スピリチュアルの世界では、
「使命」という言葉が、よく使われます。
それを聞いて、
希望を感じる人もいれば、
なぜか胸が苦しくなる人もいます。
今日は、
その「苦しくなる側」の人に向けて、
クリスマスイブの朝に、
少しだけ正直な話を書こうと思います。

僕自身、
長い闘病の時代がありました。
これから先の人生が、
まったく見えなくなってしまい、
「この命に、意味はあるのだろうか」
そんな問いばかりが、
頭の中を巡っていました。
特に、クリスマス‼️
街が光に包まれ、
神や奇跡という言葉が、
少しだけ近くに感じられる夜。
そのたびに僕は、
神様に問いかけていました。
「僕の使命は、何ですか」
「この苦しみに、意味はあるんですか」
喜びに満ちた世界の片隅で、
答えを必死に探して、
祈っていたのだと思います。
使命を探して、
しんどくなっていませんか。
そう感じれば感じるほど、
焦りや不安は、
音もなく、大きくなっていきます。
これは、
怠けているからではありません。
むしろ、
とても真面目で、
誠実な人ほど、
陥りやすい状態です。
今だから、
はっきり言えます。
使命は、
探すものではありません。
探そうとすればするほど、
遠ざかっていきます。
なぜなら、使命とは、
特別な役割や肩書きではなく、
生き方の「結果」として、
あとから、浮かび上がるものだからです。
使命を、
「何か大きなこと」
「人の役に立つこと」
「世の中を変えること」
そう思いすぎると、
人は、
今の自分を否定し始めます。
今の仕事じゃ、ダメ。
今の自分は、小さい。
もっと、何かできるはず。
でも、
その否定の上に、
本当の使命は、育ちません。
これまで多くの人を見てきて、
ひとつだけ、
確信していることがあります。
自然に使命を生きている人たちは、
自分の使命について、
ほとんど語りません。
ただ、
目の前の人を大切にして、
今できることを、淡々とやり、
自分に嘘をつかない選択を、
重ねているだけです。
そして、ある日、
周りの人が、
勝手に言い始める。
「あなたのそれが、使命だね」と。
使命とは、
名乗るものでも、
証明するものでもありません。
生き方に、
静かに、
にじみ出るものです。
もし今、
使命を探して、疲れているなら。
自分は、
まだ途中だと、責めているなら。
何も成し遂げていない気がして、
立ち止まっているなら。
このクリスマスイブだけは、
少し、歩みをゆるめてください。
そして、
自分に、問いかけてみてほしいのです。
今日は、
自分に嘘をつかなかったか。
無理を、しすぎていなかったか。
ちゃんと、
今を、生きていたか。
それで、
十分です。
使命は、
見つけた人に、
与えられるものではありません。
今日を、
誠実に生きた人の背中に、
あとから、
そっと、乗ってくるものです。
焦らなくていい。
探さなくていい。
あなたの人生は、
もう、ちゃんと、
動いています。
静かなクリスマスイブの光の中で、
そのことだけ、
思い出してもらえたら、
それで十分です。