本日のnoteに
少し個人的な記事を書きました。
テーマは
「休むこと」
僕はこれまで、
休むことがとても苦手でした。
努力、学び、修行。
いつも何か意味を求めて動いてきました。
でも今回、
ハワイで初めて
ただ休む時間を過ごしてみました。
すると、
思いがけない気づきがありました。
〜記事より一部抜粋〜もしあなたが
「休み方がわからない人」なら。
僕のこの話は、きっと他人事ではありません。人生を立て直す人ほど、
実は「休み方」を知りません。
僕もそうでした。今回、生まれて初めて、
ハワイで“バカンス”というものを
やってみました。
続きはこちらで読めます。
▶︎https://note.com/shrine0731/n/nc02a5d9aefaf

僕は、小学生のとき
手塚治虫の『ブッダ』を読みました。

人生を変えた本です。
……と言うと
とても立派に聞こえるかもしれません。
でも、正直に言うと
少し違います。
あの漫画のせいで、
僕は少し生きづらくなりました。
当時の僕は、自家中毒になり
学校へ行けなくなっていました。
子どもながらに、
「普通に生きること」が
急に難しくなったのです。
そんなある日、父が黙って
漫画を置いていきました。
それが
手塚治虫の『ブッダ』全巻。
神社の家なのに、仏教漫画。
いま思えば、
なかなか面白い話です。
そこに描かれていたのは
生老病死でした。
・生きる
・老いる
・病む
・死ぬ
人生は、苦しみから始まる。
子どもながらに、
その重さを知りました。
同時に僕は
ブッダの生き方に憧れました。
苦しみから逃げない。
誤魔化さない。
王子でありながら
すべてを手放し、
「苦しみとは何か」
それを見極めようとする姿。
かっこいい!!!
そう思いました。
そして僕は決めました。
ブッダみたいな人になろう。
清く
正しく
弱音を吐かず
人の見本になるような人間。
でも、これが
思った以上に苦しかった。
怒る自分
弱い自分
逃げたい自分
そんな自分を見つけるたびに
こう思ってしまう。
「まだまだだ」
「ダメだな」
崇高な人を目指すほど
普通の自分が許せなくなる。
これは、
僕の長いテーマでした。
ただ、最近思うのです。
僕はもう
「いい人」を卒業したい。
清く正しく
立派で
人の見本で
そんな生き方を
ずっと目指してきました。
でも僕は
ブッダではありません。
怒ることもある。
弱くなることもある。
迷うこともある。
ただの
普通の人間です。
そして、
そのほうが
人の苦しみは
分かるのかもしれません。
神社に生まれ
仏教に影響され
少し生きづらくなった少年は
いま
ようやく
普通の人間になろうとしています。
続きはこちらで書いています。
https://note.com/shrine0731/n/ndf4e41c55419
人生の苦しみには、理由があります。
そして、見方を変えると道が見えてきます。
神社昌弘のカウンセリングでは
心の違和感を言葉にし、
人生を立て直すサポートをしています。
▶ カウンセリング案内
https://kanja.info/contents_507.html
恋愛相談を受けていると、
とても多い質問があります。
「なんで私は愛されないんでしょうか」
でも、正直に言うと。
ほとんどの場合、
問題はそこではありません。

本当の問題は――
傷つく覚悟をしていないこと。
です。
恋愛って、
優しくて、
キラキラしていて、
幸せなもの。
そう思っている人が多い。
でも、僕はそう思いません。
恋愛は、
とても危険な行為です。
なぜなら、
本音を差し出すことだから。
「好きです」
たった一言。
でもその一言は、
自分の心臓を差し出す行為です。
拒絶されるかもしれない。
嫌われるかもしれない。
バカにされるかもしれない。
それでも言う。
だから震える。
だから怖い。
でも――
その震えを通らないと、恋愛は始まりません。
僕自身も、
人に心を開くのが怖かった時期があります。
病気でボロボロになって、
体も弱くて、
未来も見えなかった頃。
「こんな自分を、誰が好きになるんだろう」
そう思っていました。
だから、
好きになっても、
言えない。
近づけない。
逃げる。
傷つくくらいなら、
最初から踏み込まない。
その方が楽だから。
でも――
それは恋愛ではありません。
ただの自己防衛です。
本当の恋愛は、
なぜなら、
人の核心を触るから。
だから、
・傷つきたくない
・もう年齢的に…
・どうせ無理
・期待しない方が楽
そうやって心を閉じていく。
でも、それは
自分を守っているようで、
人生を閉じているだけです。
人は、
愛したいし、
愛されたい生き物です。
それを諦めるということは、
自分の命を、半分しか使っていない。
ということ。
命は、
使わないと、歪みます。
これは
心理でも
スピリチュアルでも
同じです。
だからこそ言います。
ちゃんと愛そう。
ちゃんと傷つこう。
ちゃんと生きよう。
恋愛は、
ぬるま湯ではありません。
でも、
ぬるま湯の人生より
ずっと熱い。
ずっと深い。
ずっと、生きている。
あなたは、
まだ本気で愛していますか。
恋愛は、
ひとりで抱えるほど難しくなります。
本気で向き合いたい方は、
個別でお話ししましょう。
▶︎ 恋愛カウンセリング
https://kanja.info/contents_914.html僕はクローン病の闘病中、
4年間、食事をしていません。
代わりに、
細いチューブを鼻から通して、
栄養を体に入れていました。
毎晩、9時間。
眠っている間、
栄養剤をゆっくり体に流し続ける治療でした。
正直に言うと、
本当に嫌でした。
鼻からチューブを入れる。
経験した人なら分かると思いますが、
決して楽なものではありません。
何度も
「もうやめたい」と思いました。
そんなある夜のことです。
僕は、
ある光景を見てしまいました。
母が、
自分の鼻にチューブを入れようとしていたのです。
もちろん、
うまく入るはずもありません。
でも、その姿を見たとき
僕は思いました。
ああ、
しんどいのは
自分だけじゃないんだ。
それからです。
チューブを入れるたびに
「嫌だ」
と思う代わりに、
僕が頑張らなきゃ。
そう思うようになりました。
それから15年ほど経ったある日、
僕は母に聞いたことがあります。
「絶食の時、何が一番つらかった?」
鼻のチューブかな、
そう答えると思っていました。
でも母は、
少し考えてこう言いました。
「夜かな」
理由を聞くと、
こう言いました。
「点滴が止まってないか、
夜中に見に行ってたんよ」
2時間おきに。
僕のベッドまで来て、
栄養がちゃんと流れているか確認していた。
それを毎晩。
僕は、
まったく知りませんでした。
そんなことを
してくれていたなんて。
もし途中で
栄養が止まってしまったら、
また鼻からチューブを入れて、
9時間やり直しになる。
それを
母が阻止してくれていたのです。
それを聞いたとき、
涙が止まりませんでした。
僕は4年間、
食べていません。
でも、
僕はひとりで
生きていたわけではありませんでした。
僕が眠っている間、
母が
夜を起きてくれていた。
闘病というのは、
患者だけの戦いではない。
家族もまた、
静かに戦っているのだと
そのとき初めて知りました。
だから僕は今、
こう思っています。
人は、
ひとりでは生きられない。
でも、
誰かの存在があると、
人は想像以上に強くなれる。
もし今、
苦しい時間の中にいる人がいたら。
覚えておいてほしいのです。
あなたの知らないところで、
あなたを支えている人が
きっといる。
そして、
その人はきっと、
あなたが眠っている夜に、
あなたのことを思っている。
僕はある夜、
処方された薬を全部捨てました。
医師には、内緒です。
もちろん、
正しい行動だったとは思っていません。
でもあの夜、
僕は、自分の人生を取り戻した気がしました。

闘病していた頃、
僕は通院のたびに
スーツケースを引いて病院へ行っていました。
旅行ではありません。
中身は、全部、薬です。
クローン病の治療で、
処方される薬の量がとにかく多かった。
錠剤、エレンタール、フレーバー、チューブにボトル、、、
とにかく大量でした。
診察が終わると、
その薬をスーツケースに詰めて帰る。
そんな通院を、
しばらく続けていました。
そのうち、
あまりの量に、病院の方から
「宅配にしましょうか」
と言われるようになりました。
確かに、
スーツケースで通う患者なんて
なかなかいません。
宅配になってからも、
箱いっぱいの薬が、定期的に届きました。
そして、
ある日ふと、違和感を覚えたのです。
この薬、
いったいどれくらいの量になるんだろう。
そんなことを
ふと考えました。
一回分ではなく、
一年分でもなく、
「一生分」です。
もしこの薬を、
ずっと飲み続けたら――
どれくらいの量になるんだろう。
想像してみました。
箱、箱、箱。
積み上がる薬。
やがてそれは
部屋いっぱいになり、
さらに増えていき、
そして、
あるイメージが浮かびました。
トラック一台分。
薬を運ぶトラックです。
その瞬間、
背筋がぞっとしました。
この量が、
全部、
自分の体に入るのか。
そう思った瞬間、
僕の中で
何かが切れました。
その夜。
僕は、
箱いっぱいの薬をゴミ袋に入れ、
全部、捨てました。
先生には、内緒です。
もちろん、
正しい行動だったとは思いません。
医師が聞いたら、
きっと怒ると思います。
でもあの時の僕は、
恐怖の方が
大きかった。
このまま一生、
薬を飲み続ける人生なのか。
そのイメージに、
耐えられなかったのです。
病気は怖かった。
でも、
「自分の人生が全部、薬になる」
その未来も
同じくらい怖かった。
だから僕は、
一度、全部やめました。
無茶だったと思います。
本当に。
でも今、振り返って思うのです。
あの夜、
僕は「反抗」したのではなく、
自分の人生を取り戻そうとした
のかもしれない、と。
そして今、思います。
人はときどき、
正しいかどうかではなく、
「このままでは、自分が壊れる」
そんな瞬間に出会います。
そのとき人は、
理屈では説明できない行動を
してしまうことがあります。
でも、
それもまた
生きようとする力
なのかもしれません。
医療は大切です。
僕は医療に
命を救われました。
だからこそ、
今も感謝しています。
でも同時に、
人間は、
医療だけでは
生きられないのだと思います。
恐怖、怒り、絶望、反抗。
そういう
人間らしい感情も含めて、
人は
生きている。
あれから、長い時間が経ちました。
僕は今、
カウンセラーとして
たくさんの人の話を聞いています。
人生に行き詰まり、
どうしていいか分からなくなった人たちです。
そんなとき、
僕は思い出します。
あの夜、
薬を全部捨てた自分のことを。
あれは、
正しい選択ではなかったかもしれない。
でも、
人はときどき、
正しさよりも先に
生きることを選ばなければならない。
そういう夜が
人生にはあるのだと思います。