東京にいると、なぜかよく外国人の方に道を聞かれます。
駅前でも、信号待ちでも、
「あ、絶対に来るな…」
と感じたその瞬間、スッと近づいてこられて、声をかけられる。
「Excuse me…」
「ホテルはどこですか?」
「この場所に行きたいのですが…」
昨日も、スペインから来られた女性が、迷い込んだようにキョロキョロされていて、目が合った瞬間、にこっとしたら、一気に駆け寄ってこられました(笑)

幸い、多少は英語が話せるので、身振り手振りも交えて、目的地を案内。
不思議と、話しかけられるのって、
“話しかけても大丈夫そうな雰囲気”
があるのかもしれません。
でも、それはたぶん、僕自身が、何度も海外で道に迷いながら、たくさんの人に助けてもらってきたから。
ロンドンの駅、
シドニーのバス停、
まったく読めない標識の国で、
やさしく声をかけてくれた人たち。
その時の“安心”って、忘れられないんですよね。
だから今は、立場が逆になっただけ。
持ちつ持たれつ、助け合いのリレー。
はじめての場所には、ワクワクと不安が、どちらも詰まっています。
そんなときに、
「大丈夫。楽しんでおいでね」
と言ってもらえると、人って、ぐっと安心するものです。
僕もそんなふうに、誰かの“少しの不安”に手を差し伸べられるような、さりげない存在でありたいと思います。
道を聞かれるって、案外、光栄なことなのかもしれません。
大切な人と、想いがすれ違ったまま、
そのまま離れてしまった――
そんな経験、ありませんか?
カウンセリングの現場でもよく聞きます。
夫婦でも、親子でも、親友でも。
「大切だからこそ、うまくいかない」
「想いが強いからこそ、ぶつかってしまう」
そんなことが、本当にたくさんあるんです。
お互いを思っているのに、
誤解が誤解を呼んで、
勝手な想像が重なって、
いつの間にか、距離ができてしまう。
本当は、こんなはずじゃなかったのに――と、
誰かを想いながら泣いている人も、実は多いのです。

じゃあ、どうすれば元に戻れるのか?
答えは、とてもシンプル。
ただ、「ごめんなさい」と「ありがとう」を、
素直に伝えること。
でも、これがなかなか難しい。
なぜって、人はみんな
「自分は悪くない」と思っているから。
プライドがあったり、
傷ついたままだったり、
“自分から”ができなかったり。
だけど、やっぱり思うんです。
「ごめんなさい」と「ありがとう」
この二つの言葉は、想像以上にすごい力を持っている。
それだけで、
すれ違っていた空気がふっとゆるむことがある。
それだけで、
止まっていた関係が、また動き出すことがある。
だからこそ、伝えたい。
今、もし心に浮かぶ人がいるなら、
今日、「ごめんなさい」と「ありがとう」を、セットで伝えてみてください。
たった一言で、人生が変わることだってあるんです。
もしかすると、
相手もずっと、その言葉を待っていたのかもしれません。
いつも、自分から。
自分から動くと、未来が変わります。
自分を幸せにできるのは、自分しかいません。
世の中って、「なんで?」と思うことばかりです。
カウンセリングをしていると、
「どうしてこんなに真面目で、やさしい人が、こんな目に遭わなきゃいけないんだろう?」
と思うことが、本当にたくさんあります。
それはまるで――
ちゃんとルールを守って安全運転していたのに、
いきなり後ろから追突されて、むち打ちになったようなもの。
何も悪くないのに、
心に傷を負ったり、生活が一変したり、
そんな“納得できない出来事”に直面することがあるのが、現実です。
クライアントさんの多くも、こう言います。
「私じゃなくて、世の中にはもっと悪い人がいるのに」
「なんで私がこんな目に…」
「ちゃんと生きてきたのに、報われないなんておかしい」
その気持ち、よくわかります。
僕も、何度も同じ思いをしてきました。
でも――
その「理不尽さ」の中に立ち止まっていても、
現実は、何も変わらないんです。
辛いし、悔しいし、腹も立つ。
だけど、過去に引きずられてばかりでは、前に進めない。
文句を言っても、頭でこねくり回しても、
“今”を変えてくれるわけじゃない。
だから僕は、いつもこう思っています。
「割り切れなくてもいい。
でも、引きずらない。
止まらない。
それが、一番いい。」
人は、前を向いて歩いていくときにだけ、
少しずつ光を取り戻していけるんだと思います。
それは、自然が教えてくれる“幸せの法則”。
今日がどんなに重たくても、
明日を生きる力は、あなたの中にちゃんとある。
僕はいつでも、そう信じています。

僕には、毎朝欠かさず行っている、ひとつの習慣があります。
それは、継続カウンセリングや顧問契約を結んでくださっている方のカルテを一枚ずつ手に取り、その方の今の状態を静かに感じながら――
「今日も一日、穏やかに過ごせますように」
と、そっと祈ることです。
ときどき、違和感を感じた方には、こちらからメールをお送りします。

すると決まって、こんなお返事が届きます。
「ちょうど連絡しようと思っていたところです」
「神社さん、見てました?」
「なんでわかったんですか?」
僕にとっては不思議でもなんでもなくて、
その人の“エネルギーの流れ”に変化があると、自然にわかるんです。
あ、今かな。
あ、ちょっと届きにくくなってるな――と、感じるんです。
でも、これって“特別な感覚”じゃなくて、
誰の中にもある力だと思っています。
誰かを本気で想っていれば、
たとえ離れていたとしても、
ふとした瞬間にその人のことが浮かんだり、
連絡を取りたくなったりすることって、ありませんか?
それは、きっと「つながっている」証。
目に見えないけれど、ちゃんと届いているものなんです。
シンクロニシティって、スピリチュアルな言葉に聞こえるけれど、
本当は、思いやりの延長線上にある現象だと僕は思っています。
「なんとなく気になったから」
「今日、声をかけてみようと思ったから」
「なぜか、あなたのことを思い出したから」
それだけで、誰かの救いになることもあります。
どうか今月も、あなた自身と、
あなたが大切に思う人のために、
そっと心を向ける時間を持ってみてください。
その優しさは、目に見えなくても、
きっとちゃんと届いていきますから。
静かにやってきた5月。
あなたにとって、穏やかでやさしいひと月になりますように。
神社 昌弘
昔、僕は書道、茶道、華道を習っていました。
小さな頃から、父や母に教わったり、
その後も、きちんと教室に通ったりして。
イギリスで日本語教師をしていた頃には、
日本文化を伝えるために、
生徒たちにそれらを教えたこともありました。
どれも、本当に素晴らしい世界でした。
でも、どれも数年しか続かなかった。
別に、嫌いでやめたわけじゃない。
むしろ、その奥深さに、心から敬意を抱いていました。
ただ、「道」がつく学びは、深くなればなるほど、
型が厳密に決まり、はみ出すことが許されない世界になる。
それに、僕は、どこか息苦しさを感じてしまった。

もっと自由でありたい。
もっと、自分らしく在りたい。
そう思う気持ちが、だんだん強くなって、
その場を離れる選択をしてきたんだと思います。
昔は、そんな自分を責めていました。
「続かないなんてダメだ」とか、
「ちゃんとできない自分は弱い」とか。
でも、今は少しだけ、思えるようになりました。
型通りも、素晴らしい。
自由でいることも、素晴らしい。
どちらが正しいとか間違っているとかじゃない。
何より、
あの時、ちゃんと伝統にふれたこと。
あの時間があったからこそ、
今の僕の中に、“静かな芯”みたいなものが、
育っている気がします。
学べたことに、心から感謝しています。
たとえ、道半ばであったとしても。