僕は買い物で、たまに失敗します。
店員さんに勧められるまま買って、
結局ほとんど着ていない服が、
クローゼットに残っています。
それを見るたびに、僕は、胸がざわつきます。
そんな経験、ありませんか?

「もったいない」という気持ちも、
「高かったから」という言い訳も、
実はこれ、 服の問題というより、
自分の“間違い”との付き合い方なんだと思います。
調子に乗って買ってしまった自分。
判断を誤った自分。
その自分を、どこかで認めたくなくて、
服を捨てられず、手放せず、
クローゼットの奥にそっと残している。
着ないとわかっているのに、
「なんとか着よう」とする。
古着屋に持っていって、
「無駄じゃなかったこと」にしようとする。
でも、
どこか、
しっくりこない。
それはたぶん、
服が悪いんじゃなくて、
自分を責め続けている心が、
まだそこにあるから。
他人には言えるんです。
「間違ってもいいよ」
「失敗しても大丈夫だよ」って。
でも、
自分には言えない。
それどころか、
「なんであんな判断したんだ」
「やっぱり自分はダメだ」
そんなふうに、静かに責めてしまう。

ここで、少し視点をずらしてみますね。
調子に乗る自分も、
失敗する自分も、
実はすごく人間らしい。
それを「傲慢」と呼ぶか、
「不器用」と呼ぶかで、
自分へのまなざしは、まったく変わります。
間違いを認めるって、
自分を否定することじゃありません。
「そういうときもあるよね」と、
事実を受け取るだけのこと。
クローゼットに残っている服は、
あなたの失敗の証拠じゃなくて、
一生懸命生きてきた痕跡かもしれません。
