「この数珠、つけたほうがいいですか?」
そう聞かれた瞬間、僕は即答しました。
「要りません。」

先日、ある女性から数珠を勧められていると相談を受けました。
けれどその方は、すでに首元に美しいダイヤモンドを輝かせていた。
その瞬間、答えは決まっていました。
僕は、数珠を否定しているわけではありません。
お守りとして、一時的に活用するのは大いに結構。
でも――
「これがないと不安」
「霊能者に言われたから」
「みんなが持っているから」
この動機で身につけるなら、話は別です。
それは信仰ではない。
安心を餌にした依存です。
宝石には、希少価値がある。
採掘する人、
研磨する人、
設計する人。
多くの人の手を経て、大切に作られている。
だから、強い。
一方で数珠は、念がこもる。
祈りも、
執着も、
不安も。
持つ人の「怖れ」が染み込みやすい。
そして、長く身につけると、縛られる。
カバンに神社のお守りを何年もぶら下げているようなもの。
正直に言えば、ファッションとしても重い。
王族や貴族、富裕層の人たちが 日常で数珠をぶら下げていますか?
彼らは輝きを身につける。 テンションが上がるものを選ぶ。
なぜか。
不安を避けるためではなく、自分の価値を祝福するために。
願い事があるなら、数珠をつけてもいい。
でも、ただ「なんとなく不安」ならやめなさい。
その不安こそが、余計なものを引き寄せる。
「これがないと守られない」
そう思った瞬間に、あなたは弱い側に立つ。
僕は、迷える子羊を増やしたくない。
SNSやメディアは、恐怖を煽る。
不安を作り、商品を売る。
でも本来、あなたはすでに光っている。
宝石でなくていい。
高価でなくていい。
キラキラして、 見た瞬間に気分が上がるもの。
それで十分。
「しなければいけない」ではなく、
「好きだからつける」が、本当の開運。
誰かに確認した時点で、 もう答えは外にある。
もっと素直に。
もっとシンプルに。
もっと直感的に。
楽しくジュエリーを身につけよう。
あなたは、守られる存在ではない。
輝く存在だ。