こんにちは。
マインドリカバリーカウンセラー神社(かんじゃ)です。
生きていれば、さまざまな問題に出遭いますよね?
人はみんな、どうしようもない問題や変えようのない事実を抱えて生きています。
おそらく悩みごとのない人なんていないでしょう。悩みごとを無視している人はいるでしょうけど…。
どんな問題も、自分ひとりでなんとかできたら苦労しませんよね?
だから、セミナーに出席したり、本を読んだり、努力したり、頑張ったりしています。
みんなもがきながら、苦しみながら、傷つきながら、ボロボロになりながらも、喜怒哀楽を経験しながら生きています。
「なぜ、そんなふうに生きるのでしょう?」
その理由は…
自分をあきらめたくないからだと思います。
自分の想いや感情を大事にしたいから悩み、自分をあきらめたくないから苦しんでいるのです!
結局…
自分らしく生きたいけど、同時に相手も大事にしたいという、別々のものを一緒にして、同じように大切にしたいから、苦しいし、悲しいし、つらいのです。
これまで30,000人を超える人たちのカウンセリングをしてきて気づいたことは、悩む人の特徴の一つに「実は悩みたい」というものがあります。
もし、本当に悩みを解決したいなら、先人たちの生き方に学び、その智慧やアドバイスを素直に聞き入れ、その場で実践し、すぐに行動すればいいだけのことです。
でも、それができないのは、相手のことを聞きながらも、自分の想いや感情を尊重しているのです。言われた通りにやってしまうと、まるで自分が駄目に思えたり、自分の存在価値が低く感じられて、それを恐れて行動に移せないのです。
しかも、たいていの最良の問題解決方法が、自分の一番やりたくないことであったり、受け入れたくないことだから、余計に自分に固執してしまうのです。
もし、相手の言うことを聴けないなら、自分勝手に生き方を決めて、自由に生きて行けばいいだけのことです。
でも、それができないのは、相手も大事で自分も大事、相手も尊重したいし自分も尊重したいから。
やっぱり、別々のものを一緒にして、同じように大切にしたいのです!
結局、どちらかに決められなくて「悩みたい」だけです。
でも、心配はいりません。
悩みは無くさなくても生きていけます。
別に、そのままにしていてもいいです。
そもそも、悩むというのは、自分と真剣に向き合っている証拠です。
あなたが優し過ぎて、自分も相手もあきらめたくないから悩んでいるだけのことです。
それならば、いっそのこと、悩んでしまう自分を誇りに思いませんか?
なぜなら、あなたは、とっても優しい人だから!
※本日のブログは、こちらから引用しました。
とっても優しいあなたが、ありのままの自分に自信と誇りを持って人生を好転できますようにこちらでお手伝いをしています。
今日も読んでくれて、ありがとうございます。
自分を愛するとは、一体どういうことなのか?
自分を好きになることなのか?
それとも、あるがままに生きることなのか?
はたまた、自由奔放に生きることなのか?
これまでの僕は、自分を愛するために、自己中(ワガママ)になってみたり、やりたいことに夢中になってみたり、心や身体を癒してみたり、自由に、いろいろなことをやってみました。
そして、その都度、その時々に感じたことや思ったことを正直に振り返り、本当の愛とは、一体どういうものなのかを確かめようとしてきました。
しかし、この日本という地、日本人に生まれて、古い伝統や文化を意識した家庭に育ってきたせいか、無意識に謙遜や謙譲の美徳、調和や安定の遺伝子が発動して、残念ながら「自分を愛する」ということの真意が理解できず、なにをしても、しっくりくることはありませんでした。
そもそも、「愛」という言葉を日常会話で殆ど使わない両親に育てられ、さらに自分を優先することに慣れていない文化で育ってきた僕には、どうしても「自分を愛する」ということがわかりませんでした。
そうして、そんな自分を受け入れつつも、さらにいろいろ試していく内に、僕にとっての「自分を愛する」ということが、なんとなくわかっていきました。
なるほどっ!
自分の本心や感情を誤魔化さないことが愛なんだ!
自分を愛することに関しては、人それぞれ、いろいろなとらえ方や感じ方、在り方があると思うので、これは僕にとっての愛の定義ですが、僕にとっての自分を愛するということは、①どんな些細な感情もなかったことにしないこと。そして、②できない自分や未熟な自分、間違えたり、失敗した自分ほど大切にすること。さらには、③自分を追い込まず、どんな自分もジャッジしないこと。この3つです!
何か特別なことをして愛するのではなく、一番しんどい時や苦しい時こそ、自分の味方になって、
「それでも、よく頑張っているよね」
「大丈夫だよ」
そう声をかけながら、傍にいて自分を応援することが「愛」なんだと思います。
もし、自分を愛することがわからないなら、いまはわからなくてもいいと思います。
なぜなら、それをわかりたいと努力している時点で、すでにそこに「愛」があるから。
だから、まずは『どんな状態の自分も全部OKにして裁かない』そう決めるだけでいい!
きっと、それを決めた瞬間に、あなたの心と身体がポッと暖かくなるでしょう。それが「愛」の証拠だと思います。
あなたが、いまここにある愛を感じられます様に…
祈ってます。
もし「愛」について、もっと詳しく知りたい方は、こちらを読んでみくださいね。
そして「自分を好きになる方法」について学びたい方は、京都・東京・名古屋で、心の授業をひらいているので、どうぞお気軽にお越しくださいね。
1995年8月15日、僕は目の前で父を亡くしました。
それは、家族みんなで海水浴に出かけていた時の出来事でした。
当時、僕はまだ17歳で、反抗期の真只中、父に対する暴言はもちろん、さんざん悪さもしていました。
父への後悔は半端なく、せめて父が生きている間に、一言「ごめんなさい」と心から謝りたかったです。
でも、今となれば、どんなに悔やんでも、取り返しがつきません。
もしかしたら、大切な人を亡くした人たちの中にも、僕と同じように後悔をしている人がいるかもしれませんね。
「あの時、ああすればよかった。こうすればよかった」
「なんで、あんなことをしてしまったんだろう」
僕は何度もそう思ったし、今でもまだ、時々そう思うことがあります。
そんな時、手帳に書き込んだ、この言葉を読み返します。
『後悔は傲慢』
これは恩師から教わったことなのですが、後悔とは、現在できるようになった自分が、過去のできなかった自分を振り返ってジャッジしているということ。
自分を責めるのは、ただ、あわれな自分で居たいだけで、自分を追い込むことで自己正当化を図っているようです。
もともと完璧でない僕が、自分勝手に百点満点の行動ができると思い込んで、そんなことは絶対にできないのに、そこを基準に生きてきたから「後悔」が生まれていたのですね。
まずは、この未熟な自分を認め、ありのまま受け入れ、自らの言動を反省し、心から謝ることが大事でした!
これこそが、第一にしなければいけないことだったのに、僕は自分を責めてばかりで、結局、自分のことしか考えていなかったようです。
だから、やっぱり、そんな僕は傲慢でした。
もし、後悔をしたり、自分を責めている人がいれば、もう、これ以上追い込むことはやめてくださいね。
後悔することがあれば、思い切りクヨクヨしたらいいし、思いきり反省したらいいと思います。
そして、ありのままの自分を認め、受け入れ、反省をできたら、できなかった自分を許す勇気を持って、一歩前進してみませんか?
きっと、あの世にいる人たちは許してくれています。
だから、このお盆に、できなかった自分を責めるのではなく、また後悔を悔やむのではなく、自らの「謝」りを「感」じて、心からの「感謝」をして、手を合わせて「ありがとう」と言えるといいですね。
世間では、感情をコントロールする方法が、いくつも紹介されていて、特に「アンガーマネジメント」(怒りを予防し制御するための心理療法プログラム)は、その必要性や効果も素晴らしいものがあると思います。
でも、本当に、本当に、本当に、困難な状況に陥った時、感情というものは、どうしようもないもので、コントロールどころではありません。
かつて、僕が長い闘病時代に痛感したことは、感情のコントロールなんて、単なる“気休め”に過ぎないということでした。
どんなにコントロールしようとしても、結局どれもうまくいかなくて、最悪なことには、自分の感情さえコントロールをできない自分を責めて、更に悪い状態になってしまいました。もちろん、僕自身が未熟だったことも大きな原因の一つですが。
ここで、僕が言いたいことは、感情は『無理矢理』コントロールしなくていい!ということ。
そもそも、「コントロール」という言葉は、無理なものをなんとかしようとする時に使われる言葉で、この言葉の裏側には「どうにもならない」という前提があります。どうにもならないことを、どうにかしようとして苦しんでも、まったく意味がないですよね。
そこを理解しないままコントロールすると、感情をすり替えたり、誤魔化したり、無かったことにしたり、するようになってしまいます。
結局、消化不良のままです。
人間が生きてゆく上で、自然に湧き起る感情に良いも悪いもありません。
それなのに、僕たちは、つい喜びと楽しみをえこひいきして、怒りや哀しみを悪者にしてしまう傾向にあります。
怒りや哀しみがあるから、人に優しくなれたり、思いやりが生まれたりするのに、一般的にネガティブと見なされる感情は、どうも嫌われる傾向にありますよね。だから、なんとかしたいのでしょう。
でも、ネガティブな感情は、今の状況を改善するためのメッセージで、生きてゆくためには必要不可欠なものです。
だから、それを抑えたり、否定してはいけません。
かといって、ありのまま、すべてを出し切って感情をむき出しにしたら、日本社会では生きていけませんよね。白い目で見られるし、大人としては失格と見なされます。
そこで、お薦めなのが一人カラオケ!
僕は、時々大声で歌います。
「バカヤロー」と叫ぶこともあります。
そうすると、なんかスッキリするんですよね。
感情を無理矢理コントロールするのではなく、それぞれが、それぞれに合った方法、ありのまま認めて、受け入れて、自分が納得する方法で、発散できるといいなと思います。
ネガティブな感情は、生きてゆくための大事なメッセージ!
あなたがあなたであるための心の叫びだから、無理矢理コントロールせず、決して嫌わないでくださいね。
この時期(夏になると)、汗をかきながら、大量の薬をもらうためにキャリーバックを転がしていたことを思い出します。
21年前の8月、クローン病(消化器官の難病)が見つかって、頻繁に通院していた時のこと。
母と姉が、いつも
「元気の出るお洋服を着なさい」
「身だしなみを整えてカッコよく行きなさい」
と言いました。
もちろん、付き添ってくれる母や姉も、いつも以上に奇麗な色のお洋服を着て、お化粧もバッチリ、とびっきりのお洒落をしていました。
そんな僕たちを、まわりは、仲の良い家族が、毎週のように海外に出かけているように見えたようです。
(キャリーバックの中身は、大量の薬なのに…)
正直、まわりから勘違いされるのが悔しくて、もっとみすぼらしい格好で、気弱に病院に行きたかったのですが、母と姉は許しませんでした。
こんな時だからこそ、「素敵なお洋服を着るのよ」といって、病院帰りには、よくショッピングに連れていかれました。
「なんで、病院ごときで、こんなお洒落をしなきゃいけないんだ」
と思っていましたが、この時、病気になっても、病人になってはいけない!ことを教わりました。
「外見だけでも元気に見えるなら、それでいいじゃない!よかったわね」
「他人は気にしない!あなたには中身を見れる人になってほしいわ」
そんな前向きな母の言葉が、いつも僕を支えてくれたように思い出します。
残念ながら、人は見た目で判断されてしまいます!
でも、見た目さえキッチリしていれば、たとえ難病でも元気にみられるんです。まわりからは幸せそうに見えるんです。
肉体だけでなく精神まで落ち込んでしまうと、病人になってしまいます。誰かにわかってもらいたい気持ちばかりが強まって、無意識に同情を求めて、病気から病人へと変化します。
結局のところ、自分の本当のつらさや苦しみ、その痛みや絶望感は、決して他人には理解できないものです。
だからこそ、どんな時も、まずは自分が自分のことをわかることに努めて、自分で自分を救う意識を持って、自分が自分を元気にしないと、結局つらくなるだけなんだと思い知りました。
僕は、この経験から、人を見た目だけで判断せずに、人の内面をわかろうと決めました。
だからいま、こうして心を診るカウンセラーになっています。
僕は、心の授業で、よく「ありのまま」についてお話します。
ありのままでいる利点は、自然な状態で、本来持っているエネルギーをよいふうに循環できること!
みんなに元気になってもらいたくて、「ありのまま」についてお話します。
そもそも、
「ありのままって、どうすればいいのですか?」
そんな質問に、僕は、
「ありのままは、いまのまま」
と答えます。
ありのままに生きると、特別な力や能力が発揮されると思っている人もいますが、それは本や映画の中だけです。
この勘違いに気づいて、いまの自分、特に自分が一番嫌っている部分を受け入れることが大事!
自分の大嫌いなところを認められると、何もせず、自然にありのままに戻れます。
「ありのまま」でいたいという裏側には、実は「いまのままではイケナイ」という心理が潜んでいるので、まずは『ゆるす』ことが必要になってきます。
自分をゆるすとは、自分の過去の影を見るのをやめることで、自分や相手、社会を責めることをやめることでもあります。
これまで、いろいろあった人生をゆるして、まるごと全部肯定して受け入れるということ。
これは、決して勝ち負けではなく、また妥協でもなく、今この瞬間の『安らぎ』を選択するということです。
全てをゆるせたら、ゆるまります。
ゆるまれば、あなたらしい花が咲きます。
力が入っていたら、花は咲けません。
一枚一枚力をゆるめていくからこそ、奇麗な花を咲かせられます。
いまここから、ゆるして、ゆるめて、あなたらしい笑顔の花を咲かせてくださいね。