こんにちは。
神社昌弘です。
僕は、かつてイギリスのカレッジで、恩師たちとスピリチュアリズムを追究していたので、帰国してからは、色んな不思議な人と出会う機会がありました。
というより、僕が不思議な人に会いたくて、たずね歩いていただけなのですが…
海外に出て、異文化を学んで、日本とイギリスを行き来し始めると、新たに「見えるモノ」が沢山ありました。
ある日のこと。
僕の講演会が終わった直後に、ある一人の女性がツカツカと歩み寄ってきて、
「神社さんにお話があります。この後、喫茶店にお越しください」
というので、特に予定もなかったので、
「はい、わかりました」
とだけ言って、指定された場所に行きました。
すると、初めて出会ったその方から、
「神様からのメッセージが届きましたので、あなたへお届けに参りました」
と言われたのです。
「え?」
と思って、話を聴いていると、
「あなたは、今後○○しなければいけない。あなたには、○○のお役目があります…など」
なんだか凄いことを言ってきました。
その場は、とりあえず
「はい」
とだけ言って、帰宅後、すぐに恩師に相談することにしました。
すると、恩師は
「そのメッセージは無視しなさい」
と言われました。
「え?なんでですか?わざわざ、せっかく伝えに来て下さったのですよ」
と言い返すと、
「神様が、もし本当にあなたに必要なメッセージを伝えたいなら、他人経由などは、決してありえません」
「そんな面倒なことはしませんから、無視しなさい」
と言いました。
“そうかぁ!”
“なるほど〜!”
と思う反面、その女性からは、僕の凄い使命や役割を伝えられたので、ちょっぴり残念な気持ちもありました。
でも…
よくよく考えてみると、神様からメッセージがあると言われて、それを信じた瞬間に、僕は、その人からの指示に従って、コントロールされるようになってゆくんだろうなぁとも思いました。
それを考えるとゾッとしますよね?
僕は、凄いと言われるのが大好きで、おだてられたり、特別だと言われると、つい調子にのってしまうところがあるので、いつも恩師の言葉を忘れないようにしています。
神様は、本人が望まない限り、他人を介して特別なメッセージを伝えることはない!
それを肝に銘じることにしています。
こんにちは。
神社昌弘です。
僕は、まわりが驚くほど行動派なので、直観でピンときたらポンと動くようなところがあります。
まず動いて、実際の目で見て、確かめないと気が済みません。
そのおかげで、これまで沢山の面白い人たちと出会い、素晴らしい知恵をたくさん共有していただくことができました。
中でも、興味深かったのは…
イギリスで出逢ったある占いの大家(たいか)!
その国では、知らない人はいないというくらい有名な方で、鑑定してもらには何カ月も待たないとイケナイような方。
おそらく70歳を超えているような方で、見た目はいたって“普通”のおじいちゃん。
その占い師に偶然会うことができて、ここぞとばかりに、
「運勢をよくする秘訣はなんですか?」
と尋ねたことがありました。
元気であること!
「え?それだけですか?」
と聞き返すと
「ただ、それだけ」
と返ってきました。
あまりにも当たり前すぎる「答え」に、拍子抜けしましたが、元気に、明るく、楽しく生きることが、一番、運勢をよくする秘訣だと言っていました。
自分自身の心身を元気にできない者が、運勢をよくできるはずがない!
規則正しい生活をした上で、心身ともに健全で、元気に、明るく、楽しく生きることが一番運勢をよくする方法だ!
と言っていました。
密かに「凄い答え」を期待していた僕は、正直ガッカリしてしまいましたが、「やっぱり」というふうにも思いました。
大切な「答え」というものは、ごくごく当たり前で、いたって自然でシンプルなものなんですね。
やっぱり、自分の心身が元気であってこそ、何ごともよくなってゆくのでしょう。
こんにちは。
神社昌弘です。
今日は、春分の日…
お彼岸(ひがん)の中日ですね。
春のお彼岸とは「春分の日」を中日に、前後3日間、計7日間が「お彼岸」になりますが…
・3月17日(火)彼岸入り
・3月20日(金)中日(春分の日)
・3月23日(月)彼岸明け
この時期には、お墓参りに行かれる方も多いかもしれませんね。
春分の日は、太陽が真東から上がって真西へ沈みますが、この日に、あの世とこの世が通じやすいようで、昔の人たちは、このタイミングで先祖供養をすることによって、ご先祖様たちと交流をしていたようです。
だから、いまでも、その風習が残って、お墓参りをするのですね。
僕もお墓参りに行きたいのですが、最近は、いろんな事情で行くことが難しくて、うしろめたさと罪悪感を持つことが多いです。
そんな時、日頃、お世話になっている和尚様は、
「それでもいいです」
「お墓参りをしないからといって、先祖がたたることは絶対にありませんから大丈夫です!」
とおっしゃってくださいます。
もちろん、お墓参りに行けたらご先祖様も喜ばれるだろうし、それはそれでいいのでしょうが、それができなくても大丈夫!
心配は要りません。
お墓参りをしないからといって、罰をあてられたり、病気になったり、事故に遭うことはありません!
もし仮に、そんなことがあるとしたら、それはご先祖様のせいではなく、自分のせいです。
自分のうしろめたさや罪悪感、「たたりがある」という悪い予感を信じている姿勢が、そのような現実を引き寄せているのでしょう。
そもそも、僕たちが亡くなって、あの世からこの世を見た時に、自分の子孫が墓参りをしないからといって“たたり”ますか?
そんなわけがありません!
僕たちが生まれてくるまでに、沢山のご先祖様たちが関わってくれて、そのおかげで、いまここに「僕たち」がいます。
だから、この「大切ないのち」を脅かすことなどありえません。
もしそれでも心配な方がいたらこちらをご一読ください。
お墓参りができても、できなくても、せっかく、このブログを見てくれたなら…
せめて今日くらい、ほんの少しでいいから、過去から引き継がれた「いのち」に意識を向けて、その場で手を合わせて、そっと、ご先祖様たちに感謝ができるといいですね。
そして…
いまここで、とびっきりの笑顔で喜んでいる姿(命を輝かせている姿)を見せられたら、きっとご先祖様たちは、あの世で大喜びしてくれると思います。
こんにちは。
神社昌弘です。
僕は、いつもポストカードをプレゼントしているのですが…
(ご希望の方だけにですが…)
自作の1,300種類の中から“8枚”をカバンに入れて持ち歩き、出会った人に“直観”で選んでいただいています。
そのポストカードの裏には「名刺」を入れているのですが…
以前、僕は、そこに着物姿の名刺を入れていたことがあります。
父も母も茶道や華道を習っていたことがあり、僕も少しばかり茶道や華道を習っていたので「着物」は好きだったのですが、実は自分の着物を持っていなくて、いつもレンタルしていました。
もちろん、その名刺に写っている着物はレンタルで、自宅ではない凄い場所で撮影したものでした。
それなのに、
まるで自分の着物のように…
しかも自宅のように…
振るまっていたんですよね。
そんなある日のこと。
大企業の会長の奥様と御縁をいただいて、名刺交換をした際に、
「うさんくさい」
「これ、あなたの着物じゃないでしょ?」
「ありのままの“等身大”の自分に戻しなさい」
「これだと、あなたの“本当の良さ”が伝わらない」
って言われたんです。
すごいショックを受けましたが「バレた」って観念しました。
最初は、イラっとしましたが、その後、すぐに恥ずかしさが込み上げてきて、顔から火が出る思いでした。
見る人が見たらわかるんだなぁと思って、すぐに名刺を作り替えることにしました。
そうして、その日の内に名刺を処分して、新たに作り替える手配をして、出来上がると同時に、再度ご挨拶に伺うと、あまりの速さにびっくりされて、とても気に入ってもらえました。
それ以来、とてもよくしていただいているのですが、自分が特別なことをしようとしている時や凄いことをしようとしている時ほど、細心の注意が必要だと思いました。
とはいうものの、知らない間に傲慢になったり、勘違いするような時もあるので、ショックを受けた時やイラっとした時こそチャンスだと思って、定期的に「注意」してくれる人に出会って、率直なアドバイスをいただくようにしています。
僕がこれまでに教わった、その人が本物かどうかを確かめるポイントは3つあります。
・身分相応の生活をしているか
・その人のまわりにいる人が、明るくて楽しくしているか
・家族や身近な人に怒鳴りつけていないか
です。
もし自分の中に、ゆるぎない自信があれば、外見にこだわる必要はありません。
見た目が普通の人の方が、実は本物の場合も多いので、僕も等身大の自分で“ありのまま”にいたいと思います。
こんにちは。
神社昌弘です。
僕の趣味はカメラです。
アマチュアカメラマンだった母の影響を受けて、2007年から本格的に写真撮影をするようになりました。
おかげさまで、フォトエッセイ集も2冊(しあわせのありか/あなたらしく咲く)出版できて、即完売しました。
好き勝手に撮影しているだけでしたが、年数を重ねる度に良い写真が撮れるようになり、まわりからも認められて、普通の写真では物足りなくなっていきました。
いつしか、みんなを驚かせる凄い写真を撮りたくて、いろんなパワースポットにも出かけるようになりました。
ある日のこと。
有名なパワースポットに到着した瞬間、もの凄い光が差し込んできて、これは奇跡だと思って、急いでカメラに収めました。
その写真には、明らかに不思議な“銀色に輝く光”が写っていました。
よく見ると、それは七色に光っていて、どこか荘厳な雰囲気を醸し出していました。
しばらくして、その写真を恩師に見せたことがあったのですが…
「この写真、凄いでしょう!?」
「あるパワースポットで撮影したんですが、この凄まじい光を見てください!」
「この光が僕を包み込んで、凄いエネルギーをもらったんですよ!」
興奮して説明し終えると…
「たまたまだね」
って言われて、
「えっ?」
と拍子抜けしていると、
「これは勘違いだね」
って言われて、イラっとしました。
その時、ハッと目が覚めました!!
僕は「自分が特別だ」と思いたいところがあったんですね。
悲しいことに、いつも「自分が凄い人」だと思いたいところがありました。
だから、わざわざ凄い写真を見せつけて「神社さんは特別」「やっぱり凄い」と言わせたかったんですよね。
もし仮に、それが、本当に凄いエネルギーだったら、すでに『本当に凄いこと』、つまり、急に僕の著書がベストセラーになったり、宝くじが当たったり、大金が手に入ったり、奇跡のようなことが起こっているはずなんですよね。
でも、僕自身に奇跡が起こっていないということは、やっぱり『たまたま』だったのでしょう。
もちろん、僕自身が幸せを感じて、それに感動しているだけであれば、それはそれでよかったのですが…
それを誰かに見せたり、確認したり、それで凄いと言ってもらいたかったというのは、やっぱり、それは勘違いだったのです。
スピリチュアリズムを追究していた頃、僕は、他の人よりも感性が鋭いというだけで、いつも、心のどこかで、今の自分は本当の姿ではないと勘違いをしていて、本当の自分は別のところにいて、いつかウルトラマンのように変身できるんだと思っていたように思い出します。
本当の自分は、いまここにある『そのまま』の自分なのに、いつも別のところにいる自分を夢見ていた自分を恥ずかしく思います。
でも、その間違いと勘違いの経験があるからこそ、『ありのまま』という意味の、本当に深い部分を理解できるようになれたと思います。