僕は、家系的に、生まれたときから
いわゆるスピリチュアルな世界の中にいました。
神社(かんじゃ)家は、正直、少し変わっていたと思います。
目に見えないものがある、という前提で日常が回っていた。
神様も仏様も、特別な存在ではなく、
いつもすぐそばにいる、気配のようなものだった。
それは僕にとっては「能力」でも「特別」でもなく、
ただの当たり前でした。
でも、その感覚を
分かち合える人は、ほとんどいませんでした。

どれだけ言葉を尽くしても、
どれだけ丁寧に説明しても、伝わらない。
わからない、ではなく、
最初から世界の見え方が違うのだと、
後になって気づきました。
若い頃、僕はイギリスへ渡りました。
20年ほど前には、この世界を「科学的に」「理論的に」説明しようと本気で取り組みました。
「証明できれば、伝わる!」
「理論があれば、理解される!」
そう信じていました。
でも、結果は同じでした。
伝わらないものは、伝わらない。
わかりたくても、わからない人がいる。
そもそも、信じようとしない人もいる。
そのとき、ようやく気づいたのです。
わかってもらおうとすること自体が、傲慢だったのかもしれないと。
そこから僕は、
「知りたい人にだけ伝えよう」と思うようになりました。
それでも、完全には伝えきれませんでした。
ずっと、孤独でした。
わかってもらえない!
伝わらない!
同じ景色を見ている人がいない!
そんな僕に、パートナーができました。
その人は、
僕の見ている世界を完全には理解していません。
ただ、
一緒にいる。
それだけでいい、ということを
初めて知りました。
女性の出産を、男性が完全に理解できないように、
この世界には、どれだけ愛しても、どれだけ近くても、
絶対にわからないことがあります。
でも、だからこそ、
「わからない」を前提に、
相手をわかろうとする姿勢が、
愛になるのだと思います。
振り返ると、
僕に欠けていたのは、
教えることでも、
説明することでも、
証明することでもありませんでした。
わかり得ないものの前で、
ただ、寄り添い、そこにいること。
それだけで、よかった。