こんにちは。
神社昌弘です。
2006年10月〜
僕は、幼少期からの疑問を解決するべく、イギリスで、目に見えない世界(スピリチュアリズム)を学問的に勉強し始めることになりました。
ロンドンで出逢った霊能者が、僕に「サイキックサイエンス」を専門的に学ぶように勧めてくれて、それから本格的に勉強するようになったのですが…
金銭的な面と、ビザの関係で、そこで出会った恩師や講師たちとは文通やメールのやりとりを通して、色々学ばせていただきました。
年に一度、イギリスへ通い、現地では復習を兼ねた実践練習を積み重ね、それは恩師が亡くなる2012年まで続きました。
イギリスで勉強をする前、僕は霊に対して、どこか恐ろしいイメージや勝手な先入観を抱いていました。
でも、恩師から言われた一言で、その意識が一変しました。
「あなたの偏見の方が怖いわ」
「勝手なイメージで物事を見ていることが恐ろしい」
そんなことを言われて、びっくり仰天!
でも、図星だと思いました。
この世で一番怖いのは「人間」の方で、僕たち人間が、勝手に物事を決めつけたり、狭い価値観のもと、見たり聞いたりして、それぞれに意味づけしているところなんだなぁと思いました。
恩師は、どんなものに対しても、愛をもって「対等」であることを教えてくれて、みんなが、お互いを尊重し合って対等でいるところからしか、何も始まらないと言っていました。
恩師から学んだことは、凄い技術はもちろん、振り返ってみれば、見方をクリアにして、愛をもって対等であることを学べたことが、一番よかったと思っています。
もし、いま、霊が怖い人がいるなら、それは目に見えないものに対して偏見を持ち、勝手に怖いイメージをもっているだけのことです。
もちろん、生きている人間と同様に、霊にも怖いものもいますが、「わからないもの=恐ろしい」という公式のもと、何か悪いことをされると信じ込んでいるところが、恐怖を増幅させてしまっています。
一般的に、霊にとりつかれる人の特徴としては、以下のようなものが挙げられるのですが…
・霊や見えないものに対して勝手な先入観を持っている
・自己肯定感が低く、いつも自分の方が下だと思っている
・「No」が言えない「要らない」「止めて」など断れない
・相手の方が正しいと信じて、自分の意見をハッキリと言えない
・言行不一致、など
そもそも“なにか”にとりつかれるというのは、自分の言動にスキがあるからで、そのスキに“なにか”が入り込んできているだけのことです。
これは、霊に限ったことではなく、生きている人間も同様ですよね?
相手が悪いのではなく、また自分が悪いのでもなく、偏った見方から出発して、相手を悪者にしたてて、不安でものごとを見ているからおかしくなるんですよね。
僕は、イギリスでスピリチュアリズムを学びながら、決して特別ではない、ごく当たり前の「対等」の基本姿勢と在り方を学ぶことができました。
そのおかげで、これまでの見方が一変して、一気に味方が増えたように思います。
こんにちは。
神社昌弘です。
僕の名字は「神社(かんじゃ)」という珍しいものです。
そのため、昔から「家は神社(じんじゃ)なの?」「お父さんは、神主さん?」と聞かれることがよくありました。
いまでもよくありますが…。
個人的には、神様から選ばれた由緒正しき家で、先祖代々継がれる立派な家系だと思いたかったのですが…
実際のところ、父も祖父も公務員で、兼業農家、僕の幼少期は、一家四人、たった二間に小さなキッチンがついた職員住宅で過ごしていました。
大昔の出生をたどると、多少の謂れ(いわれ)はありますが…
それも、ご先祖様たちが立派なだけで、決して、いまここにある「僕たち」が凄いわけではありません。
それなのに、僕は「かんじゃ」というブランドに固執して、何か特別な使命があるはずだと思い込み、独自の感性や能力を開発することに必死でした。
有難いことに、目に見えないものと対話をしたり、不思議な感性を尊重しながら育てられたおかげで、それなりに特別なことはできるようになっていきましたが…
それに比べて、父は「かんじゃ」という名前に固執することなく、むしろ、その名前は恐れ多いと、日々控えめに、目立たず、ひっそり過ごしていました。
まわりからは「仏(ほとけ)の神社(かんじゃ)さん」と呼ばれて、ごく普通の、ごくあたりまえのことを大切にしていました。
僕は、そんな父が大嫌いでした。
絶対に「あんな平凡にはなりたくない」と思っていました。
でも…
そんな意識が一変する出来事がありました。
それは、父が亡くなった二日後のこと。
父のお葬式のことです。
なんと、900人以上が参列したのです!
バカ正直で、クソ真面目で、アホほどお人よし…
本当は、もっとできるはずなのに、いつも控えめで、自分は裏方にまわり、いつも損ばかりをして、人の依頼ばかりに振り回されて…
そんな父が大嫌いでしたが、その香典帳に書かれた929名の名前を見て、僕は、深く反省すると同時に、目が覚めました!
『特別なことは“何も”しなくていい!』父から教わったことは…
ただ、毎日を丁寧に生きること。
ただ、目の前にいる人の役に立つこと。
ただ、人の嫌がることを率先してやること。
ただ、どんな依頼に対しても「はい」と笑顔で答えること。
ただ、損得よりも喜ばれることを優先すること。
ただ、神仏に感謝をして、自分に正直に生きること。
ただ、それをするだけで…
こんなにも多くの人たちから愛されて、ごく自然に慕われるということでした。
「もし僕がいま死んだら、いったい、何人が会葬してくださるだろうか?」
改めていま、自分自身を振り返り、目の前にいる人に喜んでもらえるように、毎日を丁寧に、心を込めて生きたいと思います。
こんにちは。
神社昌弘です。
僕は、幼い頃から不思議な体験をすることが多く、目の前で父を亡くしたことや自身が難病を患ったことをキッカケに、17歳〜37歳までの約20年間、日本とイギリスでスピリチュアリズムを追究してきました。
僕の人生、あまりにも理不尽で、納得ができないことが多かったから、その意味や理由を知りたくて、ただひたすらに「答え」を探し求めていたのですが…
どこにいっても納得できる「答え」はなくて、気づけば、あの世や宇宙、外にばかり目がいって、自分の気持ちや感情は置き去られていきました。
自分を救えるのは「自分だけ」で「答えは自分の中」にある!
これは恩師たちが、いつも教えてくれたことで、どの本にも書かれている内容です。
おそらく、一度でもスピリチュアリズムを学んだことのある人なら、当たり前の「答え」ですよね?
もちろん、僕も頭ではわかっていました。
でも、それに納得できませんでした。
それにはワケがあるんです!
僕は、幼い頃から人一倍信心深くて、神様やご先祖様たちを崇拝して、お祈りをしてきたので、僕は自分ではなく、
「神様やご先祖様たちに救ってもらいたくて、彼らから答えをもらいたかった」
のです。
でも…
やっぱり、自分を救えるのは自分だけで、自分の中にしか「答え」はないということを、ことごどく思い知らされました。
そして、20年以上もバカなことをやってしまいました。
いまとなっては、これも貴重な財産ですが、このようにして、僕はスピリチュアリズムが大嫌いになりました。
そして、大好きだったということもわかりました。
この実体験は、自身の著書「スピリチュアルが教えてくれたこと」でも書いていますが…
スピリチュアルが大嫌いな理由は、人を惑わす大きな力をもっているから。
反面、大好きな理由は、自分らしく“いまここ”を生き抜く知恵があるところです。
僕はいま、この大嫌いと大好きの狭間で「スピリチュアリズムを日常で活用する方法」を伝えたくてウズウズしています。
せっかく20年も追究し、大間違いと大失敗をしてきたから、この学びと気づきをシェアしたいのです。
運よくイギリスの専門学校で、最上級の先生たちから特別授業を受けさせていただき、世界各国の仲間と共に直接指導を受けられたので、そこでしか体得できなかった知恵と技術を、これからは赤裸々に伝えることによって、ほんの少しでも、あなたの人生に生かしてもらえたらいいなと思っています。
もし直接質問したい方は、4/19(日)大阪へお越しくださいね。
https://www.reservestock.jp/events/403279
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕には「自閉症」と診断された甥がいます。
今から16年前のこと。
彼が、まだ1歳8ヵ月の時に「自閉症」だと診断されて、家族が泣き崩れたことがありました。
そのストーリーは、母が著書の中で書いていますが…
(あなたの言葉に逢いたくて:神社啓子著)
おかげさまで、早期発見と血のにじむような努力、まわりのサポートによって、今では元気に高校に通っています。
僕は、自閉症が改善されたことを誇りに思い、この奇跡を一人でも体験してほしくて、母や姉の実体験を冊子にして無料配布したり、自身の勉強会でお話したり、ブログで伝えたりして、障がいを持った子どもたちが、少しでも早く良くなるように貢献したいと思って活動をしていました。
そんなある日のこと。
ボランティアで訪れたある施設で、僕は自分の間違いに気づかされました。
その日、僕は、目の不自由な男の子を担当することになったのですが…
その子と過ごす中で、彼の目が見えることはないと知って、これまで自分がやろうとしてた間違いに気づいたのです。
僕は「障がい」を改善したり、「取り除く」ことばかりを考えて、勝手に良くしようとしていたけれど、どんなことをやっても、何をしても治らないものがある…
その事実を目の当たりにした時…
本当の教育とは、たとえどんな状況であっても、どんな環境にあったとしても、その子が、そのままで「幸せ」に生きていけるようにお手伝いすることだと思い知ったのです。
この時…
自分勝手に、独りよがりに「直そう」としていた自分を深く反省しました。
かつて…
上皇后美智子さまが、こんなことを話されていました。
「幸せな子」を育てるのではなく、どんな境遇におかれても「幸せになれる子」を育てたい
この言葉を忘れないで、心に留めておきたいと思います。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕は20代の頃、英会話教室でアルバイトをしていたことがあるのですが、なぜか保護者から“進路相談”をされることがよくありました。
ある日のこと。
高校生の娘さんを持つ母親から、
「娘が転校したいと言い出したのです。どうしたらいいですか?」
と相談を受けて、
「なぜ、彼女は転校したいって言っているのですか?」
と聞き返すと、
「英語のレベルが高すぎてついていけないから…」
というものでした。
本来、塾の講師であれば、
「ウチでフォローしますから大丈夫です!任せてください」
と言うべきなのでしょうが、僕は、すでに彼女がめいっぱい頑張って、もうこれ以上「無理」だということを知っていたので、
「娘さんの希望通りにはできませんか?」
と伝えたら、ひどく怒られました。
「ここまで頑張ってきたのに…せっかく良い高校なのに…」
「なんでそんなことを言うのですか?!」
「あなたは講師失格よ!」
怒りまくっていた母親に対して、僕は、
「彼女がいま一番望んでいることが、彼女にとって一番良いことだと思います」
と答えたら、余計に怒らせてしまって、全く聞く耳をもってもらえませんでした。
そこで
「もし彼女が、転校したらどうなるのですか?」
と尋ねると
・良い大学に入れない
・良い会社に就職できない
・良い人に出会えない
・良い結婚ができない
・幸せになれない
そんな答えが返ってきました。
親が子どもを思う気持ちはわかりますが、そもそも「良い」って何なのでしょう?
「幸せ」って何なのでしょう?
あなたの「幸せ」が子どもの「幸せ」なのでしょうか?
なぜ、子どもが望んでいる幸せの観点から考えられないのでしょうか?
一生懸命に娘さんのことを思われている気持ちもわかりますし「あとちょっと頑張ってもらいたい!」「ここを乗り越えてもらいたい!」そんな気持ちもあると思います。
でも、本当に彼女の「幸せ」を考えるなら、いまここやるべきことは、自分の想いを押し付けることではないですよね。
こんなことを書くと「甘い」「わがままになる」と言われるかもしれません。
でも…
もし、あなたが両親に「甘えるな!」「もっと頑張れ!」「耐えろ!」と言われ続けて、辛抱しながら頑張り続けたら、大人になった時、親に心から「ありがとう」と言えますか?
おそらく、忍耐力と我慢強さは身につくので、多少の感謝はできると思いますが…
自分の「本音」を聞き入れてもらえなかった傷は深く残るはずです。
…あのとき私の本音を聴いてほしかった…
そんな想いは一生消えることはありません。
僕は、彼女のような真面目な生徒たちが、親の期待に応えるために、必死に自分を押し殺し、心を病んできた事例をいっぱい知っているので、もし可能なら、まず、幸せの形はさまざまだと知っていただいうえで、子どもが望んでいる「幸せ」を聴いて、子どもの視点から「幸せ」を考える余裕をもっていただけたら嬉しいなと思います。