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お布施ブログ

神社昌弘のお布施ブログです。

実体験から得た「生きる知恵」を、皆様の日常に役立てていただきたいという願いを込めて書いています。


最新のコラムは、こちらにも書いています。
2020/06/18
きっと、明日は「笑顔」になれるから…  

こんにちは。

かんじゃまさひろです。

僕がセミナーや講演、カウンセリングをする時に、ときどき「母」のことを聞かれます。

「神社さんのお母様って、どんな人ですか?」

 

僕から見れば、いたって普通で、おせっかいなおばさんですが、昨日、また同じ質問をされたので、今日は、母のことについて書いてみたいと思います。


母は、現在71歳。


47歳の時に目の前の事故で最愛の夫(僕の父)を亡くし、その後、10年以上に渡って実母の看病をしてきました。

その頃、僕が難病(クローン病)を患ったために、8度の手術に付き添い、4年間の絶食生活をサポートしつつ、約10年かけて、僕を元気にしてくれました。

ようやく安心できると思った矢先、今度は娘(僕の姉)の子どもが「自閉症」だと診断されました。


僕から見れば、なんとも悲惨な人生で、不運に見舞われ続けた人ですが、母はいつも、


「私は、しあわせよ」

「だって、私にはまだまだできることがいっぱいあるから」

 

そんなことを言っていました。

 

詳しいことは、母の著書に書いてありますが、僕は、そんな母から『愛とは行動』だと教わってきました。

 

僕が思う母の凄いところは、逆境を乗り越える強さではなく、

  • 素直に「助けてください」「お願いします」と言えるところ
  • 自分を誤魔化さないところ
  • 喜怒哀楽を素直に表現できるところ
  • 自分もまわりも責めないところ
  • 自分とまわりを信頼しているところ
  • おかげさまの心を持ち続けているところ
  • 切り替えが早いところ
  • 即決、即断、即行動

    そして、一番スゴイと思うのは、
  • どんな環境でも自分の人生もちゃんと楽しむところ

です。 

 

母は、いつでも、どこでも、どんなときも、自分が熱中できる「趣味」をもっていました。

(もしかしたら、そうでもしないと生きていけなかったからなのかもしれませんが…)

父が亡くなった時には、急に「カメラ」をやりたいと言い出し、ド素人からアマチュアカメラマンとして、数々の賞を受賞するまでになりました。

ある程度の結果を出した後には、今度は「木目込み人形」を習いたいと言い出し、師範の免許を取り、今では教授にまでなりました!

そうして、今度は独学で「俳句」を学び、毎日手帳とペンを持ち歩き、作句し、いろんなところへ応募して、新聞などに掲載されることを楽しんでいます。

現在はというと…

相手の喜ぶ笑顔をイメージして、色とりどりの「マスク」を作っています。
この一ヶ月で作った数は140枚以上?!
毎日作って、毎日“誰か”にプレゼントしています。

 

今日は、ブロブの最後に、そんな母の著書『あなたの言葉に逢いたくて』から、一部をシェアしたいと思います。

 

あなたの今の苦しみや悩みは、きっとあなた自身で終わらせることができます。

だから、どうかあなたの人生を信頼してみてください!

 

どんな人生でも、あなたが自分の人生を心から信頼できたとき、あなたの意識と行動は、輝く未来へつながっていきます。

あなたの信じる心が、あなた自身を解放してくれるのです。

 

あなたはもう、すでに十分すぎるほど頑張ってきました。

誰にも気づかれないところで、めいっぱい苦労して、悩み尽くして、そして、考え抜いて、涙も流してきました。

 

必死に生き続けてくれて、ありがとうございます。

みんなのために頑張ってくれて、ありがとうございます。

 

どうか、これからは、一人で抱え込まないで、まずは頑張り抜いた自分を誇りに思って、共に生き抜いた子どもや家族を慈(いつく)しんでください。

 

せめて今日だけは…

明日のことを考えなくてもいい!

 

今日、とりあえず、あなたとあなたの子どもが笑顔になるために生きてください。

 

きっと、明日は明日の風が吹くから…

きっと、明日は笑顔になれるから…

 

私は、そう信じています。

(p10〜引用)

このメッセージが必要な“誰か”に届きますように!



2020/06/17
「反省」と「後悔」  

こんにちは。

かんじゃまさひろです。

もうずいぶん前のこと、コーチングの伊藤守さんの本を読んだ時に、こんな言葉に出会いました。

反省している間は「正しいわたし」でいられる。

後悔している間は「可哀そうなわたし」でいられる。

これを読んだ時、僕はドキッとして、当時愛用していた皮の手帳にメモしたことを覚えています。

 

あれから何年も経った今でも、まだハッキリと覚えているのは、それくらい衝撃的だったのだと思います。


それまでの僕は、反省や後悔によって人は成長してゆくものだと思っていたし、それらがあったからこそ、僕は学びや気づきを得て、自分なりに成長してきたと思い込んでいました。

でも、このメッセージを見た時に、ドキっとしたんです。

 

もしかしたら、僕は…

  • 「反省」という言葉を使って、ただ自分自身を守っていただけなのかもしれない…
  • 「後悔」という言葉を使って、自分に言い訳をしながら、できなかった自分を正当化していただけなのかもしれない…
そんな風に思ったんですね。

 

自分を正当化していたあの時、僕は自己憐憫(れんびん)と自己成長を混同して、勝手に成長していると思い込み、結果、本当に大切なことはわかっていなかった…


「正しいわたし」「可哀そうなわたし」でいなければ、自分を保てなかったし、ありのままを受け止めるだけの強さがなかった…

ま、若かったし、その時は、それなりに必死に生きていたから仕方なかったのですが…

だからこそ、いまは、どんな時も、ありのままの自分を認めて、許して、愛することが、何よりも大切なんだと気づいています。

2020/06/16
本当の「キモチ」を表現しよう!  

こんにちは。

かんじゃまさひろです。

 

あるテレビ番組で、若い女の子たちが、カピバラを見て、


「キャー!!!かわいぃ〜)^o^(〜」

「癒されるぅ〜」

 

と叫んでいました。

 

一時はカピバラさんブームがあったから、見方によっては、可愛いようにも見えるけど、


「どこが可愛いんだ?」

「何に癒されるの?」

 

っていうのが僕の本心で、いまもそれは変わりありません。

 

よくよく見ると、そのつぶらな瞳や長いマツゲ、愛くるしい動作が可愛らしいのかもしれないけど、


「ほんまに、みんな本気で可愛いと思っているの?」

「一緒に寝れるの?寝たいと思っているの?」

って思ってしまいます。

いまは、影響力を持った人たちが、可愛いと言えば、可愛くなるし、凄いと言えば、凄くなる!!

効果絶大と言えば、効果が出る?!

そんな世の中だから、仕方がないのかもしれませんね。


でも、みんなと同じように思わなくてもいいし、同じように感じなくてもいいし、同じように考えなくてもいい!

みんな違って、みんないい!


そもそも、みんな違うのだから、
「全部一緒なのは、ちょっとおかしい!」
って気づいた方がいいし、それぞれの違いを尊重し合った方がいいよね?

僕はカピバラさんよりも猫が好きだし、犬はもっと好き。

熱帯魚は、もっともっと好き(笑)


でも、熱帯魚の可愛さをわかってもらえないかもしれないし、犬や猫を嫌いな人たちだっている。
それは、仕方のないことで、それでいいよね?

たった、それだけのこと!

赤ちゃんを見たら「かわいい」…

花を見たら「きれい」…

ってすぐに言う人が多いけど、ちょっと立ち止まった方がいいよ!

なぜなら、ありきたりな言葉で表現するのではなく、自分の心で感じた言葉で表現した方が、人生は、より素敵になるからね。

『ヤバイ』
『スゴイ』
『マジうける』

そんな言葉だけで表現して生きるのは、あまりにも残念だと思うし、そんなコミュニケーションって、どこか浅いよね?

ま、それがよければ、それでもいいんだけど…

 

影響力のある誰かの言葉を真似して、適当な言葉を使って、まわりと同じように生きるのではなく…

自分の本当のキモチを大切にして、自分の言葉で、本音でコミュニケーションができると、人生も、人間関係も、より豊かになって、よりハッピーになると思う。

 

せめて今日くらい、

 

「あなたは、何を感じているの?」

「あなたは、何を想って、何を考え、本当はどうしたいの?」

「あなたは、誰に何を伝えたくて、誰と一緒にどうしたいと思っているの?」

 

あなたがあなたの『本当のキモチ』に気づいて、自分の言葉で、自分を素直に表現できるといいですね。


2020/06/15
認められたい!愛されたい!  

こんにちは。

かんじゃまさひろです。

人に認められたい人は多いですよね。
人に愛されたい人も多いですよね。

だから…

完璧を目指したり、
特別を意識したり、
結果にこだわったり、
してしまうのだと思います。

それはそれで素晴らしいことだと思いますし、それができることは凄いことだと思います。

しかし…

人が完璧になれば、認められると思いますか?
愛されると思いますか?

人が特別になれば、認められますか?
愛されますか?

人が結果を出せば、認められるのでしょうか?
愛されるのでしょうか?

実際のところは、どうなのでしょうね?

僕は、これまで、いっぱい努力をして完璧を目指し、頑張って個性を磨いて、必死に結果を出そうとしてきましたが…
僕が認められて、愛されたのは、それらをぜんぶ手放して「僕が僕に」戻った時でした。

他のものになろうとしていた時には、思うように認められなくて、愛されなくて…
いつも不安で寂しくて…

でも、他のものではなく、この自分でいようと決めた時に、認められて、愛されるようになって…
いつも安心で満たされて…

「これまで、いったい何をやってたんだ?」

って恥ずかしく思い出しますが…

僕が他のものになろうとして、とことん自分から離れた時に、やっぱり「自分は自分だ」ということを思い知り、他のものになろうとすることを諦めて、ありのままの自分を受け入れられるようになった気がします。

それは、一度、自分から離れなければわからなかったことで、違うことをしなきゃ見えなかったことでした。

そうして、いま、自分自身をまるごと認めて、愛おしく思えるようになりました。

もし、いま、あなたの目の前に…

誰かに認めてほしい…
誰かに愛してほしい…

そんな風に必死に頑張っている人がいたら…

「あなたは、何を感じ、何を思いますか?」
「あなたは、なんて言葉をかけますか?」

どうすることがいいのでしょうね?

もし、ひとりで答えが出ない時は、無理に答え正解を出そうとせず、お気楽な仲間がいる「心の拠り所(昼の部)(夜の部)」にお越しくださいね。

2020/06/14
愛があるから「悲しい」  
こんにちは。
かんじゃまさひろです。

今から5年ほど前に、『悲しい』という語源には「切ないほど愛おしい」「可愛くてならない」というものがあると聞きました。

それを知った時、僕は、“人は、愛があるから悲しい”のかもしれないと思いました。

もしかすると…

僕たちは、もともと愛したい存在で、誰かを嫌いになったり、誰かを傷つけたいなんて思わないのかもしれない…

でも…

生きていれば、人を嫌いになったり、傷つけてしまこともあったりして…

そんな時に、心がキューンと痛くなるんだろうなって思ったのです。

悲しいとは…

相手が嫌いになったという事実もあるかもしれませんが、相手を愛せなくなったことに悲しんでいるということもあるのかもしれません。

また、愛したいからこそ本音でぶつかり、わかってほしい想いがあるからこそ相手を無意識に傷つけてしまう…

それゆえ、悲しいのかもしれません。

悲しいのは…

やっぱり、人は、もともと愛したい存在だからなのかもしれませんね。
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