを崇拝して、お祈りをしてきたので、僕は自分ではなく、
「神様やご先祖様たちに救ってもらいたくて、彼らから答えをもらいたかった」
のです。
でも…
やっぱり、自分を救えるのは自分だけで、自分の中にしか「答え」はないということを、ことごどく思い知らされました。
そして、20年以上もバカなことをやってしまいました。
いまとなっては、これも貴重な財産ですが、このようにして、僕はスピリチュアリズムが大嫌いになりました。
そして、大好きだったということもわかりました。
この実体験は、自身の著書「スピリチュアルが教えてくれたこと」でも書いていますが…
スピリチュアルが大嫌いな理由は、人を惑わす大きな力をもっているから。
反面、大好きな理由は、自分らしく“いまここ”を生き抜く知恵があるところです。
僕はいま、この大嫌いと大好きの狭間で「スピリチュアリズムを日常で活用する方法」を伝えたくてウズウズしています。
せっかく20年も追究し、大間違いと大失敗をしてきたから、この学びと気づきをシェアしたいのです。
運よくイギリスの専門学校で、最上級の先生たちから特別授業を受けさせていただき、世界各国の仲間と共に直接指導を受けられたので、そこでしか体得できなかった知恵と技術を、これからは赤裸々に伝えることによって、ほんの少しでも、あなたの人生に生かしてもらえたらいいなと思っています。
もし直接質問したい方は、4/19(日)大阪へお越しくださいね。
https://www.reservestock.jp/events/403279
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕には「自閉症」と診断された甥がいます。
今から16年前のこと。
彼が、まだ1歳8ヵ月の時に「自閉症」だと診断されて、家族が泣き崩れたことがありました。
そのストーリーは、母が著書の中で書いていますが…
(あなたの言葉に逢いたくて:神社啓子著)
おかげさまで、早期発見と血のにじむような努力、まわりのサポートによって、今では元気に高校に通っています。
僕は、自閉症が改善されたことを誇りに思い、この奇跡を一人でも体験してほしくて、母や姉の実体験を冊子にして無料配布したり、自身の勉強会でお話したり、ブログで伝えたりして、障がいを持った子どもたちが、少しでも早く良くなるように貢献したいと思って活動をしていました。
そんなある日のこと。
ボランティアで訪れたある施設で、僕は自分の間違いに気づかされました。
その日、僕は、目の不自由な男の子を担当することになったのですが…
その子と過ごす中で、彼の目が見えることはないと知って、これまで自分がやろうとしてた間違いに気づいたのです。
僕は「障がい」を改善したり、「取り除く」ことばかりを考えて、勝手に良くしようとしていたけれど、どんなことをやっても、何をしても治らないものがある…
その事実を目の当たりにした時…
本当の教育とは、たとえどんな状況であっても、どんな環境にあったとしても、その子が、そのままで「幸せ」に生きていけるようにお手伝いすることだと思い知ったのです。
この時…
自分勝手に、独りよがりに「直そう」としていた自分を深く反省しました。
かつて…
上皇后美智子さまが、こんなことを話されていました。
「幸せな子」を育てるのではなく、どんな境遇におかれても「幸せになれる子」を育てたい
この言葉を忘れないで、心に留めておきたいと思います。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕は20代の頃、英会話教室でアルバイトをしていたことがあるのですが、なぜか保護者から“進路相談”をされることがよくありました。
ある日のこと。
高校生の娘さんを持つ母親から、
「娘が転校したいと言い出したのです。どうしたらいいですか?」
と相談を受けて、
「なぜ、彼女は転校したいって言っているのですか?」
と聞き返すと、
「英語のレベルが高すぎてついていけないから…」
というものでした。
本来、塾の講師であれば、
「ウチでフォローしますから大丈夫です!任せてください」
と言うべきなのでしょうが、僕は、すでに彼女がめいっぱい頑張って、もうこれ以上「無理」だということを知っていたので、
「娘さんの希望通りにはできませんか?」
と伝えたら、ひどく怒られました。
「ここまで頑張ってきたのに…せっかく良い高校なのに…」
「なんでそんなことを言うのですか?!」
「あなたは講師失格よ!」
怒りまくっていた母親に対して、僕は、
「彼女がいま一番望んでいることが、彼女にとって一番良いことだと思います」
と答えたら、余計に怒らせてしまって、全く聞く耳をもってもらえませんでした。
そこで
「もし彼女が、転校したらどうなるのですか?」
と尋ねると
・良い大学に入れない
・良い会社に就職できない
・良い人に出会えない
・良い結婚ができない
・幸せになれない
そんな答えが返ってきました。
親が子どもを思う気持ちはわかりますが、そもそも「良い」って何なのでしょう?
「幸せ」って何なのでしょう?
あなたの「幸せ」が子どもの「幸せ」なのでしょうか?
なぜ、子どもが望んでいる幸せの観点から考えられないのでしょうか?
一生懸命に娘さんのことを思われている気持ちもわかりますし「あとちょっと頑張ってもらいたい!」「ここを乗り越えてもらいたい!」そんな気持ちもあると思います。
でも、本当に彼女の「幸せ」を考えるなら、いまここやるべきことは、自分の想いを押し付けることではないですよね。
こんなことを書くと「甘い」「わがままになる」と言われるかもしれません。
でも…
もし、あなたが両親に「甘えるな!」「もっと頑張れ!」「耐えろ!」と言われ続けて、辛抱しながら頑張り続けたら、大人になった時、親に心から「ありがとう」と言えますか?
おそらく、忍耐力と我慢強さは身につくので、多少の感謝はできると思いますが…
自分の「本音」を聞き入れてもらえなかった傷は深く残るはずです。
…あのとき私の本音を聴いてほしかった…
そんな想いは一生消えることはありません。
僕は、彼女のような真面目な生徒たちが、親の期待に応えるために、必死に自分を押し殺し、心を病んできた事例をいっぱい知っているので、もし可能なら、まず、幸せの形はさまざまだと知っていただいうえで、子どもが望んでいる「幸せ」を聴いて、子どもの視点から「幸せ」を考える余裕をもっていただけたら嬉しいなと思います。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕の趣味は「読書」で、おそらく一般成人男性よりも多く本を読んでいると思います。
だいたい2日に一冊ペースで“本”を読んでいます。
毎日、新しい情報が入ってくるので、「これだ」と思うことを、つい、すぐ、みんなにシェアしたくなるのですが…
「これだ」と思った時ほど、まずは、僕自身が「実践」してみることを心掛けています。
それは、僕が講演をやり始めた時に、僕を指導してくださっていたメンターから、
「君の実体験から得たメッセージは重くて響くけど、君が本で学んだような知識は軽くて響かない!」
そんなことを言われて、
メッセンジャー(伝えるだけの人)ではなく…
ジッセンジャー(実践して意味のあることを伝える人)になりなさい!
とアドバイスをいただいたのです。
ジッセンジャーとは、うまく言ったもんだなぁ〜と思いましたが、まさに実践こそが大切だということを学び、それ以来、心に留めて大切にしています。
実践すると、言葉に「重み」が加わります。
確実に言葉に「力」が宿ります。
だから、お客様に伝わるんですよね。
もし、いま相手に通じないことがあるなら、それはまだ自分の実践が足りないのだと思います。
そして、まだまだ「口先だけ」なのでしょう。
せっかく御縁があって、このブログを読んでくださっているあなたがいてくれるから…
あなたの心に届けるために、今日も僕はジッセンジャーとして頑張りたいと思います(^_-)-☆
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
3月11日は、日本人にとって忘れられない日であり…
2020年の今は、コロナウイルスで「大変」な状況だからこそ…
いまこそ「大」きく「変」わる時で、身近な人を無償に愛することや他人を心から想い合うこと、共に助け合うことを忘れたくないと思います。
今日は、僕が忘れられない「愛を考えさせられる話」をシェアさせてください。
まずは、こちらをご一読ください。
以下は、かつて読んだ三浦綾子さんの書かれた「お話」です。
(もし内容が間違っていたらごめんなさい)
朝鮮戦争で負傷したアメリカ人青年が、アメリカの病院に送還された時、その青年は、父にこんな電話をしたようです。
「僕には、両足を切断された親友がいる。その親友も一緒に我が家へ連れて帰ってくれないか?」
父は2〜3日くらいならいいと言ったようですが、その青年は、
「一生、その親友の面倒をみてやって欲しい」
と頼みました。
でも、父はそれはできないと断り、息子を迎えに行きました。
そして、父が病院へ着いた時…
父は医師から息子の遺品を手渡されて、衝撃の事実を知りました。
なんと、彼が自殺をしたのです!
実は…
両足を切断された親友というのは息子だったのです。
これを読んだ時、僕は衝撃すぎて、しばらく固まって動けなくなりました。
親は、どこか「わが子だけが良ければいい」と思っているところがあります。
もちろん僕も、もし彼の父親だったら、同じような状況になっていたと思います。
肉親の愛情というものは「エゴの塊」で、きっと、そういうものなのでしょう!
亡くなった青年は、自分自身が、本当に大変な状況になってしまったから、他人の子どもの面倒を見るくらいの覚悟じゃないと無理だとわかっていたのかもしれません。
だから、それくらいの覚悟が父にあるのかどうかを確かめたかったのかもしれません。
僕自身も、クローン病の診断が確定される前に、8度の手術で心身ともにズタボロになっているうえに、大金が必要になり、経済的にも追い込まれ、しかも更に追い打ちをかけるように4年間の絶食が始まり…
家族みんなを巻き込むことになってしまい、それが耐えられなくて、自殺未遂をはかったことがあります。
とにかく逃げたい気持ちでいっぱいでしたが、心のどこかで、家族が僕の面倒を見る覚悟があるのかどうかを確かめていたのかもしれません。
…大切な人の重荷にはなりたくない…
…僕さえいなければ…
そんな思いで自分を殺そうとしましたが、僕の場合は、家族みんなが助けてくれました。
まわりのみんなが「ただ生きていて欲しい」と願ってくれて、すぐ傍で支えてくれたから生きれたんですよね。
そこには、母と家族と、まわりの本物の「愛」があり、無償の「愛」、愛する「覚悟」がありました。
大変な時こそ、
…自分だけではない…
…家族だけでもない…
…まわりに対しても…
ほんの少しでいいから、それぞれが「愛」を配れるといいなと思います。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕は20代の頃、ほんの少しの期間ですが、イギリスで教師をしていました。
その時に「先生」という役割について深く考えさせられたことがあります。
日本では、先生の言うことが絶対で、先生から教えてもらった通りにすれば成績が上がり、それこそが知識を身に付ける最善だと思っていました。
もちろん、そのおかげで知識が増えて、良い成績がもらえて、何不自由なく育ってきたので、そのことには感謝をしています。
だから、僕が教える立場になった時も、かつての先生たちと同じように、生徒に教えるように指導したかったのですが…
イギリスに赴任をした時に、その姿勢を再考しなければイケナイ事態に直面しました。
それは、僕の勤務する教頭先生から「教える」姿勢を止めてくださいって言われたんです。
えっ!意味が分かりません…
と言うと、教頭先生は、こんな内容を伝えてくれました。
もともと「先生」というのは、先に生まれただけのもの。
決して偉いわけではなく、ただ知識と経験が、ほんの少し多いだけです。
教えることは素晴らしいですが、まずは、自分が学んだ知識や経験を「提示」するだけにしてください。
なぜなら、教えようとすることは、無意識に自分の方が正しいと思い込んで、自分の正解を押し付け、生徒を思い通りにコントロールするところがあるからです。
テキストには「答え」はありますが、人生には、これが正しいという「正解」はありません。
ここの生徒たちには、自分で考え、自ら行動できるように育ってもらいたいから、「教える」より「見せる」スタンスでよろしくお願いします。
そんなことを言われました。
当時は、僕もまだ若かったから「ちゃんと教えること」に必死になり過ぎて、どこか自分中心で、独りよがりのところがあったのだと思います。
日本でも山本五十六の名言に、こんな素敵なものがありますよね。
やってみせ 言って聞かせてさせてみて ほめてやらねば人は動かじ
話し合い 耳を傾け承認し 任せてやらねば人は育たず
やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば人は実らず
ここでも、まずはやって「みせる」ことから始まっていますよね。
教えるのも大切ですが、時々、立ち止まって、
・教え込もうとしていないか?
・自分の思い通りにコントロールしようとしていないか?
・自分の方が正しいと思い込んでいないか?
自身を振り返りながら、まずは「見せる」ところから始められるといいですよね。
先生だけでなく、親も、大人も、素敵な見本を「見せる」ように日々つとめられたらいいですね。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕のまわりには、真面目で、頑張り屋さんで、一生懸命な人たちがいっぱいいます。
優しくて、他人に気をつかえる素敵な人たちばかりだから…
・自分が休んだら、まわりに迷惑がかかる
・「疲れた」そんな理由ではゼッタイ休めない
・みんな頑張っているのに、自分だけ休むなんて無理
・体調管理ができない自分はダメな人間
・評価を下げられたくない
そんなふうに思って、休むことに「罪悪感」を抱く人が多いです。
そんな頑張っている人たちに、ほっと一息ついてほしくて、京都駅前の“茶室”を借りてカウンセリングを始めたものの…
僕自身が忙しすぎて、お茶をたてる余裕もなく、日々の生活に追われ、いつしか僕自身も休むことができなくなってしまいました。
ある会社が調べたところ、日本における20代〜70代の男女、約7割が「休み下手」のようです。
やっぱり、多くの日本人が、休むことに抵抗を覚え、罪悪感を感じているんですね。
決して「休むこと=悪ではない」のに…
むしろ休むことは、エネルギーをチャージして、よりよい仕事につながるのに…
真面目な日本人は、我慢してでも頑張ることが良いことで、自分に鞭打っても努力することが素晴らしいと思っているところがあるから、やっぱり休めないのでしょうね。
決して、頑張ることが悪いわけではなく、努力することが悪いわけでもないです。
ただ、やりすぎは、よくないですよね。
そんなこと、わかってますよね?
でも、なかなか、できませんよね?
きっと、いろんな事情もあるでしょうし、そもそも、自分の性格を変えるなんて、とっても難しいことだと思います。
だから!!!
この際、「休む」ことも頑張って、「休む」ことを努力してみませんか?
かつて、僕が「休めない」ことを先輩に相談したところ、
「あなたは『休めない』のではなく、ただ『休まない』だけよ」
「休むプロから学べばいいのよ」
そう言って、猫カフェに連れて行ってくれたことがありました。
のんびり寝転がっている猫たちを見て、ただそこに一緒にいるだけで、自然とチカラが抜けて、スッキリ休めた気持ちになれました。
ほんと不思議でした。
でも、確実に癒されました。
それ以来、休めない時ほど、猫カフェに行っていますが、現在「疲労回復※」には、素直にプロのチカラを借りるようになっています。
そして、心地よく「休む」ことができています。
※疲労回復には『休養』『栄養』『運動』の3つがポイントになるみたいですが、僕の場合…
『休養』…よりよい睡眠を調べて、自分に合った枕を選んでもらい、専門家にアロマをブレンドしてもらって休むようにしています。
『栄養』…栄養学を学び、食生活と食習慣を一変しました。そして、必要に応じてサプリを摂取しています。
『運動』…ヨガからはじまり、呼吸法を学び、今ではパーソナルトレーナーに指導していただいています。
どれも頑張っています(笑)!
もともと、僕は頑張りたい人間なので、他人のために頑張るのはもちろん、自分自身のためにも頑張れるようになると、心も体も喜んで、これまで以上に、他人にも優しくなれて、日々の生活が豊かに、素敵になりましたよ。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
御縁がありまして、僕は2018年から毎月、東京・代々木高校で「心の授業」をひらいています。
この授業は、老若男女問わず、どなたでも参加していただけるのですが、毎回、参加者の大半が子育てで悩んでいるお母さまたちです。
休日に授業を受けに来てくださる皆様なので、子育てに関してはスゴイ!人一倍頑張っておられます。
その姿は真剣そのもので、とても素晴らしいのですが…
子育ては、ちょっとズレるとおかしなことになってしまうことがありますよね。
いろいろお伝えしたいことはあるのですが、今日はまず、カウンセラーという立場から「傾聴」に関して、少し書かせてください。
子どもが帰宅すると、子育てに真剣な親ほど、
「今日はどうだった?」
「授業は楽しかった?」
「先生に何か言われた?」
「友達とは何をしたの?」
矢継ぎ早に質問を投げかけて、一生懸命に話を聞くことがありますよね?
一見、これは聞いているように見えるので、ちゃんと聞いていると思いがちなのですが…
残念ながら、子どもの声を聴いていません!!
どういうことかというと…
実はこれ、自分が聞きたいことだけ聞いて、自分が安心して、自分が納得して、自分が満足しているだけなんですよね。
少し専門的な話になりますが、本当に「聴く」というのは、自分を無にして他者の言葉を聞くということです。
「聴く」上で大切なのは、相手の立場になって
・批判しない
・同情しない
・教えようとしない
・評価しない
・ほめようとしない
そのスタンスで、ただひたすら聴くということなんです。
これには日々の実践練習が必要で、僕も練習と実践を繰り返し、カウンセラー養成講座の受講生と共に鍛錬しているのですが…
まず第一に「聴く」ということが、自分の聞きたいことを聞くのではないと知っていただいた上で、子どもが話したいことを、じっくりと最後まで聴く!ということに気づいてくださいね。
聴くことは愛ですから…
子どものありのままを受け入れて、共感し、共にいてくださいね。
この日曜日、あなたがあなたの大切なお子さまの「声」を聴いて、お互いがホッと安心できますように祈っています。
穏やかな週末をお過ごしくださいね。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
人は「骨」がポキッと折れると、病院に行って、素直に医師の指示に従い、治療して、安静にできるのに…
人は「心」がポキッと折れても、病院に行くことは珍しく、素直に認めることも難しく、自分ひとりで何とかしようとすることがよくありますね。
骨と心…
いったい、何が違うのでしょう?
どちらも大切なはずなのに…
どうして、こうも差がでるのでしょうか?
もしかしたら…
骨は、自分では、どうしようもないと諦められるのに…
心は、自分で、なんとかできると勝手に思い込んでいるのかもしれません。
でも…
もし、心がポキッと折れたら、専門家に頼って、一旦その場所から離れて、リフレッシュして、安静にしてみまんせんか?
その方が、断然、回復は早いですよ!
そうは言うものの…
これまで一人で頑張ってきたあなたは、誰かに頼ることや休むことに大きな抵抗を感じて、たった一言「助けて」と言うことに勇気が要るでしょう。
でも、これも練習です。
練習すると、必ず誰もができるようになります。
心がポキッと折れているのに、ひとりで頑張ろうとしても、余計にひどくなる一方です。
どんなに良い本を読んだり、心を強くするセミナーに通っても、そもそも病んだ心で動いている時点で、良い情報と出会えるはずもなく、また正常な判断ができるわけがないです。
余計に焦りと不安が膨らみ、落ち込むこともあると思います。
できれば、精神科医やカウンセラー、専門家に相談に行くと良いのですが、それができないなら、身近な人に相談したり、友人や仲間に打ち明けて「助けて」もらうと良いです。
心も骨と一緒です!
あなたにとっては、どちらも大切だから、いまここから、ひとりでなんとかしない練習をしてみませんか?
まわりに頼る練習をしてみませんか?
「助けて」というのは、自分に対する勇気!
そして、相手に対する信頼です!!!
心がポキッと折れた時こそ、強がりを手放して、まわりと繋がる時!!
あなた自身とあなたの大切な人のためにも、たった一言「助けて」と言う勇気を出してみまんせか?
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕は、心に関するセミナーをいくつも主催していますが、お金と心に関するセミナーでは、きまって“こんなこと”をします。
参加者の中で、新札の一万円札を持っている人を探して、それをお借りして“こんなこと”をするんです。
…グシャグシャグシャ…
奇麗なお札をグシャっと握りしめ、クシャクシャにします。
もちろん、すぐに丁重に謝りますが、提供して下さった方(ほぼ100%の方)は、びっくりした顔で“何をするのよ”という表情に一変します。
そこで“こんなこと”を参加者に聞きます。
「この中で、このクシャクシャのお金を欲しい人はいますか?」
すると、あわてて持ち主が、また“何をするのよ”と怒りますが、そこで“こんなこと”を聞きます。
「せっかくの新札が新札では無くなりました。それでも欲しいのですか?」
すると「もちろんです!」と即答されます。
「なぜですか?」と聞き返すと
「価値には変わりないから」と答えられます。
…ですよね?…
僕が伝えたかったのは…
たとえ、どんなに姿形が変わっても、僕たちの価値も変わらないということ!
生きていれば、つらいこと、悲しいこと、耐えられないこと、もうダメだと思うこと、いっぱいいっぱいあると思います。
心も体も傷ついて、ボロボロになってしまうことだってあるでしょう。
でも、あなたがあなたである限り、あなたの価値が失われることはありません!
そうは言うものの…
一度ついてしまったシワや傷は残りますし、元通りというわけにはいきません。
だからこそ、そのシワに込められた気づきや学びが他人への優しいクッションになり、その傷があるからこそ、そこから他人の優しさが染み込んできて、感謝ができるようになってくるのではないでしょうか?
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
春が近づくと、迷う人が増えてきます。
これは春に限ったことではありませんが、4月が新学期の日本では、新生活の前に、自身をスッキリさせたいという気持ちが強まり、それゆえ迷いが出てくるのでしょうね。
・このままでいいのか?
・そろそろ独り暮らしをしようか、どうか?
・このまま仕事を続けていても、いいものかどうか、転職しようか?
・このままの生活を続けていても、はたして幸せなのか、離婚しようか?
・告白しようかどうか?
人生は選択の連続なので、迷うことは尽きません。
人ぞれぞれ、いろいろあると思います。
そんな時、どうやって「決断」をしたらいいのでしょう?
そもそも、迷うというのは…
・間違えたくない
・失敗したくない
・損したくない
という想いが強いからです。
だから、決断をするポイント3つ。
・間違えてもいい(→いつでもやり直せます)
・失敗してもいい(→必ず学びと気づきがあります)
・損してもいい(→得られるものは確実にあります)
そんな気持を持って、自分の味方になって、自分を応援することが一番大切です!
決断するとは、決めた自分を信じて応援すること!
たとえどんな結果になろうとも、その決断に関して、自分を責めず、裁かず、追い込まないことです。
だから、もし迷っている自分がいるなら、自分が自分を応援しなくてどうでするのですか?!
自分を応援して、いまここで決断する自分の味方になって「それでいいんだ」と信じて、まずは一歩前進してみてください。
誰しも、自分が選んだものが正解かどうかなんて、その時点ではわかりません。
だからこそ、それが「正解」だったと思えるように、生きてゆくしかないのです。
自分が自分の味方になって、どんな自分も応援する覚悟ができた時「迷いはなくなる」のだと思います。
あなたがあなたを信じて、あなた自身を応援できますように!
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕は20年ほど前から、頻繁にやっていることがあります。
それはトイレ掃除!
僕自身がクローン病でお腹を下し、一日に何十回もトイレを使用し、汚していたという理由もありますが、トイレ掃除をやると世界が変わると聞いたから始めました。
それ以来、素手でピカピカにするようにしています。
トイレ掃除を始めた当初は、できるだけ損得勘定なしに、無の境地に達するようにできたらいいなぁと思っていましたが、そんなこと、凡人の僕には到底不可能でした。
心を奇麗にするためにできればいいのですが…
僕がそんな気持ちでやると、心が奇麗になるどころか、自分勝手に「自分は高まった」「もう心は奇麗になった」と勘違いをして止めちゃうんですよね。
お恥ずかしい話、我欲を無くすどころか、むしろ我欲で勘違いをしてしまうことがありました。
だから潔く諦めました。
今は、損得勘定ありで、やっています。
不思議なことに、損得勘定があっても、色んな良いことがあるんです!!
自己啓発を学んだことのある人は、どこかで「トイレ掃除が良い」と聞かれたこともあると思いますが、やっぱり、それは本当のようです。
おかげさまで、僕のところにも、たくさんの良いことがありましたよ。良い御縁をいただいたり、臨時収入があったり、チャンスを得られたり…。
「なぜ、そんなことが起こるのか?」
そこには、
・宇宙と繋がれるから
・人が嫌いなことをやることに意味があるから
いろいろ理由はあるのかもしれませんが…
他人が見てないところで、他人の評価を関係なく奇麗にすることで、いつも他人の評価を求めていた僕自身が精算されてスッキリできたのかもしれません。
無意識に溜まっていた自我が、ほんの少し流れ出して、そこに新しいエネルギーが流れ込んでくれていたのかなぁと思います。
もしよかったら、今日、トイレ掃除をしてみてくださいね。
きっと、良いことがありますよ(時差でね:笑)
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
今から10年ほど前、大切な友人から
「結婚したのはいいけれど、子どもができないの。どうしていいかわからなくて…」
そんな相談を受けました。
夫と共に、もう何年も不妊治療に通い、両親に精神的なサポートや金銭的な援助をしてもらっているにも関わらず、どうしても「できない」
それが彼女にとって、唯一の悩みでした。
「なぜ、私だけ?」
「こんなに頑張っているのに…」
これまでの想い伝えられて、僕は言葉に詰まりました。
受け止めることだけで精一杯で、即答なんて、できるはずもありませんでした。
子ども好きな夫婦であれば、すぐにでも欲しいと思うし、そこに追い打ちをかけるように、まわりは、
「子どもは、つくらないの?」
「早く子どもの顔を見せてね」
なんて言ったりするから、焦りや不安、愚痴が出てきて当然だと思います。
でも…
子どもは、つくるものではなく、できるものでもなく、授かるものなんですよね。
そうはわかっていても…
友人の子どもたちを見たり、子育てを頑張っている夫婦を見たりすると、「できない」を自分を責めてしまうのも無理はないと思います。
焦りと不安、そして、まわりからのプレッシャーで、押しつぶされてしまうこともあるでしょう。
だから、できないことに対して、文句を言いたい気持ちもわかります。
でも、それは、あなただけじゃない!
実は、僕自身も、僕に原因があって子どもができないことが分かって以来、ずーっと独りで悩み苦しんできました。
そのことを話すと、彼女の顔色が一変しました。
そして、彼女に、
「あなたのまわりには、あなたを想って、一緒に頑張ってくれる人がいて、いいよね。うらやましいよ」
って本心がこぼれてしまいました。
叶わない一点だけにこだわるんじゃなくて、すでに傍にいて、あなたと共に頑張り続けてくれいてる家族に、まずは「ありがとう」って言ってごらんよ。
そして、すでに頑張っている自分自身に対して、こんなに追い込んで「ごめんね」頑張ってくれて「ありがとうね」って言ってごらんよと言いました。
すると、彼女は、あふれ出す涙を止められなくなりました。
帰宅後も、ずっと泣いていたようです。
そして、家族みんなと自分自身に対して「ありがとう」と言い続けたようです。
そうして、しばらく経って…
次に彼女から連絡が来た時、今度は、僕が、あふれ出す涙を止められなくなりました。
それは、彼女が妊娠したからです。
彼女のお子様は、いま、とっても可愛く元気に育っています。
今日は、ひな祭り!
彼女と彼女のお子様が幸せでありますように。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
社会で生活をしていると、時に嫌なことを言われたり、怒られたり、注意をされたり…
「なんでそんなことを言うの?」
っていう理不尽なことは、よくありますよね?
どんなに言い返してたくても、それをすると大人げなかったり、喧嘩になったり、悪い雰囲気になるだけだから、つい我慢をして、
「いったい、僕の何が悪かったんだろう?」
って考えてしまいます。
もちろん、僕に非がある場合は、反省して謝ります。
それならスッキリしますが、たとえ自分の非を探しても見つからないことがあるんですよね。
そして、どんなに未熟な自分を責めても、追い込んでも、ただつらくなる一方で、しんどくなるだけ…
結局は、意味や理由がわからなくて、納得もできず、モヤモヤするだけのこともありますよね。
人が人を注意したり、怒る時というのは、実は、身勝手なことも多く、そこには深い意味や理由なんてないこともあるのかもしれません。
もちろん、愛のある注意はあるかもしれませんが、そんなものは滅多になくて、そもそも、そこに「愛」があれば、言われた方は、すぐにわかるし、そんなに苦しむことはないんだと思います。
きっと、嫌なことを言ったり、怒ったりするのは、ちょっと意地悪をしたかっただけなのでしょう。
ただ、八つ当たりをしたかったのでしょう。
もしくは、僕のことを懲らしめたかったり、僕のことが気に食わないかったからなのでしょうね。
誰にでも好き嫌いはあるし、相性もあるから、これはお互いさまで、こればかりは仕方ありません。
だから、もし、自分がつらくてしんどいなら、その場から離れて、その人とは距離をあけるのが一番です。
まともに付き合おうとするからしんどくて苦しくなります。
そうはいうものの、職場や学校では、みんなと付き合わないといけないこともありますよね?
そんな時は、心の距離を離してください!
あなたが、信頼できる人にだけそっと心をひらいて、あとは適当でいいですよ。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
おかげさまで、2020年2月12日から書き続けている「お布施ブログ※」を、たくさんの方に読んでいただき、先月のアクセス数は、これまでの2倍以上になりました。
読んでくださっている皆様に、心から感謝いたします。
そして、このブログを書くチャンスをくださった穗口大悟さんに、ありがとうございます。
さて。
今日は、もし大切な人が「病気」になったら、どうするか?
大切な人が病気になった時にできることを書いてみたいと思います。
僕のところには、僕が難病を克服したということもあって、同じクローン病の方はもちろん、重い病気を患う方やその患者を支える家族、友人、恋人、仲間たちか集まってきます。
病気は、本人にとってはもちろん、まわりにとっても人生の試練になりますよね。
だから、そんな試練の時には、どうしていいかわからなくなることもあると思います。
大切な人であればあるほど「代わってあげたい」という気持ちは募るでしょうし、大して何もできない自分が、もどかしくて仕方ないこともあるかもしれません。
そんな時は、
「だいじょうぶ?」と聞くのではなく、
また「がんばれ!」というのでもなく、
ただ心から祈ることしかできないと思いますし、それが一番だと思います。
その人が乗り越えられると信じ切って、祈ることが一番いいと思います。
できることなら、傍で肩をさすったり、手を握るだけでもいいと思います。
ある日のこと。
僕が難病で苦しんでいた時に、こんな風に応援されたことがありました。
「私が頑張るから、神社君はだいじょうぶよ」って。
えっ?意味がわからないと思って聞き返すと、
「私は、あなたが乗り越えられるように祈っているし、それを頑張っているの。あなたが治ることを信じ切ってるのよ」と。
それまで、こんな応援をされたことがなかったので、びっくりしました。
彼女は、心配するエネルギーを信頼するエネルギーに変えて、祈ってくれていたんですね。
それから何年も経って、僕が病気を克服した時、彼女に尋ねました。
「なぜ、あの時、あんな応援ができたの?」と。
すると彼女は、
「私が頑張るしかなかったの。毎日毎日、心配で不安に押しつぶされそうだったから…私が“祈り”を頑張ることしかできなかったし、それによって、実は、私の方が救われていたのかもしれない」と。
この時、心配のエネルギーを信頼するエネルギーに変えて祈ること…
それは、確実に伝わるんだなぁと思いました。
心配な時、不安な時、たとえ何もできないような時でさえ、祈ることは、いつでも、どこでも、誰にでも、できますよね。
相手が必ず乗り越えられると信じ切って、心配するエネルギーを信頼するエネルギーへと変えて、大切な人を応援することができたらいいですね。
※僕の実体験から得た「生きる知恵」を、皆様の日常に役立てていただきたいという願いを込めて書いています。