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後悔が「傲慢」な理由。

2019/08/13
後悔が「傲慢」な理由。

1995年8月15日、僕は目の前で父を亡くしました。

それは、家族みんなで海水浴に出かけていた時の出来事でした。

 

当時、僕はまだ17歳で、反抗期の真只中、父に対する暴言はもちろん、さんざん悪さもしていました。

父への後悔は半端なく、せめて父が生きている間に、一言「ごめんなさい」と心から謝りたかったです。

でも、今となれば、どんなに悔やんでも、取り返しがつきません。

 

もしかしたら、大切な人を亡くした人たちの中にも、僕と同じように後悔をしている人がいるかもしれませんね。

 

「あの時、ああすればよかった。こうすればよかった」

「なんで、あんなことをしてしまったんだろう」

 

僕は何度もそう思ったし、今でもまだ、時々そう思うことがあります。

そんな時、手帳に書き込んだ、この言葉を読み返します。

 

『後悔は傲慢』

 

これは恩師から教わったことなのですが、後悔とは、現在できるようになった自分が、過去のできなかった自分を振り返ってジャッジしているということ。

自分を責めるのは、ただ、あわれな自分で居たいだけで、自分を追い込むことで自己正当化を図っているようです。

 

もともと完璧でない僕が、自分勝手に百点満点の行動ができると思い込んで、そんなことは絶対にできないのに、そこを基準に生きてきたから「後悔」が生まれていたのですね。

 

まずは、この未熟な自分を認め、ありのまま受け入れ、自らの言動を反省し、心から謝ることが大事でした!

これこそが、第一にしなければいけないことだったのに、僕は自分を責めてばかりで、結局、自分のことしか考えていなかったようです。

だから、やっぱり、そんな僕は傲慢でした。

 

もし、後悔をしたり、自分を責めている人がいれば、もう、これ以上追い込むことはやめてくださいね。

後悔することがあれば、思い切りクヨクヨしたらいいし、思いきり反省したらいいと思います。

そして、ありのままの自分を認め、受け入れ、反省をできたら、できなかった自分を許す勇気を持って、一歩前進してみませんか?

 

きっと、あの世にいる人たちは許してくれています。

 

だから、このお盆に、できなかった自分を責めるのではなく、また後悔を悔やむのではなく、自らの「謝」りを「感」じて、心からの「感謝」をして、手を合わせて「ありがとう」と言えるといいですね。