狂言を観て、
こんなにも笑い、
こんなにも深く頷いたのは、初めてかもしれません。
年末に、思いがけず
「笑いの本質」に出会う時間をいただきました。

2025年12月27日。
神田神社にて開催された
「和泉流宗家による 年忘れ狂言LIVE in EDOCCO」 に出席しました。
正式参拝から始まり、狂言公演、そしてお食事まで。
年の締めくくりに、これ以上ないほど整った流れ。
こういう時間の使い方は、
やはり心と人生に、静かに効いてきます。

今回の狂言は、
赤塚不二夫氏 生誕90周年を記念して制作された新作狂言。
赤塚不二夫ワールドと、日本の伝統芸能・狂言。
一見、異なる世界のようでいて、
実はとても相性がいいのだと、
観ていてすぐにわかりました。
笑いがある。
でも、軽くない。
むしろ、
「なるほど」
「たしかに」
「まさに、その通り」
そんな言葉が、自然と心に浮かぶ。
正直に言うと、
僕の中にも
「狂言は少し難しいもの」
というイメージがありました。
その先入観は、気持ちよく裏切られました。

狂言は、
人間の本質を描く芸能。
だからこそ、
時代が変わっても、
名前が変わっても、
僕たちは笑ってしまう。
赤塚不二夫作品がそうであるように、
人の弱さ、愚かさ、ズレ、可笑しみを
責めるのではなく、愛をもって描く。
笑いとは、
人を軽くするためのものではなく、
「本質を突く」ためのものなのだと、
あらためて教えられました。

年末は、
一年の出来事を振り返り、
自分を整える時間。
そんな時期に、
この狂言を観られたことは、
個人的にも、とても意味深い体験でした。
日本の伝統芸能は、
決して過去のものではなく、
今を生きる僕たちの心に、
ちゃんと響いてくるものなのですね。
来年もまた、
こうした「本物の時間」に
身を置いていきたいと思います。今年は、カウンセラーとして独立して10周年でした!
でも、正直に言うと、
「10年続けるぞ」
と思って始めたわけではありません。
気づいたら、
今日まで続いていました。

独立した当初、
不安しかありませんでした。
•仕事は来るのか
•生活は成り立つのか
•続けていけるのか
事実、最初の三年は、生活が困窮して、ダブルワーク!
昼にカウンセラー、夜にバーテンダーの日々でした。

最初の頃は、
ちゃんとしたカウンセラーになろうと
必死でした。
•正しいことを言おう
•役に立つことを返そう
•安心させなきゃ
でも、
その「ちゃんと」が、
いつも僕を緊張させていました。
ある時、
セッションの帰り道で
一気に疲れが出たことがあります。
「もう、向いてないのかもしれない」
そう思いました。
誰かを救おうとして、
自分がすり減っている。
それって、
おかしくないか?と。
そこから、
少しずつやり方を変えました。
立派な答えを出すのをやめて、
一緒に迷う時間を大事にすることにしたんです。
•分からないときは、分からないと言う
•正解を急がない
•沈黙も、ちゃんと待つ
すると、不思議なことに、
セッションが楽になりました。

10年経って、
はっきり分かったことがあります。
人は、
正しいアドバイスでは救われません。
「この人の前では、無理しなくていい」
そう感じたときに、
少しずつ、自分に戻っていきます。
今も、
「自信満々ですか?」
と言われたら、違います。
怖さは、まだあります!
迷いも、正直あります!
でも、
それを隠さなくなりました。
独立して10年。
続いた理由は、
強かったからでも、
優秀だったからでもありません。
完璧になろうとするのを、
途中でやめたからです。
もし今、あなたが
・自分の仕事に自信が持てない
・続けていいのか、迷っている
・頑張っているのに、報われない
そんな気持ちを抱えているなら、
それは、ダメなサインじゃありません。
ちゃんと向き合っている証です。

最後に。
10年続いたことより、
今日も、誰かの前に座れていること。
それのほうが、
僕にとっては大切です。
これからも、
派手な成功はなくていい。
ただ、
安心して話せる場所を、
静かに守っていけたらと思っています。
年末年始になると、
なぜか心がザワつく人がいます。
贈り物を渡すとき、受け取るとき――
「自分が試されている気がする」からです。
年末年始は、 お歳暮、手土産、帰省の差し入れ、
親戚や身内、友人との贈り物のやり取りが一気に増える季節です。
そんなとき、必ず耳にする言葉があります。
「つまらないものですが…」
日本ならではの、 謙遜と気遣いの文化。
これは本来、とても美しいものです。
相手を立てるための、知恵ある言葉。
でも、ここで大事なことがあります。
それは――
謙遜と、自己否定は、まったく別物だということ。
たとえば、こんな場面を想像してみてください。
あなたが年末、 誰かの顔を思い浮かべながら、
時間をかけてチョコレートケーキを作ったとします。

材料を選び、 失敗しないよう気を配り、
「喜んでくれるかな」と願いながら。
そのケーキを差し出すときに、
「まずいかもしれないけど…」
「失敗作だけど…」
「期待しないでね…」
もし、そんな言葉を添えたら、
食べる前から、空気は少し重くなります。
本当は、こうでいいはずです。
「よかったら食べてください」
「心を込めて作りました」
それが、健全な謙虚さです。
ところが、贈り物だけでなく、
自分自身になると、 人はさらに厳しくなります。
年末年始の集まりで、
こんな気持ちになったことはありませんか。
「私なんて、全然ダメで…」
「大した人間じゃないんですけど…」
恋愛相談でも、
同じです。
「私には魅力がありませんが、好きになってください」

正直に言いますね。
それは、 自信がないのではありません。
自分を下げる癖です。
たとえ自信がなくても、
言い方は、いくらでもあります。
「あなたと仲良くなりたい」
「一緒に楽しい時間を過ごしたい」
それで、
十分です。
わざわざ
「つたない自分をどうぞ」
と差し出す必要はない。
それは、謙虚さではなく、
自分を粗末に扱う習慣だからです。

日本では昔から、
「出る杭は打たれる」
「控えめが美徳」
そんな空気がありました。
でも、その流れの中で、
いつの間にか――
・自分を下げることが当たり前
・自分を肯定するのが怖い
そんな悪循環が生まれてしまった。
その結果、
どんどんみんなが自分に自信をなくしていく。
これは、優しさでも、
思いやりでもありません。
謙遜とは、相手を思う姿勢。
自己否定とは、自分を傷つける癖。
似ているようで、
この二つは、正反対です。
年末年始、 贈り物を手にするとき、
言葉を添えるとき、 どうか思い出してください。
あなたが差し出すものは、
「つまらないもの」なんかじゃない。
不安があってもいい。
自信がなくてもいい。
でも、 自分をけなして渡す必要は、
もうありません。
静かに、堂々と、
「よかったら」と差し出せばいい。
その在り方は、 贈り物だけでなく、
あなた自身の人生も、少しずつ楽にしてくれます。

「スピリチュアルを学んでいるのに、なぜか苦しい」
「前向きな言葉を聞くほど、心が疲れてしまう」
もし今、そんな感覚を抱えているなら。 まず、ひとつだけはっきり伝えたいことがあります。
あなたは、間違っていません!
むしろ、その違和感は、とても健全で、誠実な感覚です。

今日は、少しだけ踏み込んだスピリチュアルの話をします。
賛否が分かれやすく、誤解もされやすいテーマです。
それでも、今の時代だからこそ、曖昧にせず、丁寧に言葉にしたいと思いました。
スピリチュアルという言葉は、すっかり身近になりました。
どれも、否定されるものではありません。
実際、真実も含まれています。
ただ一方で、こんな声が増えているのも事実です。
「癒しを求めているのに、現実がどんどん苦しくなる」
「前向きでいようとするほど、心が置いていかれる」
「どこか、地に足がついていない感じがする」
この感覚は、心の弱さではありません。
むしろ、現実を生きようとしている人ほど、感じやすいサインです。

はっきり言います!
スピリチュアルは、弱っている時に“すがるもの”ではありません。
現実から目をそらすために使うと、 スピリチュアルは、人を癒すどころか、さらに弱らせてしまいます。
本来のスピリチュアルは、 現実から逃がすものではなく、 現実をまっすぐ生きるためのものです。
本物のスピリチュアルは、 耳ざわりのいいことばかりを言いません。
・合わない人間関係からは、距離を取りなさい
・無理して笑わなくていい
・我慢を美徳にしなくていい
・自分の感情を、なかったことにしない
どれも地味で、 どれも勇気が必要で、 そして、とても現実的です。
だから、スピリチュアルは時に優しくありません。
でもそれは、あなたを現実に引き戻し、
「ちゃんと生きる場所」へ連れ帰るためです。

僕自身、難病を経験し、 生と死の境界を何度も行き来しました。
その中で、ひとつだけ、確信したことがあります。
奇跡は、 「信じた人」に起きるのではありません。
現実から目をそらさなかった人に、起きる。
これは精神論ではなく、 現実を生き抜いた実感です。
祈りも、エネルギーも、 見えない世界の話も、
すべては 「今日をどう生きるか」 につながっていなければ、意味がありません。
・自分の体を、ちゃんと大切にしているか
・嫌なことを、我慢し続けていないか
・本音を、置き去りにしていないか
ここを無視したスピリチュアルは、 癒しになるどころか、人を傷つけます。
だから僕は、 「地に足のついたスピリチュアル」しか伝えません。
ふわっと元気になる言葉より、 現実をひとつ変える視点を。
希望を煽るより、 今日を生き抜く力を。
もし今、あなたが
・スピリチュアルは好きだけど、どこか違和感がある
・癒されたいのに、前向きな言葉が重く感じる
・本当の意味で、自分を大切にしたい
そう感じているなら。
あなたの感覚は、とても正しい。
そして、ちゃんと“目が覚めている”証拠です。

最後に。
スピリチュアルとは、 特別な力を手に入れることではありません。
自分の人生から、逃げない勇気を持つこと。
それが、 僕の考えるスピリチュアルです。
2025年12月25日。
クリスマスの朝です。
街は、昨日までと同じはずなのに、
なぜか今日は、少しだけ空気がやわらかい。
イルミネーションも、
音楽も、
人の表情も、
「大丈夫だよ」と言ってくれているような、
そんな朝です。

僕は昔、
自分を成長させるためには、
自分を厳しく追い込むしかないと思っていました。
気づけば、
自分に向かって、いつもダメ出しをしていました。
特に、瞑想に必死になっていた時期があります。
そうすれば、
もっと「できる自分」になれると思っていました。
でも、今振り返ると、
あれは、静けさではなく、
迷走だったと思います。
「成長」という名目で、
自分を責め、
自分を傷つけ、
自分をいじめていたんです。
当時の僕は、
「自分を厳しく扱える人ほど、成長できる」
そう信じていました。
でも、それは違いました。
人は、
傷つけられても、強くはなれない。
安心したとき、
大切にされたとき、
ようやく、前を向ける。
それを、僕は身をもって知りました。

クリスマスって、不思議ですよね。
誰か特別な人がいなくても、
大きな幸せがなくても、
ちゃんと、誰にでも訪れる。
しかも、とても優しい顔で。
もちろん、
クリスマスが苦手な人もいると思います。
さみしさを感じる人も、
過去を思い出す人も、
いろんな想いがあっていい。
でも、それでも。
街に灯るイルミネーションは、
「それでも、希望はあるよ」
そう、そっと教えてくれます。

もし、あなたが今、
自分に厳しくしすぎているなら。
もし、
「もっと頑張らなきゃ」と
自分を追い立てているなら。
せめて、今日だけは。
クリスマスの今日だけは。
自分に、優しくしてあげてください。
それだけで、十分です。
成長は、
痛みの先にあるものではありません。
安心の中で、自然に育つものです。
クリスマスは、
誰かに祝福される日でもあり、
そして何より、
自分を祝福していい日です。
今日から、少しずつでいい。
自分を味方にして、
自分と仲直りしていきましょう。
メリークリスマス🎄
あなたの今日が、
やさしさで満ちますように。
スピリチュアルの世界では、
「使命」という言葉が、よく使われます。
それを聞いて、
希望を感じる人もいれば、
なぜか胸が苦しくなる人もいます。
今日は、
その「苦しくなる側」の人に向けて、
クリスマスイブの朝に、
少しだけ正直な話を書こうと思います。

僕自身、
長い闘病の時代がありました。
これから先の人生が、
まったく見えなくなってしまい、
「この命に、意味はあるのだろうか」
そんな問いばかりが、
頭の中を巡っていました。
特に、クリスマス‼️
街が光に包まれ、
神や奇跡という言葉が、
少しだけ近くに感じられる夜。
そのたびに僕は、
神様に問いかけていました。
「僕の使命は、何ですか」
「この苦しみに、意味はあるんですか」
喜びに満ちた世界の片隅で、
答えを必死に探して、
祈っていたのだと思います。
使命を探して、
しんどくなっていませんか。
そう感じれば感じるほど、
焦りや不安は、
音もなく、大きくなっていきます。
これは、
怠けているからではありません。
むしろ、
とても真面目で、
誠実な人ほど、
陥りやすい状態です。
今だから、
はっきり言えます。
使命は、
探すものではありません。
探そうとすればするほど、
遠ざかっていきます。
なぜなら、使命とは、
特別な役割や肩書きではなく、
生き方の「結果」として、
あとから、浮かび上がるものだからです。
使命を、
「何か大きなこと」
「人の役に立つこと」
「世の中を変えること」
そう思いすぎると、
人は、
今の自分を否定し始めます。
今の仕事じゃ、ダメ。
今の自分は、小さい。
もっと、何かできるはず。
でも、
その否定の上に、
本当の使命は、育ちません。
これまで多くの人を見てきて、
ひとつだけ、
確信していることがあります。
自然に使命を生きている人たちは、
自分の使命について、
ほとんど語りません。
ただ、
目の前の人を大切にして、
今できることを、淡々とやり、
自分に嘘をつかない選択を、
重ねているだけです。
そして、ある日、
周りの人が、
勝手に言い始める。
「あなたのそれが、使命だね」と。
使命とは、
名乗るものでも、
証明するものでもありません。
生き方に、
静かに、
にじみ出るものです。
もし今、
使命を探して、疲れているなら。
自分は、
まだ途中だと、責めているなら。
何も成し遂げていない気がして、
立ち止まっているなら。
このクリスマスイブだけは、
少し、歩みをゆるめてください。
そして、
自分に、問いかけてみてほしいのです。
今日は、
自分に嘘をつかなかったか。
無理を、しすぎていなかったか。
ちゃんと、
今を、生きていたか。
それで、
十分です。
使命は、
見つけた人に、
与えられるものではありません。
今日を、
誠実に生きた人の背中に、
あとから、
そっと、乗ってくるものです。
焦らなくていい。
探さなくていい。
あなたの人生は、
もう、ちゃんと、
動いています。
静かなクリスマスイブの光の中で、
そのことだけ、
思い出してもらえたら、
それで十分です。
少し、正直な話をします。
僕は、
スピリチュアルを信じています。
魂の話も、意味のあることだと思っています。
でも――
ずっと、苦しかった。
なぜなら、
「分かっているはずの自分」が
まったく楽になっていなかったからです。

人からは、よく言われます。
「神社さんは、悟ってますよね」
「もう超えてますよね」
「軸があって、ブレないですよね」
正直に言うと、
そのたびに、心のどこかがザワつきました。
本当は、そんなに強くない。
むしろ、
分かっているからこそ、
余計に自分を縛っていた。

スピリチュアルを学べば学ぶほど、
「こうあるべき」
が増えていきました。
•怒ってはいけない
•執着してはいけない
•ネガティブは手放すべき
•魂的に成長しなければ
でも、現実の僕は、
・嫌な人を前にすると、ちゃんと傷つく
・言いたいことを飲み込んで、後で落ち込む
・「大人なんだから」と自分に言い聞かせる
そのたびに、
分かっているのにできない自分を責めました。
そして、
ある時、
ふと気づいたんです。
ああ、僕は
『スピリチュアルを使って、自分をちゃんと生きることから逃げていたんだな』
って。
魂の話をしている間は、
「今ここ」の痛みに向き合わなくて済む。
前世や使命を語っている間は、
今日の「嫌だ」「怖い」「つらい」を後回しにできる。
それは、とても“賢い逃げ方”でした。

そこから、少しずつ変えました。
立派な答えを出すのをやめて、
まず、自分の弱さを許すことにした。
・怖いものは、怖い
・嫌なものは、嫌
・できない日は、できない
それを認めただけで、
不思議と、心が緩んだんです。
すると、
人生は劇的には変わりませんでした(笑)
奇跡も起きていません。
一瞬で好転もしない。
でも――
確実に、ラクになった!!
•無理な人間関係を、そっと手放せた
•自分を責める時間が、減った
•小さな安心を、ちゃんと感じられるようになった
これが、
僕にとっての本当のスピリチュアルでした!

正しさは、
人を救うこともあります。
でも、
正しさだけでは、
人は自分を許せません。
先に必要なのは、
「弱くてもいい」という許可。
そこから先にしか、
本当の成長は起きない。
もし今、あなたが
・スピリチュアルは好きなのに、なぜか苦しい
・分かっているはずなのに、楽になれない
・ちゃんと生きたいのに、力が入ってしまう
そう感じているなら、
あなたは間違っていません。
ただ、
優しさを自分に向ける順番が
少し、後ろになっているだけ。

最後に。
魂の成長は、
立派になることじゃありません。
弱さを抱えたまま、
今日をちゃんと生きること。
それができた日、
あなたはもう、十分すぎるほど
前に進んでいます。
僕は、つまんない人間です!
こんなことを書くと、
「またまた、何を言ってるんですか」
と言われそうですが、今日は本音です。
僕は、つまんない人間です。
なんでも、そつなくこなす。
大きな失敗もしないけど、
大きな盛り上がりもない。
楽しそうにしているように見えて、
どこか冷静。
一線を越えない。
ちゃんとしている。
周りから見れば、
それは「安心できる人」「信頼できる人」
なのかもしれません。
でも、
自分で生きている感覚としては、かなり生きづらい。

ちゃんとしすぎている。
ちゃんと空気を読む。
ちゃんと期待に応える。
ちゃんと距離を保つ。
その結果、
ちゃんとした人として見られ、
いつの間にか、
自分で自分の首を締めている。
羽目を外せない。
調子に乗れない。
ノリたい気持ちはあるのに、
どこかで必ずブレーキがかかる。
だから、平凡。
平凡が悪いわけじゃない。
でも、彩りがない。
まるで、
音楽を「音」としては聴いているのに、
「楽しむ」ことができていないような感覚。
リズムはわかる。
構成も理解できる。
でも、身体が揺れない。
そんな感じです。
正直に言うと、
感情をそのまま出せる人に、ずっと憧れてきました。
怒れる人。
はしゃげる人。
泣きたいときに泣ける人。
自己表現が自然にできる人を見ると、
「いいな」と思う。
でも同時に、
自分には無理だともわかっています。
なぜなら、
それは努力や勇気の問題ではなく、
人格だから。
真面目ちゃん気質。
冷静さが先に立つ性格。
一歩引いて全体を見る癖。
これは、
変えようとして変えられるものではありません。
だから昔は、
「変われない自分」を責めていました。
もっと面白くなれたら。
もっとノリが良ければ。
もっと人間味があれば。
でも、
どれも無理をしている感じがして、
結局、疲れるだけでした。

最近、ようやく気づいたことがあります。
僕が求めているのは、
「別人になること」ではなく、
「もう少し人間くさく生きること」なんだと。
羽目を外せなくてもいい。
調子に乗れなくてもいい。
派手じゃなくてもいい。
ただ、
「つまんない自分」を
なかったことにしない。
楽しめない自分を、
責めない。
ノリきれないときに、
「またブレーキかけてるな」
と、苦笑いできるくらいでいい。
完璧に変わらなくていい。
でも、
自分にだけは、
少し優しくしてやりたい。
この仕事をしていて思うのは、
「ちゃんとしすぎて生きづらい人」は、
本当に多いということです。
真面目で、
責任感があって、
人を傷つけたくなくて。
だからこそ、
人生の彩りが、
どこか薄くなってしまう。
もし、この記事を読んで
「わかる」と思った人がいたら、
あなたもきっと、同じタイプです。
派手じゃない。
でも、雑じゃない。
騒がしくない。
でも、深い。
それも、
ひとつの人間らしさです。

今日は、
解決策も、前向きなまとめもありません。
ただ、
「つまんない自分を抱えたまま、生きている人間がここにいる」
という事実を書いただけです。
でも、それでいいと思っています。
少しずつ、
人間くさく。
少しずつ、
自分に余白を。
それくらいのペースで、
生きていきたい。
嬉しいことがあったのに、
なぜか素直に喜べなかった。
心のどこかで、ブレーキを踏んでしまった。
そんな経験はありませんか。
本当は嬉しいはずなのに、
「調子に乗らない方がいいかな」
「あとで落ちたら怖いな」
そんな声が、頭の中に浮かぶ。
不思議ですよね。
誰かに怒られたわけでもないのに、
自分で自分を止めてしまう。
でもそれは、
あなたの性格でも、欠点でもありません。
そのクセは、あとから身についたものです。

多くの人は、子どもの頃や、
まだ心が柔らかかった時期に、
こんな言葉を何度も聞いてきました。
「調子に乗るな」
「浮かれすぎ」
「そんなにうまくいくわけがない」
言った側は、
心配していたのかもしれません。
守りたかったのかもしれません。
けれど、受け取った側の心には、
別のメッセージが残ります。
「喜ぶと危ない」
「幸せは長く続かない」
「抑えていた方が安全だ」
こうして人は、
喜びを感じた瞬間に、
無意識でブレーキを踏むようになります。
これは、生き延びるために身につけた
防衛反応です。
だから、簡単には手放せません。
でも、大人になった今、
そのブレーキは本当に必要でしょうか。
喜びを抑えることで、
あなたは安全になれていますか。
それとも、
人生の色が少しずつ薄くなっていませんか。
喜びは、
奪われたものではありません。
壊れたものでもありません。
ただ、
使わないように教えられてきただけです。
だから、取り戻すこともできます。
一気にでなくていい。
少しずつでいい。
嬉しいときに、
「嬉しい」と思ってみる。
それを、すぐに否定しない。
それだけで十分です。
喜びを感じることは、
誰かを裏切ることでも、
罰を受けることでもありません。
あなたが人生に
ちゃんと反応している証拠です。
もし今日、
ほんの小さな嬉しさに気づいたら、
それを抑えずに、
心の中でそっと認めてあげてください。
それは、
これからの人生を
少しずつ生きやすくする、大切な一歩です。

「調子に乗るな」
「後で苦労するぞ」
「そんなにうまくいくはずがない」
子どもの頃から、
あるいは大人になってからも、
こうした言葉を向けられてきた人は、意外と多いのではないでしょうか。
しかもそれは、
悪意のある人からではなく、
親や先生、上司、身近な“心配してくれる人”からだったりします。
だから、心に残ります。

否定された記憶としてではなく、
「自分は浮かれてはいけない」
「幸せを感じるのは危険だ」
そんな感覚として、静かに染み込んでいきます。
うまくいっている時ほど、
なぜかブレーキを踏んでしまう。
嬉しい出来事があっても、
どこかで「このまま喜んで大丈夫かな」と考えてしまう。
カウンセリングをしていると、
そういう人に何度も出会います。
そして多くの場合、
その人はとても真面目で、
周りを気遣い、
「ちゃんと生きよう」としてきた人です。
だからこそ、
この話ははっきりさせておきたいと思っています。
人生で調子がいい時に、
調子に乗らなかったら、
いったいいつ乗るのでしょうか。
「後で苦労するぞ」という言葉は、
一見、現実的で賢明な忠告に聞こえます。
でも実際には、
今の幸せを感じるな
と言っているのと同じです。
未来の不安を理由に、
今の喜びを先取りで奪ってしまう。
それが、本当にその人のためでしょうか。
「神様の罰が当たる」という言葉も、
よく耳にします。
けれど僕は、
それを信仰だとは思っていません。
誰かが幸せそうにしているからといって、
神様が罰を与える。
そんな存在なら、
この世界はとっくに壊れています。
多くの場合、
神様の名前を使って語られるその言葉は、
言った本人の不安や嫉妬、
あるいは「自分と同じ場所にいてほしい」という無意識の願いです。
それを、
あなたが背負う必要はありません。
不幸な人ほど、
人の幸せが怖くなります。
だから、
無意識に足を引っ張る言葉を投げてしまう。
一方で、
本当に幸せな人は違います。
人を褒め、
応援し、
「いいね」と言い、
人が調子に乗ることを喜びます。
その結果、
幸せな人の周りには、
また幸せな人が集まってきます。
これは精神論ではなく、
現実に何度も目にしてきたことです。

日本には、
謙虚や我慢を美徳とする文化があります。
それ自体は、
とても大切なものです。
ただ、それが
「自分を後回しにすること」
「喜びを抑えること」
にすり替わった瞬間、
人は少しずつ苦しくなっていきます。
我慢の先に、
必ず成長があるわけではありません。
多くの場合、
残るのは言葉にできない違和感と、
「なぜかしんどい人生」です。
だから僕は、
大人こそ幸せでいていいと思っています。
子どもに何かを教えるより前に、
自分がどう生きているか。
人生は、
楽しんでいいものだということを、
言葉ではなく、姿で見せる。
それが、
いちばん伝わる教育だと感じています。
不安を植え付けてくる人からは、
離れてもいい。
それは冷たさではなく、
健全さです。
もしあなたが、
本当に幸せになりたいと思うなら、
「誰の言葉を信じるか」を選んでください。
不幸な人の正論より、
幸せな人の一言を。
それを「ダメだ」と言う声よりも、
あなた自身の感覚を、
どうか信じてあげてください。
追伸
ここまで読んでくださったあなたは、
もう十分、自分の人生と向き合っています。
もしこの記事が、
ほんの少しでも
「肩の力を抜いてもいいのかもしれない」
そう思えるきっかけになったなら、
それだけで、この文章には意味があります。
どれだけ気を遣っても、
どれだけ我慢して尽くしても、
嫌われるときは、嫌われます。
だからもし今、誰かとの関係で心がズキッとしたなら、
それはあなたの価値が低いからではありません。
むしろ――
無理をしてきた証拠かもしれません。

カウンセリングをしていると、
一生懸命がんばって生きている女性ほど、
こんな言葉をポツリとこぼされます。
「こんなに気を遣っているのに、どうして分かってもらえないんだろう」
「ここまで我慢しているのに、なぜ嫌われるんだろう」
先日いらした40代の女性も、まさにそうでした。
職場では空気を読み、
家庭では相手を優先し、
友人関係でも「嫌われないように」と自分の本音を飲み込む。
周囲から見れば「いい人」。
でも、本人の心の中は、いつもクタクタでした。
ある日、ふとした一言をきっかけに、
その女性は職場の人から距離を置かれてしまいました。
「私、何か悪いことしましたか?」
そう聞く彼女の目には、ショックと混乱が滲んでいました。
でも、ここで大切なことがあります。
どんなに相手に合わせても、
どんなに自己犠牲をして尽くしても、
嫌われるときは、嫌われます‼️
これは冷たい話ではありません。
むしろ、とても現実的で、救いのある話です。
なぜなら、
それはあなたの価値とは一切関係がないから。
無理に合わせている時点で、
本当はもう、どこかで分かっているはずなんです。
・合わせないと嫌われる気がする
・本音を出したら壊れる関係かもしれない
・自分が我慢すれば丸く収まる
でも、人間関係は一方通行では成り立ちません。
どれだけこちらが好意を持っても、
相手が「しんどい」「無理」と感じたら、それまで。
それは逆も同じです。
だから、無理に好かれようとしなくていい。
機嫌を取ることが悪いわけじゃないけれど、
それよりも、もっと大事なことがあります。
それは――
自分で自分の機嫌を取ること。
これを後回しにすると、
人は必ず、自分を嫌いになります。
「どうせ私なんて」
「私が悪いんだ」
そうやって自信を失っていく。

カウンセリングをしていると、
本当に「いい人すぎる人」が多い。
自己犠牲が癖になっている人ほど、
限界が来たとき、こう言います。
「こんなにやってあげたのに!」
もし自己犠牲をするなら、
“自分がやりたくてやっている”と自覚しておくこと。
それがないと、
いつか必ず、心が爆発します。
だから今日、覚えておいてほしい。
あなたが何よりも先にやるべきことは、
自分で自分の機嫌を取ること。
疲れたら休む
嫌なものは嫌だと感じていい
無理な関係から、少し距離を取っていい
それは、わがままではありません。
自分を大切にするという、
とても大人で、健全な選択です。
頑張りすぎている女性の皆様へ。
あなたは、もう十分やっています。
どうか今日くらい、
誰よりも先に、あなた自身を労ってあげてくださいね。
年末が近づくと、
「特別な出来事があったわけでもないのに、なんだか疲れる」
そんな感覚を抱く方が増えてきます。
仕事が極端に忙しいわけでもない。
大きなトラブルがあるわけでもない。
それでも、心が落ち着かず、頭の中がざわつく。
この状態を、
「自分が弱いから」
「年齢のせい」
「気合が足りない」
そう捉えてしまう方も少なくありません。
ですが、カウンセリングの現場で長くお話を伺ってきて、
はっきり言えることがあります。
年末に疲れている人ほど、たいてい真面目です。
年末になると一気に増えるのです。
LINEが来る。
メールが届く。
SNSを開けば、誰かの近況や感情が流れてくる。
反応する。
考える。
気を遣う。
これを一日中、無意識に繰り返していたら、
心が疲れないほうが不思議です。
だから、年末に整えるべきなのは、
前向きさでも、気合でもありません。
整えるべきなのは、
「反応の数」です。
やることを大幅に減らせなくても構いません。
人付き合いを断れなくても大丈夫です。
ただ、
「すぐ返さなくていい時間」を
意図的につくってみてください。
驚くほど心が静かになります。

「そんなことをしたら、人間関係が悪くなるのでは?」
と心配される方もいますが、
実際には、ほとんど起こりません。
むしろ、
余裕が戻ることで、
言葉が穏やかになり、
関係がラクになることのほうが多いのです。
また、年末になると、
「来年の目標を決めなければ」
「方向性をはっきりさせなければ」
という焦りも生まれやすくなります。
ですが、心が疲れている状態での決断は、
だいたいズレます。
年末は、
無理に決めなくていい時期です。
そうすると、
年明けに自然と答えが浮かんでくることも多い。
人生の良い選択は、
追い込んだ頭より、
緩んだ心から生まれるからです。
今週末(12/20)は、新月と大安、一粒万倍日が重なります。
こうした日を、
「何かが起きる日」と捉える方もいますが、
私は「意識と行動を整えるのに都合のいい日」
くらいに考えています。
派手な願掛けは必要ありません。
何を増やしたいのか。
何を減らしたいのか。
今月できる一番小さな一歩は何か。
それを静かに言葉にするだけで十分です。
未来は、
大きな決意ではなく、
こうした地味で現実的な選択の積み重ねによって、
少しずつ形を変えていきます。
年末は、
頑張るための時期ではなく、
整えるための時期。
もし今、理由のわからない疲れを感じているなら、
それはあなたがダメだからではありません。
真面目に、誠実に、
ここまで生きてきた証拠です。

このような
心を整える視点や、
日常で使える考え方は、
メルマガでもお届けしています。
ブログよりも少し近い距離で、
その時々の心の状態に合わせた
「手紙」のような内容を、
毎週水曜日にお送りしています。
よろしければ、
生活の合間に受け取ってみてください。
📩 メルマガ『神社の手紙』(毎週水曜配信)
https://kanja.info/webform_13.html「その人、悪い人じゃないんです。
むしろ、正しいことばかり言うし、理屈も合ってる。
……でも、どうしても無理なんです。」
カウンセリングの現場で、何度この言葉を聞いてきたかわかりません。

今日も、やっぱり人間関係の話題です。
というのも、カウンセリングの半分以上は、人間関係の悩みだから。
夫婦、親子、職場、友人、仲間、親族。
生きていく以上、人と関わらずに暮らすことはできません。
だからこそ、悩みも生まれる。
そして、特に多いのが、これ。
「良い人なのに、好きじゃない」
「正しいことを言われてるのに、ムカつく」
「嫌いってほどじゃない。でも、合わない」
この感覚、あなたにも覚えがありませんか?

ある日、こんな相談がありました。
相手は、とても真面目で、仕事もできて、誰からも信頼されている人。
アドバイスも的確で、言っていることは全部正論。
でも、その人と話すたびに、
胸の奥がギュッと苦しくなって、
家に帰ると、どっと疲れてしまう。
「私の心が狭いんでしょうか?」
そう言って、その方は自分を責めていました。
でも、僕はこう伝えました。
「合わないものは、合わないんです」と。
どんなに素敵で、立派で、正しい人でも、
合わない相手は、合わない!
これは、人格の問題ではありません。
相性の問題です!
たとえば、
どんなに栄養価が高くて、体に良い食材でも、
アレルギーの人が食べた瞬間、蕁麻疹(じんましん)が出ることがありますよね。
それと、同じ。
相手が悪いわけでもない。
自分が弱いわけでもない。
ただ、体質が合わないだけ。
だからまずやってほしいのは、
「合わない」と感じている自分を、ちゃんと認めること。
そして、相手を嫌いな自分を、責めないこと。
そのうえで、
それでも関係を壊さないように、
それでも大人として向き合おうとしている自分を、
ぜひ、ほめてあげてください。
本当は、離れられるなら、離れた方がいい。
それが一番、健全です!
でも、現実はそうもいかないことの方が多いですよね。
職場だったり、
家族だったり、
簡単に距離を切れない関係も、
たくさんあります。
そんな時のポイントは、
とてもシンプルです。
✔ 受け流す
✔ 聞き流す
✔ テキトーにする
そして、いちいち反応しない。
ここで大事なのは、
「合わせよう」としないこと。
「わかってもらおう」としないこと。
「わからせよう」としないこと。
そもそも、合わないのですから。
わかり合おうとすればするほど、
苦しくなるだけです。
だから、
「わかりました」
それだけ言って、
心の距離と、物理的な接触を、最優先で減らす。
冷たくなる必要はありません。
戦う必要もありません。
自分を守るために、距離を取る。
それは、逃げではなく、知恵です。

どんなに素敵で、正しくて、尊敬できる人でも、
合わないものは、合わない。
それを
認めて、
受け入れて、
ゆるして、
愛する。
そうすると、不思議なほど、
人間関係の流れは、確実に変わり始めます。
無理をやめた瞬間から、
人生は、ちゃんと、あなたに優しくなります。
今日も、よく頑張っていますよ。
真面目に生きてきた。
それなりに、いや、かなり。
空気を読み、
ルールを守り、
調子に乗らず、
「ちゃんとした大人」でいようとしてきた。
それなのに、ふと立ち止まると、
人生が、どこか楽しくない。
周りを見ると、
軽やかに生きている人のほうが、
なぜか、うまくいっているように見える。
あれは、いったい、なぜなのだろう。

僕自身、長い間、
「真面目であること」は、
必ず報われるものだと信じてきた。
だから、手を抜かず、
妥協せず、
人の期待に応え続けてきた。
けれど、現実は違った。
評価されるのは、
必ずしも一番努力している人ではない。
むしろ、
余裕がありそうな人、
楽しそうな人のほうが、
人生を前に進めているように見えた。
その違いが、ずっとわからなかった。
だから、さらに頑張った。
もっと正しく、もっと真面目に。
結果、どうなったか。
心は固くなり、
他人の成功を素直に喜べなくなった。
最初は
「いつか失敗するはず」
だった感情が、
やがて
「失敗してほしい」
に変わっていく。
そんな自分に、
静かに失望していった。

転機は、
「正しさ」そのものを疑ったときだった。
真面目であることは、
本当に、美徳なのか。
正しく生きることは、
本当に、幸せにつながるのか。
気づいたのは、
正しさを握りしめるほど、
人は、他人を裁き、
同時に、自分も裁いてしまうということだった。
そこから、少しずつ、
生き方を変えていった。
人を呪うより、
人を祝う。
うまくいっている人を見たら、
理由を探すより、
「よかったね」と言ってみる。
すると、不思議なことに、
心が、少しずつ、ほどけていった。

「呪う」と「祝う」。
たった一字、部首が違うだけ。
でも、その違いは、
人生の質を、まるごと変えてしまう。
実際、
心が緩んだことで、
体調も整い、
長く抱えていた病も、回復していった。
もし今、
人生がどこか苦しいと感じているなら。
それは、あなたが
「ちゃんと生きてきた証」かもしれない。
ただ、その頑張り方を、
少しだけ、変えてもいい時期なのだと思う。
人生は、修行ではない。
耐え抜くことが、正解ではない。
喜びや楽しさを、
後回しにしなくていい。
真面目に生きてきたあなたは、
もう、十分すぎるほど、頑張った。
これからは、
幸せであることに、許可を出していい。運動が、続かない。
これはもう、長年の事実で、
言い訳のしようもなく、
僕の中では「唯一の悩み」と言ってもいいかもしれません。

ジムには、何度も通いました。
やる気も、決意も、その都度ちゃんとありました。
でも、続いて半年。
長くて一年。
一年以上、続いたことがありません。
なんでだろう?
ブログは20年以上続いているし、
仕事で決めたことは、わりときっちりやるタイプです。
投げ出すことも、途中で逃げることも、基本は嫌いです。
なのに、
運動だけは、どうしても無理。
理由は、実はとてもシンプルで、
身も蓋もありません。
――そもそも、運動が好きじゃない。
そして今月、
やっぱり、また、ジムを退会しました。
いつもの流れです。
「なんで続かないんだろう」
「意志が弱いのかな」
「また同じことを繰り返してる」
頭の中で、
自分を責める声が、いつもなら鳴り始めます。
たぶん、
これからも、
また入会して、
また続かなくて、
また退会する。
その繰り返しなんだと思います。

でも、今回は、
ひとつだけ、はっきりと違うことがありました。
それは――
自分を責める回数が、明らかに減っていたこと。
代わりに、
こんな言葉が、自然と浮かんできたんです。
「それでも、頑張ろうとしてるよね」
「ちゃんと、やろうとしてたよね」
「よくやってると思うよ」
続かなかった事実は、変わらないのに。
結果は、いつも通りなのに。
それでも、
自分を応援する声が、ちゃんと残っていました。
たぶん、次も続かないかもしれません。
正直に言えば、その可能性の方が高い。
でも、また、やると思います。
それは、
「やらなきゃ」じゃなく、
「やりたい」と思う自分が、確かにいるから。
だからもう、
続かなかった自分を責めるのは、やめようと思いました。
誰かに怒られたわけでもない。
誰かに迷惑をかけたわけでもない。
あるのは、
「やろうとした自分」と、
「続けられなかった結果」だけ。
だったら、
結果よりも、
やろうとした自分を、ちゃんと認めてあげたい。
退会の手続きをしながら、
ふと、そんなことを思いました。
「自分に優しくありたい」
それは、逃げでも、甘えでもなく、
ちゃんと前に進むための、大切な姿勢なんだと。
続けられない自分も、
何度も挑戦する自分も、
どちらも、今の自分。
だったら、
せめて、自分だけは、
自分の味方でいようと思います。
今日も、
ここまで、よくやってるよ。
カウンセリングをしていると、ときどき、こんなご相談を受けます。
というか、この時期、特に「この相談」が多くなります。
「いただいたプレゼントが、どうしても使えないんです」
「せっかく贈ってもらったのに、要らないんです」
「義母から送られてくる食物は、苦手なんです」
せっかく贈ってもらった申し訳なさと、見るたびに気が重くなる、そんな、お話です。

多くの場合、問題はモノそのものではなく、
「いただいたものは大切にしなければならない」
「相手の気持ちを裏切ってはいけない」
という思い込みです。
これは、日本人には馴染み深い感覚だと思います。
プレゼントはもちろん、お歳暮やお中元、引き出物の多くは、相手が善意で選んだものです。
だから、受け取るときには、きちんと感謝を伝える。
それは大切にしたい礼儀です!
でも、そのあと、そのモノをどう扱うかまで、罪悪感で縛られる必要はありません。
お歳暮にしても、
クリスマスプレゼントにしても、
義母や親戚からの贈り物にしても、
“こちらの好み”を丁寧に聞いたうえで贈られるケースはほとんどありません。
だから当然、
「これ…要らないな」
「正直、使わない…」
というモノも届きます。
そんな時は、気持ちよく“お福分け”してもいいし、誰にも行き先がなければ、そっと手放してもいい。
罪悪感は、一切不要です!
心が重くなるなら、手放す選択があってもいいのです!
そのモノを“どう扱うか”は、あなたが決めていい。
相手がこちらの好みを無視して贈ってきたのだから、あなたはあなたの好みで処理していい。
ここに矛盾はありません。
むしろ当然の権利です。
これは、相手を軽んじているわけではなく、自分をすり減らさないための判断です。

相手の期待に応え続ける生き方は、見た目よりずっと消耗します。
プレゼント一つでも「ちゃんとしなきゃ」と抱え込む人は、言葉や感情、人間関係でも同じことをしがちです。
そうやって、気づかないうちに疲れていく、、、
人生を少し楽にするコツがあるとすれば、「相手の期待」と「自分の責任」を分けて考えることかもしれません。
相手の気持ちに敬意を払うことと、自分の心まで差し出すことは、同じではありません。
これは、『言葉』についても同じです。
誰かの言葉が重たすぎるとき、無理に受け取らなくてもいいし、心に置かないという選択もあります。
その代わり、自分が何を大切にしたいのかは、少しずつ言葉にしていけばいい。
プレゼントも、
言葉も、
人間関係も、
あなたを苦しめるためにあるものではありません!
うまく扱えないときがあっても、それは失敗ではないと思います。
せめて今日くらい、自分を消耗させすぎない選び方を、どこかで思い出してもらえたら嬉しいです。

昨日オンエアされた、安達 充さんのラジオ番組に出演した回が、
ついに前半・後半に分けてアーカイブ公開されました。
人生の“節目”を静かに振り返るような、
不思議と心が整う時間です。

2025年12月11日にオンエアされた
ソングレターアーティスト・安達 充さんのラジオ番組。
収録当日、スタジオに流れていたのは、
「音に乗せて、人の物語を大切に運んでいく」という
安達さんらしい、凛としてあたたかい空気でした。
そんな空気に包まれながら、
僕自身の原点を、静かに語らせていただきました。
前半:名前の由来、生い立ち、そして“氏名に宿る使命”
まず前半のコーナーでは、
「神社昌弘」という名前の由来、
京都・大江山麓にルーツを持つ家の話、
父を亡くした10代の日々、
そして、クローン病を発症しながら学んだ“いのちの姿勢”について。
さらに、
“名前から読み解く使命”
という視点についてもお話ししていただいています。
自分の名前には、自分が生きる道筋が、
そっと手紙のように折りたたまれて入っている──
そんなお話を、安達さんが丁寧に引き出してくださいました。
📻 前半はこちら
後半:カウンセラーとしての仕事と、フォトエッセイ朗読
後半では、僕のカウンセラーという仕事について。
目の前の一人と、どう向き合ってきたのか。
どんな思いで、この仕事を続けてきたのか。
そして番組の後半、
安達さんのピアノに寄り添うように、
僕のフォトエッセイ集『わたしを生きる』の一部を朗読させてもらいました。
音楽と言葉が交差する、不思議な時間でした。
「聴く人の心が、ふっと緩むように」
と願いながら読ませていただきました。
📻 後半はこちら
ラジオは“その人の呼吸”が映る場所
テレビとも文章とも違って、
ラジオは“その人の呼吸”がそのまま響きます。
だからこそ、
今回のアーカイブは、
僕自身の軌跡と、今の想いが
静かに、まっすぐに伝わる内容になっていると思います。
人生のどこかでふっと立ち止まりたい時、
どうぞ前半・後半あわせて聴いていただけたら嬉しいです。
安達さん、スタッフの皆さま、
そして日頃からブログを読んでくださる皆さまのおかげで、
こうして声を届けられていることに、心から感謝しています。
あなたの今日が、少しでもあたたかく、
少しでも軽やかになりますように。
“自分らしく生きたい”——その願いは尊いのに、
やり方を誤ると、ただの“わがまま”に転落してしまうことがあります。
その境目にあるのは、たったひとつの問い。
「そこに愛はあるか?」

「本音で生きるんです」
「私は私で行きます」
この言葉、勢いがあって気持ちはよくわかります。
ただ、それによって周りが疲れてしまっているなら、
それは“自分らしさ”と呼ぶには少し乱暴です。
本当は「〜べき」という言葉を使いたくありません。
でも、
人間関係の基本だけは、
あえて“べき”と呼んでいいと、
僕は思っています。
長年カウンセリングをしてきて、
ここを外すと、必ずどこかに亀裂が入るからです。
言い方ひとつで、人の心は開いたり閉じたりします。
「嫌い」
「無理」
「ありえない」
「太りすぎ」
「ダサい」
「臭い」
たとえ、それが本音であっても、
これは本音ではなく、ただの暴力。
本音でぶつかるより、
思いやりで触れる方が、
遥かに強く、深く伝わるものです。
京都では昔から、
「親しき仲にも礼儀ありどすえ:笑」
と言われてきたように、
尊敬と尊重は、関係を長続きさせるための土台です。
もしあなたが最近、
誰かに雑に扱われていると感じるなら、
まずは自分自身をどれくらい丁寧に扱っているか、
そっと確かめてみてください。
そしてもし、
あなたが無意識に相手を雑に扱ってしまっているなら、
いつか必ずしっぺ返しが来ます。
これは精神論ではなく、自然の摂理です。
愛を欠いた言動は、必ず自分に戻ってきます。
だからこそ、
自分の言葉や態度を選ぶとき、
たったひとつの基準で十分なのです。
「この行動に、愛はあるだろうか?」
愛があるなら続ければいい。
愛がない相手なら、静かに距離を置けばいい。
戦う必要も、我慢する必要もありません。
距離は立派な選択です。
自分らしく生きるということは、
自分勝手に生きることではない。
自分の軸を持ちながら、
相手の人生も尊重する。
その姿勢こそが、
人間関係を豊かにし、
自分の人生も美しく整えていきます。
どうか今日も、
あなたの選ぶ言葉と行動に、
やわらかな愛がありますように!

先日、久しぶりに強い怒りを感じる出来事がありました。
滅多に怒らない僕ですが、
今回は思わず声を荒げてしまったほどです。

大切な友人たちとの会食の席で、
ひとりの友人が周囲への敬意を欠く態度をとり、
そのまま見過ごすことができず叱ったところ、
まさかの“逆ギレ”が返ってきました。
その瞬間、場の空気が一変し、
友人は涙を流すほど追い詰められてしまいました。
間違っているのは相手であり、
僕が叱る理由も筋が通っています。
しかし、あとから胸の奥が重くなり、
「やりすぎたな」
と反省したのも事実です。
正論は正しい。しかし、それだけでは関係は守れない
今回、強く感じたことがあります。
正論は、相手を守る盾にも、突き刺す刃にもなる。
僕には“正しいことで追い詰めてしまう癖”があります。
それは悪気ではなく、
「誠実でありたい」という思いの表れでもありますが、
相手にとっては逃げ場のない言葉になってしまうことがある。
気づかぬうちに、
「頑張っている自分が正しい」
「反対側は間違っている」
という二元論に寄っていたのかもしれません。
正しさに寄りすぎると、人は余裕を失います。
叱るには、正しさ以上に“余白”が必要
叱る場面こそ、
心に遊びとゆるみが必要だと、あらためて感じました。
余白を持てば、言葉は柔らかくなる。
相手を責めず、関係を守ったまま伝えることができる。
僕自身、最近は少し“きっちり”しすぎていたのかもしれません。
ゆとりがあれば、あの場面でも違う伝え方ができたはずです。
大人になっても「ごめんなさい」を言えるかどうか
友人も謝ってくれました。
そして僕も素直に「ごめん」と伝えました。
翌日にはしっかり仲直りすることができました。
大人になるほど、「謝る」という行為は難しくなります。
しかし、関係性を整えるうえで、
「ごめんなさい」ほど強く、あたたかい言葉はありません。
人間関係は、完璧である必要はありません。
大切なのは、ぶつかったあとにどう向き合うか。
修復と理解の積み重ねこそが、信頼を育てるのだと思います。
ぶつかり合いは、関係が深まる前触れでもある
今回の出来事は、
僕自身が「正しさに寄りすぎていなかったか」と振り返る大きなきっかけになりました。
叱る側にも、叱られる側にも、
やわらかい反省と、少しの余裕。
それがあれば、人間関係は壊れないどころか、より深まっていきます。
大喧嘩の夜は、僕にとって
“正しさと優しさのバランス”を学び直す貴重な時間でした。
これからも、
正しさよりも「温度」を、
言葉よりも「余白」を大切に、
人と向き合っていきたいと思います。
帰りたくないのに帰る必要はありません。
義務でもなければ、修行でもない。
“気が重い場所”は、実家とは呼びません。

日本では、
特に地方に行けば、
「盆と正月は家族で過ごすもの」
という“伝統のかたち”があります。
もちろん、伝統は大事です。
家族への感謝も、その気持ちは尊いものです。
けれど——
“気持ちを奮い立たせて帰らないといけない場所”は、もはや実家ではなく、ただの“表向きの場”です。

本来、帰省とは、本来「会いたいから帰る」ものです。
にもかかわらず
・文句を言われる
・過干渉される
・比較される
・自分の人生に口出しされる
・愚痴や否定が続く
そんな空気が流れているのなら、
それは、あなたが悪いのではありません。
“帰ってくる人を歓迎できる魅力”を家の側が失っているだけ。
推しや憧れの人には会いたくなるように、
会いたいと思わせる“雰囲気”は、家にも必要なんです。

「帰ってきなさい」
「行かなかったら薄情だ」
「家族なんだから」
こういう“言葉の圧”で動く帰省は、持続しません。
人は、義務や罪悪感では動けない。
まして大人になれば、自分の生活・心・体力の優先順位が変わります。
だから、帰りたくなければ、帰らなくていい。
ただし、嫌われる勇気を持つことが肝心で、相手を否定してはいけません!
ここが大事です。
帰省を断る時は
「否定もしない・愚痴も言わない」
これが最強です。
・「ただ合わないだけ」
・「今の私には必要がないだけ」
それだけで十分。
愚痴を言う人は、どこに行っても愚痴を言います。
あなたが何をしても言います。
だから、びくびくする必要はありません。

以前のブログでも書きましたが、
「家族だから仲良くしなければ」
これは幻想です。
仲良くしようと努力している時点で、
もう相性は悪いんです。
そして、
『自分の言う通りなら“良い子”、
言う通りにならなければ“悪い子”』
そんな基準であなたを見ている人に、
あなたの本音を理解する心は、残念ながらありません。
しきたりも歴史も、もちろん大事ですが、もし、20年も30年も続けてきたのなら、
今年ぐらい、休んでは、いかがですか?
一度ぐらい、いいじゃないですか。
それで崩れる関係なら、もともと本物じゃない。
本物の家族はね、
“あなたが元気でさえいればいい”
それだけなんです。

自分の心に従うことは、
わがままでも不義理でもありません。
「帰りたくない」
その気持ちを否定しないでください。
その本音こそが、
あなたが自分を大切にするための“羅針盤”です。
今年は、あなたが心から安らげる場所で
年末年始を過ごしてほしいです。
あなたは、それでいい。
それが、いい。
親でも、職場でも、ムリなものはムリ。
あなたの人生は、もう“人間関係の修行”じゃない。

こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
今日のテーマは、少しパンチを効かせています。
でも、必要な人には“心の救急箱”になります。
どうか最後まで読んでください。
「仲良くしないといけない」という呪い
家族だから。
同じ職場だから。
昔からの友人だから。
――だから仲良くしなきゃいけない。
その“昭和の呪い”、そろそろ外しませんか?
相性が悪いものは、どうあがいても悪い。
血が繋がっていても、毎日顔を合わせても、合わないものは合わない。
それは、人間として“普通”です。
異常なのは、無理矢理合わせようとする方。
家族も職場も、仲良しごっこをする場所じゃない
本来、家族とは
「お互いの違いを認めて、尊重し合う場所」
職場とは
「それぞれの特性を活かして、社会に貢献する場所」
…なのに、現実はどうでしょう?
・上から押さえつける
・決めつける
・縛りつける
・“いい子”を要求する
これ、まだ続けますか?
この構造のままでは、不満と我慢が積み重なって、いずれ心も体も壊れます。
爆発できる人はまだいい。
爆発すらできない人は――
死んでからも浮遊霊みたいに彷徨い続けます。
(※これは占いではなく、人の氣の話です。)

子どもは、親の期待を叶えるために生まれてきたわけじゃない
これは、僕が20年以上カウンセリングして、3万件以上の相談を聞いたからこそ言い切れます。
子どもは「親の期待を満たす存在」ではない。
あなたも誰かの期待を生きる存在ではない。
人はみんな、“自分の魂の道”を歩くために生まれてきている。
だから、
「なんでわかってくれないの!?」
と怒る必要はありません。
聴く。
ただひたすら聴く。
聴くことは、愛。
京都の言い方なら、
“聴く=聴(ゆる)す”こと。
(事実「ゆるす」と読みます)
つまり、
相手を許すことです。
反応しない力が、あなたを守る
なにか言われても、
「わかりました」
で終わりでいい。
戦わない。
反論しない。
いちいち受け取らない。
あなたの人生は、誰かの言葉に消耗するためのものではありません。

“わかりあえない”ことを前提にすると、人生が軽くなる
大切なことなので、はっきり書きます。
人は、わかりあえない!!!
どれだけ血縁でも、
どれだけ長く一緒にいても、
どれだけ職場で顔を合わせても。
こちらが歩み寄りたくても、
相手がわかりあいたくないと思えば、
その瞬間、ゲームオーバーです。
人間関係は“2人プレイ”。
片方だけ頑張っても成り立ちません。
わかりあえないから「わかり合いたい」と思うことが愛なのです!
あなたのその優しさを、もう削らないで
あなたの大切な時間を、
もう、無謀な期待や、“変わらない人”のために使わないでください。
あなたの優しさを、
関係が壊れるほど消耗させないでください。
あなたが責められる必要も、
頑張りすぎる必要も、
“いい人”を演じ続ける必要もありません。
人生は長いようで短い。
心は強いようで繊細!
あなた自身を守るために、離れていい。
逃げていい。
スルーしていい。
それは“逃げ”ではなく、“選択”です。
最後に(神社から)
人間関係は“全勝”なんてありえません。
勝つ必要もないし、
そもそも戦う必要もない!
あなたが心を許せる人とだけ、
おだやかに、誠実に、深くつながればいい。
その他は、
ニコニコして、
適度に距離をとりながら、
軽く流しておけばいい。
あなたの心は、あなたが守ってください。
それが、幸せへの一番の近道です。

変わりたい。
でも変われない。
あなたは、この堂々巡りに、もう飽き飽きしていませんか?

実は――
人が変われない最大の理由は
「性格」ではなく、
「怖さ」です。
脳科学の研究では、人は変化を「危険」と判断すると“防御回路”が働き、現状維持を強烈に選ぶようにできています。
そして、悩んでいる多くの人が抱えている共通点はこれです。
・ひとりになるのが怖い
・嫌われたくない
・波風を立てたくない
・だから、本音を押し殺してしまう
つまり、
「変われない」のではなく、
「守っている」んです。
ずっと自分の身を、必死で守ってきた優しいあなたの歴史がある。
ただし――
その“優しさ”が、今のあなたを苦しめている。
ここが、人生の痛いところです。

人が変われるタイミングは、いつもたった一つ。
「私は、たとえひとりになっても、私の味方でいる」
と腹が決まった瞬間だけです。
この覚悟ができると、細胞レベルで目が覚める。
(精神医学でも、自尊心が回復する時は“味方の確立”が起点と言われています。)
逆に、
どれだけ人に囲まれていようが、
どれだけ誰かに愛されていようが、
自分が自分の味方でなければ、孤独は永遠に消えません。
そして、この“孤独”こそが、
あなたの生きづらさの正体です。
よく誤解されますが、
自分を愛するとは、
「可愛いところだけを好きになる」
ことではありません。
本当は、
・わがままな自分
・嫉妬深い自分
・卑屈な自分
・ズルい自分
・最低やな…
と思う“裏の自分”まで含めて、
「それでも、生きてきたね」
と抱きしめること。
心理学でも、
人が変わる起点は “自己受容(セルフアクセプタンス)”と明確に証明されています。

あなたが変われないのは、
能力が低いからでも、
意思が弱いからでもない。
ただ、自分をまだ許していないだけです。
あなたは、
“優しい”のではなく、
“自分を後回しにしてきた”だけです。
それは、悪ではない。
むしろ、あなたの美しさです。
でも――
もう十分でしょう。
「ごめん、私。ずっと後回しにしてきて」
「もうこれからは、私があなたの味方になる」
この一言で人生が変わるきっかけをつくれます。
あなたは今、すでに“変わり始めている”
だって、この記事を読んでいる。
ここまで読んだということは、
あなたの魂がすでにこう叫んでいるからです。
「私は、私を生きたい」
その声を、スルーしないでください。
今すぐ
「私は、私を生きる」
そう宣言しよう!!!
そして、
あなたを全肯定してくれる人を、探しに行ってください。
ダメ出しばかりする人、
制限ばかりする人は、
ただ無難に生きているだけ。
あなたの人生の速度に、
ついてこれない人です。
もう、その人の人生からあなたを解放していい。
変われるタイミングは、今しかない!
人は、変化を決断した“その瞬間”から、未来が書き換わります。
「また今度」
「タイミングが来たら」
と言って変われた人を、僕は一度も見たことがありません。
変わるのは、“今”と腹を括った人だけ。
あなたならできます。
あなたはここまで、生き抜いてきた人です。
自信を持って、誇ってください。
あなたの人生は、今日から本気で動き出す。
必要な方にどうか届きますように。
そして何より――
あなたが、あなたを好きでいられる人生へ。
