日本医師会賞を受賞してから、
よくこう言われます。
「神社さんは、きっと模範的な患者さんだったんですね。」
医師の言うことを守り、
治療に真面目に向き合い、
病気を乗り越えた人。
そんなイメージなのだと思います。

でも、正直に言います。
僕は、
かなり面倒な患者でした。
看護師さんを蹴飛ばしたことが、何度もあります。
手術をストライキして、
病院を飛び出したこともあります。
処方された薬を、
先生に内緒で全部捨てたこともあります。
海外に逃げたこともあります。
今思えば、
医療者の立場から見れば
完全に「問題患者」です。
それでも僕は、
医療を信頼していました。
先生を信頼していました。
だからこそ
必死で生きようとしていた。
人は、
本当に追い詰められると、
素直な患者では
いられないのだと思います。
それでも、
先生も看護師さんも、
僕を見捨てませんでした。
怒りながらも、
呆れながらも、
何度も、何度も、
向き合ってくれました。
もしあの時、
「言うことを聞かないなら知らない」
そう言われていたら、
僕はきっと死んでいました。
カウンセラーになってから
3万件以上の相談を受けてきて、
ひとつ気づいたことがあります。
いい子で、
言うことをよく聞く人ほど、
途中で
自分を諦めてしまうことがある。
逆に、
少し不良で、
自分を貫く人ほど、
最後は
自分の人生を生きている。
もちろん、
反抗すればいいという話ではありません。
医療を疑え、
そんな話でもありません。
ただ、
人生にはときどき
「それでも自分を諦めない」
という
少し面倒な強さが必要なのだと思います。
僕の中には
天使もいます。
でも、
同じくらい悪魔もいます。
優等生の部分もあれば、
暴れたくなる部分もある。
でも、
それでいいと思っています。
人間は
そんなふうにできているから。
あの闘病の日々が
教えてくれたことは、
ひとつです。
人は、
自分を諦めなければ
何度でも生き直せる。
最後に。
あの頃、
迷惑ばかりかけた先生や看護師さんへ。
ごめんなさい。
そして、
本当にありがとうございました。
どんな僕でも
見捨てなかったから。
だから僕は、
いま、生きています。僕はカウンセラーです。
難病を経験し、
医療の現場と向き合い、
これまでに30,000件を超える相談を受けてきました。
だからでしょうか?
よく言われます。
「たくさんの人を救ってきたんですね。」
そのたびに、少しだけ間があきます。
そして、こう答えます。
「僕は、誰も救えません」

僕は、かつてクローン病で、四年間の絶食生活を送りました。
毎晩、自分で鼻からチューブを入れ、
9時間かけて栄養を流し込む。
何度も死のうとしました。
でも、あのときの僕を
最後に立ち上がらせたのは誰か。
・医師ではありません
・家族でもありません
・本でもありません
最後に「生きる」を選び続けたのは、
僕自身でした。
医療は支えになる。
言葉は光になる。
でも、回復は
――本人のものです。
これは理屈ではなく、体で知っています。
だから僕は、「救います」とは言わない。
でも、救いという言葉は強い。
その裏には、
「あなた一人では無理だ」という響きが潜むから。
それを、僕は言いたくない。
人は、どれだけ弱っていても、
最後の一歩を踏み出す力を持っています。
折れても、
砕けても、
芯は残っている。
僕の仕事は、その芯を信じること。
「カウンセリングとは何か?」
それに対する僕の答えは、いつも同じです。
隣に座ること。
答えを与えることではない。
人生を変えてあげることでもない。
その人が、自分で立ち上がる瞬間を、
邪魔せず、奪わず、信じ続けること。
「神社さんに救われました」
と言われることがあります。
本当にありがたい。
でも、本当は違う。
その人が、自分を諦めなかった。
その人が、自分で選んだ。
僕は、そこにいただけです。
肩書きや実績は、
外側の証明にはなります。
でも、本質ではない。
本質は、
苦しみから目を逸らさないこと。
依存を生まない距離で関わること。
相手の人生を、奪わないこと。
僕は、誰も救えない!
でも、
誰かが自分を取り戻す瞬間に立ち会うことはできる。
それで十分だと、本気で思っています。
これが、僕の仕事の在り方です。
40代を過ぎると、
恋愛は急に難しく感じます。

ときめきがなくなったわけではない。
誰かを好きになる力が消えたわけでもない。
それでも、怖い。
なぜでしょうか。
守るものが増えたから
です。
仕事も、立場も、子どもも、生活も。
簡単に壊せない現実がある。
だから慎重になる。
だから踏み出せない。
それは弱さではありません。
あなたがちゃんと人生を生きてきた証拠です。
・離婚を経験した人
・裏切られた人
・長い孤独を味わった人
心は一度、深く傷ついている。
だから思う。
「もう十分」
「恋愛なんて、しなくても生きていける」
確かに、生きてはいけます。
でも、
本当にそれで満たされていますか。
少しだけ、僕の話をします。
僕自身も、
愛することが怖かった時期があります。
本音を伝えれば、
距離ができるかもしれない。
拒絶されるかもしれない。
実際に、
関係が揺れたこともあります。
でも、あるとき決めました。
“傷つかないこと”よりも、
“本音で生きること”を選ぼうと。
その瞬間から、
人生は静かに変わりました。
愛は、安全地帯にはありません!
もしシングルなら、、、
・ずっと一人で頑張ってきた
・誰にも頼らず、強く生きてきた
でも、強さの奥にある本音を
あなたは知っているはずです。
本当は、愛したい。
本当は、愛されたい。
それは弱さではありません。
人間の本能です。
離婚を考えて揺れているのは、
あなたが真剣だから。
壊すことも、
続けることも、
どちらも簡単ではない。
でも、
あなたが幸せになろうとすることは、
決して間違いではない。
誰かの期待より、
自分の人生を優先していい。
40代の恋愛は、
若い頃と違います。
勢いではなく、覚悟。
ときめきだけでなく、現実。
夢だけでなく、責任。
だから怖い。
でも、
だからこそ深い。
怖いということは、
本気だということ。
あなたの命が、
まだ愛を諦めていない証拠です。
諦めるということは、
自分を幸せにすることも諦めるということ。
せっかく命を持って生まれてきたのに、
愛を体験しないなんて、もったいない。
ちゃんと命を生きよう。
怖くてもいい。
震えてもいい。
でも、自分の本音だけは裏切らないで。
40代からの恋愛は、
人生の“やり直し”ではなく、
人生の“本番”です。
あなたは、まだ愛していい。
そして、あなたは、
ちゃんと愛される存在です。
恋愛は、
ひとりで抱えるほど難しくなります。
本気で向き合いたい方は、
個別にお話ししましょう。
https://kanja.info/contents_914.html
親であるあなたに、読んでほしい。
ありのままを認められない親は、
自分だけでなく、
子どもまで不幸にすることがあります。

少し、重たい話をします。
先日、10代の男の子から相談を受けました。
彼は勇気を出して、お母さんにこう伝えたそうです。
「僕は、男の子が好きなんだ」
すると返ってきた言葉は、
「今はいいけど、大人になったら女の子がいいのよ」
全否定ではありません。
怒鳴られたわけでも、家を追い出されたわけでもない。
でも、その瞬間、彼は心の中で決めたそうです。
「もう母には、絶対に相談しない」
なぜか。
彼は気づいてしまったのです。
“母は、僕を理解したいのではなく、母の望む形に戻したいのだ”と。
そしてさらに、こうも言いました。
「思い返せば、これまでも全部そうだった」
子どもにとって、親は世界のすべてです。
その環境の中でしか、生きてきていないのだから当然です。
だからこそ、親の無意識の一言は、
子どもの人生観を静かに決定づけます。
「あなたのままでは、どこか足りない」
そう受け取った瞬間、
子どもは“自分を隠す”ことを覚えます。
そして、親の前でだけでなく、
世界の前でも、本音を出せなくなっていく。
もちろん、親も悪気はない。
心配しているだけ。
幸せになってほしいだけ。
でも――
「あなたの幸せは、私が決める」
それを無意識にやってしまったとき、
支配は、愛の顔をして始まります。
もし、
そこには、親の責任もあるかもしれない。
思い通りに育てようとしてこなかったか。
“正しさ”を押し付けてこなかったか。
僕たちもまた、誰かの子どもでした。
無意識の言葉に、傷ついた経験があるはずです。
だからこそ。
できるだけ、否定の言葉を使わない。
まずは、全部受け止める。
「そうなんだね」
「それもいいね」
その一言が、子どもの未来を守ることがある。
自由を与えられる存在でいたい。
自分の人生を、自分で選んでいいのだと、
背中で伝えられる親でありたい。
ありのままを認めることは、
甘やかすことではありません。
それは、
その人の人生を、
その人に返すということです。「先生、私のオーラは何色ですか?」
そう聞かれるたびに、少し考えます。
ああ、日本だな、と。
僕はオーラが見えます。
これは事実です。
誇張でも、演出でもありません。
けれど——
そこに、あなたの人生の答えはありません。

イギリスでは、誰も色を気にしなかった
イギリスにいた頃、
Arthur Findlay Collegeで学んでいても、
「あなたのオーラは何色ですか?」
なんて、ほとんど聞かれませんでした。
大切なのは色ではなく、
どう在るか。
どう生きるか。
ところが日本に帰ると、
「オーラ診断をしてほしい」
「私は何色ですか?」
と、強く求められる。
不思議です。
多くの人が、自分に自信がない。
だから他人の“見える力”を通して、自分を知ろうとする。
それ自体は悪くありません。
オーラは、自分を客観視するための“ひとつのツール”にはなります。
でも——
見える=正しい、ではない
ここは、はっきり言います。
僕は見えます。
でも、
見える人がいつも正しいわけではありません。
人は基本的に、
自分のフィルター越しに他人を見ています。
そこに絶対的な正解はない。
本質を捉えている保証もない。
もしそこに愛と責任があるならいい。
けれど、言われたことを無条件に信じ込むのは、危険です。
見える人の言葉は、強く響きます。
だからこそ、簡単に影響される。
でも、それはあくまで
「ひとつの見方」にすぎません。
真理でもなければ、運命でもない
診断に依存すると、自分を失う
今日は「あなたは青」と言われ、
明日は「紫ですね」と言われる。
そのたびに心が揺れる。
それはオーラの問題ではありません。
自己信頼の問題です。
人の言葉に振り回されるほど、
自分の声は小さくなっていきます。
それでなくても、私たちは
親、教師、社会、パートナー……
たくさんの他人の言葉に影響されて生きてきました。
これ以上、誰かの“見えたもの”に
人生の舵を渡さなくていい。
本当に大事なのは、色ではなく軸
オーラは見えます。
でも、それは参考資料です。
大事なのは、
「私はどう感じるのか」
「私は何を選びたいのか」
「私はどんな自分でいたいのか」
そこに戻れる力。
本当に出会うべき人は、
あなたに色を与える人ではなく、
あなたが自分を信じる方法を、教えてくれる人です。
精神世界が好きなら、なおさら。
疑う力も、目覚めの一部。
信じる力も、修行のひとつ。
僕はオーラが見えます。
でも、
あなたの光を決めるのは、僕ではありません。
あなたです。