体調を崩したとき、
本当は休んだほうがいいとわかっていても、
なぜか、焦ってしまう自分がいます。
せっかく体が「止まりなさい」とサインを出してくれているのに、
それを無視して、余計にがんばってしまう。
そうして、空回りして、かえって時間がかかる。
僕も、クローン病だったとき、
大学の授業に遅れないように、就活できるようにと、
必死でした。
焦ってばかりいました。
結果、病気はこじれて、
治るまでにとても時間がかかってしまった。
あの頃から、ずっと僕のなかにある問いがあります。
「休むって、悪いことなんだろうか?」
止まるのが怖い。
休むのが怖い。
置いていかれる気がして。
ダメな人間だと思われそうで。
でも、それでも僕は、今ならこう言えます。
止まること、休むこと。
それは、立派な“選択”です。
カウンセリングでも、僕がよく伝える言葉があります。
「休むことに、勇気がいる時代ですね」って。
本当にその通りだと思う。
だから僕は、ちゃんと自分にも言い聞かせています。
「焦らないでいい」
「止まっていい」
「今は、そのタイミングなんだ」と。
もし、あなたが今、休むことに罪悪感を感じていたら、
まずは、その感覚こそが“頑張りすぎてきた証”なんだと思ってほしい。
そして、もし休んだことで文句を言ってくる人がいたとしたら、
その人こそ、もっと休んだほうがいいのかもしれません。
私たち、ほんとうによく頑張ってきました。
だからこそ、「休む勇気」も、
大切にしていきませんか?
神社 昌弘(かんじゃまさひろ:本名)
今朝、不注意から、右手の親指を包丁で切ってしまいました。
けっこう深く、
しっかり血が出てしまい、
急いで圧迫してもなかなか止まらず、
しばらく腕ごと心臓より高くあげて、
ようやく「傷パワーパッド」で止血。
ひと段落して、
落ち着いたタイミングでふと思いました。
身体に傷がつくと、
僕たちは本能的に
「すぐに手当てしなきゃ!」
と動きます。
血が出れば慌てて止めるし、
傷口が開けばすぐに消毒して、
「これは早めに処置しないとマズい」
と、誰でも思う。
でも――
心が傷ついたときは、どうでしょうか?
カウンセリングをしているとよく感じるのですが、
特に昭和世代や、
我慢強くて人の期待に応えようとする人ほど、
心の傷に対しては“驚くほど何もしない”傾向があります。
「そのうち治るだろう」
「大人なんだから、弱音は吐けない」
「こんなことで泣いてたらダメだよね」――
そうやって、
出血していることにすら気づかないふりをしてしまう。
でも、放っておいた心の傷は、
知らないうちに“骨折”や“内出血”にまで進行していることも多いのです。
そして、ようやくカウンセリングに来られたときには、
その痛みはもう「長年の積み重ね」になっている。
身体の傷は、誰でもすぐにケアするのに。
どうして心の傷だけ、「勝手に治る」と思ってしまうんでしょうか。
目に見えないからこそ、
もっと早く、もっとやさしく、もっと丁寧に。
自分の心の声に、耳をすませてほしいなと思います。
傷を放っておくことが、「強さ」ではありません。
自分の痛みに気づいてあげることこそが、
本当の意味での「やさしさ」だと思います。
手のケガは、しっかり手当てしました。
じゃあ、心は?
今のあなたの心にも、
そっと絆創膏を貼ってあげてくださいね。
神社 昌弘(かんじゃまさひろ:本名)
今日は母の日ですね。
先日から、花屋さんの前にはカーネーションが並び、
少し照れくさそうに花を選ぶ人たちを見かけました。
この日が来るたびに思い出すのは、
クライアントさんとの何気ない会話の中で、よく出てくる言葉です。
「義母のことなんですけど……」
「夫のお母さんが体調を崩していて……」
「お義母さんから頼まれると、断れなくて……」
そう。
母の日は“感謝”のイメージがあるけれど、
同時に“義理の母との距離感”に、もやっとする人も実は多いのです。
僕のクライアントさんの多くは、
とても真面目で、賢くて、チャーミングな女性たち。
気立てもよく、愛想もいいから、
つい周りの期待に応えすぎてしまう。
特に義母からの頼まれごとには、
「断れない」
「角を立てたくない」
「自分が我慢すればうまくいく」
と思ってしまう。
でも、それって本当に“やさしさ”なんでしょうか?
自分をすり減らしてまで応えることが、
本当に家族のためになっているのか?
母の日だからこそ、あえて言いたいんです。
「ありがとう」を伝える日だけど、
自分にも「ありがとう」を言ってあげてください。
家族のためにがんばってきたこと。
角が立たないように気を配ってきたこと。
何も言わずに受け入れてきたこと。
どれも、立派な“愛”です。
でも、あなたの心が悲鳴をあげているなら、
少し立ち止まってみてもいいんです。
期待に応えられなくても、
あなたの価値が下がることはありません。
「断ること=冷たい」じゃない。
「距離を取ること=不義理」でもない。
むしろ、自分を大切にできる人の方が、
本当に周りにやさしくなれると僕は思います。
だから今日は、
「がんばりすぎる優しさ」に、そっとエールを送りたい。
あなたが今日、
ちょっとでも心穏やかに過ごせますように。
そして、心の中で、
こっそりこうつぶやいてみてください。
「ありがとう。
でも、ちょっと疲れたから、今日は自分を優先してもいいかな」
って。
神社 昌弘(かんじゃまさひろ:本名)
こんにちは。
神社昌弘です。
先日のゴールデンウィーク、ある友人から、ふと届いたメッセージがありました。
「たすけて」
そのひと言に、迷わず動きました。
風邪をこじらせて、しばらく動けないとのこと。
ドラッグストアで、風邪薬、栄養ドリンク、ビタミンゼリー、冷えピタに食料品――
思いつく限りのものを詰め込んで、お見舞いに向かいました。
手渡しながらふと思い出したのは、
僕がクローン病で、長く寝たきりになっていた頃のことでした。
病人は、つらい。
でも、目の前の人がつらそうにしているのに、何もできない看病する側の方も、
同じくらい、いや、それ以上につらいのかもしれません。
あの頃、母はどんな想いで、僕のことを見守ってくれていたのだろう?
毎晩、点滴が止まっていないか、2時間おきに僕の部屋をのぞいていたと聞いたとき、言葉にならない気持ちが込み上げました。
病気の本人以上に、看病する人が“何もできない苦しみ”を抱えていること。
今になって、ようやく、少しだけわかるようになった気がします。
ただ「ありがとう」。
それしか言えない。
でも、それだけは、ちゃんと伝えたいと思いました。
カウンセリングをしていると、よく聞かれます。
「心配しすぎる性格を、どうにかしたい」
「もう少し、ラクに生きられるようになりたい」
「頑張りすぎて疲れてしまう自分を、変えたい」——と。
けれど、
「心配しないでください」
「頑張らなくていいんですよ」
そんな言葉は、案外、響きません。
それは、すでに本人が一番よくわかっているから。
それができないから、苦しんでいるのです。
人の性格や気質というのは、長い時間をかけて培われたもの。
それを変えるには、「気合い」や「一言」では動かないのが現実です。
でも、その中でも希望はある。
それは、
「変わりたいと思っている自分が、ここにいる」
という事実です。
変われないのではなく、
今はまだ、本気で変わる準備が整っていないだけなのかもしれません。
人は、ある意味、“死ぬような体験”をしないと、本気では変われない。
僕自身も、クローン病を通してそれを体験してきました。
だから、カウンセリングでは焦らずに、
相手の話をただ、誠実に聴きます。
アドバイスではなく、傾聴と尊重からはじめます。
小さな気づきが、
やがて大きな行動に変わるその瞬間まで、
信じて、付き合い続けるのが僕の仕事です。
それでも、特に“身内”に対しては、
なかなか変化を信じられない自分が顔を出します。
言っても伝わらない。
わかってもらえない。
何より、心がすり減る——
だからこそ、僕はあえてこう伝えたい。
「変わってもいいし、変わらなくてもいい。
でも、いま苦しいなら、“いまと同じこと”を繰り返さない方がいい。」
その一歩が、いつかあなた自身の未来を救ってくれるから。
今日もまた、そんな想いを胸に、
僕はひとりひとりと向き合っています。