東京・池袋・オンライン
 

心の処方箋

恋愛、人生、心について

日々noteで発信しています。

 

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本気で人生を整えたい方は、どうぞ、相談室へ。

2026/09/29

人が離れていくと、

「私、何か悪いことしたかな」

と思ってしまうことがあります。

 

返事が少し遅くなった。

前ほど連絡が来なくなった。

誘われなくなった。

なんとなく、距離を感じる。

 

そんな小さな変化だけで、


「あのとき、変なこと言ったかな」

「嫌な思いをさせたかな」

「もっと気を遣えばよかったかな」

 

と、頭の中で何度も考えてしまう。

 

昔の僕も、そうでした。

 

相手に理由を聞いたわけでもないのに、

自分の中で勝手に原因を探して、


最後には、

「きっと僕が悪かったんやろな」

というところに着地する。

 

頼まれてもいないのに、

自分を裁判にかけて、

自分で有罪判決まで出していました。

 

なかなか忙しい人です(笑)


 

人が離れることと、あなたが悪いことは同じではない

カウンセラーとして多くの方の人間関係を見てきました。

 

そして僕自身も、

たくさんの人と出会い、

たくさんの人と離れてきました。

 

その中で思うことがあります。

 

人が離れていくことと、

自分が悪いことは、

必ずしも同じではありません。

 

もちろん、

自分が誰かを傷つけてしまうこともあります。

 

謝った方がいいこともあります。

反省した方がいいこともあります。

 

でも、

すべての「離れる理由」を、

自分の責任にしなくてもいい。

 

人は変わります。

環境も変わります。

考え方も変わります。

大切にしたいものも変わります。

 

昨日まで仲が良かったからといって、

ずっと同じ距離でいられるとは限りません。

 

それは少し寂しいけれど、

人間関係って、

そういうものでもあるのだと思います。


 

「いい人」ほど、人が離れることを怖がる

特に、

ずっと「いい人」で生きてきた方ほど、

人が離れていくことに敏感です。

 

嫌われないように。

怒らせないように。

迷惑をかけないように。

期待に応えられるように。

 

ずっと人に合わせてきたから、

誰かとの関係が少し変わっただけで、

 

「私がもっと頑張らなきゃ」

と思ってしまいます。

 

でも、

人生を整え始めると、

それまで平気だった我慢が、

少しずつできなくなることがあります。

 

嫌なことを、

「嫌だ」と思えるようになる。

 

無理な誘いを、

断れるようになる。

 

疲れている日は、

休めるようになる。

 

相手に合わせることより、

自分の気持ちを大事にできるようになる。

 

すると、

少しずつ人間関係も変わっていきます。


 

「波動が変わった」なんて言わなくてもいい

スピリチュアルの世界では、

人が離れると、


「波動が変わった」

「ステージが上がった」

 

などと表現することがあります。

 

そういう考え方を否定するつもりはありません。

 

ただ僕は、

もっとシンプルでもいいと思っています。

 

ただ、

無理して合わせなくなった。

それだけのことかもしれない。

 

それまで、


自分を小さくして、

我慢して、

相手に合わせることで成り立っていた関係なら、


自分を大切にし始めたとき、

距離が変わることもあります。

 

でも、

それで昔まで嘘になるわけではありません。

 

あの頃、

一緒に笑ったこと。

 

助けてもらったこと。

大切だったこと。

 

それまで否定する必要はないんです。

 

あの頃は、

あの距離がちょうどよかった。

 

今は、

今の距離がちょうどいい。

 

そんなご縁もあります。


 

離れるご縁があっても、自分まで置いていかない

僕も今は、

誰かが離れていったとき、

昔ほど追いかけなくなりました。

 

寂しくないわけではありません。

 

「なんでやろ」

と思う日もあります。

 

でも、

必要以上に自分を責めることは、

ずいぶん減りました。

 

僕には僕の人生があって、

相手には相手の人生がある。

 

また会う日が来るかもしれない。

このまま会わないかもしれない。

 

どちらでもいい。

 

そう思えるようになったら、

人との関係が少し楽になりました。

 

ご縁って、

何がなんでも

つなぎ止めるものではないのかもしれません。

 

近づくこともある。

離れることもある。

 

それでも、

その人と過ごした時間まで、

なくなるわけではありません。

 

人が離れていったからといって、

あなたが悪かったとは限らない。

 

あなたの価値がなくなったわけでもない。

 

ただ、

今までとは少し違う関係になった。

 

それだけのことも、

人生にはたくさんあります。

 

僕が考える「人生を整える」ということは、

誰とも離れない人生をつくることではありません。

 

誰かが離れていっても、

自分まで見失わなくなること。

 

無理して人に合わせなくても、

自分の人生に戻ってこられること。

 

そんなことなのかもしれません。

 

離れていくご縁があっても、

自分まで置いていかなくていい。


 

メルマガ「神社の手紙」をお届けしています

人間関係のこと。

自分を責めすぎてしまうこと。

頑張りすぎて疲れてしまったときのこと。

 

そして、

もう一度、自分の人生を整えていくこと。

 

SNSでは少し書ききれないことを、

 

メルマガ「神社の手紙」でお届けしています。

 

もう少し静かに。

もう少し本音で。

 

読んだあと、

少しだけ肩の力が抜けるような手紙を書いています。

 

必要なときに、

ふと思い出してもらえたらうれしいです。

 

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2026/09/19

「365日の相談室」を始めて、今日で65日になりました。

 

毎朝ひとつ、

これまで僕が出会ってきた相談や、

そこから感じたことを書いています。

 

365日ですから、まだまだ先は長いです。

 

でも65日書いてみて、

ひとつ気づいたことがあります。

 

僕は相談者のことを書いているつもりで、

ずっと自分のことを書いていたのかもしれません。



 

これまで3万件以上の相談を受けてきました。

 

親子のこと。

夫婦のこと。

恋愛のこと。

病気のこと。

仕事のこと。

 

「いい人」をやめられない人もいました。

 

嫌われるのが怖くて、

本当は嫌なのに笑ってしまう人もいました。

 

家族だから仕方がないと、

ずっと傷つくことを我慢している人もいました。

 

もう終わらせた方がいいとわかっている恋愛を、

どうしても手放せない人もいました。

 

話はみんな違います。

 

でも、その奥にある気持ちをたどっていくと、

時々、同じところにたどり着きます。

 

「わかってほしかった。」

 

たった、それだけだったりするのです。

 

寂しかった。

怖かった。

本当は助けてほしかった。

 

でも、それを言えなかった。

 

僕には、この気持ちがよくわかります。

 

僕自身、

子どもの頃から「大丈夫な人」でいようとしてきました。

 

寂しくても。

怖くても。

傷ついていても。

 

平気な顔をしていました。

 

本当の気持ちを見てほしいと思っていたのに、

自分からは言えなかった。

 

だからなのかもしれません。

 

今、僕は、

人が話している言葉そのものより、

 

その言葉の奥にある、

まだ言葉になっていない気持ちを

大切にしています。

 

カウンセラーになったから、

人の心が全部わかるようになったわけではありません。

 

むしろ20年この仕事をしてきて、

わからないことの方が多いと思うようになりました。

 

人は、

正論だけでは動けません。

 

「こうした方がいい」とわかっていても、

できないことがあります。

 

離れた方がいいのに離れられない。

休んだ方がいいのに休めない。

自分を大切にした方がいいのに、人を優先してしまう。

 

それには、その人なりの理由があります。

 

だから僕は、

人生を変えようとは思っていません。

 

誰かを救えるとも思っていません。

 

ただ、

絡まってしまった気持ちを一緒にほどいて、

 

「私は、本当はどうしたいんだろう」

 

と自分の声を聞けるところまで、

一緒に整えていく。

 

それが僕の仕事だと思っています。

 

「整えることで、生き直す。」

 

この言葉も、

365日の相談室を書けば書くほど、

僕自身の中で深くなっています。

 

人生には、

何度でも立て直していい時があります。

 

全部を捨てなくてもいい。

急に強くならなくてもいい。

大きな決断をしなくてもいい。

 

今日ひとつ、

自分の本音に気づく。

 

それだけでも、

人生は少しずつ違う方向へ動き始めることがあります。

 

65日。

 

まだ365日の5分の1にも届いていません。

 

これからも、

誰かの人生を借りながら、

人間の弱さや、寂しさや、

時々のおかしさも書いていこうと思います。

 

そしてたぶん、

その中にはこれからも、

僕自身がたくさん登場するのでしょう。

 

完璧な人間の話ではありません。

 

迷ったり、

腹を立てたり、

寂しくなったり、

それでもまた朝を迎える人の話です。

 

もし読んでくださった誰かが、

 

「私だけじゃなかった」

 

と少しだけ安心してくれたなら。

 

365日の相談室を書いている意味は、

それだけで十分なのかもしれません。

https://ameblo.jp/shrine-hiro/

 

今日も、誰かの人生が少し整いました。


2026/09/17

僕は、ピアノが好きです。

 

先日、グランドピアノを試し弾きする機会がありました。

 

 

写真だけ見ると、なかなかちゃんと弾いている人に見えます。

 

でも、実際はそんなことありません。

 

間違えます。

止まります。

弾けないところも、たくさんあります。

 

そして何より、僕はピアノの練習が嫌いです。

 

どれくらい嫌いかというと、

反吐が出るほど嫌いです。笑

 

なぜなら練習というものは、

 

「できない自分」

 

を、これでもかというほど見せてくるから。

 

昨日できなかったところが、今日もできない。

 

右手だけなら弾けるのに、左手を合わせた途端に崩壊する。

 

何度やっても、同じところで間違える。

 

あれが、本当に嫌なのです。

 

というのも僕は昔から、

 

「できない自分」

「不器用な自分」

「格好悪い自分」

 

を、あまり見たくありませんでした。

 

京都で育って、

 

きっちり。

ぴったり。

しっかり。

 

ちゃんとしていることを、かなり大事にしてきました。

 

僕自身、自分のことを冗談で、

 

「NHKみたいに生きてきた」

 

と言うことがあります。

 

多少のことがあっても乱れない。

 

時間は守る。

約束も守る。

人前ではそれなりにきちんとしている。

 

できれば失敗も見せたくない。

 

だから、できないことは練習して、

ちゃんとできるようになってから人前に出す。

 

僕の人生は、だいたいそんな感じでした。

 

 

ところが。

 

ピアノだけは、違うんです。

 

間違えても、あまり気にならない。

途中で止まっても平気。

なんなら一曲全部弾けなくてもいい。

 

僕は、自分が弾きたいところだけ弾きたい。

 

サビが好きなら、サビだけ。

そこしか興味がないなら、そこだけ。

 

そして人前でも、

 

「はい、僕の演奏を聴いてください。神社です。おおきにー」

 

くらいの勢いで、わりと堂々と弾けます。

 

冷静に考えると、不思議です。

 

ほかのことなら、

 

「もっとちゃんとできてから」

 

と思う僕が、

 

ピアノになると急に、

 

「まあ、ええやん」

 

になる。

 

どうしてなんだろう。

 

そんなことを考えていて、ふと思いました。

 

もしかすると僕は、

 

ピアノだけは、

上手になるために好きなのではないのかもしれません。

 

評価されるためでもない。

誰かに認めてもらうためでもない。

役に立つ必要もない。

 

ただ、弾きたい。

ただ、音が好き。

ただ、楽しい。

 

そこには、

 

「ちゃんとできなければ価値がない」

 

という考えが、あまり入ってこないのです。

 

考えてみれば、大人になると、

好きだったものにまで結果を求めるようになります。

 

料理を始めれば、上手にならなければ。

運動を始めれば、痩せなければ。

 

趣味を始めれば、資格を取ったり、人に見せられるくらい上達したり。

 

いつの間にか、

 

「楽しいからやる」

 

だけでは、少し心許なくなってしまう。

 

でも本当は、

 

上達しなくてもいいものがあっていい。

得意にならなくてもいい。

何の役にも立たなくてもいい。

 

できたり、できなかったりしながら、

 

ただ好きでいられるものがあってもいい。

 

僕にとって、それがピアノなのだと思います。

 

僕は、これまでかなり「ちゃんと」生きてきました。

 

それが悪かったとは思っていません。

 

ちゃんとしてきたから守れたものも、たくさんあります。

 

ただ最近は、

人生の全部を「ちゃんと」の管轄に入れなくてもいいのかもしれない、

 

とも思うようになりました。

 

ピアノくらい、

 

弾きたいところだけ弾いて、

間違えて、

笑って、

 

「楽しかったな」で終わってもいい。

 

サビしか弾けない人生も、

案外、悪くありません。

 

あなたにも、

 

「ちゃんとしなくていい場所」はありますか。



2026/09/14

先日、横浜アリーナのステージに立ちました。

 

 

しかも、講演でもカウンセリングでもありません。

 

ダンスパフォーマーとして。

 

自分で書いていても、

「どういうこと?」と思います(笑)。

 

僕自身、少し前まで想像していませんでした。

 

今回、Stevenのステージに参加させてもらうことになり、横浜アリーナへ。

 

 

衣装まで用意していただいて、

リハーサルをして、

 

バックステージで待って、

そして本番。

 

客席には、約3000人。

 

ステージに出た瞬間、

 

「え、僕ほんまにここで踊ってるやん」

 

と思いました。

 

カウンセラーとして人前で話すことはあります。

講演もしてきました。

 

でも、

 

横浜アリーナで、

照明を浴びながら、

音楽に合わせて踊る。

 

これは完全に初体験でした。

 

 

人生、何が起こるかわかりません。

 

大人になると、

「初めて」が少しずつ減っていきます。

 

仕事も、

人間関係も、

毎日の暮らしも、

 

ある程度、先が読めるようになる。

 

それは安心でもあるけれど、

少しだけ寂しいことでもあります。

 

僕もいつの間にか、

 

「これは僕のすること」

「これは僕には関係ないこと」

 

そんなふうに、

自分の世界を分けていたのかもしれません。

 

でも今回、

 

まさか自分が横浜アリーナで踊るなんて。

 

人生というのは、

こちらが勝手に決めた枠の外から、

急に面白い話を持ってくることがあります。

 

 

僕は昔から、

 

「人生を変えなきゃ」

 

という言葉が、あまり好きではありません。

 

そんなに大袈裟に変えなくてもいい。

 

少し知らない場所へ行ってみる。

 

誘われたことを、

たまには「やってみます」と言ってみる。

 

普段なら選ばない服を着てみる。

 

そんな小さなことでも、

景色は変わります。

 

今回の僕の場合、

それがたまたま横浜アリーナでした。

 

……少し規模が大きかったですが(笑)。

 

病気をしていた頃の僕は、

こんな未来をまったく想像していませんでした。

 

食べることもできず、

この先どうなるのかもわからなかった。

 

そんな僕が、

何十年か経って、

 

横浜アリーナの舞台袖で

キラキラした衣装を着ている。

 

人生って、

本当にわかりません。

 

だからこそ、

 

「もう遅い」

「私には無理」

「今さら」

 

と決めてしまうのは、

少しだけもったいないのかもしれません。

 

 

まだ知らない自分は、

案外ちゃんと残っています。

 

まだ行ったことのない場所も、

まだ出会っていない人も、

まだやったことのないこともある。

 

人生には、

思っているよりずっとたくさん、

 

「初めて」が残っている。

 

今回の横浜アリーナで、

僕はそんなことを思いました。

 

そして今度は12月13日。

 

今度は僕たちが、

音楽を楽しむ小さなクリスマスコンサートを開く予定です。

 

上手じゃなくてもいい。

間違えてもいい。

 

ただ、

 

「やってみたかった」

 

を大切にできる時間にしたいと思っています。

 

詳しくは、またこちらでお知らせします。

 

人生、まだまだ何が起こるかわかりませんね。

 

僕自身、

次の「初めて」を少し楽しみにしています。

2026/09/09

僕は、未来なんか当てなくていいと思っています。

 

京都で育って、

見えない世界を身近に感じながら生きてきました。

 

わざわざイギリスまで行ってスピリチュアルを学び、

そのことを本にも書いてきました。

 

そんな人間が、

 

「未来なんか、当てなくていい」

 

と言うのですから、

 

「何を言うとんねん」

 

という話かもしれません(笑)

 

それでも、20年以上この仕事を続けてきた今、

僕はそう思っています。



 

未来が見えることより、

自分がどうしたいのかを、自分でわかっていること。

 

その方が、ずっと大切です。

 

僕はこれまで、

3万人以上の相談を受けてきました。

 

その中で、何度も聞いてきた言葉があります。

 

「どうしたらいいですか?」

「どちらを選んだらいいですか?」

「これで合っていますか?」

「私の未来はどうなりますか?」

 

もちろん、一緒に考えます。

 

必要であれば、

僕が感じたこともお伝えします。

 

でも、長くこの仕事をしているうちに、

僕の中に一つの思いが残るようになりました。

 

あなたの人生なのに、どうしてあなた以外の人が正解を持っていることになっているんだろう。

 

占い師。

カウンセラー。

スピリチュアリスト。

 

親。

夫。

子ども。

 

友人。

世間。

 

みんなの声を聞いて、

その最後に残った小さな場所に、

 

自分の気持ちを置いている。

 

僕は時々、

 

「逆やろ」

 

と思います。

 

まず最初に聞いてほしいんです。

 

「私は、どうしたい?」

 

たった、それだけです。

 

でも、この質問に答えられない人は少なくありません。

 

「わかりません」

 

とおっしゃいます。

 

ところが、

しばらく一緒に話していると、

 

少しずつ言葉が出てきます。

 

「本当は、もう嫌なんです」

「本当は、疲れました」

「本当は、行きたくありません」

「本当は、やってみたいんです」

「本当は、離れたい」

「本当は、もっと幸せになりたい」

 

僕は、その言葉を聞くたびに思います。

 

あるやん。

ちゃんと、自分の中に。

 

ただ、その声が聞こえた瞬間に、

多くの人が次の言葉で消してしまいます。

 

「でも、お母さんが」

「でも、夫が」

「でも、子どもが」

「でも、迷惑をかけるから」

「でも、嫌われるかもしれないから」

 

そうやって何年も、

時には何十年も、

 

自分の声より、

誰かの声を優先してきた。

 

僕は、それを責めたいとは思いません。

 

むしろ、

 

よくそこまで周りの人のことを考えて生きてきたなと思います。

 

優しいんです。

真面目なんです。

ちゃんとしているんです。

 

だからこそ、僕は伝えたい。

 

もう、自分まで置いていかなくていい。

 

人を大切にすることと、

自分を犠牲にすることは、

 

同じではありません。

 

僕自身も、

ずっと人の役に立とうとしてきました。

 

カウンセラーなんだから。

著者なんだから。

先生なんだから。

神社昌弘なんだから。

 

期待に応えよう。

ちゃんとしよう。

役に立とう。

 

そうやって20年以上生きてきて、

最近、自分にも聞くことがあります。

 

「で、僕はどうしたいん?」

 

人の人生については、

3万件以上、一緒に考えてきました。

 

それなのに、

自分のことになると僕だってわからなくなる。

 

人間、そんなものです。

 

だからこれは、

僕が皆さんに教えたい話ではありません。

 

僕自身も一緒に、

取り戻したいと思っています。

 

自分の感覚を。

 

好き。

嫌い。

 

うれしい。

悲しい。

 

行きたい。

行きたくない。

 

会いたい。

会いたくない。

 

やってみたい。

もうやめたい。

 

そんな気持ちに、

いちいち立派な理由がなくてもいいのだと思います。

 

僕は、

自分の中から出てきた小さな声を、なかったことにしないこと。

 

それが「自分を愛する」ということの始まりではないかと思っています。

 

「そうか。僕は嫌なんやな」

「そうか。僕はこれが好きなんやな」

「そうか。ほんまは寂しかったんやな」

 

まず、自分が聞いてやる。

 

それだけでも、

自分との関係は少しずつ変わります。

 

自分がわかる。

自分を信頼できる。

自分で選べる。

 

僕がカウンセリングやスピリチュアルを通して、

本当にお手伝いしたいのは、

 

たぶん、そこです。

 

だから僕は、

人を僕に依存させるスピリチュアルには興味がありません。

 

「神社さん、答えを教えてください」

 

ではなく、

 

「神社さん、私はこうしたいと思います」

 

と最後に言える人を増やしたい。

 

極端に言えば、

 

いつか僕なんか必要なくなればいい。

 

占い師がいなくても。

カウンセラーがいなくても。

スピリチュアリストがいなくても。

 

自分の人生の大切なところは、

 

自分で感じて、

自分で考えて、

自分で決める。

 

その力を取り戻してほしい。

 

僕は、そのためにスピリチュアルがあると思っています。

 

未来を知るためではありません。

 

自分を思い出すためです。

 

今日、

何か大きな決断をしなくても構いません。

 

ただ一度だけ、

自分に聞いてみてください。

 

「私は、どうしたい?」

 

そして何かが出てきたら、

 

すぐに「でも」で消さないでいてください。

 

叶えるかどうかは、

そのあと考えればいい。

 

正しいかどうかも、

そのあとでいい。

 

まず、

自分の声くらい、自分が聞いてやろう。

 

僕も、そうします。

 

僕を信じてほしいんじゃない。

 

最後は、自分を信じられる人になってほしい。

 

僕が20年以上、

この仕事を続けている理由は、

 

たぶん、それです。

 

毎週水曜日、

SNSには書ききれないことを

無料メルマガ「神社の手紙」に綴っています。

 

人生を大きく変えるためではなく、

少し立ち止まって、

自分の気持ちに戻るための一通です。

 

「神社の手紙」で、またお会いできたら嬉しいです。

 

美しく、自由に、豊かに。

整えることで、生き直す。


2026/09/02

僕は、光り物が曇っているのが嫌いです。

 

銀食器も、

アクセサリーも、

鏡も、

蛇口も。

 

光るためにあるものは、

ちゃんと光っていてほしい。

 

別に潔癖症ではありません。

 

……たぶん。

 

 

これには、京都の家で一緒に暮らしていた祖母の影響があります。

 

祖母は、よく言っていました。

 

「心は見えないでしょう。

だから、見えるところから磨きなさい」

 

子どもの頃は、

そんなものかな、と思っていました。

 

でも今は、

この言葉をかなり本気で信じています。

 

心も、

感性も、

直感も、

運も、

 

目には見えません。

 

だからまず、

目の前にあるものを丁寧に扱う。

 

靴を磨く。

鏡を磨く。

蛇口を磨く。

 

僕の家では、

榊の茎を毎日洗って生け直し、

できるだけ生花を飾ります。

 

部屋の空気が淀まないように、

サーキュレーターも回します。

 

僕にとっては、

特別な「開運法」というより、

暮らしの中にある小さな儀式です。

 

少し厳しいことを言えば、

 

見えるものを雑に扱ったまま、

見えない世界だけ整えようとするのは、

僕は少し違うと思っています。

 

僕はスピリチュアルな世界を大切にしています。

 

だからこそ、

 

神様にお願いする前に、

蛇口くらい磨いたらいい。

 

本気でそう思っています。

 

運をよくしたい。

直感を磨きたい。

人生を変えたい。

 

もちろん、それもいい。

 

でも、

 

部屋は散らかっている。

靴は汚れたまま。

食事も睡眠も適当。

自分の身体まで雑に扱っている。

 

それなのに、

見えない世界にだけ答えを求めるのは、

少し順番が違う気がするのです。

 

僕自身、

病気で人生がどうにもならなかった頃があります。

 

その闘病中、

 

「病気を治したいなら、

トイレを素手で掃除するといい」

 

と言われたことがありました。

 

もちろん、

トイレ掃除で病気が治る、

という話ではありません。

 

でも、僕はやりました。

 

誰も見ていない場所を掃除する。

 

汚れたら、

また掃除する。

 

昨日きれいにしても、

今日またやる。

 

とても地味です。

 

奇跡の話を期待されたら、

申し訳ないくらい地味です。

 

でも今振り返ると、

 

人生を立て直すというのは、

案外こういうことの積み重ねなのだと思います。

 

そして、

これまで3万人以上のお話を聴いてきて、

人の心にも同じことを感じます。

 

調子が悪くなると、

 

もっと成長しなきゃ。

もっと強くならなきゃ。

もっと学ばなきゃ。

 

僕たちは、

何かを「足す」ことばかり考えます。

 

でも、

 

本当は優しいのに、

人に使いすぎて疲れている人。

 

本当は自分で決められるのに、

人の意見を聞きすぎて、

自分の声がわからなくなった人。

 

十分頑張ってきたのに、

自信だけが曇っている人。

 

とても多いです。

 

なくなったわけではないんです。

 

少し、曇っているだけ。

 

だから僕は、

 

新しい自分になろうとする前に、

 

いま持っているものを、

もう一度磨いてみる。

 

それでいいと思っています。

 

人間ですから、

一度整えたって、

また散らかります。

 

心だって曇ります。

 

僕もしょっちゅう曇ります。

 

そうしたら、

また磨けばいい。

 

何か新しいことを始める前に、

 

今日ひとつだけ、

 

「すでにあるものを磨く」

 

をやってみませんか。

 

靴でもいい。

鏡でもいい。

財布でもいい。

ずっと気になっていた場所でもいい。

 

目に見えるところを、

ひとつだけ整えてみる。

 

磨いているうちに、

 

「私、本当は何に疲れていたんだろう」

 

そんな、

見えなかった自分の気持ちまで

見えてくることがあります。

 

人生を変えようとしなくてもいい。

 

まずは、

少し整える。

 

僕は、

そこからで十分だと思っています。

 

 

毎週水曜日、「神社の手紙」をお届けしています

今回のような、

 

「頑張りすぎた心を、少し整える話」

 

「人生を立て直すための小さな気づき」

 

「カウンセラーとして3万人以上のお話を聴いてきて感じたこと」

 

そして、

僕自身の闘病や人生の中で気づいたことを、

 

毎週水曜日、

メールでお届けしています。

 

人生を無理に変えるためではなく、

 

読んだあとに、

少しホッとできる。

 

少し自分に戻れる。

 

そんな手紙でありたいと思っています。

 

もし、

こういう話をまた読みたいと思っていただけたら、

こちらからご登録ください。

 

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必要な方に、

静かに届けばうれしいです。


2026/09/01

頑張っているのに、なぜか満たされない。

人に会っているのに、少し寂しい。

そんな心のまま、秋を迎えていませんか。



9月になりました。

 

まだ暑さは残っていても、

朝夕の風や、少し早くなった夕暮れに、

季節がそっと動き始めたことを感じます。

 

僕は秋になると、

何かを始めたくなるというより、

少し立ち止まりたくなります。

 

このままでいいのかな。

本当は、少し疲れているんじゃないかな。

最近、自分の気持ちをちゃんと聞いていただろうか。

 

そんなことを考えます。

 

人生は、ときどき、

前へ進むことよりも、

静かに自分の位置を確かめる時間が必要です。

 

疲れているなら、休む。

違和感があるなら、ごまかさない。

もう必要のないものは、少しずつ手放していく。

 

木々が葉を落とすように、

人にも「減らすことで整う季節」があるのだと思います。

 

今年も、あと4か月。

 

「もう4か月しかない」と思うより、

「まだ4か月ある」と思ってみる。

 

急がなくて大丈夫です。

 

この秋、

何かを足すことよりも、

自分にとって本当に大切なものを、

もう一度ゆっくり確かめてみませんか。

 

少し静かになった心には、

ちゃんと、自分の声が聞こえてきます。