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お布施ブログ

神社昌弘のお布施ブログです。

実体験から得た「生きる知恵」を、皆様の日常に役立てていただきたいという願いを込めて書いています。


最新のコラムは、こちらにも書いています。
2025/12/23

スピリチュアルの世界では、

「使命」という言葉が、よく使われます。

  • あなたの使命
  • 魂の役割
  • この人生で果たすべきこと

それを聞いて、

希望を感じる人もいれば、

なぜか胸が苦しくなる人もいます。


今日は、

その「苦しくなる側」の人に向けて、

クリスマスイブの朝に、

少しだけ正直な話を書こうと思います。



 

僕自身、

長い闘病の時代がありました。

これから先の人生が、

まったく見えなくなってしまい、

「この命に、意味はあるのだろうか」

そんな問いばかりが、

頭の中を巡っていました。

 

特に、クリスマス‼️


街が光に包まれ、

神や奇跡という言葉が、

少しだけ近くに感じられる夜。


そのたびに僕は、

神様に問いかけていました。

 

「僕の使命は、何ですか」
「この苦しみに、意味はあるんですか」

 

喜びに満ちた世界の片隅で、

答えを必死に探して、

祈っていたのだと思います。

 

使命を探して、

しんどくなっていませんか。

  • まだ見つかっていない気がする
  • 自分は、何者でもない気がする
  • このままじゃ、いけない気がする

そう感じれば感じるほど、

焦りや不安は、

音もなく、大きくなっていきます。

 

これは、

怠けているからではありません。

むしろ、

とても真面目で、

誠実な人ほど、

陥りやすい状態です。

 

今だから、

はっきり言えます。

使命は、

探すものではありません。

 

探そうとすればするほど、

遠ざかっていきます。

 

なぜなら、使命とは、

特別な役割や肩書きではなく、

生き方の「結果」として、

あとから、浮かび上がるものだからです。

 

使命を、

「何か大きなこと」

「人の役に立つこと」

「世の中を変えること」

 

そう思いすぎると、

人は、

今の自分を否定し始めます。

 

今の仕事じゃ、ダメ。

今の自分は、小さい。

もっと、何かできるはず。

 

でも、

その否定の上に、

本当の使命は、育ちません。

 

これまで多くの人を見てきて、

ひとつだけ、

確信していることがあります。

 

自然に使命を生きている人たちは、

自分の使命について、

ほとんど語りません。

 

ただ、

目の前の人を大切にして、

今できることを、淡々とやり、

自分に嘘をつかない選択を、

重ねているだけです。

 

そして、ある日、

周りの人が、

勝手に言い始める。

 

「あなたのそれが、使命だね」と。

 

使命とは、

名乗るものでも、

証明するものでもありません。

 

生き方に、

静かに、

にじみ出るものです。

 

もし今、

使命を探して、疲れているなら。

自分は、

まだ途中だと、責めているなら。

何も成し遂げていない気がして、

立ち止まっているなら。

 

このクリスマスイブだけは、

少し、歩みをゆるめてください。

 

そして、

自分に、問いかけてみてほしいのです。

 

今日は、

自分に嘘をつかなかったか。

無理を、しすぎていなかったか。

ちゃんと、

今を、生きていたか。

 

それで、

十分です。

 

使命は、

見つけた人に、

与えられるものではありません。

 

今日を、

誠実に生きた人の背中に、

あとから、

そっと、乗ってくるものです。

 

焦らなくていい。

探さなくていい。

 

あなたの人生は、

もう、ちゃんと、

動いています。

 

静かなクリスマスイブの光の中で、

そのことだけ、

思い出してもらえたら、

それで十分です。



2025/12/22

少し、正直な話をします。


僕は、

スピリチュアルを信じています。

魂の話も、意味のあることだと思っています。


でも――

ずっと、苦しかった。


なぜなら、

「分かっているはずの自分」が

まったく楽になっていなかったからです。




人からは、よく言われます。


「神社さんは、悟ってますよね」

「もう超えてますよね」

「軸があって、ブレないですよね」


正直に言うと、

そのたびに、心のどこかがザワつきました。


本当は、そんなに強くない。


むしろ、

分かっているからこそ、

余計に自分を縛っていた。




スピリチュアルを学べば学ぶほど、

「こうあるべき」

が増えていきました。


•怒ってはいけない

•執着してはいけない

•ネガティブは手放すべき

•魂的に成長しなければ


でも、現実の僕は、


・嫌な人を前にすると、ちゃんと傷つく

・言いたいことを飲み込んで、後で落ち込む

・「大人なんだから」と自分に言い聞かせる


そのたびに、

分かっているのにできない自分を責めました。


そして、

ある時、

ふと気づいたんです。


ああ、僕は

『スピリチュアルを使って、自分をちゃんと生きることから逃げていたんだな』

って。


魂の話をしている間は、

「今ここ」の痛みに向き合わなくて済む。


前世や使命を語っている間は、

今日の「嫌だ」「怖い」「つらい」を後回しにできる。


それは、とても“賢い逃げ方”でした。




そこから、少しずつ変えました。


立派な答えを出すのをやめて、

まず、自分の弱さを許すことにした。


・怖いものは、怖い

・嫌なものは、嫌

・できない日は、できない


それを認めただけで、

不思議と、心が緩んだんです。


すると、

人生は劇的には変わりませんでした(笑)


奇跡も起きていません。

一瞬で好転もしない。


でも――

確実に、ラクになった!!


•無理な人間関係を、そっと手放せた

•自分を責める時間が、減った

•小さな安心を、ちゃんと感じられるようになった


これが、

僕にとっての本当のスピリチュアルでした!




正しさは、

人を救うこともあります。


でも、

正しさだけでは、

人は自分を許せません。


先に必要なのは、

「弱くてもいい」という許可。


そこから先にしか、

本当の成長は起きない。



もし今、あなたが


・スピリチュアルは好きなのに、なぜか苦しい

・分かっているはずなのに、楽になれない

・ちゃんと生きたいのに、力が入ってしまう


そう感じているなら、

あなたは間違っていません。


ただ、

優しさを自分に向ける順番が

少し、後ろになっているだけ。




最後に。


魂の成長は、

立派になることじゃありません。


弱さを抱えたまま、

今日をちゃんと生きること。


それができた日、

あなたはもう、十分すぎるほど

前に進んでいます。


2025/12/21

僕は、つまんない人間です!


こんなことを書くと、

「またまた、何を言ってるんですか」

と言われそうですが、今日は本音です。


僕は、つまんない人間です。


なんでも、そつなくこなす。

大きな失敗もしないけど、

大きな盛り上がりもない。


楽しそうにしているように見えて、

どこか冷静。

一線を越えない。

ちゃんとしている。


周りから見れば、

それは「安心できる人」「信頼できる人」

なのかもしれません。


でも、

自分で生きている感覚としては、かなり生きづらい。




ちゃんとしすぎている。


ちゃんと空気を読む。

ちゃんと期待に応える。

ちゃんと距離を保つ。


その結果、

ちゃんとした人として見られ、

いつの間にか、

自分で自分の首を締めている。


羽目を外せない。

調子に乗れない。

ノリたい気持ちはあるのに、

どこかで必ずブレーキがかかる。


だから、平凡。


平凡が悪いわけじゃない。

でも、彩りがない。


まるで、

音楽を「音」としては聴いているのに、

「楽しむ」ことができていないような感覚。


リズムはわかる。

構成も理解できる。

でも、身体が揺れない。


そんな感じです。



正直に言うと、

感情をそのまま出せる人に、ずっと憧れてきました。


怒れる人。

はしゃげる人。

泣きたいときに泣ける人。


自己表現が自然にできる人を見ると、

「いいな」と思う。


でも同時に、

自分には無理だともわかっています。


なぜなら、

それは努力や勇気の問題ではなく、

人格だから。


真面目ちゃん気質。

冷静さが先に立つ性格。

一歩引いて全体を見る癖。


これは、

変えようとして変えられるものではありません。


だから昔は、

「変われない自分」を責めていました。


もっと面白くなれたら。

もっとノリが良ければ。

もっと人間味があれば。


でも、

どれも無理をしている感じがして、

結局、疲れるだけでした。




最近、ようやく気づいたことがあります。


僕が求めているのは、

「別人になること」ではなく、

「もう少し人間くさく生きること」なんだと。


羽目を外せなくてもいい。

調子に乗れなくてもいい。

派手じゃなくてもいい。


ただ、

「つまんない自分」を

なかったことにしない。


楽しめない自分を、

責めない。


ノリきれないときに、

「またブレーキかけてるな」

と、苦笑いできるくらいでいい。


完璧に変わらなくていい。

でも、

自分にだけは、

少し優しくしてやりたい。



この仕事をしていて思うのは、

「ちゃんとしすぎて生きづらい人」は、

本当に多いということです。


真面目で、

責任感があって、

人を傷つけたくなくて。


だからこそ、

人生の彩りが、

どこか薄くなってしまう。


もし、この記事を読んで

「わかる」と思った人がいたら、

あなたもきっと、同じタイプです。


派手じゃない。

でも、雑じゃない。

騒がしくない。

でも、深い。


それも、

ひとつの人間らしさです。




今日は、

解決策も、前向きなまとめもありません。


ただ、

「つまんない自分を抱えたまま、生きている人間がここにいる」

という事実を書いただけです。


でも、それでいいと思っています。


少しずつ、

人間くさく。


少しずつ、

自分に余白を。


それくらいのペースで、

生きていきたい。


2025/12/20

嬉しいことがあったのに、

なぜか素直に喜べなかった。

心のどこかで、ブレーキを踏んでしまった。


そんな経験はありませんか。

 

  • 昇進が決まったとき
  • 褒められたとき
  • うまくいき始めたとき

 

本当は嬉しいはずなのに、

「調子に乗らない方がいいかな」

「あとで落ちたら怖いな」

そんな声が、頭の中に浮かぶ。


不思議ですよね。

誰かに怒られたわけでもないのに、

自分で自分を止めてしまう。


でもそれは、

あなたの性格でも、欠点でもありません。


そのクセは、あとから身についたものです。




多くの人は、子どもの頃や、

まだ心が柔らかかった時期に、

こんな言葉を何度も聞いてきました。


「調子に乗るな」

「浮かれすぎ」

「そんなにうまくいくわけがない」


言った側は、

心配していたのかもしれません。

守りたかったのかもしれません。


けれど、受け取った側の心には、

別のメッセージが残ります。


「喜ぶと危ない」

「幸せは長く続かない」

「抑えていた方が安全だ」


こうして人は、

喜びを感じた瞬間に、

無意識でブレーキを踏むようになります。


これは、生き延びるために身につけた

防衛反応です。

だから、簡単には手放せません。


でも、大人になった今、

そのブレーキは本当に必要でしょうか。


喜びを抑えることで、

あなたは安全になれていますか。

それとも、

人生の色が少しずつ薄くなっていませんか。


喜びは、

奪われたものではありません。

壊れたものでもありません。


ただ、

使わないように教えられてきただけです。


だから、取り戻すこともできます。

一気にでなくていい。

少しずつでいい。


嬉しいときに、

「嬉しい」と思ってみる。

それを、すぐに否定しない。


それだけで十分です。


喜びを感じることは、

誰かを裏切ることでも、

罰を受けることでもありません。


あなたが人生に

ちゃんと反応している証拠です。


もし今日、

ほんの小さな嬉しさに気づいたら、

それを抑えずに、

心の中でそっと認めてあげてください。


それは、

これからの人生を

少しずつ生きやすくする、大切な一歩です。




2025/12/19

「調子に乗るな」

「後で苦労するぞ」

「そんなにうまくいくはずがない」


子どもの頃から、

あるいは大人になってからも、

こうした言葉を向けられてきた人は、意外と多いのではないでしょうか。


しかもそれは、

悪意のある人からではなく、

親や先生、上司、身近な“心配してくれる人”からだったりします。


だから、心に残ります。




否定された記憶としてではなく、

「自分は浮かれてはいけない」

「幸せを感じるのは危険だ」

そんな感覚として、静かに染み込んでいきます。


うまくいっている時ほど、

なぜかブレーキを踏んでしまう。


嬉しい出来事があっても、

どこかで「このまま喜んで大丈夫かな」と考えてしまう。


カウンセリングをしていると、

そういう人に何度も出会います。


そして多くの場合、

その人はとても真面目で、

周りを気遣い、

「ちゃんと生きよう」としてきた人です。


だからこそ、

この話ははっきりさせておきたいと思っています。


人生で調子がいい時に、

調子に乗らなかったら、

いったいいつ乗るのでしょうか。


「後で苦労するぞ」という言葉は、

一見、現実的で賢明な忠告に聞こえます。


でも実際には、

今の幸せを感じるな

と言っているのと同じです。


未来の不安を理由に、

今の喜びを先取りで奪ってしまう。


それが、本当にその人のためでしょうか。


「神様の罰が当たる」という言葉も、

よく耳にします。


けれど僕は、

それを信仰だとは思っていません。


誰かが幸せそうにしているからといって、

神様が罰を与える。


そんな存在なら、

この世界はとっくに壊れています。


多くの場合、

神様の名前を使って語られるその言葉は、

言った本人の不安や嫉妬、

あるいは「自分と同じ場所にいてほしい」という無意識の願いです。


それを、

あなたが背負う必要はありません。


不幸な人ほど、

人の幸せが怖くなります。


だから、

無意識に足を引っ張る言葉を投げてしまう。


一方で、

本当に幸せな人は違います。


人を褒め、

応援し、

「いいね」と言い、

人が調子に乗ることを喜びます。


その結果、

幸せな人の周りには、

また幸せな人が集まってきます。


これは精神論ではなく、

現実に何度も目にしてきたことです。




日本には、

謙虚や我慢を美徳とする文化があります。


それ自体は、

とても大切なものです。


ただ、それが

「自分を後回しにすること」

「喜びを抑えること」

にすり替わった瞬間、

人は少しずつ苦しくなっていきます。


我慢の先に、

必ず成長があるわけではありません。


多くの場合、

残るのは言葉にできない違和感と、

「なぜかしんどい人生」です。


だから僕は、

大人こそ幸せでいていいと思っています。


子どもに何かを教えるより前に、

自分がどう生きているか。


人生は、

楽しんでいいものだということを、

言葉ではなく、姿で見せる。


それが、

いちばん伝わる教育だと感じています。


不安を植え付けてくる人からは、

離れてもいい。


それは冷たさではなく、

健全さです。


もしあなたが、

本当に幸せになりたいと思うなら、

「誰の言葉を信じるか」を選んでください。


不幸な人の正論より、

幸せな人の一言を。


 

  • 調子に乗っていい
  • 喜んでいい
  • 幸せになっていい

 

それを「ダメだ」と言う声よりも、

あなた自身の感覚を、

どうか信じてあげてください。


追伸

ここまで読んでくださったあなたは、

もう十分、自分の人生と向き合っています。


もしこの記事が、

ほんの少しでも

「肩の力を抜いてもいいのかもしれない」

そう思えるきっかけになったなら、

それだけで、この文章には意味があります。


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