「おじさん」と呼ばれる年齢になって、思うこと
2026/07/11年齢ではなく、その人が歩いてきた人生を見られる社会へ
47歳になって、ふと気づいたことがあります。
「あれ、自分も、おじさんなんだ」
これまで僕は、自分の年齢をそれほど意識せずに生きてきました。
独身で、自営業。
家庭で「パパ」と呼ばれることもなく、会社の中で若い世代と比べられることもありません。
だから「おじさん」という言葉を、どこか自分とは関係のないものとして聞いていたのだと思います。
けれど47歳になり、少しずつ実感するようになりました。
僕も、いつの間にか、そう呼ばれる世代になったのだ、と。
先日、家族でお墓参りをした帰りに、レストランへ立ち寄りました。
隣の席では、ご家族が食事をしていました。
そのとき、娘さんらしき子がお父さんに向かって、こう言ったのです。
「キモい」
その瞬間、僕とお父さんの目が合いました。
少し照れくさそうで、少し寂しそうな表情を浮かべて、そっと目をそらされました。
なぜか、その姿が心に残りました。
「笑って受け流さなくてもいいのにな」
そう思ったのです。
「そんな言い方は失礼だよ」
そう返したっていい。
もちろん、親子には親子にしかわからない関係があります。
その場面だけを見て、何かを決めつけることはできません。
ただ最近、「おじさん」という存在だけは、何を言われても仕方がない人のように扱われている気がします。
- 服装を笑われる
- 体型を笑われる
- 髪型を笑われる
ときには、存在そのものが笑いの対象になる。
同じような言葉を別の立場の人に向けたなら、きっと問題になるでしょう。
それなのに、「おじさん」については、なぜか冗談として済まされてしまう。
僕は少し不思議に感じます。
もちろん、年齢を重ねたからといって、身なりや振る舞いに無頓着でよいとは思いません。
- 清潔感を大切にすること
- 相手に不快な思いをさせないこと
- 今の自分に似合うものを選ぶこと
それも、人との関係を整える一つの思いやりだと思っています。
僕自身、最近は服装を少しずつ見直すようになりました。
若く見せたいからではありません。
年齢を重ねた今だからこそ出せる、品のよさや落ち着きを大切にしたいと思うようになったからです。
ただ、それ以上に大切なのは、年齢や見た目だけで判断されず、一人の人間として見てもらえることではないでしょうか。
どんな人にも、若い頃がありました。
必死に働いた日がありました。
誰かを守ろうとした日も、失敗した日も、眠れないほど悩んだ夜もあったはずです。
そうやって、何度も立ち止まりながら、今日まで歳を重ねてきた。
その人が歩いてきた時間を知らずに、「おじさん」の一言で片づけてしまうのは、少しもったいない気がします。
人は誰でも、歳を重ねていきます。
今日、誰かに向けた言葉が、いつか自分に返ってくることもあります。
だからこそ、年齢を見る前に、その人を見る。
見た目を評価する前に、その人の人生を想像してみる。
そんな余白が少しあるだけで、世の中はもう少し優しくなるのかもしれません。
僕も、立派なおじさんになりました。
でも、悪くないと思っています。
これまで生きてきた時間も、失敗も、遠回りも、今の僕をつくってくれた大切な一部です。
歳を重ねることを、恥ずかしいことにしない。
誰かの年齢を、笑いの材料にしない。
そんな社会のほうが、若い人も、歳を重ねた人も、きっと安心して生きられる。
そう思った、お墓参りの帰り道でした。


