気を遣いすぎる大人へ。
まず最初に、どうしても言わせてください。
苦手な人にまで愛想を振りまくのは、上品でも大人でもありません。
自分を粗末にしてるだけどす。
ここを変えるだけで、人間関係はごっそりラクになります。

京都は、よう言われます。
「気ぃ遣いの街」
「角を立てへん文化」
でも、実際にしんどくなっているのは──
気を遣い“すぎる”人。
・相手が不機嫌にならんように必死
・笑顔にしてあげなあかんと思い込む
・期待に応えようと身を削る
・嫌いな相手にまで“ええ顔”をしてしまう
結果として、
嫌いな人から好かれて困るという、ややこしい現象が起きる。
京都弁で言えば、
「そこ、寄ってこんでええとこどすえ」
と言いたくなるやつ。
これは絶対にやったらあかん。
自分を削ってまで“ええ人”でいる必要は、一切ない。

苦手な人・合わん人に合わせるのは、
自分の機嫌を蹴り飛ばす行為と同じどす。
・本音が言えん
・表情が固まる
・我慢する癖がつく
・“自分”が薄くなる
その結果、
自分を嫌いになってしまう。
これは、魂の損失どす。
「大人なら誰とでも仲良くすべき」
「苦手は克服するもの」
そんな昭和の呪縛、もう終わりにしましょう。
気質も相性もあるんやから、無理は無理どす。

結論からいきます!
あなたが機嫌を取るべきは──
あなたを尊重してくれる人だけ。
・一緒にいてラク
・言葉が素直に届く
・あなたを大切にしてくれる
・心が安心する
こういう人のためだけに、
あなたの大切なエネルギーを使ってください。
苦手な人とは、
シレーッと距離を置けばよろし。
波風を立てずに離れるのは、京都流の知恵どす。

日本人はなぜか、
「私を嫌う人」に寄っていく癖があります。
これは、ほんまにやめたほうがいい。
あなたが寄るべきは、
あなたを好きな人。
顔を向けてくれる人。
そこへ歩けば、人生はスッと整います。
苦手な相手からは、
嫌われて当然。
むしろ正解‼️
これが本当の大人の距離感どす。

そこで、今日からできる【京都流・人間関係の整え方】を実践してほしいのです。
これだけで、
心のしんどさは、ほんまに半分になります。
実は、あなたが気づかないだけで、あなたを好いてくれる人は、思った以上に多いのです。
その人たちを大切にすれば、人生はやさしく開きます。
どうか今日から、
あなたを大事にしてくれる人のほうへ、そっと歩いていってください。
そこが、ほんまの“ご縁”どす。

今日は、少し“魔女みたいな時間”を過ごしました。
——そう、浄化とお守りのための特製ミストを自作していたのです。

市販のミストって、どうしても「一般向け」に寄りすぎていて、
香りも効能も、正直どこか物足りない。
お祓いに使うには、ちょっと違う。
そんな想いが積み重なり、ついに今日は、自分で作ることを決意。

🔹場所の浄化
🔹自分自身のお清め(リセット)
🔹邪気を寄せ付けない“お守り”
これらを一つのミストに凝縮したくて、
精油の組み合わせから全て僕が選び抜きました。

理系出身で、理科の教員免許を持っている身としては、
久しぶりに白衣を着て実験しているような…
そんなワクワク感もありました。
(※今日は白衣は着ておりませんが、気持ちは完全に理科室の先生でした。笑)

🧪こだわりポイント
・精製水+無水エタノールの黄金比
・香りの“立ち上がり”と“余韻”の調整
・浄化と保護の両面を持つ精油ブレンド
・そして……
神社昌弘のエネルギーをしっかり込めました。

思っていた以上に、手に取った瞬間に「これは良い」と感じるものが仕上がり、
自分でも満足しています。

12月のイベントにて、ささやかなプレゼントとしてご用意できればと思っています。
手にした瞬間、きっと“スッと軽くなる”はずです。
あなたの心と空間が整い、安心して年末を迎えられますように。

本音って、言えそうで言えない。
大人になればなるほど、言葉より“空気”を読んでしまう。
そして気づけば、「心の声」だけが置き去りになる。

誰かに本音を伝えることは、簡単そうで実は高度な“精神の筋トレ”です。
まわりに気を遣い、
その場の調和を崩したくなくて、
相手の立場を思えば思うほど、口が重くなる。
本音を言うというのは、
「傷つく覚悟」があるということ。
まるで告白と同じです。
想いを伝えた瞬間、心が丸裸になる。
だからこそ、誰しも本当は言いたくない。
できれば避けたい。
でも、避け続けると、
心はいつまでも悶々とし続ける。
癒えないのは、
言えないから。
大人の多くは
「傷つくくらいなら、黙っておくほうがマシ」
という選択をします。
それは、ある意味で“生存戦略”として自然なこと。
けれど――
それを繰り返していると、自分の心がどこにあるのか見失っていく。
だから、カウンセリングの場では
全部、なんでも、そのまま話してもらっています。
もちろん、無理強いは一切しません。
話したいところだけ、話せるところまでで大丈夫。
本音を引き出すとき、僕がよく使うのが
この三段階の質問です。
たったこれだけで、
驚くほど“心の核心”が顔を出します。
ただし——
本音は「出していい場所」で練習しないと難しい。
いきなり職場で言うとか、
いきなり家族に直球をぶつけるとか、
それは誰だって怖い。
まずは安全な場所で、
安心できる相手と、
少しずつ、
自分の声を取り戻すところからでいい。
本音を言えるようになると、
心って、本当に早く癒えるんです。
“言えた”という感覚は、
その人にとって大きな回復の一歩になる。
どうか今日も、
あなたの心の声をひとつ、
そっと拾い上げてあげてください。
それが、あなたを守る力になります。

昨日、久々に交流会に参加してきました。
思わぬ刺激と、“本来の自分”を見直す時間になりました。
やっぱり、無難に生きるって……実は一番むずかしい。

昨日は、いつもカットでお世話になっている
マルスタジオの潔さん主催の交流会に参加させていただきました。
交流会なんて、もう何年ぶりだろう。
会場に入った瞬間、「若さ」と「気迫」と「熱量」に圧倒され、
思わず背筋が伸びました。
集まっていたのは、ほとんどが
経営者・自営業・副業を頑張る方々ばかり。
未来に希望を持ち、“自分も周りも幸せにしたい”という意思のある人たち。
そして、全員が“普通じゃない”
いい意味で、とびきり個性的で、
自分らしさをどう活かすかを真剣に考えている人だらけ。
そんな中で、なぜか僕は、
「いやいや、今日のメンバーの中じゃ、僕が一番“普通”やろ」
と思っていたら——
周りからは、しっかり「変人認定」されました。
まぁ、ですよね。
病気をして、イギリスに渡って、
スピリチュアルを学問として学んで、
サラリーマンを経て、独立して10年。
冷静に考えたら、普通じゃない(笑)
でもね、こういう場に行くと毎回思います。
「普通だと思っている人」ほど、めちゃくちゃ変わっている!
けれど、多くの人はそれに気づかない。
いや、気づいていても“バレたらまずい”みたいに扱っている。
だから、変わっている部分を隠して、
あえて「普通」「無難」に寄せようとする。
でも——
そもそも、“普通”の人なんてただの一人もいない。
“普通になりたいと思っている人”が存在しているだけ。
そして……
「普通でいよう」とするほど、人は自分を失っていく。
なぜなら、普通でいようとする努力って、
「自分の個性を削る作業」だから。
本当はね。
何も盛らなくていい。
何かを隠さなくていい。
ただ息をして、そこに立っているだけで、
すでに“あなたという唯一無二の個性”が完成している。
それなのに、みんな口を揃えて言うんです。
「変人って思われたくないんです…」
わかる。
僕もそうだった。
「変わってる」なんて評価、昔はすごく嫌だった。
“頭がおかしい人”みたいに聞こえてしまって。
だから、必死で普通のフリをした。
背伸びして、合わせて、整えて、丸めて。
——でもムリ。
そもそも名前が「神社」やし。
どう足掻いても普通の道は無かった(笑)
だから、ある日ふっと思ったんです。
「あぁ、無駄な抵抗はやめよう」
するとね、不思議なほど人生が軽やかになった。
個性を隠さず、整えすぎず、
あるがままのままで立ってみる。
すると、自然に道が開いていく。
受け入れてもらえるし、必要としてもらえる。
そして何より——
自分が楽になる。
交流会で若い方々と話して、改めて感じました。
“普通じゃない”ことは、欠点じゃない。
武器です。
あなたが持つ「変わっているところ」は、
社会に必要とされる“尖り”であり、魅力であり、才能。
どうか怖がらずに。
そのまま、堂々と。
無難に生きるより、
あなたらしく生きるほうが、
何倍も美しく、強く、しなやかです。
「イエス」と言ってしまう自分がいる。
「ノー」と言えないまま、また笑ってしまう。
優しい人ほど、そんな場面が多いもの。

ほんとは嫌なのに、嫌といえず、嫌いな人と付き合ってしまう。
なぜなら、相手を傷つけたくないし、嫌われるのが怖いから。
でも、その優しさが、自分の心をすり減らしてしまうこともある。
人の顔色ばかり見て、自分の心を見なくなる。
そうして、
気づいた時には「自分が何を感じているのか」さえわからなくなる。
そもそも——
好き嫌いは、あっていい。
それは生理反応であり、魂の感覚。
「嫌い」は悪ではなく、
「自分を守るためのサイン」
嫌いな人に好かれようとするのは、
魂のエネルギーを浪費すること。
嫌いな人に嫌われることは、
実は“正解”!
嫌う自分を許せた時、
ようやく「自分を好きになれる」
そして同時に、
本当に心地よい人たちと出会えるようになる。
たとえ誰かに嫌われても、
あなたの価値には一ミリも傷がつかない。
それは、ただの「好き嫌い」という好みの話。
世界の全員に好かれる必要なんて、
どこにもない!
嫌われるときには、嫌われる。
それでいい!
その事実を受け入れた瞬間に、心は自由になる。
最初は怖い。
けれど、
自分の感情に正直になるほど、
人生は軽やかに輝きはじめる。
「それでも、自分の味方でいられるか?」
そこが分かれ道!
僕自身、
かつては人に嫌われるのが怖くて、
みんなに好かれようと無理をしていました。
でも、気づけば自分を見失っていました!
そんな過去があるからこそ、
今は胸を張って言えます。
好き嫌いは、自分らしさを守るための“武器”
自分のことは、
自分でちゃんと守っていい!!