こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
最近でこそ、イラっとすることが少なくなりましたが、かつての僕は、しょっちゅうイライラしていました。
一見、温厚で穏やかそうに見えますが(えっ!見えない?笑)、短気でプライドが高く、そこに負けず嫌いの性格が加わるので、僕はやっかいです。
家族や上司、先輩たちから指摘されたり、注意されると、いつもイラっとして、
…(もう、わかってるよ!!)…
心の中で言い返すことはもちろん、人前でわざわざ指摘する人に対しては「性格悪いんちゃう?」とか本気で言い返していました。
…僕って、ホント最悪ですよね…
そもそも、イラっとするのは、わかっているからなんです。
わかっていて、しかも、相手の方が正しいから腹が立つんですよね。
素直に「わかりました」と言って、ただ直すだけでいいのに、なぜそれができないのでしょうか?
それは、
・自分を否定されたという被害者意識があるのかもしれません
・私の味方になってほしかったのにという悲しさがあるのかもしれません
・もっと私の奥の部分をわかってよというSOSかもしれません
・できない自分へのもどかしさがあるのかもしれません
・「手伝って」と言いたいのに言えない気持ちがあるのかもしれません
きっと、いろいろあるんだと思います。
僕がいま、イラっとすることが少なくなって、それはそれでとっても嬉しいことなのですが…
逆に、イラっとしなくなって、少し怖くなってきたことがあります。
それは、イラっとする時こそ、直すべきところがあり、成長するチャンスだという事実を知っているからです。
だから、イラっとしない今、どこか自分が傲慢になって、自分が正しいと思い込んでいるところがあるんだなぁと怖くなります。
そもそも、誰かが、指摘してくれたり、注意してくれるのは、あなたに可能性があり、あなたが成長できることを知っているからなんですよね。
だから、とっても有難いことです。
指摘や注意をされると、多少イラっとすることはあると思いますが、そんな時こそ、
・イラっとするのが悪いのではなく…
・また直すべきことがあるのが悪いのでもなく…
それを言い返したり、感情で誤魔化したりすることが良くないんだなぁと思って、その裏に、必ず成長するチャンスがあると気づいてくださいね。
そして、もしかしたら、イラっとさせる相手が、あなたのことを真剣に想っているかもしれないことを、どうか忘れないでくださいね。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕がカウンセラーとして独立して数年は良かったのですが…
その後、徐々に経営状況が悪くなって、ダブルワークをやっていたことがありました。
日中にカウンセリングをして、夜間にバーテンダーをやっていたのです。
夜の仕事だけはやりたくなかったのですが、そうもいってられません。
生きてゆくためには、お金が必要でした。
御縁をいただいた一見さんお断りの高級バーのマスターにひろっていただいて、そこで二年間お世話になったのですが…
バーのお仕事は、僕にとって初めての世界!
何もわかりませんでしたが、マスターが、いろんなことを丁寧に教えてくれました。
バーテンダーとは「bar(止まり木)」「tender(優しい)」のことで、日頃頑張っているお客様が羽を休める場所です。
働いてわかりましたが、ここはカウンセリングの傾聴力を鍛え、守秘義務を徹底的にするには、もってこいの場所でした。
素晴らしい環境で自由に働かせていただき、一般社会ではお目にかかれないようなお客様とも出逢い、それまで勝手な先入観を持っていた自分を反省しました。
なんとか結果で感謝を表したいと思い、いつも誰よりも早く到着して掃除をするのはもちろん、少しでも安らげるようにアロマを持参したり、バーの背もたれにクッションを置いたり、お花を飾ってみたり、トイレにひと工夫を凝らしたり、常に“何か”できることはないかと考えて行動していました。
そんなある日のこと。
イラっとした様子のマスターから、一体ここは「誰のバーなんだ?」って言われました。
…(しまった!勝手にやり過ぎた)…
冷汗が出て「ごめんなさい」としか言えませんでした。
少しでも恩返しがしたいと思ってやってきましたが、僕がよかれと思ってやっていたことは、僕の職分ではなかったのですね。
僕がしなければいけなかったことは、マスターの想いを聞いて、確認して、許可をとって、やることでした。
独りよがりだったことを反省をしながら、「どうしたら恩返しができるのか?」を調べていたところ、こんな文に出会いました。
恩は返せるようなものではありません。
恩を返せると思うこと自体が傲慢です。
なぜなら、そこには、恩は返せるという思い込みと、自分がしていることが良いことだという思い上りがあるからです。
これを見てショックを受けましたが、まさに、その通りだと思いました。
僕は、自分勝手な価値観を元に、与えられた恩の量を勝手に推し量り、その量を返そうとしていたんですね。
そもそも、恩の量なんて計ることができないし、その量を返すこともできないのに…。
恩は返すものではなく…
与えてくださった恩を素直に喜び、心から感謝をして、その気持ちに報いるしかないのですね。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
かつて、キャリアカウンセラーをしていた時に「自分の使命」や「働く意味」にこだわる人たちに沢山出会ってきましたが…
残念ながら、そんな人に限って、なかなか良い御縁に恵まれることはありませんでした。
逆に「お金のため」「生活の為に働きたい」というシンプルな方は、すぐに就職が決まっていたように思い出します。
だから、もし本気で働きたいという人がいたら、最初は「お金のために働く」という気持ちで行動するのが一番良いです。
自分ひとりを養えなくて(自分を生かせなくて)、人を生かすことや人を助けることは無理ですからね。
そうはいうものの、好きなことをやっている人たちを見ると、彼らに憧れたり、羨ましく思ったり…
また、使命感を持って働いている人を見ると、つい彼らが輝いて見えたりしますよね?
これって、僕だけでしょうか?
僕自身、そんな憧れを抱き続けてきたので、ずっと自分にしかできないことをやりたかったし、それを探し求めて、いろいろやってきましたが、本当にやりたいことができるようになったのは、自分が自分を養えるようになってからのことでした。
ここに辿り着く迄に、10年以上もかかりました。
僕が使命や働く意味にこだわっていた時、僕は自分を生かすことばかり考えて、全然お客様目線にはなれていませんでした。
口では「人の役に立ちたい」とか「社会貢献」とか言いながら、実は、人からの目線や世間体を優先していて、職種によっては「僕は、こんな仕事をすべき人間ではない」と思い込み、いろいろジャッジしていたように思い出します。
そんな僕が、イギリスに行って、使命という英語が「Calling(コーリング)」だと知って、そこから徐々に意識が変化してゆきました。
コーリング(使命)とは、もともとキリスト教で、神から与えられた使命や召命のことで、自分勝手に選ぶものではありません。
また帰国後に、「働く」という語源が「傍(はた)を楽にする」ことを知って、この二つを重ね合わせてみても、やっぱり働くというのは、たいそうな意味や目的を追い求めるものではなく、与えられた環境で、与えられた仕事を丁寧にすること!すぐ傍にいる人を楽にして、喜ばせるもの!なのだと思い知りました。
「自分の使命」や「働く意味」も大切ですが、その前に、
・お金のために働く!
・生きてゆくために働く!
それが大事で、それでいいです。
そして、それができて、余裕が出た時に、ぼちぼち「自分の使命」や「働く意味」を考えてもいいのだと思います。
そうでなければ、自分がやりたい想いというものは、無意識に相手に重くのしかかり、単なるおせっかいになることが多いですからね。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
毎日、いろんなことが起こり「心配」は尽きませんよね?
どんなにポジティブな人でも、心配事のひとつやふたつ抱えながら頑張っていると思います。
自分のこと、大切な家族やパートナー、社会のこと、未来のこと…
考えれば考えるほど、心配事が尽きることはありません。
僕たちは、昔から、
「ちゃんと先のことを考えておきなさい」
「将来のことを考えておかないと大変になるよ」
と言われることが多く、毎日のように、不安を煽るようなニュースを目にするから「このままで大丈夫だ」とは思えなくて、ますます心配になってしまいますよね。
きっと心配事が無くなればスッキリするのでしょうが、完全に無くすことは難しいです。
なぜなら、人が生きること、人が動くということは、現実に影響を与え、いまの状況を変えるということだから。
常に変わり続けている現実では、心配事は無くなりません。
でも、ここでちょっと数えてみて欲しいのです。
これまで心配していたことの数です。
これまで心配していた数と、実際に起こった数を比べてみると…
いかに僕たちが、無意味な心配をしていたかに気づくことがあります。
だから最近の僕は、心配事が起こった時には、まずは深呼吸します。
そして、チョコレートを食べます。
心配事をなんとかしようとしても、どうすることもできないのだから、まずは一服して、自分に対して心を配るようにしています。
同じ「心配」という漢字でも、心を配るに変えると、ちょっと優しい気持ちになれる気がしています。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕たちは学校教育で、急いで結果を出すことは学んできましたが、「待つ」ことは学んできませんでした。
だから、結果が出ないと、無性に不安になったり、焦ったり、どうしていいかわからなくなったり、してしまいますよね。
結果が出ない時や行きづまりを感じた時は、慌てずに、チカラを蓄えることが最善なのでしょう。
それが「正解」なのだと思います。
でも、そんなキレイごとではおさまらないし、余計にイライラしてしまいます。
これって、僕だけでしょうか?
かつて、僕がクローン病(消化器官の難病)で、長い間、闘病生活を送っていた時、まわりの多くは「焦らなくていいよ」と言いました。
僕を励ますために言ってくれていたのでしょうが、僕にはウザいとしか思えませんでした。
だって、まわりが大学を卒業して、就職を決め、独り立ちして、結婚して、子どもができて…
どんどん先にいかれる状況で、そんな気休めとキレイごとは、ムカつく材料にしかならなかったから。
きっと、僕は、精神的にも病気になっていたのでしょうね。
そんな焦りまくっていた当時の僕に言いたいことは…
焦りの原因は「人目を気にしている」ことなんだ。
だから…
「誰かと同じになろうとするのを止めろ」
「誰かの期待に応えなくてもいいんだ」
焦っている自分は、一生懸命に頑張っている証拠!
そんな自分を応援しなくてどうする?!
焦っていいんだ!
でも、焦って、動いて、どうしようもなくなったら、観念して「待つ」ことを覚えるんだぞ。
僕は、僕の味方だ!一番の応援者だから心配するな。
焦りが出てくるのは、焦りたいからです。
焦りたい人に「焦るな」なんて言う必要もないし、頑張りたい人に「頑張るな」とも言う必要もありません。
僕は、これまで、さんざん他人の優しい言葉に傷ついてきたから、あなたが焦りたい時には、焦るな!なんて言わずに、あえて「頑張れ」と応援をしたい!
待つことができる人は待ったらいいけど…
待てない人は、がむしゃらに動いて焦りまくったらいい。
たとえそれが「正解」に背くことであっても、自分が「やりたい」方法で結果に向かうことしか、あなたの「焦り」を解決できるものはないから。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕たちは、日々、いろんな問題に直面しますよね。
一刻も早く問題を解決したいし、それができるなら、こんなに苦しまなくても良いのですが、そこから抜け出すことは容易ではありません。
かつて仏教を学んでいた時に、「地獄とは自業苦」だと教わったことがあります。
自ら作った業(ごう)に苦しめらることが自業苦!
つまり、自ら掘ってしまった罠(問題)に、自らハマって苦しんでいる状況が、地獄という意味です。
だとすれば、苦しみから逃れたいと焦れば焦るほど、ズルズルと深みにハマってしまいますよね。
それでは、いったい、どうしたらいいのでしょう?
そこから抜け出すには…
まずは、自分の思い込みを外すしかありません。
執着を手放すのです!
そして…
今までの在り方を一新して、柔軟な発想を取り入れることが大切です。
かの有名なアインシュタインが、こんなことを言っています。
『いかなる問題も、それを作り出した同じ意識によって解決することはできません』
目の前の問題にとらわれている時、人は誰しも、視点が固定されて身動きがとれなくなっています。
もちろん、僕も同じです。
だから、そんな時は、専門家に素直に助けを求めることにしています。
なぜなら…
ひとりで“なんとか”できる問題なら、そんなに苦しまないですからね。
実は、問題の深い部分には…
・自分ひとりで何とかしなければイケナイという思い込みがあったり…
・「助けて」と言えないことがあったり…
・他人を信頼したり、頼れないことがあったり…
・自分自身を信じ切れないことがあったりします。
かつて、ある人が「言えると癒える」「話すと手放せる」と言っていましたが、世界は僕たちが思った以上に、優しくて、愛にあふれていますから、どうかひとりで“なんとか”しようとせずに、まずはまわりに言って、手放してみてくださいね。
京都駅前のおはなし会では、直接に質問していただけますよ。
(おかげさまで定期的に開催して5年になります)
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
人を「ゆるす」と楽になります。
そんなことはわかっています。
それでも「ゆるせない」ことの一つや二つ、ありますよね。
自分はもちろん、大切な人に危害を与えられた時や裏切られた時、人道に反することに直面した時…
ゆるせない想いは、どんどん膨らんで、ゆるすどころか、仕返してやりたい気持ちがこみ上げてきて、懲らしめてやりたい想いでいっぱいになるでしょう。
絶対にゆるせない!
それでも、人は、ゆるさないといけないのでしょうか?
はい!
やっぱり、ゆるす方がいいようです!
僕にとって「ゆるす」ことは困難ですが、これまで、いろんな「ゆるせない」事態を経験して、いまでは、こんな風に考えるようになっています。
ゆるせない時は、なにをやっても、結局、自分自身が苦しい想いをするだけ…
すでに自分自身がゆるされて生かされているんだから、ゆるした方がいいんだよなぁと。
そんな風に、何度も何度も言い聞かせています。
罪に大小はあったとしても、罪のない人間なんていません。
生きていること自体が、すでに多くの命の犠牲の上に成り立っているのだから、やっぱり、ゆるした方がいいんですよね。
だから、ゆるせない時は、相手をゆるすために頑張るのではなく、自分と大切な人たちが楽になるためだけに集中してください。
これは、決して、相手の罪を認めるわけではありません。
相手や罪を肯定するわけでもないです!
ただ、いまここにある安らぎを選択するということです。
心理学を勉強すると、ゆるせない裏側には、実は、ほとんど意識されないところに罪悪感や劣等感があって、相手をゆるせないのではなく、自分自身をゆるせていないことがあるようです。
・相手を徹底的に否定することで、自分自身を肯定しようとしていたり…
・ゆるすことが、負けることだと勝手に思い込んでいたり…
・怒りの裏側にある悲しみを、必死に隠そうとしていたり…
・本当の想いを「わかってほしい」というSOSだったり…
いろんなものが隠れています。
ゆるせない時は、こんな状況でも頑張っている「わたし」がいることに気づいて、相手を否定するエネルギーを自分を肯定するエネルギーに変えて、「よく頑張っているね」「ありがとう」と自分自身に言ってみてください。
それが一番良いです。
すでに頑張っているあなたへ
ありがとうございます。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕の「欠点」は、プライドが高すぎるところ。
そして頑固なところです。
とにかく、プライドが高くて、若い頃は、よく人を見下していました。
(ごめんなさい)
そして、独りよがりの自分勝手な信念と共に、頑なに動かないところがありました。
そんな欠点を、欠かすことのできない点に変えて、うまく活かせたら問題はないのですが、そんな簡単に活かせるわけもなく、今でも間違ったプライドが邪魔をして失敗することがあり、頑固さゆえに素直になれないことがあります。
心理学的には、欠点を肯定して、ありのまま認めて受け入れることが肝心だと言われます。
でも、これって奇麗事ですよね?!
そんな簡単にできれば、誰も苦労はしません。
そんな時、僕は、かつて茶道を習っていた時のことを思い出します。
一流の茶道具というものは、どこかいびつで、ヒビが入っていたり、欠けたものさえあります。
それが“わび・さび”であり、そこに虚飾(うわべの体裁)を捨て去り、真実を希求する心があると教わりました。
いびつな茶道具を見る度に、人間も同じで、ヒビが入っていたり、欠けているところがあるからこそ、それでいいんだなぁと思い出します。
だから、もし「欠点」で落ち込むようなことがあれば、その時は大きく深呼吸をして、いまここに、未熟な自分が成長していることに気づいてくださいね。
そして「まだまだ、だなぁ」と思いながらも、そんな自分の傍には“誰が”がいてくれることを忘れないでください。
人は…
欠点があるから出逢い、
未熟だから成長でき、
不完全だから愛し合えますからね。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕は、断ることが大の苦手です。
嫌われることが怖くて、また良い人に思われたくて、今でも断れないことがあります。
相手のことを考えすぎて、優しくありたくて、断れなくて、
そして、
「あちゃ〜、またやってもうたぁ」
って思います。
そんなことにならないように、日頃から気を付けているのが…
☆断ることは、悪いことではない!
☆断る時は、誠意を見せるチャンスである!
ということ。
かつて「断ること=悪いこと」だという思い込みがありましたが、今は「もし自分が断られる立場だったら?」と考えるようにしています。
僕の場合…
★素っ気なく断られるのは、なんだか自分のことを軽くみられているようで嫌
★あからさまな嘘で断られるのも、信頼関係ができていないようで嫌
なので、やっぱり、誠意を持って断ればいいと思っています。
そうは言うものの…
断る内容によっては、その後の人間関係にも影響を及ぼし、ひとりぽっちになってしまうことを恐れてしまうかもしれませんよね?
でもね、他人に合わせて、他人に良くあろうとすればするほど、自分の本心からかけ離れて、自分に悪い人になってゆきます。
そして、嘘をつく自分、誤魔化す自分が大嫌いになってしまいますよ。
だから、断る時は、人間関係を見直すチャンスでもあり、自分の本心を優先して、自分自身を大事にするチャンスでもあることを覚えておいて欲しいです。
そんなことを言われても…
社会や職場では、どうしても断れないことが多々ありますよね?
事実、僕もそんなことはよくあります。
そんな時、
①「深呼吸」をする
②「即答しなくていい」と心得る
そうして自分自身を取り戻し、リセットして、ひとりで“なんとかしようとしない”ようにしています。
まわりに「手伝ってください」「お願いします」と言う勇気をもつと、強がりが消えて、優しいつながりが生まれますよ。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕は、幼い頃から「ひとりで何でもできることが自立」だと思い込んできました。
ひとりで全部できることが偉くて、それが自立だと思っていました。
だから、とにかく、なんでもひとりで「できる」ように頑張ってきました。
でも、どうやっても「できない」ことがありました。
諦めたらいいのに、諦めることはイケナイことだと思い込んで、泣きながら頑張って、ただただ苦しいばかりでした。
そんな苦しさから解放されたのは、僕がイギリスに行ってからのこと。
僕がイギリスで日本語教師をしていた時でした。
ある日、僕が担当していたクラスに「できない」ことを「諦める」生徒がいて、それを見て、
「彼のスタンスは良くないね」
「ひとりでできるように努力した方が良いし、最後まで諦めない教育をした方がいいよね」
と同僚に同意を求めると、
「別にいいんじゃない?」
「頑張っても無理なら、さっさと諦めて自分の得意を伸ばせばいいだけのことだよね」
って返ってきて
「それは駄目だよ!」
と言い返すと、
「君は、まるで卵アレルギーの子どもに、無理矢理体質改善をさせて、なんとか卵を食べさせようとさせてるみたいだよ」
「しかも、それが一番良いと勝手に思い込んでいる」
僕はイラっとして、
「でも、それじゃ『自立』にならないし、その子の為にはならないよ」
と言い返すと、
「自立って、自分にできないことを素直に認めて『助けて』『お願いします』ってまわりを信頼することでもあるよね」
「諦めるっていうのは、自分にできることとできないことを『見極める』ことでもあるよね」
「だとしたら、できないことを素直に認めて、諦めて、できることを伸ばして、何が悪いんだ?」
そう言われて、言い返す言葉がありませんでした。
それまで、僕は、ひとりで全部やることが良いことで、それが自立につながると思っていました。
諦めずに努力し続けることこそ最高だと思っていました。
それはそれで正しいところもあるでしょう。
でも、もしかしたら、間違っている部分もあるのかもしれません。
☆「できる」ようになりたい人は「できる」ように諦めずにやればいいだけのことで、それができる環境なら最高です。
☆「できない」ことを素直に認めて、まわりを信頼して「お願いします」という勇気を持つことも素敵です。
☆「できる」ことだけ伸ばして、自分の個性をグンと伸ばすこともいいのでしょう。
結局、その時と場合、状況によって、一概には言えませんが、カウンセラーという立場上、僕のまわりには、すでに頑張りすぎの人がいっぱいいるので…
今は「助けて」という勇気をもつことが大切ですよ。「助けて」と言えた時に「自立」はできているから、ひとりで抱え込まなくていいんですよと言いたいです!
そして…
できない自分を責め続けて、自分を大嫌いになるよりも、「できる」ことをドンドン伸ばして、自分をドンドン好きになってね!
そう伝えたいです。
イギリスから帰国後、こんな本が出版されていることを知りました。
東大教授が、実体験を元に「自立」の意味を教えてくれています。
「自立」について知りたい方に、お薦めの一冊です。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕は、心の専門家として、心の授業をひらいたり、おはなし会をひらいたり、カウンセラー養成講座を主催したりしています。
その中で、多くの人が「もっと心を強くしたい」と願っているんだなぁと気づきます。
心は、簡単に弱くできるのに、その逆、強くすることは難しいです。
見えないもの、形のないものだから、難しいのですね。
困難や苦行を経験すると、確かに心は強靭にはなりますが、無理矢理、自分を窮地に追いやる必要はないと思います。
(それが好きな人は別ですが…)
それよりも、しなやかさを身に付けながら、立ち上がる練習をする方が、その人にとってベストタイミングで強くなれる気がしています。
この“しなやかさ”を身に付けるというのは…
まず、人生は誰もが転ぶということを知って、転ぶのを恐れるのではなく、転んでも大丈夫だと気づいて、立ち上がる練習をすること。
どういうことかというと…
ここで、赤ちゃんが立って歩く迄の過程をイメージしてください。
赤ちゃんが、寝返りからズリバイ、ハイハイからつかまり立ちへと移行し、そこから立って歩く迄の期間に、何度も何度も転びますよね。
思い返して欲しいのですが(もしかしたら記憶にないかもしれませんが)、あなたが立って歩くために、無理矢理、自分を険しい道に追いやって、自分に鞭を打って、歩く練習をしてきましたか?
おそらく、そんなことはしなかったと思います。
無意識に体を動かしながら、いろんな動作をすることによって、自然に腹筋や背筋が鍛えられ、何度も何度も転びながら、気づいて学び、そして、自然に歩けるようになったのではないでしょうか?
大人になると、どうしても、転ぶことを恐れたり、傷つくことを避けたり、失敗することを怖がったりして、“なんとかしよう”としますが、心が一番強くなるのは、転んだ時、傷ついた時、失敗した時です。
転んでも大丈夫!
傷ついても大丈夫!
失敗しても大丈夫です!
だから、
転んだ自分を責めるのではなく…
また傷ついた自分をジャッジするのでもなく…
さらには失敗した自分を追い込むのでもなく…
事実を事実として認めた上で、立ち上がることだけに意識を向けて、また一歩動き出すこと!
それが大切!
自分が自分の味方になって、自分が自分を応援できるようになった時、自然に心は強くなってゆきます。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
今日は「負けるのが嫌な人へ…」というタイトルで記事を書きますが、これ、僕のことです。
僕は、負けるのが大嫌い!
負けず嫌いな性格なので、今でも、負けるのは嫌です。
一見、穏やかそうに見えるので、勝ち負けにはこだわらないように見えますが、勝ちにはこだわります。
もちろん、結果にもこだわります。
口だけ言っても、勝たないと…結果が出ないと…説得力に欠けますからね。
ある日のこと。
大切な友人から「負けるが価値」という言葉を教えてもらい、そこで意識が大きく進化しました!
(彼女とはトークショーをひらきます…3/8東京会場・4/19大阪会場)
彼女のおかげで、勝つことが良くて負けるのが残念だと思っていた意識が一変し、負けから価値を見出すことも素晴らしいと気づいたのです。
僕の人生(本当は勝ちたいのに)圧倒的に負けが多いです。
きっと、この悔しさがあるから、勝ちにこだわってしまうのですが…
振り返ってみれば、負けてこそ見えるモノがあり、失敗してこそ分かるコトが多々ありました。
それなのに、勝ちにこだわっていたのは、負けることが人生のマイナスだと思い込んでいたからなんですよね。
この思考こそ、残念なことでした。
勝ち負けにこだわるということは、すでに自由な自分に負けていることでもあります。
勝っても負けても、人生はプラス!
そう信じていけたらいいですよね。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
いきなりですが…
「他人の目って、気になりますか?」
僕は、凄く気になります。
これまで、他人の目を気にしないために、必死に情報をかき集め、アレコレやってきましたが、なにをやっても、今でも気になってしまいます。
「なんで、気になるんだろう?」
僕には自意識過剰なところがあるから、勝手に見られていると思い込んでいるだけなのかもしれませんが…
そもそも、他人の目を気にするのは、あたりまえのことです。
大勢の中で生きているんだから、ごく自然なことなんですよね。
僕があなたの目を気にしているように、
きっと、あなたも僕の目を気にしているはず。
結局のところ…
他人の目を気にしていると言いながら、一番気にしているのは、自分の目なのでしょうね。
自分の目が、一番厳しいですからね。
大切なことは…
他人にどう見られるかよりも、自分が自分をどう見るか?
そこなのでしょう。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕の好きなことは、ガーデニングとアロワナ(古代魚)の飼育とカメラとデッサンと読書と書道とピアノと一人カラオケと…
いろいろありますが「どれが一番?」と聞かれると、答えられません。
沢山あり過ぎて「それって、本当に好きなの?」と聞かれると、正直、ドキッとしてしまいます。
時々、カウンセリングで、
「私、本当に好きなことがわからないんです」
「どうしたらいいですか?」
って相談を受けることがありますが、
「わからなくていいです!実は、僕も一緒です」
「適当に、お答えすればいいんです」
ってお答えしています。
そもそも、好きが「ある」のが良くて「ない」のが悪いわけではないです。
それなのに、世間では「好きなことをやりなさい」とか「好きだけで生きてゆくが良い」とか、いろいろ出回っているから、不安になってしまうんですよね。
それらを目にする度に「ない」自分が、なんだか責められた気分になってしまうんですね。
でも、もしかしたら「本当は、何が好きなの?」と聞かれて「わかりません」っていうのが恥ずかしくて、適当に答えている人も多いんじゃないかな?
だから、適当に答えておけばいいんです。
わからないことは、ぜんぜん恥ずかしいことではありません。
でも、わからないことを誤魔化すことは、恥ずかしいことです。
もう、好きなことがわからないのに、無理にあるフリだけはしないでくださいね!
それは、自分にウソをつくことになりますから。
好きなことより、自分に正直でいることを!
それを大切にしてください。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕がカウンセラーとして、一番よい経験を積めたと思っているのは、ハローワーク(京都労働局)でのキャリアカウンセラー時代でした。
毎日、朝から夕方まで、10〜20名ほどが僕の前に列を作り、老若男女、さまざまなタイプの相談を担当させていただきました。
ハローワークは、就職を斡旋(あっせん)する場所です。
お客様が良い御縁(事業者)につながるように支援をさせていただくのですが、そこで必要になってくるのが、相手に知ってもらうための自己分析と自己PR!
これまでの経験はもちろん、自己分析をして、長所や短所を踏まえて、意気込みなどをアピールしてゆくのですが…
・自分を知ること
・自分を伝えること
このあたりまえのことが難しいです。
自分というものは、実は自分が一番よくわからなくて、それを伝えるのは、更に難しいものです。
自己分析は、自分を知る上で大切なことですが、やりすぎると自分をバラバラにするだけで、余計に混乱して、わからなくなってしまいます。
だから、自分をアバウトに知るだけでいいということを覚えておいてください。
そもそも、固定化された「あなた」はいませんから!
誰もが、みんな、色んな状況に応じて、色んな風に生きています。
毎日、洋服を変えるように、その都度変えて、そこに合わせて生きているんですよね。
だから、色んな「自分」がいることを知った上で、それをうまく活用することがポイントです。
真面目できっちりした人ほど、「本当の自分」を探し続けますが、「これが自分」なんてものはありません!
僕たちは日々、色んな人に出会い、色んなことを体感し、気づかないところで細胞が生まれ変わり、日々進化しています。
だから、自分を探し続けることにエネルギーを使うのではなく、その大切なエネルギーを、いまここにある自分、つまり可能性の塊である自分自身を認めるために使ってくださいね。
自分自身を認めることがわからない方は、明日、2月16日(日)に東京・代々木高校で「心の授業」をひらきますので、そちらへお越しください。
どなたでも、お気軽にご参加いただけます。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
今日はバレンタインデー…
「チョコレートを何個もらえるかな?」
なんてことを期待して、昔は、そのもらった数で、自分の価値を計っていたように思い出します。
お恥ずかしい話、
嫌われることを恐れて、好かれるために必死になって…
自分を後回しにして、相手を最優先して…
相手に合わせれば合わすほど、自分がわからなくなって…
気づけば、自分が大嫌いになっていました。
まわりから好かれたい一心で一生懸命頑張って、八方美人というよりは、まわりに媚(こび)を売っているような状況でした。
いま思い返すと、
「なぜ、こんなバカなことをやっていたんだろう?」
って笑えますが、当時は、それくらい自信がなくて、必死だったんでしょうね。
そうして、
成人したある日のこと。
恩師から、こんなことを言われたんです。
自分が不味い(マズい)と思っているものを「美味しいと思って食べて」なんて言う人はいないよね?
でもね…
自分を大切にしていない人が「自分を大切にして」って言う人が沢山いるんだよ。
これを聞いた時、ドキッとしました!
自分が自分を嫌っているのに、相手に好きでいてもらおうとしていた自分に気づいて、これまでの過ちに愕然としました。
この時、僕の意識と行動がガラッと変わったように思い出します。
やっぱり、自分を大切にしていないと、相手に「大切にして」なんて言えませんよね?
ちゃんと、自分を愛せていないと、相手に「愛して」なんて言えませんよね?
愛されるためには、
好かれるために必死になるのではなく…
相手を最優先するのでもなく…
まず自分を嫌うことを止めて、自分を知って、自分を愛することが出発点なのですね。
これまで相手を優先してきたあなたが、せめてバレンタインデーの今日は、自分自身にも「愛」を贈れる日でありますように。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕のところには、夜になると
「この不安を、どうしたらいいですか?」
というようなメールが頻繁に届きます。
昨日も、一昨日も、その前も…
特にこの時期は、季節の変わり目で、心身が不安定であったり、受験シーズンであったり、バレンタイン前であったりするので、夜になって独りになると、つい悪い方向へ考えて、不安になってしまいますよね。
・この先、ひとりで不安
・試験や大切な日の前で不安
・病気や手術のことで不安
・家族や友人のことで不安
・離婚やお金のことで不安
・告白しようかどうかで不安
人それぞれに色んな不安があり、どうしていいかわからない時はありますよね。
そんな時、まずしてほしいことが「不安を嫌いにならないで欲しい」ということ!
不安を嫌って、無理に無くそうとすればするほど、不安が増し、不安に翻弄さる自分が大嫌いになってしまいます。
僕は、長い間、闘病生活で苦しんできましたが、度重なる手術と、いつまで続くかわからない絶食生活の中で、
・不安になるのは、それだけ一生懸命な証
・自分も相手も未来も信じたい証拠!期待したい証拠
であることを思い知りました。
同時に、その不安の中には、柔らかい感受性があるということも思い知りました。
不安を感じる感受性があるからこそ、この感受性が、安らぎや幸せも感じさせてくれているんですよね。
だから、不安を嫌うというのは、自分を否定することにつながります。
安らぎや幸せを感じる感受性を麻痺させることにもつながるんです。
どうしようもない「不安」な時こそ、不安を嫌うのを止めてください。
無理に不安を無くさないでください。
そして、すでにめいっぱい頑張っている自分を認めてください。
そうすると、おのずと不安が不安でなくなってゆきますよ。
おはようございます。
カウンセラーの神社(かんじゃ)昌弘です。
僕は、京都出身ですが、京都市内ではなく、生まれも育ちも、今も「京都の田舎」に住んでいます。
他府県に出かける際は、ついカッコつけたくて、“京都市内のお坊ちゃん風”を装っていますが、実はこれ、単なる僕の憧れで、ホントは田舎者です。
幼い頃から大自然に囲まれて育ってきた影響もあり、生き物は大好き!
どんな生き物にも興味があり、見つけると、すぐに立ち止まって、捕まえて、観察して、飼育して、調べたりしてしまいます。
中でも「魚」は大好きで、小学生の頃は、時間を見つけては、川へ魚捕り。夜中にも父と網をもって出かけていました。
中学生の頃は、自宅に9つの水槽を設置し、飼育と繁殖を繰り返し、それでも足りなくて、庭に池を掘っていました。
ある日のこと。
ミノムシの蓑(みの)の中身を知りたくて、蓑を剥いだことがありました。
すると、幼虫が出てきて「あぁ、これが蛾になるんだなぁ」と思っていました。
そうして、それから何年も経って…
大学で理科の教員免許を取得し、教育実習をしていた時に、ミノムシの衝撃の生態を知りました!
ミノムシは、成長すれば、全て「蛾」になって飛んでいくと思っていたのですが…
「蛾」の姿に変わって飛んでゆくのは『オス』のみ。
『メス』は蛾の姿にはならず、飛ぶことすらありません。
メスは蓑の中から出ることなく、そこで一生を過ごします。
しかも、成長したオスとメスは、どちらも口が退化し、エサを摂ることがありません。
成長したオスは、交尾のためだけに飛び回り、交尾が終わると、わずか数日で死んでしまいます。
一方、メスは、交尾後、蓑の中に卵を産み付け、卵が羽化する20日前後で死んでしまいます。
なんとも儚い一生…
「なんのために生きているの?」
「それで、あなたは幸せなの?」
そう思わずにはいられませんでした。
オスは、交尾の為だけに蛾になり…
メスは、一生外に出ることなく、卵を産み付けたら死ぬ…
僕(人間)から見ると“ありえない”ことですが、自然界では、このようなことが起こっているんですよね。
きっと、それぞれの生物には、それぞれの生き方があり、それがあたりまえで、当然のこと。
それに対して、僕が“なにか”を言う筋合いもないのですが、ミノムシの一生を見ていると、人間は“なんて有難いんだろう?”って思ってしまいます。
だって、自分らしく生きることを考える脳を持ち、幸せになるために選択して動くことができるんですよ。
自分次第で、可能性は無限大に広がり、自由になれるんです!
せっかくのこのチャンス、自由に生かさないともったいないと思うのは、僕だけでしょうか?
僕は、別に、生きる意味があってもなくてもいいと思っています。
目的があれば良くて、目的がなかったら悪いわけでもないと思います。
ただ、僕たちの意識を超えて、心臓は動き続け、命が僕たちを生かしている事実があります。
運よく、人間として生まれ、自分で決められる世界に生きているのだから、せめて今日は、ほんの少し、あなたの想いのまま、心のままに動いてみませんか?
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕はいま、自分が困難から学んだことを他の人の人生に生かしてもらう活動をしています。
◆二年前の今日(2018/2/5)
MBS毎日放送のテレビ取材を受けました。
・クローン病のこと
・絶食や闘病生活のこと
・「大丈夫?」と聞かれることが大嫌いだったこと
・患者として終わりたくなかったこと
・不安と恐怖でもがきまくっていたこと
プロのアナウンサー(西靖さん)にインタビューをしていただいて、僕自身が気づくことが沢山ありました。
◆いま、クローン病を発症して21年目になります。
かつては、あまりのつらさに「もうダメだ」と思ったことが何度もありましたが、おかげさまで元気です。
これまで、何度も何度も命をあきらめようと思いましたが、どんな時も、決して命が僕をあきらめることはなく、母や友人たちも、僕をあきらめることはありませんでした。
だからいま、こうして生きているのですが、生きているというよりは「生かされている」ことを実感する毎日です。
この世にあるすべての命が、最後の最後まで『あなたの命』をあきらめることはありません!
だから、泣いてもいい、怒ってもいい、がんばらなくてもいい…
ただ、どんな時も、誰の中にも、生きたいという命があることに気づけたらいいなと思います。
そして、つらいのも苦しいのも、本当は生きたい想いがあるからこそ出てくるんだと気づいて、みんなの命が生きたがっていることを忘れないでいられたらいいなと思っています。
◆この経験から学んだことを一冊の本にまとめました。
必要な方に届きます様に祈っています。
『クローン病が教えてくれたこと』