「今日は酔ってもいいや」
そんな一言が、どうしても言えない自分がいる。
ちゃんとしてきた人ほど、心のどこかで「ゆるみたい」と願っているのに。

僕は昔から、どちらかというと「ちゃんとしてる人」に見られがちです。
たしかに、自分でもそう思います。
でも――
その「ちゃんと」が、僕から“楽しむ”ことを奪っていると感じることがあるんです。
たとえば、「お酒」。
実は、僕はけっこうお酒に強いタイプです。
でも、それでも“酔えない”。
なぜかというと、
そんなふうに、いつもどこかで「先のこと」を考えてしまう。
だから、どんなに楽しくても気を張っていて、
「今日は酔っ払ってもいいや」
って、思えない自分がいる。
実際、僕の“酔った姿”を見た人は、ほとんどいないと思います。
いつも“しっかり者”でいようとしてしまうから。
でも、本当は――
酔ってみたい。
ゆるんでみたい。
みんなみたいに、はしゃいでみたい。
そんな気持ちも、心の奥にはちゃんとあるんです。
じゃあ、なぜそれができないのか。
周りを信頼してないのか?
……いや、違う。
それは、きっと「自分がそうしたいだけ」。
“備えていたい”自分がいるだけなんです。
でも、時々、思うんです。
「誰かに任せてもいい夜があってもいい」
「全部を背負わなくてもいい」
って。
ちゃんとしてきた人ほど、
きっと、もう「ゆるんでも大丈夫」なんです。
今日はそんなことを、
真面目すぎる自分に、そっと伝えてあげたくなりました。

実は、5月の連休から髭をはやし始めました。
理由は、ちょっとしたイメチェン。
大人の男を目指して、ダンディー路線へ…と思ったのですが——
誰も、気づいてくれない。

いやいや、自分ではけっこうな変化のつもりなんです。
鏡を見て、「ちょっと雰囲気変わったやん」と自己満足してる。
でも、周囲の反応は、まさかの“完全スルー”。
最初は笑ってたけど、だんだん…
「え、ほんまに誰も見てないの?」
「これ、似合ってないのか?」
「そもそも、変な方向にいってない?」
って、急に不安になる自分がいる。
本当は、自分がやりたくてやってることなのに、
なぜこんなに人の目が気になるんだろう?
結局、「認められたい」んですよね。
「似合ってるよ」
「いい感じやん」
って一言が、どうしても欲しくなる。
そして聞くんです。
「この髭、どう?」って。笑
すると返ってくるのは、
「え、めっちゃいいやん!」
「ダンディーになったね」って言葉。
……でも、それを聞いてもなお、
「ほんまか?」って思ってしまう(笑)
まだまだ、僕の中の承認欲求くんは健在のようです。
でも、そんな自分も嫌いじゃない。
誰かに見てもらいたい。
認めてもらいたい。
かっこいいって思ってほしい。
それって、なんだかんだ言って、
「人間らしさ」そのものなのかもしれません。
だから今日も、ひげを整えて、
少しだけダンディーに生きてみようと思います。笑
カウンセリングをしていると、よくこんな質問をいただきます。
「自分に優しくするって、甘やかしてるだけじゃないんですか?」
はい、正直、めちゃくちゃわかります(笑)
特に、真面目でがんばり屋さんほど、
「優しくする=ゆるむ=ダメになる」
って、どこかで思ってしまっている。
でも、ここでひとつ、声を大にして言いたいんです。
そもそも、甘やかして何が悪い?
それなら、むしろどんどん甘やかしていい。
問題なのは、自分を追い詰めすぎること
「もっとちゃんとしなきゃ」
「こんな自分じゃダメだ」
「弱音を吐いちゃいけない」——
そんなふうにして、
心の声を無視して、
どこまで自分を責め続けるつもりですか?
厳しくする=正しい、ではない
それ、もはや自分いじめなんです。
特に真面目な方の多くが、残念ながら、
“努力”という名のもとに、無意識のうちに自分をいじめている。
じゃあ、どこに線を引けばいいのか?
それは、
“終わったあとに気持ちがどうなってるか”
で判断してみてください。
甘やかしたあと → 元気になる、自分に優しくなれる
甘やかしたあと → やる気がわいてくる
↓
それはもうセルフケアです。
逆に、厳しくしたあと → 落ち込む、動けなくなる、責めたくなる
↓
それはもうセルフクラッシュです。
“自分に優しくする”って、
弱くなることじゃない。
立ち上がれる力を、もう一度取り戻すことなんです。
今日もがんばっているあなたに、
そっとお伝えしたかった言葉です。
「ちゃんとしなきゃ」が、いつのまにか口ぐせになっていませんか?
誰かに言われたわけでもないのに、
“ちゃんとできる自分じゃないと”と、今日も無意識に頑張っている――
・人に迷惑をかけないように
・失礼のないように
・期待に応えられるように
誰かにそう言われたわけじゃなくても、
“ちゃんとする自分”じゃないと認められない気がして、
気づけば今日も、ちょっとだけ無理してる。
そんな声が、カウンセリングでもとても多いんです。
でもね。
人って、本当にしんどくなると、
「何もしたくない」じゃなくて、
「何も感じたくない」って思い始めるんです。
心を守るために、シャッターを下ろす。
そのくらい、自分に厳しく生きてきた人が多い。
そんなあなたに、今日ひとつだけ伝えたいのは…
「ちゃんとしすぎなくていい」
ということ。
“ゆるむこと”は、崩れることじゃない。
“わがまま”になることでもない。
「本当のあなたで在ること」
なんです。
今日は、ゆるめていい日かもしれません。
自分の呼吸のペースで、
静かに心を整えていきましょう。

僕はこれまで、8度の手術と4年間の絶食、
そして大切な人との別れや、生きることへの葛藤も経験してきました。
その中で、たくさんの人に言われた言葉があります。
「頑張ってね」
きっと、悪気があって言ってるわけじゃない。
応援してくれているのも、わかってる。
でも、僕にとって「頑張れ」という言葉は、時に重たすぎました。
もうこれ以上、どう頑張ればいいのか。
誰にも見えないところで、
すでに全力で踏ん張ってるのに——
だから、言葉だけで放り投げられるような「頑張れ」は、今でも少し苦手です。
でもね。
僕には、好きな「頑張ろう」があります。
それは、
「一緒に頑張ろう」
という言葉。
この“ひと言”だけで、
孤独が少しだけ和らいだり、
「自分だけじゃないんだ」
と思えたりする。
カウンセリングでも、
僕は決して「頑張ってください」とは言いません。
でも、隣でこう言います。
「一緒に頑張りましょうか」
人は、ひとりで全部を抱えようとすると潰れてしまう。
でも、誰かがそばで「一緒に」と言ってくれるだけで、
その瞬間、すこしだけ力の向きが変わるんです。
だから今日、
今もしも、誰かの「頑張れ」がしんどくなっているあなたへ。
ひとりで頑張らなくていい。
一緒に頑張れる場所、ありますよ。
