こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
今から10年ほど前、大切な友人から
「結婚したのはいいけれど、子どもができないの。どうしていいかわからなくて…」
そんな相談を受けました。
夫と共に、もう何年も不妊治療に通い、両親に精神的なサポートや金銭的な援助をしてもらっているにも関わらず、どうしても「できない」
それが彼女にとって、唯一の悩みでした。
「なぜ、私だけ?」
「こんなに頑張っているのに…」
これまでの想い伝えられて、僕は言葉に詰まりました。
受け止めることだけで精一杯で、即答なんて、できるはずもありませんでした。
子ども好きな夫婦であれば、すぐにでも欲しいと思うし、そこに追い打ちをかけるように、まわりは、
「子どもは、つくらないの?」
「早く子どもの顔を見せてね」
なんて言ったりするから、焦りや不安、愚痴が出てきて当然だと思います。
でも…
子どもは、つくるものではなく、できるものでもなく、授かるものなんですよね。
そうはわかっていても…
友人の子どもたちを見たり、子育てを頑張っている夫婦を見たりすると、「できない」を自分を責めてしまうのも無理はないと思います。
焦りと不安、そして、まわりからのプレッシャーで、押しつぶされてしまうこともあるでしょう。
だから、できないことに対して、文句を言いたい気持ちもわかります。
でも、それは、あなただけじゃない!
実は、僕自身も、僕に原因があって子どもができないことが分かって以来、ずーっと独りで悩み苦しんできました。
そのことを話すと、彼女の顔色が一変しました。
そして、彼女に、
「あなたのまわりには、あなたを想って、一緒に頑張ってくれる人がいて、いいよね。うらやましいよ」
って本心がこぼれてしまいました。
叶わない一点だけにこだわるんじゃなくて、すでに傍にいて、あなたと共に頑張り続けてくれいてる家族に、まずは「ありがとう」って言ってごらんよ。
そして、すでに頑張っている自分自身に対して、こんなに追い込んで「ごめんね」頑張ってくれて「ありがとうね」って言ってごらんよと言いました。
すると、彼女は、あふれ出す涙を止められなくなりました。
帰宅後も、ずっと泣いていたようです。
そして、家族みんなと自分自身に対して「ありがとう」と言い続けたようです。
そうして、しばらく経って…
次に彼女から連絡が来た時、今度は、僕が、あふれ出す涙を止められなくなりました。
それは、彼女が妊娠したからです。
彼女のお子様は、いま、とっても可愛く元気に育っています。
今日は、ひな祭り!
彼女と彼女のお子様が幸せでありますように。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
社会で生活をしていると、時に嫌なことを言われたり、怒られたり、注意をされたり…
「なんでそんなことを言うの?」
っていう理不尽なことは、よくありますよね?
どんなに言い返してたくても、それをすると大人げなかったり、喧嘩になったり、悪い雰囲気になるだけだから、つい我慢をして、
「いったい、僕の何が悪かったんだろう?」
って考えてしまいます。
もちろん、僕に非がある場合は、反省して謝ります。
それならスッキリしますが、たとえ自分の非を探しても見つからないことがあるんですよね。
そして、どんなに未熟な自分を責めても、追い込んでも、ただつらくなる一方で、しんどくなるだけ…
結局は、意味や理由がわからなくて、納得もできず、モヤモヤするだけのこともありますよね。
人が人を注意したり、怒る時というのは、実は、身勝手なことも多く、そこには深い意味や理由なんてないこともあるのかもしれません。
もちろん、愛のある注意はあるかもしれませんが、そんなものは滅多になくて、そもそも、そこに「愛」があれば、言われた方は、すぐにわかるし、そんなに苦しむことはないんだと思います。
きっと、嫌なことを言ったり、怒ったりするのは、ちょっと意地悪をしたかっただけなのでしょう。
ただ、八つ当たりをしたかったのでしょう。
もしくは、僕のことを懲らしめたかったり、僕のことが気に食わないかったからなのでしょうね。
誰にでも好き嫌いはあるし、相性もあるから、これはお互いさまで、こればかりは仕方ありません。
だから、もし、自分がつらくてしんどいなら、その場から離れて、その人とは距離をあけるのが一番です。
まともに付き合おうとするからしんどくて苦しくなります。
そうはいうものの、職場や学校では、みんなと付き合わないといけないこともありますよね?
そんな時は、心の距離を離してください!
あなたが、信頼できる人にだけそっと心をひらいて、あとは適当でいいですよ。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
おかげさまで、2020年2月12日から書き続けている「お布施ブログ※」を、たくさんの方に読んでいただき、先月のアクセス数は、これまでの2倍以上になりました。
読んでくださっている皆様に、心から感謝いたします。
そして、このブログを書くチャンスをくださった穗口大悟さんに、ありがとうございます。
さて。
今日は、もし大切な人が「病気」になったら、どうするか?
大切な人が病気になった時にできることを書いてみたいと思います。
僕のところには、僕が難病を克服したということもあって、同じクローン病の方はもちろん、重い病気を患う方やその患者を支える家族、友人、恋人、仲間たちか集まってきます。
病気は、本人にとってはもちろん、まわりにとっても人生の試練になりますよね。
だから、そんな試練の時には、どうしていいかわからなくなることもあると思います。
大切な人であればあるほど「代わってあげたい」という気持ちは募るでしょうし、大して何もできない自分が、もどかしくて仕方ないこともあるかもしれません。
そんな時は、
「だいじょうぶ?」と聞くのではなく、
また「がんばれ!」というのでもなく、
ただ心から祈ることしかできないと思いますし、それが一番だと思います。
その人が乗り越えられると信じ切って、祈ることが一番いいと思います。
できることなら、傍で肩をさすったり、手を握るだけでもいいと思います。
ある日のこと。
僕が難病で苦しんでいた時に、こんな風に応援されたことがありました。
「私が頑張るから、神社君はだいじょうぶよ」って。
えっ?意味がわからないと思って聞き返すと、
「私は、あなたが乗り越えられるように祈っているし、それを頑張っているの。あなたが治ることを信じ切ってるのよ」と。
それまで、こんな応援をされたことがなかったので、びっくりしました。
彼女は、心配するエネルギーを信頼するエネルギーに変えて、祈ってくれていたんですね。
それから何年も経って、僕が病気を克服した時、彼女に尋ねました。
「なぜ、あの時、あんな応援ができたの?」と。
すると彼女は、
「私が頑張るしかなかったの。毎日毎日、心配で不安に押しつぶされそうだったから…私が“祈り”を頑張ることしかできなかったし、それによって、実は、私の方が救われていたのかもしれない」と。
この時、心配のエネルギーを信頼するエネルギーに変えて祈ること…
それは、確実に伝わるんだなぁと思いました。
心配な時、不安な時、たとえ何もできないような時でさえ、祈ることは、いつでも、どこでも、誰にでも、できますよね。
相手が必ず乗り越えられると信じ切って、心配するエネルギーを信頼するエネルギーへと変えて、大切な人を応援することができたらいいですね。
※僕の実体験から得た「生きる知恵」を、皆様の日常に役立てていただきたいという願いを込めて書いています。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
最近でこそ、イラっとすることが少なくなりましたが、かつての僕は、しょっちゅうイライラしていました。
一見、温厚で穏やかそうに見えますが(えっ!見えない?笑)、短気でプライドが高く、そこに負けず嫌いの性格が加わるので、僕はやっかいです。
家族や上司、先輩たちから指摘されたり、注意されると、いつもイラっとして、
…(もう、わかってるよ!!)…
心の中で言い返すことはもちろん、人前でわざわざ指摘する人に対しては「性格悪いんちゃう?」とか本気で言い返していました。
…僕って、ホント最悪ですよね…
そもそも、イラっとするのは、わかっているからなんです。
わかっていて、しかも、相手の方が正しいから腹が立つんですよね。
素直に「わかりました」と言って、ただ直すだけでいいのに、なぜそれができないのでしょうか?
それは、
・自分を否定されたという被害者意識があるのかもしれません
・私の味方になってほしかったのにという悲しさがあるのかもしれません
・もっと私の奥の部分をわかってよというSOSかもしれません
・できない自分へのもどかしさがあるのかもしれません
・「手伝って」と言いたいのに言えない気持ちがあるのかもしれません
きっと、いろいろあるんだと思います。
僕がいま、イラっとすることが少なくなって、それはそれでとっても嬉しいことなのですが…
逆に、イラっとしなくなって、少し怖くなってきたことがあります。
それは、イラっとする時こそ、直すべきところがあり、成長するチャンスだという事実を知っているからです。
だから、イラっとしない今、どこか自分が傲慢になって、自分が正しいと思い込んでいるところがあるんだなぁと怖くなります。
そもそも、誰かが、指摘してくれたり、注意してくれるのは、あなたに可能性があり、あなたが成長できることを知っているからなんですよね。
だから、とっても有難いことです。
指摘や注意をされると、多少イラっとすることはあると思いますが、そんな時こそ、
・イラっとするのが悪いのではなく…
・また直すべきことがあるのが悪いのでもなく…
それを言い返したり、感情で誤魔化したりすることが良くないんだなぁと思って、その裏に、必ず成長するチャンスがあると気づいてくださいね。
そして、もしかしたら、イラっとさせる相手が、あなたのことを真剣に想っているかもしれないことを、どうか忘れないでくださいね。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕がカウンセラーとして独立して数年は良かったのですが…
その後、徐々に経営状況が悪くなって、ダブルワークをやっていたことがありました。
日中にカウンセリングをして、夜間にバーテンダーをやっていたのです。
夜の仕事だけはやりたくなかったのですが、そうもいってられません。
生きてゆくためには、お金が必要でした。
御縁をいただいた一見さんお断りの高級バーのマスターにひろっていただいて、そこで二年間お世話になったのですが…
バーのお仕事は、僕にとって初めての世界!
何もわかりませんでしたが、マスターが、いろんなことを丁寧に教えてくれました。
バーテンダーとは「bar(止まり木)」「tender(優しい)」のことで、日頃頑張っているお客様が羽を休める場所です。
働いてわかりましたが、ここはカウンセリングの傾聴力を鍛え、守秘義務を徹底的にするには、もってこいの場所でした。
素晴らしい環境で自由に働かせていただき、一般社会ではお目にかかれないようなお客様とも出逢い、それまで勝手な先入観を持っていた自分を反省しました。
なんとか結果で感謝を表したいと思い、いつも誰よりも早く到着して掃除をするのはもちろん、少しでも安らげるようにアロマを持参したり、バーの背もたれにクッションを置いたり、お花を飾ってみたり、トイレにひと工夫を凝らしたり、常に“何か”できることはないかと考えて行動していました。
そんなある日のこと。
イラっとした様子のマスターから、一体ここは「誰のバーなんだ?」って言われました。
…(しまった!勝手にやり過ぎた)…
冷汗が出て「ごめんなさい」としか言えませんでした。
少しでも恩返しがしたいと思ってやってきましたが、僕がよかれと思ってやっていたことは、僕の職分ではなかったのですね。
僕がしなければいけなかったことは、マスターの想いを聞いて、確認して、許可をとって、やることでした。
独りよがりだったことを反省をしながら、「どうしたら恩返しができるのか?」を調べていたところ、こんな文に出会いました。
恩は返せるようなものではありません。
恩を返せると思うこと自体が傲慢です。
なぜなら、そこには、恩は返せるという思い込みと、自分がしていることが良いことだという思い上りがあるからです。
これを見てショックを受けましたが、まさに、その通りだと思いました。
僕は、自分勝手な価値観を元に、与えられた恩の量を勝手に推し量り、その量を返そうとしていたんですね。
そもそも、恩の量なんて計ることができないし、その量を返すこともできないのに…。
恩は返すものではなく…
与えてくださった恩を素直に喜び、心から感謝をして、その気持ちに報いるしかないのですね。