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祈りが「呪い」にならないように…

2020/03/27
祈りが「呪い」にならないように…

こんにちは。

神社昌弘です。


「祝い」「呪い」

部首が違うだけで、全く違う意味になってしまいますが、実は、どちらも「祈り」から派生した言葉だと聞いたことがあります。

 

つまり、祈り方によっては、祝いにもなり、呪いにもなるということなんですね。

 

今日は、僕が、忘れられない話をシェアさせてください。

 

それは、僕が小学5年生だった時のこと…

みんなが給食を食べ終えて、午後からの授業が始まった時のことでした。

 

急に外が騒がしくなって、教室の窓から、消防車やパトカーが自宅の方向へ走ってゆく様子が見えました。

僕は怖くなって、どうしようという気持ちを抑えられなくて、頭を抱えて、その場にうずくまり、

 

「どうか、僕の家ではありませんように!」

「神様、助けてください!」

 

と必死に祈りました。

 

担任の先生が、すぐに状況を調べてくださって、幸い、僕の家ではないとわかって、ホッと安心できたのですが…

なんと、そこは知人のお父様が経営する会社でした。

 

それから何年も経って…

 

僕が仏教を学び始めた時に、祈りには、良い祈り悪い祈りがあることを教わり、かつて、僕が「自分の家が燃えてませんように」と祈っていたことが、悪い祈りだったと指摘されて、衝撃を受けました。

 

「誰だって、自分の家ではありませんようにと祈って当然でしょう?」

と言い返したところ、師匠は、

「自分の家が燃えていませんようにと祈るのは、他人の家が燃えてほしいと祈っていることと同じです

「すでに、どこかの家が燃えている事実に変わりはないのだから、その祈り方では、無意識に他人の不幸を願っています

と教わって、目が覚めました。

言い返す言葉がありませんでした。

 

では、どのように祈ればいいのか?

 

「みんなが無事であります様に」

「誰もケガしていません様に」

「被害が最小限であります様に」

 

そんな風に祈ることが良いみたいです。

 

人は誰しも、大変な時には、自分のことや家族のことでめいっぱいで、他人のことなど考えられないものです。

それは仕方のないことだと思います。

でも、僕たちが大変な時には、僕たちと同じように大変な人がいることも、ほんの少しで良いから、心に留めておきたいですね。

 

時々、立ち止まって…

今、自分がやっている祈り方が、他人を呪っているものではないか?

他人の幸福を願っているものか?

それらを確かめられるといいですよね。

 

祈り方さえ間違っていなければ、きっと神様は、あなたの願いを叶えてくれると思います。