高校に入って、
人生で初めて、校則違反をした。
パーマをかけた。
理由は単純だった。
悪をしてみたかった。
ずっと優等生だった。
先生の言うことを聞き、
波風を立てず、
「いい子」でいる人格。
それが、どうしても息苦しかった。

「僕は、そんな人間じゃない」
「ワルだと思われたい」
「ちゃんと反抗できる人間でいたい」
そう思って、
殻を破るつもりで、パーマをかけた。
ところが――
なぜか、僕だけ免除された。
呼び出しもなし。
注意もなし。
怒られもしない。
「神社は優等生だから」
その一言で、
すべてがなかったことになった。
反抗したかったのに。
壊したかったのに。
それすら、許されなかった。
その頃から、
「神社(かんじゃ)」という名前が、重荷になった。
まるで、
神の使いのような名前。
・間違えてはいけない
・道を外してはいけない
・見本でいなければならない
――そんな無言の圧力。
正直、
もう、うんざりだった。
そして、
家では激しく反抗した。
父に対して。
無視して、
暴言を吐いて、
否定して、
ののしって。
今思えば、
かなり酷かったと思う。
そんなある日、
父は、目の前で亡くなった。
言葉は、もう届かなかった。
後悔と、罪悪感。
何年経っても、消えなかった。
そんなある時、
母から、こんな話を聞いた。
「お父さんね、
あなたのこと、誇りに思ってたよ」
父も、
ずっと優等生だったらしい。
親の言うことを真面目に聞き、
反抗できずに生きてきた人だった。
だから――
自分ができなかったことを
息子がやっている姿を見て、
嬉しかったんだと。
それを聞いた瞬間、
涙が止まらなかった。
反抗は、
愛の裏返しだったのかもしれない。
不器用だったけれど、
ちゃんと、つながっていたんだと思えた。
完璧じゃなくていい。
優等生じゃなくていい。
間違えても、
遠回りしても、
人はちゃんと、誰かの人生に
意味を残している。
そう、今は思える。
