人生はつらいもの。
我慢して、耐えて、乗り越えるもの。
そんなふうに生きてきませんでしたか。

わかります。
実際、そうやって生きてきた人ほど、真面目で、責任感が強くて、人に迷惑をかけない人が多い。
「人生は修行だから」
「楽をしちゃいけない」
「自分さえ我慢すれば丸くおさまる」
そう信じて、一生懸命やってきた。
それ自体は、間違いではありません。
ただ──
ひとつだけ、現場で何度も見てきた事実があります。
人生を“修行”だと思いすぎると、
心が少しずつ固くなるということです。
自分にも、人にも、厳しくなる。
余裕がなくなり、正しさが先に立つ。
気づけば、「わかってない人」を裁く側に立ってしまう。
本人は悪気がない。
むしろ「良かれと思って」やっている。
でもそれは、
“成熟”ではなく、
疲れきった正義になってしまうことがある。
ここで、少し視点をずらしてみてください。
人生は、修行ではありません。
少なくとも、「苦しむことが前提」ではない。
生きる中で学びが起きることはある。
痛みから気づくことも、確かにある。
でもそれは、
楽しまない代償として与えられる罰ではない。
本当に人にやさしくなれる人は、
自分の機嫌を、自分でとれている人です。
本当に社会に貢献できる人は、
自分をすり減らしている人ではなく、
自分らしく生きている人です。
スピリチュアルの世界でも、
「目覚め」や「成長」という言葉が使われますが、
それは何か特別な存在になることではありません。
むしろ──
ちゃんと日常に戻れているか。
ちゃんと笑えているか。
ちゃんと、自分を嫌いにならずに生きているか。
そこが、何より大事です。
人生を楽しんでいる人は、
誰かを見下しません。
誰かを説教しません。
「こうすべき」も、あまり言わない。
静かで、柔らかくて、でも芯がある。
それは、
修行を終えた人の姿ではなく、
無理をやめた人の姿です。

もし今日、
「人生は修行じゃなくてもいいのかもしれない」
そんな気持ちが、ほんの少し芽生えたなら──
それだけで、もう十分です。