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僕は、ピアノだけちゃんとしていない。

2026/09/17

できない自分を見るのが嫌いな僕が、なぜかピアノだけは下手でも平気な理由

僕は、ピアノが好きです。

 

先日、グランドピアノを試し弾きする機会がありました。

 

 

写真だけ見ると、なかなかちゃんと弾いている人に見えます。

 

でも、実際はそんなことありません。

 

間違えます。

止まります。

弾けないところも、たくさんあります。

 

そして何より、僕はピアノの練習が嫌いです。

 

どれくらい嫌いかというと、

反吐が出るほど嫌いです。笑

 

なぜなら練習というものは、

 

「できない自分」

 

を、これでもかというほど見せてくるから。

 

昨日できなかったところが、今日もできない。

 

右手だけなら弾けるのに、左手を合わせた途端に崩壊する。

 

何度やっても、同じところで間違える。

 

あれが、本当に嫌なのです。

 

というのも僕は昔から、

 

「できない自分」

「不器用な自分」

「格好悪い自分」

 

を、あまり見たくありませんでした。

 

京都で育って、

 

きっちり。

ぴったり。

しっかり。

 

ちゃんとしていることを、かなり大事にしてきました。

 

僕自身、自分のことを冗談で、

 

「NHKみたいに生きてきた」

 

と言うことがあります。

 

多少のことがあっても乱れない。

 

時間は守る。

約束も守る。

人前ではそれなりにきちんとしている。

 

できれば失敗も見せたくない。

 

だから、できないことは練習して、

ちゃんとできるようになってから人前に出す。

 

僕の人生は、だいたいそんな感じでした。

 

 

ところが。

 

ピアノだけは、違うんです。

 

間違えても、あまり気にならない。

途中で止まっても平気。

なんなら一曲全部弾けなくてもいい。

 

僕は、自分が弾きたいところだけ弾きたい。

 

サビが好きなら、サビだけ。

そこしか興味がないなら、そこだけ。

 

そして人前でも、

 

「はい、僕の演奏を聴いてください。神社です。おおきにー」

 

くらいの勢いで、わりと堂々と弾けます。

 

冷静に考えると、不思議です。

 

ほかのことなら、

 

「もっとちゃんとできてから」

 

と思う僕が、

 

ピアノになると急に、

 

「まあ、ええやん」

 

になる。

 

どうしてなんだろう。

 

そんなことを考えていて、ふと思いました。

 

もしかすると僕は、

 

ピアノだけは、

上手になるために好きなのではないのかもしれません。

 

評価されるためでもない。

誰かに認めてもらうためでもない。

役に立つ必要もない。

 

ただ、弾きたい。

ただ、音が好き。

ただ、楽しい。

 

そこには、

 

「ちゃんとできなければ価値がない」

 

という考えが、あまり入ってこないのです。

 

考えてみれば、大人になると、

好きだったものにまで結果を求めるようになります。

 

料理を始めれば、上手にならなければ。

運動を始めれば、痩せなければ。

 

趣味を始めれば、資格を取ったり、人に見せられるくらい上達したり。

 

いつの間にか、

 

「楽しいからやる」

 

だけでは、少し心許なくなってしまう。

 

でも本当は、

 

上達しなくてもいいものがあっていい。

得意にならなくてもいい。

何の役にも立たなくてもいい。

 

できたり、できなかったりしながら、

 

ただ好きでいられるものがあってもいい。

 

僕にとって、それがピアノなのだと思います。

 

僕は、これまでかなり「ちゃんと」生きてきました。

 

それが悪かったとは思っていません。

 

ちゃんとしてきたから守れたものも、たくさんあります。

 

ただ最近は、

人生の全部を「ちゃんと」の管轄に入れなくてもいいのかもしれない、

 

とも思うようになりました。

 

ピアノくらい、

 

弾きたいところだけ弾いて、

間違えて、

笑って、

 

「楽しかったな」で終わってもいい。

 

サビしか弾けない人生も、

案外、悪くありません。

 

あなたにも、

 

「ちゃんとしなくていい場所」はありますか。