今から26年前、毎晩、
自分の手で、細いチューブを鼻から胃まで通していました。

眠る前の儀式。
いや、儀式というほど美しいものではありません。
違和感、吐き気、涙。
それでも、9時間かけて栄養を流し込む。
それを、4年間。
絶食です。
「どうして続けられたのですか?」
よく聞かれます。
努力でも、根性でもありません。
美談にする気もありません。
それしか、生きる方法がなかった。
ただ、それだけです。
選択肢がなければ、人はやる。
やるしかなければ、続く。
何度も死のうとしました。
けれど、不思議なことに、
僕が命を諦めようとしても、
命のほうが、僕を諦めない。
最後の最後まで、
しぶとく、離れない。
人はそんなに簡単に、自分を殺せない。
世の中には自ら命を絶つ人もいる。
けれど、僕には、その“勇気”がなかった。
情けない話かもしれない。
でも、事実です。
死ねなかった。
だから、
生きるしかなかった。
辛い。
痛い。
苦しい。
孤独。
未来は見えない。
絶食生活がいつ終わるのか、医師もわからない。
その中で、僕がやったことは、ひたすら本を読むことでした。
動けない。
ならば、読む。
そして、知りました。
自分よりも、はるかに過酷な環境で生きている人たちがいることを。
・手のない人
・足のない人
・目が見えない人
・耳が聞こえない人
・寝たきりの人
・数えきれない
正直に言えば、僕は“上”を見なかった。
“下”を見て、生きました。
あの人たちが生きているなら、
僕も、もう少しだけ、生きてみよう。
その繰り返し。
勇気は、立派な言葉からは生まれなかった。
誰かの現実から、生まれた。
あの4年間は、
「いい経験」だったとは言えません。
あまりにも苦しすぎた。
もう一度やれと言われたら、断ります。
でも――
あの時間があったから、
いま、誰かの話を最後まで聞ける。
絶望の顔を見ても、目を逸らさない。
「大丈夫」と軽々しく言わない。
それだけは、確かです。
僕は、すごい人ではありません。
逃げたかった。
何度も終わらせようとした。
強くなんてなかった。
ただ、生かされた。
それは、運がよかったから。
支えてくれる人がいたから。
本があったから。
医療があったから。
恵まれていた。
その自覚だけは、あります。
だから今度は、
僕が、誰かにとっての“下”になればいい。
かつての僕が、
誰かの現実から勇気をもらったように。
苦しみは美化しない。
けれど、無駄にもしたくない。
死ねなかった夜が、
いま、誰かの希望になるなら、
あのチューブも、
あの9時間も、
あの孤独も、
ようやく、報われる気がします。