こんにちは。
僕がピアノを始めたのは、3歳のときだった。
姉のピアノ教室に付き添いで行った時、僕も興味を持ってしまって、姉と一緒に習うことになった。
でも、姉はすぐに辞めて、僕だけが教室に通うようになった。
だけど、中学生になるころには自然とやめていた。
当時は医者になることを目指していたから、塾の忙しさで、気づけばピアノから離れてしまっていた。
それでも、音を出すのが好きだった。
だから、時々、家の鍵盤に触れていた。
でも、実は僕、楽譜は読めない。
昔からどうしてもダメで、赤字でフリガナを書いてもらっても、頭に入ってこない。
先生の手の動きをじっと見て、それをそっくりそのまま覚えて弾いていた。
だから、手本がなければ弾けない子どもだった。
そんな僕が、大人になって――
最近になって、あらためてピアノに向き合う機会をもらった。
きっかけは、YouTubeで一緒に番組を作っている柏崎さん。
彼は、アメリカで音楽を専門的に学び、ピアノも本格的に教えられる人。
何気なく教えてもらったとき、言われた一言が、心に刺さった。
「楽譜ってね、作曲家の“想い”が詰まってるんだよ。」
――想い?
その言葉に、ドキッとした。
僕はずっと、自分の耳と感覚だけを頼りに音を追いかけていたけど、そこに“誰かの心”を感じたことは、正直なかった。
楽譜に忠実に音をなぞること。
それはただの「お手本通り」じゃなかった!!!!
作曲家が、その時、その瞬間に感じた感情、
言葉にできなかった願い、想像していた景色――
そういったものが、小さな音符たちの中に詰まっていた。
それを知ったとき、僕の中で何かが静かに変わった。
今までは“自由に弾くこと”だけが正解だった。
でも、“誰かの想いを自分の手でなぞる”という美しさが、こんなにも深くて温かいものだなんて。
自由に奏でることも素晴らしい。
でも、譜面を通して人の想いにふれるという体験もまた、
心の奥を静かに震わせてくれるものなんだ。
ピアノって、音を鳴らす道具じゃなくて、
人の心と心をつなぐ、ひとつの手段なんだなと――
改めて、そんなことを感じた。
きっとこれからも、僕は楽譜をすらすら読むことはできない。
それでも、音の奥にある“誰かの想い”を、手で感じながら、
ゆっくり、丁寧に弾いていけたらと思っている。
神社 昌弘