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  1. お布施ブログ
 

お布施ブログ

神社昌弘のお布施ブログです。

実体験から得た「生きる知恵」を、皆様の日常に役立てていただきたいという願いを込めて書いています。


最新のコラムは、こちらにも書いています。
2026/01/31

高校に入って、

人生で初めて、校則違反をした。


パーマをかけた。


理由は単純だった。

悪をしてみたかった。


ずっと優等生だった。

先生の言うことを聞き、

波風を立てず、

「いい子」でいる人格。


それが、どうしても息苦しかった。




「僕は、そんな人間じゃない」

「ワルだと思われたい」

「ちゃんと反抗できる人間でいたい」


そう思って、

殻を破るつもりで、パーマをかけた。


ところが――

なぜか、僕だけ免除された。


呼び出しもなし。

注意もなし。

怒られもしない。


「神社は優等生だから」


その一言で、

すべてがなかったことになった。


反抗したかったのに。

壊したかったのに。

それすら、許されなかった。


その頃から、

「神社(かんじゃ)」という名前が、重荷になった。


まるで、

神の使いのような名前。


・間違えてはいけない

・道を外してはいけない

・見本でいなければならない


――そんな無言の圧力。


正直、

もう、うんざりだった。


そして、

家では激しく反抗した。


父に対して。


無視して、

暴言を吐いて、

否定して、

ののしって。


今思えば、

かなり酷かったと思う。


そんなある日、

父は、目の前で亡くなった。


言葉は、もう届かなかった。


後悔と、罪悪感。

何年経っても、消えなかった。


そんなある時、

母から、こんな話を聞いた。


「お父さんね、

 あなたのこと、誇りに思ってたよ」


父も、

ずっと優等生だったらしい。


親の言うことを真面目に聞き、

反抗できずに生きてきた人だった。


だから――

自分ができなかったことを

息子がやっている姿を見て、

嬉しかったんだと。


それを聞いた瞬間、

涙が止まらなかった。


反抗は、

愛の裏返しだったのかもしれない。


不器用だったけれど、

ちゃんと、つながっていたんだと思えた。


完璧じゃなくていい。

優等生じゃなくていい。


間違えても、

遠回りしても、

人はちゃんと、誰かの人生に

意味を残している。


そう、今は思える。




2026/01/30

山手線で、目黒に向かう途中のことでした。


新宿から、ベビーカーを押した

ひとりの若い女性が乗ってきました。




赤ちゃんは、わーわーと泣き叫んでいます。


それにつられるように、車内の空気が少しずつ張りつめていく。


お母さんは、必死にあやしながら、

周りに何度も頭を下げていました。


「すみません…すみません…」


ひとりのおばさんが、

やさしい声でこう言いました。


「大丈夫よ」


その一言に、少し救われた空気。


でも、車内の奥のほうでは、

理由のわからないピリピリした視線が、確かにありました。




その光景を見て、

ふと、甥のことを思い出しました。


僕の甥は、自閉症です。


幼い頃は特に、癇癪がひどく、

突然わめき、泣き叫び、

噛みついたり、自分を傷つけてしまうこともありました。


周囲に迷惑をかけないように、

できる限り公共交通機関は避け、

車やタクシーで移動していました。


それでも、

通院のために電車を使わなければならない日もあって、

その時間は、正直、地獄のようでした。


あの頃の姉の気持ちを思い出して、

胸の奥が、きゅっと痛みました。


人は、見たいように見る。


余裕がなくなれば、

思いやりも、少しずつ削られていく。


社会は便利になったけれど、

心はどこか、閉じて、ピリピリしている。


それでも。


それでも、

あのおばさんのように、

何気なく寄り添ってくれる人が、ちゃんといる。


本当は、僕も言いたかった。


「大丈夫だよ」

「気にしなくていいよ」


でも、恥ずかしくて、

声を出すことができませんでした。


だから、心の中で、そっと。


あのおばさんに、ありがとう。

そして、あの若いお母さんに、大丈夫だよ。



2026/01/29

昨夜、

柏崎圭祐さんのラジオ番組

「酔いしれナイト」に、

第8回目のゲストとして出演しました。

 

今回のテーマは、

「本当の占い師やヒーラーを見つける夜」

 


 

スピリチュアルいっぱいの夜です!

 

でも、

いわゆる ふわっとした話 ではありません。

 

そもそも――

・スピリチュアルとは何なのか

・サイキックサイエンスとは何か

・イギリスで、実際に何を学んできたのか

 

そんなところから、

かなり率直にお話ししています。



 

さらに今回は、

「本物の占い師・ヒーラーに出会うための6つのポイント」も、

包み隠さず語りました。

 

正直なところ、

スピリチュアルの世界は

玉石混交です。

 

だからこそ、

「信じる・信じない」以前に、

見極める目を持つことがとても大切だと、

現場に立ってきた人間として感じています。

 

スピリチュアルが好きな人も、

ちょっと距離を感じている人も、

どちらにも届く内容になっていると思います。

 

夜、少し肩の力を抜きながら、

聞いてみてください。

 

🎧 こちらから聴けます

https://open.spotify.com/episode/339XVCCOhppupPU8ttAlZ2

 

「本物」に出会いたい人に、

そっと届きますように。


2026/01/26

「できれば穏便に済ませたい」

そう思って、言いたいことを飲み込んだ経験は、

誰にでもあると思います。

 

  • 家族とのこと
  • 職場での違和感
  • 友人やパートナーとのすれ違い
  • 空気を悪くしたくない
  • 関係を壊したくない
  • 相手を傷つけたくない

 

そうやって、本音をしまい込む。


でも、

カウンセリングの現場で何度も見てきて、

はっきり言えることがあります。


本音を言わずに、

穏便に済ませるという選択は、

実は、かなり無理があります。


なぜなら、本音というのは、

どこかで必ず「誰かが傷つく」性質を持っているからです。


本音を言えば、相手が傷つくかもしれない。

本音を言わなければ、自分が傷つき続ける。


穏便に見える状態というのは、

たいていの場合、

 

どちらかが譲っているか、

どちらかが我慢しているか、

 

そのどちらかです。


以前、こんな相談がありました。


「夫は悪い人じゃないんです。

ただ、私の話をちゃんと聞いてくれない。

でも言うと、機嫌が悪くなるので……」


その方は、とても穏やかで、優しい人でした。

「まあ、私が我慢すればいいかな」

そうやって、何年もやり過ごしてきたそうです。


でも、ある日、些細なことで涙が止まらなくなった。


自分でも理由がわからない。

怒りでもなく、悲しみでもなく、

ただ、限界だった。


言わずにやり過ごすことは、

解決ではありません。

先送りです。


しかも、心はきちんと覚えています。

「私は、また後回しにされた」

「私は、また大事にされなかった」


それが積み重なると、

ある日、爆発します。

もしくは、静かに諦めます。


どちらも、かなりつらい。


じゃあ、どうすればいいのか。


答えは、とても地味です。


小出しで言う練習をすること。


いきなり本音を全部ぶつける必要はありません。

むしろ、それはおすすめしません。


「実はね」

「少しだけ聞いてほしいんだけど」

「前から気になってたことがあって」


そんな小さな言葉でいい。


たとえ相手の機嫌が一瞬悪くなったとしても、

言わなければならないときは、確かにあります。


その瞬間、

「空気を壊した自分が悪いのではないか」

そう思うかもしれません。


でも、空気を壊したのではなく、

見えない無理を、表に出しただけです。


もちろん、選択肢はもう一つあります。


一生言わない。

諦めて、やり過ごす。

期待しない。


それも、間違いではありません。

自分を守るための選択として、必要なこともあります。


ただ、その場合、

心のどこかで覚悟がいります。


「私は、ここを求めない」

「ここでは満たされない」


それを自分で引き受ける覚悟です。


どちらが正解、という話ではありません。


ただ、ひとつだけ確かなことがあります。


人は、言えたら癒えます。

話せたら、離せます。


そして、少し楽になります。


本音を言うことは、

相手を傷つけるためではありません。


自分を守るためであり、

関係を続けるための、

最後の誠実さでもあります。


もし今、

胸の奥に引っかかっている言葉があるなら、

今日でなくてもいい。


でも、

「いつか言う」という選択肢を、

自分から奪わないでください。


それだけで、

心は少し、呼吸しやすくなります。




2026/01/25

カウンセラーという仕事をしていると、

よく言われます。


「神社さんは、いつも落ち着いていますよね」

「ブレないですよね」

「癒す側の人ですよね」


たしかにそう見えるのだと思います。

実際、目の前の人の話を聴くとき、

僕はとても冷静です。


でも今日は、

あまり表に出してこなかった話をします。


僕自身が、いちばん癒されていなかった頃の話です。




昔の僕は、

「癒す側でいなければいけない」と思っていました。

 

  • 弱音を吐かない
  • 感情に飲み込まれない
  • いつも整っている人でいる

 

そうでなければ、

人の前に立ってはいけない。

相談に乗ってはいけない。


そんな、

誰に言われたわけでもないルールを、

自分に課していました。


だから、つらくても、

悲しくても、

腹が立っても、


「まあ、大丈夫」

「学びだよね」

「意味があるよね」


そうやって、

感情を“理解”に変換してきた。


今思えば、

かなり器用な逃げ方です。



あるとき、

もう何年も通ってくれているクライアントさんの前で、

ふいに、言葉が詰まりました。


いつものようにアドバイスしようとして、

でも、声が出なかった。


代わりに出てきたのは、

涙でした。


自分でも驚きました。

「え、ここで?」

というタイミング。


その瞬間、

その方がこう言ったんです。


「神社さんも、人なんですね」


その一言で、

肩の力が一気に抜けました。


癒す側である前に、

生きている人間だった。

感じていい存在だった。


それを、

僕はどこかで忘れていた。



それから少しずつ、

やり方を変えました。


無理に整えない。

わからないものは、わからないと言う。


腹が立ったら、

「今、正直しんどい」と認める。


すると、不思議なことが起きました。


クライアントさんが、

前よりも本音を話してくれるようになったんです。

 

  • 泣く
  • 怒る
  • 弱さを出す

 

以前より、

ずっと深いところの話を。


そのとき、はっきりわかりました。


人を癒すのは、整った言葉ではない。
生きている実感だ。


ちゃんと迷って、

ちゃんと傷ついて、

それでも生きている姿。


それを隠さなくなったとき、

言葉は、勝手に届くようになる。


今も、

完璧なカウンセラーではありません。


調子が悪い日もある。

腹が立つこともある。

弱くなることもある。


でも、

それをなかったことにしない。


「そういう日もある人間です」

と、ちゃんと自分に言う。


それができるようになってから、

人生はずいぶん楽になりました。


もし、この記事を読んでいるあなたが、

「ちゃんとしなきゃ」

「強くいなきゃ」

「癒す側でいなきゃ」

そうやって、

自分を後回しにしているなら。


一度だけ、

その役割を下ろしてみてください。


癒す前に、

生きていい。


支える前に、

感じていい。


それを許したとき、

人は不思議なほど、

自然に人を支えられるようになります。




追伸


この文章は、

誰かを励ますために書いたものではありません。


昔の自分に向けて書きました。


でも、もしあなたにも

何かが重なったなら、

それは偶然ではないと思っています。


2026/01/24

スピリチュアルの世界では、

ときどき「奇跡の話」が主役になります。


•病気が一瞬で治った

•人生が急に好転した

•願った通りの現実が起きた


それを聞いて、

希望や勇気をもらえる人がいるのも事実です。


だから今日は、

あえて空気を読まずに書きます。




魂が本当に成長している人ほど、

派手な奇跡を語らなくなります。


これは、

長く人の心に向き合ってきて、

確信を持って言えることです。



魂の成長が浅いとき、

人は「分かりやすい変化」を求めます。


・一気に良くなりたい

・劇的に変わりたい

・人生をひっくり返したい


それは、悪いことではありません。

誰だって、苦しいときは

“分かりやすい救い”を求めます。


でも、魂が少しずつ成熟してくると、

関心は、そこから静かに離れていきます。


なぜなら――


本当に大切な変化は、

外から見えないところで起きる

と、体で知っていくからです。


魂が成長している人に起きている変化は、

こんなものです。


・無理な人間関係を、静かに手放せた

・嫌なことを、嫌だと言えるようになった

・自分を責める時間が、減ってきた

・小さな幸せに、ちゃんと気づけるようになった


•正直、地味です

•拍手も起きません

•SNS映えもしません


でも――

人生は、確実にラクになります。


ここで、大事なことを言います。


派手な奇跡を語る人が、

未熟だと言いたいわけではありません。


ただ、

魂の成長段階が違うだけです。


階段を上る途中なのか、

一段、踊り場に立ったのか。

それだけの違い。


本当に深い癒しが起き始めると、

人は、こんな状態になります。


「語る必要がなくなる」


 

  • 誰かに証明しなくていい
  • 分かってもらえなくても、揺れない
  • 理解してくれる人が、一人いれば十分

 


これは、

魂が“静かに安定してきたサイン”です。


僕自身、

生と死の境界を何度も歩いてきて、

はっきり分かったことがあります。


奇跡は、
起きたかどうかよりも、
その後、どう生きているかがすべて。


一瞬の出来事より、

その後の日常の選び方。

ここに、魂の成熟が現れます。


もし今、あなたが


・派手な奇跡に、あまり惹かれなくなってきた

・静かな安心を、大切にしたくなった

・人に語らなくても、満たされている


そう感じているなら、

それは後退ではありません。


魂が、ひとつ大人になった証です。



最後に。


魂の成長は、

声高に語るものではありません。


日常が、少しラクになったこと

自分を、大切にできるようになったこと

無理を、しなくなったこと


それだけで、

十分すぎるほどの奇跡です。


2026/01/23

スピリチュアルの世界では、

前世の話がよく登場します。


「前世は〇〇だった」

「前世のカルマが影響している」

「魂の記憶が目覚めていて…」


それ自体を、

僕は否定するつもりはありません。


実際、

前世という視点に救われる人が

いるのも事実です。


ただ――

今日は、あえて厳しいことを書きます。


前世の話をする前に、
今世を、生き切れているか。


この問いから、

目を逸らしてはいけないと思うのです。


カウンセリングをしていると、

こんな声によく出会います。


・やりたいことが分からない

・本音を言えない

・嫌な人間関係を断てない

・我慢ばかりで、人生が苦しい


ところが、話題はいつの間にか

前世・使命・魂の課題へと向かっていく。


ここに、

大きなズレがあります。




はっきり言います!


前世をどれだけ語っても、

今世の現実は変わりません。


現実が動くのは、

・嫌なことを「嫌だ」と言ったとき

・怖くても一歩、踏み出したとき

・自分を雑に扱う人から離れたとき


そういう、

地味で、勇気のいる選択をした瞬間です。


本物のスピリチュアルは、
過去に逃げません。


むしろ、

今の人生に、鋭い問いを突きつけてきます。


「本当は、どう生きたい?」

「その選択は、あなたの本心?」

「それ、誰の人生を生きている?」


この問いから逃げるために

前世を持ち出すと、

スピリチュアルは癒しではなく毒になります。


前世がどうであれ、

今世であなたは、

体を持ち、感情を持ち、

選択できる時間を与えられています。


この人生で

言いたかったことを言わず

行きたかった場所にも行かず

愛したかった人も愛さず


それで、

前世の話だけ立派でも、

魂は満足しません。


僕自身、

生と死の境界を何度も歩いてきて、

強く感じたことがあります。


魂が本当に喜ぶのは、

高尚な答えでも、

立派な設定でもありません。


・ちゃんと悲しむ

・ちゃんと怒る

・ちゃんと喜ぶ

・ちゃんと自分を生きる


ただ、それだけです。


もし今、あなたが


・スピリチュアルは好きだけど、現実が苦しい

・前世の話を聞くほど、置いていかれる感じがする

・もっと地に足のついた生き方がしたい


そう感じているなら、

その感覚は、とても健全です。



最後に。


前世は、

「言い訳」に使うものではありません。


今世を、生き切るための

背景でしかない。


まずは、

今日のあなたの人生を

ちゃんと選んでください。


魂の成長は、

そこから始まります。


2026/01/22

昨年、クラウドファンディングで制作した

フォトエッセイ わたしを生きる。


その文章を、

柏﨑先生のキラットスクールに通う

三代穂乃さんが、朗読してくれました。




背景には、猫たちの写真。

そして、飾りのない、まっすぐな声。


上手に読もうとする気配も、

感動させようとする意図もなく、

ただ、言葉を言葉のまま、差し出してくれています。


大人になると、

言葉はいつのまにか

説明や正論、役割を背負わされてしまいます。


けれど本来、

言葉は

もっと静かで、

もっとやさしく、

人を変えなくてもいいものだったはずです。


この朗読を聴いていると、

「何かをしなくてもいい」

「そのままで、もう十分」

そんな感覚に、自然と戻っていきます。


疲れているとき。

ひとりで過ごしたい夜。

理由はないけれど、心をゆるめたい時間に。


よろしければ、

音量を少し下げて、

深呼吸しながらお聴きください。


▼朗読動画はこちら

https://youtu.be/ThJ7hVNJ3DU?si=-SYJc_AtdxlLvUtL


この小さな朗読が、

誰かの心に、そっと灯りますように。



2026/01/14

僕は買い物で、たまに失敗します。



店員さんに勧められるまま買って、


結局ほとんど着ていない服が、

クローゼットに残っています。


それを見るたびに、僕は、胸がざわつきます。


そんな経験、ありませんか?





「もったいない」という気持ちも、


「高かったから」という言い訳も、

実はこれ、
服の問題というより、


自分の“間違い”との付き合い方なんだと思います。


調子に乗って買ってしまった自分。


判断を誤った自分。



その自分を、どこかで認めたくなくて、


服を捨てられず、手放せず、


クローゼットの奥にそっと残している。


着ないとわかっているのに、


「なんとか着よう」とする。



古着屋に持っていって、


「無駄じゃなかったこと」にしようとする。


でも、

どこか、

しっくりこない。


それはたぶん、


服が悪いんじゃなくて、


自分を責め続けている心が、

まだそこにあるから。


他人には言えるんです。


「間違ってもいいよ」


「失敗しても大丈夫だよ」って。


でも、

自分には言えない。



それどころか、


「なんであんな判断したんだ」


「やっぱり自分はダメだ」


そんなふうに、静かに責めてしまう。




ここで、少し視点をずらしてみますね。


調子に乗る自分も、


失敗する自分も、


実はすごく人間らしい。


それを「傲慢」と呼ぶか、


「不器用」と呼ぶかで、


自分へのまなざしは、まったく変わります。


間違いを認めるって、


自分を否定することじゃありません。



「そういうときもあるよね」と、


事実を受け取るだけのこと。


クローゼットに残っている服は、


あなたの失敗の証拠じゃなくて、


一生懸命生きてきた痕跡かもしれません。


もし今日、

一枚でも手放せたら、

それは服を捨てたんじゃなく、

自分への責めを、少し緩められることなのかもしれません。



2026/01/09

病気や不調を前にして、


前向きになれない自分を、

どこかで責めていませんか。


「意味を見つけられない私は、ダメなんだ」と。


病気になると、


周囲から、あるいは自分自身から、


こんな言葉を向けられることがあります。


「きっと意味があるよ」


「この経験は成長のためだよ」


「前向きに考えよう」


それらは、悪意のない言葉です。


励ましたい気持ちから出たものだとも思います。


でも、正直に言いますね。



あのときの僕には、


そのどれもが、少し重たかった。




僕は20歳でクローン病を発症しました。



手術を繰り返し、


長い絶食の時間も経験しました。


その中で、


前向きになれた日ばかりではありません。



意味づけなんて、

できない日もたくさんありました。


むしろ、


「ちゃんと受け止められない自分」


「学びに変えられない自分」

を
責めてしまう時間のほうが長かった。


でも、

あとになって、


ひとつだけ、はっきり分かったことがあります。


病気は、


人を立派にするための教材ではない、

ということです。


強くなれなくてもいい。


前向きになれなくてもいい。


意味を見つけられなくてもいい。

弱いまま、生きていい。


それだけで、十分でした。




病気は、
魂を成長させるために与えられるもの、


ではありません。


でも、


「弱さを抱えたままでも、生きていていい」


そう許してくれる存在には、なり得ます。


少なくとも、


僕にとってクローン病は、
そういう存在でした。


もし今、あなたが

・病気や不調を前に、前向きになれない


・意味づけできない自分を責めている


・「学びにしなきゃ」と思うほど苦しくなっている


そうだとしたら、


伝えたいことがあります。


あなたは、何も間違っていません。


無理に立派にならなくていい。


ちゃんと受け止められなくてもいい。


今日を、生きた。

それだけで、
もう十分です。


この言葉が、


必要な人のところにだけ、


そっと届けばいいと思っています。




2026/01/09

スピリチュアルが好きでした。


今も、正直に言えば、嫌いではありません。



でも、どこかでずっと、息苦しさを感じてきました。

「信じているはずなのに、なぜこんなに苦しいんだろう?」




スピリチュアルは、


人を救うこともできるし、


人を縛ることもできるものだと、


現場で何度も見てきました。


癒される人がいる一方で、


自分を責め続ける人も、確かにいる。


「波動が低いからだ」


「まだ目覚めていないからだ」


「ちゃんと整っていないからだ」


そう言われて、


何も反論できず、


ただ「自分が悪いんだ」と飲み込んでしまう人たち。


スピリチュアルが諸刃の刃だと思うのは、


そこに「正解」が存在しないからです。


目に見えない。


測れない。


証明できない。


だからこそ、


影響力のある人が言ったことが、正解になってしまう世界。


これは、とても危うい。


本来、心を自由にするはずのものが、


いつの間にか
「従うもの」
「疑ってはいけないもの」
に変わってしまう。


そして、ここが一番大事なところですが。


スピリチュアルに強く惹かれるとき、


多くの場合、
人は「自分を信じられなくなっている」状態にいます。


苦しい。


不安。

誰かに答えを出してほしい。


そんなとき、
断定的な言葉は、


とても魅力的に聞こえます。


でもそれは、


自分の感覚を預けてしまうということでもある。


だから僕は、


スピリチュアルが大好きだけど、


同時に、大嫌いです。


希望をくれるから、好き。


でも、人をコントロールできてしまうから、嫌い。


救いにもなるし、


静かに人を壊すこともある。


それを、
「良い・悪い」で分ける気はありません。


ただ、
近づき方を間違えると、

危険だ
それだけは、はっきり言えます。




スピリチュアルを使って、
自分を責めなくていい。

わからなくなったら、
日常に戻ればいい。


ごはんを食べて、


空を見て、


ちゃんと眠る。


それで、十分です。


信じられなくなったら、
無理に信じなくていい。

疑問を持てるあなたは、
もう十分、健全です。


スピリチュアルが苦しくなったあなたへ。



それは、あなたが弱いからでも、


鈍いからでもありません。


ちゃんと、自分を守ろうとした結果です。


その感覚だけは、


どうか、手放さないでください。


それが、
一番まっとうな「目に見えない力」だと、


僕は思っています。


※また読み返したくなったら、
しんどい夜に、
そっと戻ってきてください。




2026/01/09

誰かのことを思い出すだけで、


胸の奥がきゅっと重くなる。



そんな自分を、

「こんなこと思っちゃいけない」と責めていませんか。




人を嫌いになる感情って、


多くの人が思っている以上に、


強く我慢した人ほど、あとから出てくるものです。


 

  • ずっと空気を読んできた
  • 迷惑をかけないようにしてきた

  • 大人として、ちゃんと振る舞ってきた

 

だからこそ、


「嫌い」という感情を持つこと自体に、


どこか罪悪感を感じてしまう。


でもね。


それ、あなたが冷たいからでも、

心が狭いからでもありません。




実は、相談の現場でよく聞くのは、


「人を嫌いな自分が嫌いです」という言葉です。


嫌いな人がいることよりも、


嫌いになれないほど我慢してきた自分を、


どこかで責め続けている人が、とても多い。


本当は、


距離を取りたかった。


関わらずに済むなら、そうしたかった。


でも、


・家族だから


・職場だから


・大人だから


・スピリチュアル的に良くない気がして

そんな理由で、
自分の感覚を何度も後回しにしてきた。


それは、優しさであり、

同時に無理でもあります。


「みんな仲良く」なんて、正直、無理です。


人には、価値観も、テンポも、限界も違う。


好き嫌いがあって当たり前です。


あなたが誰かを嫌うように、

あなたのことを苦手に思う人がいても、

おかしくない。


でも、

それで
あなたの価値が下がるわけでも、


人として欠けるわけでもありません。


好かれる時があれば、


そうでない時もある。
それだけのことです。


無理に仲良くしなくていい。


分かり合おうと頑張らなくていい。


必要なのは、
戦うことでも、

許すことでもなくて、
ただ、

淡々と距離を保つことだったりします。


尊重はする。


も、踏み込まない。


それだけで、人間関係はずいぶん楽になります。


もし今、


「嫌いな人がいる自分」に苦しんでいるなら、


こう思ってあげてください。


それでも、私は今日まで、ちゃんとやってきた。


その一言だけで、十分です。

気づいた人だけ、
静かに、胸に置いておいてください。




2026/01/09

いつも気づいたら、
自分だけが踏ん張っている。


頼り方が、もう分からなくなっていませんか。


「大丈夫?」と聞かれても、


反射的に「大丈夫です」と答えてしまう人へ。




長くカウンセリングをしていると、


本当に多いのが、
がんばりすぎてきた人ほど、

頼るのが下手という現実です。


 

  • ちゃんとしてきた
  • 人に迷惑をかけないように生きてきた
  • 
弱音を吐かず、空気を読み、場を回してきた

 


その姿は、立派です。
間違っていません。


ただ——
そ

のまま続けていると、


少しずつ「孤立」に近づいてしまうことがある。


自立と孤立は、よく似ていて、
でも、まったく違います。


自立は
「必要なときに人に頼れる強さ」
孤立は「全部ひとりで背負ってしまう癖」

外から見ると同じに見えても、


内側では、心の疲れ方がまるで違います。


今、これを読んでいるあなたに、


今すぐ始めてほしいことがあります。


それは、
甘える練習です。


と言っても、


誰かに大きなお願いをしなくていい。


弱さを全部さらけ出さなくてもいい。

最初の一歩は、
とても小さくていい。


それは、
「大丈夫なふり」をやめること。


「大丈夫です」の代わりに、


「ちょっと疲れてて」


「今、余裕がなくて」

その一言でいい。


それだけで、
周りは、ちゃんと気づきます。




人は、
あなたが強く見えるほど、


無意識に甘えてきます。


頼られているうちに、


あなたはまた一人で背負う。


そして、誰にも頼れなくなって、


心が静かにすり減っていく。


これは、
意思が弱いからでも、


心が未熟だからでもありません。


頼る練習をしてこなかっただけなんです。


スピリチュアルでも、

心理でも、
本当に大切なのは、


「現実の人間関係に戻ってこれること」


一人で悟らなくていい。


一人で乗り越えなくていい。


全部、自分ひとりでやらなくていいんです。


今日は、
誰かに頼れなくてもいい。


ただ、
「大丈夫なふり」を、

少し休んでみてください。


それだけで、
あなたの世界は、


静かに、変わり始めます。


必要な人だけ、


この言葉をそっと持ち帰ってください。




2026/01/08

ちゃんとしてきたのに、


人並みにやってきたはずなのに、


なぜか生きづらい。


「普通でいよう」と思えば思うほど、


自分がわからなくなっていませんか?




カウンセリングの現場で、


何万人もの方の話を聴いてきました。


そこで、ひとつだけ
はっきり言えることがあります。


世の中に“普通の人”なんて、ひとりもいません。

いるのはただ、
「普通だと思おうとしている人」だけです。


そもそも「普通」って、


誰が決めたんでしょうね。


・ちゃんとしている


・空気を読む


・迷惑をかけない


・人と同じくらい


どれも立派です。


あなたが必死に生きてきた証です。


でも──


それをやりすぎた人ほど、苦しくなります。


なぜなら、
「普通を目指す」ということは、

少しずつ、
自分の違和感を無視し、


感覚を後回しにし、
本音を押し込めることだからです。


その結果、

「自分が何者かわからない」


「何が好きかわからない」


「これでいいはずなのに満たされない」

そんな感覚が、静かに積もっていきます。




ここで、
ひとつ視点をずらしてみてください。


あなたが生きづらかったのは、


おかしいからではありません。


むしろ逆で、


無理に“普通”に収めようとしたからです。


元々、人はみんな少しずつ変です。


感覚も、価値観も、リズムも違う。


それを


「変じゃないふり」


「目立たないふり」


「合わせられるふり」


で生きてきた人ほど、疲れます。


スピリチュアルな言葉で言えば、


「自分の感覚とズレた生き方をしている状態」


でもこれは、


特別な話でも、逃げの話でもありません。


日常の中で、


・我慢が当たり前になっていた


・違和感に気づかないふりをしてきた


それだけのことです。


だから、無理に変わらなくていい。

ただ、


「私、ちょっと変かもしれないな」


それを否定せず、
認めてあげてください。


むしろ、


「変でいい」


「変だったんだ、最初から」


それくらいで、ちょうどいい。


変わっている自分を
直そうとしなくていい。

受け入れて、
横に置いて、
一緒に生きていく。


それができたとき、


人生は不思議なくらい、
やわらかくなります。


今日も、
ちゃんと生きてきたあなたへ。

「普通じゃなくていい」


そう思えた瞬間から、


少しずつ、呼吸が楽になります。


気づいた人だけ、


この言葉をそっと持ち帰ってください。




2026/01/07

人生はつらいもの。

我慢して、耐えて、乗り越えるもの。

そんなふうに生きてきませんでしたか。



わかります。

実際、そうやって生きてきた人ほど、真面目で、責任感が強くて、人に迷惑をかけない人が多い。


「人生は修行だから」

「楽をしちゃいけない」

「自分さえ我慢すれば丸くおさまる」


そう信じて、一生懸命やってきた。

それ自体は、間違いではありません。


ただ──

ひとつだけ、現場で何度も見てきた事実があります。


人生を“修行”だと思いすぎると、

心が少しずつ固くなるということです。


自分にも、人にも、厳しくなる。

余裕がなくなり、正しさが先に立つ。


気づけば、「わかってない人」を裁く側に立ってしまう。


本人は悪気がない。

むしろ「良かれと思って」やっている。


でもそれは、

“成熟”ではなく、

疲れきった正義になってしまうことがある。


ここで、少し視点をずらしてみてください。


人生は、修行ではありません。

少なくとも、「苦しむことが前提」ではない。


生きる中で学びが起きることはある。

痛みから気づくことも、確かにある。


でもそれは、

楽しまない代償として与えられる罰ではない。


本当に人にやさしくなれる人は、

自分の機嫌を、自分でとれている人です。


本当に社会に貢献できる人は、

自分をすり減らしている人ではなく、

自分らしく生きている人です。


スピリチュアルの世界でも、

「目覚め」や「成長」という言葉が使われますが、

それは何か特別な存在になることではありません。


むしろ──

ちゃんと日常に戻れているか。

ちゃんと笑えているか。

ちゃんと、自分を嫌いにならずに生きているか。


そこが、何より大事です。


人生を楽しんでいる人は、

誰かを見下しません。

誰かを説教しません。


「こうすべき」も、あまり言わない。

静かで、柔らかくて、でも芯がある。


それは、

修行を終えた人の姿ではなく、

無理をやめた人の姿です。



もし今日、

「人生は修行じゃなくてもいいのかもしれない」

そんな気持ちが、ほんの少し芽生えたなら──

それだけで、もう十分です。



2026/01/07

スピリチュアルの世界では、

「目覚め」という言葉がよく使われます。

 

  • 意識が変わった
  • 次元が上がった
  • 真理に気づいた

 

そんな言葉を耳にすると、

どこか特別な存在にならなければいけないような、

そんな気がしてくる人もいるかもしれません。


でも今日は、

あえて真逆のことを書きます。


 

本当に目覚めた人ほど、

普通の生活を大切にします。

 


これは、

長く人の心に向き合ってきて、

はっきり言えることです。


魂の目覚めが浅いとき、

人は「非日常」に惹かれます。


・特別な体験

・強いエネルギー

・派手なメッセージ

・分かりやすい変化


刺激が強く、

わかりやすいものほど、

「成長している気」がするからです。


でも、

目覚めが深まってくると、

関心は静かに移っていきます。


 

  • 朝、ちゃんと起きること
  • ごはんを味わって食べること
  • 部屋を整えること
  • 体を労わること

 

一見すると、

スピリチュアルとは無関係に見えること。


けれど実は、

ここにこそ、魂の成熟が現れます。



目覚めた人は、

人生を「修行」にしません。


無理をしない。
自分を追い込まない。
悟ったふりもしない。

その代わり、

生活を丁寧に扱います。


なぜなら、

この体、この日常、この時間こそが、

魂の学びの場だと知っているからです。


派手な体験を語らなくなり、

誰かを導こうともしなくなる。


それは、

冷めたからでも、

後退したからでもありません。


もう、証明する必要がなくなっただけ。


僕自身、

生と死の境界を何度も経験して、

最終的に残ったものは、

とてもシンプルでした。


 

  • 今日、ちゃんと生きたか。
  • ちゃんと休んだか。
  • ちゃんと、自分を裏切らなかったか。

 


それだけです。


もし今、あなたが

・派手なスピリチュアルに疲れてきた

・普通の生活を心地よく感じ始めている

・静かな時間を大切にしたくなっている

のだとしたら、

それは停滞ではありません。


魂が、ちゃんと地上に根を下ろし始めた証です。


最後に。

目覚めとは、

空へ飛んでいくことではありません。


この人生に、

ちゃんと降りてくること。


普通の一日を、

大切にできるようになったなら、

それ以上の目覚めはありません。

2026/01/05

今日から、仕事始め。

とはいえ、勢いよくスタート、というよりも、

静かに、深呼吸をしながらの始動です。


14時迄は、池袋駅前での、対面カウンセリング。


セッションが終わったあと、

その流れのまま、もう一つの大切な仕事へ。


神社のプロテクトミストづくりです。

 


 

昨年、イベントでお渡ししたところ、

「安心感が違う」

「持っているだけで落ち着く」

そんな声をたくさんいただいたミスト。


正直に言えば、

「また欲しい」と言ってもらえるのは、

作り手として、かなり嬉しいものです。

 


今年は午年!

スピード、しなやかさ、そして自由。


だから今回は、

守るだけのプロテクトではなく、

・軽やかに動ける

・魅力が自然に開く

・人とのご縁が流れよく巡る

そんなイメージを大切にして、

香りとエネルギーのバランスを組み直しました。


重たくならない。

でも、ちゃんと守られる。

背中を押すけれど、無理はさせない。


神社昌弘らしく言うなら、

「がんばらなくても、ちゃんと整う」

そんなミストです。

 



一本一本、

ラッピングをしながら、心の中で思うのは、

特別なメッセージではありません。


ただ、

「無事でありますように」

「今年も、自分を大切にできますように」

それだけです。


だからタグには、

シンプルに for you。


派手な言葉はいらない。

でも、想いは、きちんと届く。


このプロテクトミストは、

これからの対面イベント参加者の方へ、

ささやかなプレゼントとしてお渡しする予定です。


2026年を、

少し軽やかに、

少し華やかに、

そして、ちゃんと自分らしく。

そんな一年の、お守り代わりになれば嬉しいです。


今年もまた、

こうして人の人生にそっと関われることに、

静かに感謝しながら。


さあ、2026年。

ゆっくり、でも確かに、動き出しています。

 



2026/01/04

夕方18時。

空はすでに暗くなってきて、

今日が1月4日だということを、ふと意識しました。


今年は、まだ一本も文章を書いていなかった。

でも、不思議と焦りはありません。


「遅れている感じ」もしない。

「出遅れた感覚」もない。


ただ、

ちょうどここに立っている

そんな感覚だけが、静かにあります。




年が変わると、

人は無意識に自分を急かします。


・今年こそは

・もう動かなきゃ

・ちゃんと始めないと


でも、本当の始まりは、

号砲が鳴る瞬間ではありません。


気づいたら、もう呼吸していた。

気づいたら、もう立っていた。

気づいたら、もうここにいた。


そんなふうに、

音もなく始まっているものの方が、

実は一番、確かだったりします。




これまで、たくさんの人の話を聞いてきました。

 

  • 立ち止まっている人
  • 迷っている人
  • 動けなくなっている人
  • 自分を責め続けている人

 


でも、はっきり言えることがあります。


止まっているように見えても、

人は止まっていません。


進み方が、静かなだけです。


水が流れていないように見えても、

地下ではちゃんと巡っているように。


もし、今年に入って

「まだ何も始められていない」と感じているなら、

どうか安心してください。


まだ整っていなくていい。
まだ言葉にならなくていい。
まだ自信がなくていい。

今日ここまで生きてきたこと自体が、

もう十分すぎるほどの“一歩”です。




この文章は、

もっと早く書こうと思えば書けました。


でも、

この時間、この空気、この静けさだからこそ、

今がちょうどよかった。


2026年の最初の言葉は、

「頑張ろう」でも

「変わろう」でもありません。


「今のままで、もう始まっている」


その確認からで、十分です。



今年も、

無理に引っ張りません。

無理に前向きにもしません。

無理に答えを出そうともしません。


ただ一緒に、

立ち止まりながら、

確かめながら、

必要なときに、必要な一歩を踏み出す。


そんな一年を、

ここから静かに始めていきます。


夕方18時。

今日という日の、

ちょうどいいはじまりに。