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お布施ブログ

神社昌弘のお布施ブログです。

実体験から得た「生きる知恵」を、皆様の日常に役立てていただきたいという願いを込めて書いています。


最新のコラムは、こちらにも書いています。
2025/04/26

昔、僕は書道、茶道、華道を習っていました。

小さな頃から、父や母に教わったり、

その後も、きちんと教室に通ったりして。


イギリスで日本語教師をしていた頃には、

日本文化を伝えるために、

生徒たちにそれらを教えたこともありました。


どれも、本当に素晴らしい世界でした。

でも、どれも数年しか続かなかった。


別に、嫌いでやめたわけじゃない。

むしろ、その奥深さに、心から敬意を抱いていました。


ただ、「道」がつく学びは、深くなればなるほど、

型が厳密に決まり、はみ出すことが許されない世界になる。

それに、僕は、どこか息苦しさを感じてしまった。


もっと自由でありたい。

もっと、自分らしく在りたい。


そう思う気持ちが、だんだん強くなって、

その場を離れる選択をしてきたんだと思います。


昔は、そんな自分を責めていました。

「続かないなんてダメだ」とか、

「ちゃんとできない自分は弱い」とか。


でも、今は少しだけ、思えるようになりました。


型通りも、素晴らしい。

自由でいることも、素晴らしい。

どちらが正しいとか間違っているとかじゃない。


何より、

あの時、ちゃんと伝統にふれたこと。

あの時間があったからこそ、

今の僕の中に、“静かな芯”みたいなものが、

育っている気がします。


学べたことに、心から感謝しています。

たとえ、道半ばであったとしても。



2025/04/25

17歳のとき、父が亡くなりました。


まだ47歳という若さでした。


葬儀には、900人以上の方が参列してくださいました。


その人数に、ただただ驚いたのを覚えています。



「この人は、本当に多くの人から慕われていたんだ」



目の前に広がる人の波を見ながら、そんなことを思いました。


でも──


そんな父のことを、僕は正直、大嫌いでした。


理由はただひとつ。



父は、いつも“人にばかり”優しくして、
自分自身や家族に対しては、いつも後回しだったから。


外では「素晴らしい人」と言われていた父。


けれど、家ではどこか遠い存在で、
反抗期だった僕は、父を無視し、ひどい言葉をぶつけることもありました。


今思えば、まったく“いい子”ではなかったと思います。


でも不思議なことに、
あの頃の父と、自分の姿がどこか重なることがあります。


家の中では不機嫌で、外では“いい人”。


周りに気を遣いすぎて、自分の気持ちは後回し。



「父みたいにはなりたくない」と思っていたはずなのに、
僕もまた、同じような生き方をしていたのです。


大人になるとは、
もしかすると「自分の中にある父親と和解すること」なのかもしれません。


父は、たしかに誰からも好かれる人でした。


そして、きっと、家族のことも大切に思っていたのでしょう。


ただ、不器用で、自分の気持ちを上手に出せなかっただけ。



それに気づけたのは、大人になってからでした。


今、カウンセラーとして多くの方と向き合う中で、
「自分を後回しにしてきた人」の言葉を、何度も聞いてきました。


「家族のために頑張ってきた」


「誰かを守るために我慢してきた」


「本当は泣きたかったけど、泣けなかった」


そのたびに、ふと思い出すのです。


あの葬儀の日の、あの光景を。


無理して、我慢して、頑張りすぎたその先で、
自分自身が壊れてしまうこともある。


だからこそ、声を大にして伝えたいのです。


自分を大切にしてください。


無理をしすぎないでください。


あなた自身が、あなたの人生の中で一番大切な存在なのです。


誰かを大切にすることと、
自分を大切にすることは、矛盾しません。


むしろ、自分を大切にできる人こそが、
本当に誰かを大切にできるのだと思います。


父の死から、もうすぐ30年。


僕は今年、父が亡くなったときと同じ47歳になります。


ようやく今、父に心から言えます。


「あなたの生き方も、ちゃんと見てたよ」って。



2025/04/24

最近、ホームページの文章やレイアウトを見直す作業をしていました。


誰に、何を、どう伝えるのか。

どうすれば、訪れてくれた方がホッとできるのか。


そんなことを、静かに一つひとつ整えていく時間でした。


この作業の中で、ふと気づいたことがあります。


「心を整える」ということと、まったく同じだな。


日々の生活も、頭の中も、気づけば色んなものが溜まってきます。

本当は手放してもいいのに、

「いつか役立つかも」「これは必要かもしれない」と思って、

無意識に抱え込んでいることって、たくさんありますよね。


ホームページを整えていたら、

「これ、いらないかも」

「これは、もっと大切にしたい」

そんな“心の声”が、ふわっと浮かんできたのです。


整えることは、詰め込むことではありません。

むしろ、「そぎ落とすこと」「ゆるめること」

そして、「本当に大切なものと、もう一度つながること」なのかもしれません。



これは、人生にも、心にも、人間関係にも言えることだと思います。


今、あなたの心の中には、

まだ“ごちゃついたままの棚”があるかもしれません。


頭では分かっているけれど、片付ける余裕がないまま、

なんとなくモヤモヤを抱えて過ごしている…

そんな感覚がある方も、きっと多いのではないでしょうか。


だから今日は、ほんの少しでもいい。

自分の内側に、静かに目を向けてみませんか?


「これは、今の私にとって、本当に必要かな?」

「私は、何を大切にしたいと思っていたんだろう?」


そんな問いを自分に投げかけてみるだけでも、

きっと、何かがふっとほどけると思います。


私はこれからも、心を整えるお手伝いをしていきたいと思っています。

それは、誰かの人生がほんの少し軽くなること。

そして、その人自身が、“本来の自分”に戻れる時間を届けること。


あなたが、あなたらしくいられるように。


今日も、心穏やかな一日になりますように。


神社昌弘

2025/04/20

今日は、父の誕生日です。

もし生きていれば、今日は77歳だったはず。


でも、父は僕が17歳のときに亡くなりました。

47歳でした。

そして今年、僕も47歳になります。


気づいた瞬間、ふしぎな感覚に包まれました。


父が最後に生きた年齢と、僕が今、生きている年齢が重なる。

「越える」とか「追いついた」とか、そんな簡単な言葉では言い表せない、

なんとも言えない気持ちが胸に広がりました。 


父の47年間って、どんなものだったんだろう。


僕よりずっと早く家庭を持ち、

がむしゃらに働いて、

家族を支えながら生き抜いた人生。 


今、自分が同じ年齢になってみて、

ようやく少しだけ、父の姿が見えた気がします。


子どもの頃は分からなかったことも、

年齢を重ねた今だから、分かることがある。


無言のまま背中で示してくれた“男の人生”を、

ようやく受け取れた気がするんです。


父に会って、いまの自分の話をしてみたい。

仕事のこと、人生のこと、

あの頃の自分じゃ語れなかったことを、

同じ目線で話してみたかった。


でも、それはもう叶いません。


だから僕は、

これからの人生を“父のその先”として生きていきたいと思っています。


父が見られなかった景色を、

僕が見ていく。


父が感じられなかった時間を、

僕が生きていく。


“今を生きている”この感覚を忘れずにいたい。


だから今日、この気持ちを、

そっとここに書き残しておこうと思いました。


神社 昌弘

2025/04/19

こんにちは。

神社です。


僕がピアノを始めたのは、3歳のときだった。


姉のピアノ教室に付き添いで行った時、僕も興味を持ってしまって、姉と一緒に習うことになった。


でも、姉はすぐに辞めて、僕だけが教室に通うようになった。


だけど、中学生になるころには自然とやめていた。

当時は医者になることを目指していたから、塾の忙しさで、気づけばピアノから離れてしまっていた。


それでも、音を出すのが好きだった。

だから、時々、家の鍵盤に触れていた。


でも、実は僕、楽譜は読めない。


昔からどうしてもダメで、赤字でフリガナを書いてもらっても、頭に入ってこない。

先生の手の動きをじっと見て、それをそっくりそのまま覚えて弾いていた。


だから、手本がなければ弾けない子どもだった。 


そんな僕が、大人になって――

最近になって、あらためてピアノに向き合う機会をもらった。


きっかけは、YouTubeで一緒に番組を作っている柏崎さん


彼は、アメリカで音楽を専門的に学び、ピアノも本格的に教えられる人。

何気なく教えてもらったとき、言われた一言が、心に刺さった。


「楽譜ってね、作曲家の“想い”が詰まってるんだよ。」


――想い?


その言葉に、ドキッとした。


僕はずっと、自分の耳と感覚だけを頼りに音を追いかけていたけど、そこに“誰かの心”を感じたことは、正直なかった。 


楽譜に忠実に音をなぞること。

それはただの「お手本通り」じゃなかった!!!!


作曲家が、その時、その瞬間に感じた感情、

言葉にできなかった願い、想像していた景色――

そういったものが、小さな音符たちの中に詰まっていた。


それを知ったとき、僕の中で何かが静かに変わった。


今までは“自由に弾くこと”だけが正解だった。

でも、“誰かの想いを自分の手でなぞる”という美しさが、こんなにも深くて温かいものだなんて。


自由に奏でることも素晴らしい。

でも、譜面を通して人の想いにふれるという体験もまた、

心の奥を静かに震わせてくれるものなんだ。


ピアノって、音を鳴らす道具じゃなくて、

人の心と心をつなぐ、ひとつの手段なんだなと――


改めて、そんなことを感じた。


きっとこれからも、僕は楽譜をすらすら読むことはできない。


それでも、音の奥にある“誰かの想い”を、手で感じながら、

ゆっくり、丁寧に弾いていけたらと思っている。


神社 昌弘



2025/04/18

こんにちは。

神社昌弘です。

 

「神社さんって、スピってますよね。」

 

そう言われるたびに、正直ちょっと嫌な気持ちになる。

いや、たしかに否定はできない。


僕は、イギリスでサイキックサイエンスを学んできたし、陰陽道や精神世界の学びも深めてきた。

“目に見えないもの”を大切にする生き方をしてきたから。

 

でも、いわゆる「スピリチュアル」のイメージで語られると、どうにも引っかかる。

 

いまだに、スピリチュアルは「怪しい」「現実逃避」「ふわふわしてる」といった偏見が根強くあって、まるで、“ちゃんと生きてない人の道具”みたいな扱いを受けることもある。

 

しかし、真面目に研究している人や、

現実と折り合いをつけながら真摯に取り組んでいる人まで、

まとめて“変な人”のように見られてしまうのは、やっぱり悔しい。

 

僕が目指してきたのは、

現実を生きるためのスピリチュアル。

 

空に逃げるためではなく、

地に足をつけて歩くための、もう一つの地図!

 

だから僕は、占いやご利益だけに飛びつくようなものにはならないように、

常に「現実」と「心」のバランスを見ながら、カウンセリングや講座をしてきた。

 

クライアントの人生が、ちゃんと前に進むために。

自分自身もまた、ちゃんと日常を丁寧に生きるために。

 

そういうスピリチュアルが、もっと認められていい。

そう思うんです。

 

感覚を信じることは、逃げじゃない!
目に見えない世界に敬意を払うことは、甘えでも依存でもない!

 

そこには、古くから日本に息づいている知恵もあるし、

深く研究してきた人たちの探究もある。

 

僕は、スピリチュアルを信じている。


でも、それを使って誰かを上から導くつもりも、

「特別な人」と思われたいわけでもない。

 

ただ、

“まともに生きようとしている人が、まともに語れるスピリチュアル”を、

これからの時代に、もっと広げていきたい。

 

もし、僕と同じように

「スピってるって言われるのが嫌だな…でも、本当は好きなんだよな」

そんな想いを抱えている人がいたら、その“感覚”を、胸を張って大切にしていいと思います。

 

それは、あなただけの“見えない力”とつながる道だから。

 

ちなみに、あなたはこれまでに、

「スピってるね」と言われたこと、ありますか?

 

それをどう受け止めてきましたか?


“見えないけれど、大切なもの”と、

どう向き合い、どう生きていくのか。

 

そんなことを一緒に考えていけたら嬉しいです。

 

神社昌弘(かんじゃまさひろ:本名)




2025/04/16

3年前の春。

僕は東京への拠点移動を決め、理想のマンションを探して奔走していました。


土地勘もエリアの希望も明確で、予算も見えていたので、

「きっとすぐに、良い場所が見つかるだろう」

そう思っていたんです。


ところが――

なぜか、何をどう探しても、決まらない。


良いと思った物件はタイミングが合わず、

内見に行けば、写真とまったく印象が違う。

申し込もうとしたら直前で他の人に取られてしまう。


いくつも、いくつも、ことごとく流れていく日々。

このとき、ふと頭をよぎりました。


――あ、今って「春の土用」だ。


僕は陰陽道を学び、暦の流れを日々意識して生きています。

ですから、「土用」の時期に大きな決断や契約ごとを避けるのが望ましい、ということも知っていました。


でも当時は、「間日(まび)」を選べば大丈夫だろう。

心身を整えていれば、流れに乗れるはず――そんなふうに、どこかで都合よく考えていたんです。


しかし、いくら整えても、何度動いても、決まらないものは決まらない。



そして、春の土用が明けて数日後。

ある日ふと見つけた物件情報が、直感で「ここだ」と感じた。


実際に行ってみると、駅からの距離、間取り、空気感、家賃……すべてが理想通り。


その場で即決しました。

迷いは一切なかった。


そこからの流れは本当にスムーズで、引っ越しの手続きも滞りなく進み、

家具や家電も“ぴったり”のものが次々に見つかっていきました。


まるで、今までの停滞は「時を待ちなさい」と言われていたかのように――。



この出来事を通して、改めて強く感じたことがあります。


それは、人の意志だけでは越えられない「自然の流れ」が、この世界には確かにあるということ。


たとえどれだけ心を整えても、

「時」が整っていなければ、動けないこともある。


陰陽道では、土用は“変わり目”の時期!


気の切り替わりが起こるこのタイミングでは、

あえて静かに過ごし、流れが変わるのを待つことが大切なのです。


「うまくいかない」のではなく、
「今じゃないだけ」という感覚。


僕自身、この感覚を実体験として体に刻みました。


焦らず、抗わず。

“その時”が来れば、すべてが一気に進み始める。


この自然のリズムと調和して生きることが、

本当の意味での「運に乗る」ということかもしれません。



もし今、何かが滞っているように感じている方がいたら、

無理に進もうとせず、一度立ち止まってみてください。


見えない流れに耳を傾けたとき、

あなたにとっての「ぴったりの場所」や「ぴったりの時」が、必ず見つかります。



🌿ご案内

神社昌弘のカウンセリングでは、

陰陽道の知恵と心理学の視点を掛け合わせながら、

“いま”のあなたに必要なタイミングと選択を、一緒に整えていきます。


▶︎ 個人カウンセリングの詳細はこちら

https://kanja.info/contents_507.html

2025/04/15

こんにちは。

神社昌弘です。

 

僕は、小学5年生のとき“自家中毒”という体調不良で、

学校に通えない日が続いていた。


理由もわからず、心も身体も苦しくて。


そんなある日、

父が手渡してくれたのが

手塚治虫の『ブッダ』全巻だった。

 

仏教とか宗教とか、そんな言葉の意味は当時よくわかっていなかった。

 

でもブッダの生き方は、「どう生きるか」ではなく「どう在るか」を教えてくれた。

 

その時、心に刻まれた言葉がある。


 

「苦しみの中にいても、心が乱れなければ、それは苦ではない。

 

今思えば、この一言が、

20歳でクローン病を発症し、

4年間絶食し、8度の手術を経てもなお、希望を失わずにいられた理由だったのかもしれない。

 

僕は今、カウンセラーとして人の悩みや苦しみに向き合っている。


「どうすれば前向きになれるか?」

「幸せになるには?」


そんな問いの先に、ブッダの教えは静かにたたずんでいる。

小5のときに出会ったブッダの姿勢。


「争わず、誠実に、静かに、今を生きる」


その教えが、47歳の今も、僕の背骨になっている。

 

神社昌弘(かんじゃまさひろ:本名)



2025/04/12

新年度が始まり、

少し慣れてきたようで、

まだまだ緊張が続く日々、

いかがお過ごしですか?

朝起きた瞬間、いつもより少しだけ身体が重い。


家族のこと、職場のこと、自分のこと……


気づかぬうちに心も身体も、フル稼働していませんか?


「少しだけ、ゆるめていいんだよ」


この言葉を、今日はぜひ自分にかけてあげてください。



頑張っているとき、人は「気が張っている」状態が当たり前になります。

やることに追われて、無意識に自分を後回しにしてしまう。


でも、だからこそ——

“ゆるめること”が、実はものすごく大切なのです。



僕自身、病気や手術、絶食の経験を通じて学んだのは、

「人はゆるまったときに、本来の力が戻ってくる」

ということでした。


心がギュッと硬くなっているときには見えなかった景色も、

ふっと力を抜いて深呼吸をすると、やさしく見えてくる。


怒りや悲しみも、焦りや不安も、

自分をゆるめたときに、少しずつ溶けていくのです。


今日くらい、自分を甘やかしていい


誰かのために動き続けた一週間、

せめて今日くらい“自分のためのやすらぎ”を選んでください。


あったかい珈琲をいれて、

ふわっと香る湯気を見ながら、

ただぼんやりする時間を持つのもいいと思います。



何もしない時間というのは
何もしない時間ではなく
あなたの魂を整える大切な時間


ほんの少しでもいい。

自分をいたわる選択をしてみてくださいね。


それが、また一歩、

あなたらしい明日へとつながっていゆくから。


神社昌弘