「私が悪いんです」
そう言って涙をこぼされる方が、カウンセリングでは本当に多くおられます。
誰かが怒っているとき、
誰かが困っているとき、
何か問題が起こったとき――
反射的に、
「自分のせいかもしれない」
と思ってしまう。
でもね、それ、あなたの“性格”のせいじゃないんです。
「あんたが悪い」で育った人へ
小さい頃から親に、
「あんたが悪い」
「ちゃんとしないからこうなった」
と繰り返し言われてきた方ほど、
何かあると「自分が悪い」と思ってしまう癖がついています。
これはもう、“心のクセ”なんです。
とても真面目で、責任感があって、優しい人に多いのも特徴です。
そういう方は、無意識のうちに、
「私さえガマンすれば」
「私が悪者になれば」
と、その場を収めようとします。
でも、それって、本当に必要な“ガマン”でしょうか?
スピリチュアルが、罪悪感を強めてしまうときもある
もう一つ。
スピリチュアルを学んでいる方にも、
同じような傾向があります。
「この現象は、自分が引き寄せたもの」
「現実は、自分の内面の投影」
それが本質的に間違っているわけではありません。
けれど――
本来、自分を癒すための言葉が、
いつのまにか「自分が悪いからだ」という思考にすり替わってしまう。
それでは、自分を責めるためのスピリチュアルになってしまいます。
ノンジャッジメンタルで、まず自分を救おう
僕はいつも、
「ノンジャッジメンタル(裁かない)」
という姿勢を大切にしています。
何か問題が起きたとき、
誰が正しい、誰が悪い、と白黒はっきりつけようとしすぎない。
なぜなら、現象だけで人の本質は判断できないからです。
自分が悪いと決めつけるその前に、
“今、どう感じているか?”に耳をすませてほしいのです。
自分を悪者にしないでください
本当に、全部あなたのせいですか?
確かに、自分が反省すべきことも、あるかもしれません。
でも「全てが自分のせい」ではないはずです。
罪悪感という“見えない呪い”に苦しんでいる方へ。
あなたは、悪くありません。
少なくとも、いつも自分を責めてしまうほどには。
どうか、この呪いを、そっと手放してほしい。
僕は、あなたの中の“やさしさ”を、
責めるためではなく、癒すために使ってほしいと願っています。
僕の家に来た人が、ほぼ全員、
必ず驚いてくれる場所があります。
それが――トイレです。
「なにこれ、無茶苦茶キレイ…!」
「いい香りがする…!」
「人生でいちばん美しいトイレかも…!」
そう言ってもらえるのはありがたいですが、
僕にとっては、正直、それが“普通”なんです。
もちろん、毎日のように掃除しています。
以前は、自己啓発セミナーの影響で、素手で掃除していたこともあります(笑)
でも、僕がトイレを丁寧に整えているのは、
風水やスピリチュアル的な理由というより、
「気持ちのいい空間でありたい」
という、シンプルな感覚からです。
トイレって、
誰かに見せる場所じゃないし、
一番“後回し”にされがちな場所。
だからこそ、その人の本性が出る気がするんです。
見えないところをどう扱うか。
触りたくない場所をどう整えるか。
「誰にも見られない部分」に、
その人の優しさや、誠実さが滲む。
僕にとって、
トイレを整えることは、
人を大事にすることと同じことなのかもしれません。
ちょっとだけ立ち止まって、
自分の“日常のどこに心を込めているか”を思い出してみると、
案外、自分の美意識ややさしさが見えてくるものです。
…というわけで、今日もトイレはピカピカです(笑)
「今日は酔ってもいいや」
そんな一言が、どうしても言えない自分がいる。
ちゃんとしてきた人ほど、心のどこかで「ゆるみたい」と願っているのに。
僕は昔から、どちらかというと「ちゃんとしてる人」に見られがちです。
たしかに、自分でもそう思います。
でも――
その「ちゃんと」が、僕から“楽しむ”ことを奪っていると感じることがあるんです。
たとえば、「お酒」。
実は、僕はけっこうお酒に強いタイプです。
でも、それでも“酔えない”。
なぜかというと、
そんなふうに、いつもどこかで「先のこと」を考えてしまう。
だから、どんなに楽しくても気を張っていて、
「今日は酔っ払ってもいいや」
って、思えない自分がいる。
実際、僕の“酔った姿”を見た人は、ほとんどいないと思います。
いつも“しっかり者”でいようとしてしまうから。
でも、本当は――
酔ってみたい。
ゆるんでみたい。
みんなみたいに、はしゃいでみたい。
そんな気持ちも、心の奥にはちゃんとあるんです。
じゃあ、なぜそれができないのか。
周りを信頼してないのか?
……いや、違う。
それは、きっと「自分がそうしたいだけ」。
“備えていたい”自分がいるだけなんです。
でも、時々、思うんです。
「誰かに任せてもいい夜があってもいい」
「全部を背負わなくてもいい」
って。
ちゃんとしてきた人ほど、
きっと、もう「ゆるんでも大丈夫」なんです。
今日はそんなことを、
真面目すぎる自分に、そっと伝えてあげたくなりました。
実は、5月の連休から髭をはやし始めました。
理由は、ちょっとしたイメチェン。
大人の男を目指して、ダンディー路線へ…と思ったのですが——
誰も、気づいてくれない。
いやいや、自分ではけっこうな変化のつもりなんです。
鏡を見て、「ちょっと雰囲気変わったやん」と自己満足してる。
でも、周囲の反応は、まさかの“完全スルー”。
最初は笑ってたけど、だんだん…
「え、ほんまに誰も見てないの?」
「これ、似合ってないのか?」
「そもそも、変な方向にいってない?」
って、急に不安になる自分がいる。
本当は、自分がやりたくてやってることなのに、
なぜこんなに人の目が気になるんだろう?
結局、「認められたい」んですよね。
「似合ってるよ」
「いい感じやん」
って一言が、どうしても欲しくなる。
そして聞くんです。
「この髭、どう?」って。笑
すると返ってくるのは、
「え、めっちゃいいやん!」
「ダンディーになったね」って言葉。
……でも、それを聞いてもなお、
「ほんまか?」って思ってしまう(笑)
まだまだ、僕の中の承認欲求くんは健在のようです。
でも、そんな自分も嫌いじゃない。
誰かに見てもらいたい。
認めてもらいたい。
かっこいいって思ってほしい。
それって、なんだかんだ言って、
「人間らしさ」そのものなのかもしれません。
だから今日も、ひげを整えて、
少しだけダンディーに生きてみようと思います。笑
カウンセリングをしていると、よくこんな質問をいただきます。
「自分に優しくするって、甘やかしてるだけじゃないんですか?」
はい、正直、めちゃくちゃわかります(笑)
特に、真面目でがんばり屋さんほど、
「優しくする=ゆるむ=ダメになる」
って、どこかで思ってしまっている。
でも、ここでひとつ、声を大にして言いたいんです。
そもそも、甘やかして何が悪い?
それなら、むしろどんどん甘やかしていい。
問題なのは、自分を追い詰めすぎること
「もっとちゃんとしなきゃ」
「こんな自分じゃダメだ」
「弱音を吐いちゃいけない」——
そんなふうにして、
心の声を無視して、
どこまで自分を責め続けるつもりですか?
厳しくする=正しい、ではない
それ、もはや自分いじめなんです。
特に真面目な方の多くが、残念ながら、
“努力”という名のもとに、無意識のうちに自分をいじめている。
じゃあ、どこに線を引けばいいのか?
それは、
“終わったあとに気持ちがどうなってるか”
で判断してみてください。
甘やかしたあと → 元気になる、自分に優しくなれる
甘やかしたあと → やる気がわいてくる
↓
それはもうセルフケアです。
逆に、厳しくしたあと → 落ち込む、動けなくなる、責めたくなる
↓
それはもうセルフクラッシュです。
“自分に優しくする”って、
弱くなることじゃない。
立ち上がれる力を、もう一度取り戻すことなんです。
今日もがんばっているあなたに、
そっとお伝えしたかった言葉です。