こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
毎日、いろんなことが起こり「心配」は尽きませんよね?
どんなにポジティブな人でも、心配事のひとつやふたつ抱えながら頑張っていると思います。
自分のこと、大切な家族やパートナー、社会のこと、未来のこと…
考えれば考えるほど、心配事が尽きることはありません。
僕たちは、昔から、
「ちゃんと先のことを考えておきなさい」
「将来のことを考えておかないと大変になるよ」
と言われることが多く、毎日のように、不安を煽るようなニュースを目にするから「このままで大丈夫だ」とは思えなくて、ますます心配になってしまいますよね。
きっと心配事が無くなればスッキリするのでしょうが、完全に無くすことは難しいです。
なぜなら、人が生きること、人が動くということは、現実に影響を与え、いまの状況を変えるということだから。
常に変わり続けている現実では、心配事は無くなりません。
でも、ここでちょっと数えてみて欲しいのです。
これまで心配していたことの数です。
これまで心配していた数と、実際に起こった数を比べてみると…
いかに僕たちが、無意味な心配をしていたかに気づくことがあります。
だから最近の僕は、心配事が起こった時には、まずは深呼吸します。
そして、チョコレートを食べます。
心配事をなんとかしようとしても、どうすることもできないのだから、まずは一服して、自分に対して心を配るようにしています。
同じ「心配」という漢字でも、心を配るに変えると、ちょっと優しい気持ちになれる気がしています。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕たちは学校教育で、急いで結果を出すことは学んできましたが、「待つ」ことは学んできませんでした。
だから、結果が出ないと、無性に不安になったり、焦ったり、どうしていいかわからなくなったり、してしまいますよね。
結果が出ない時や行きづまりを感じた時は、慌てずに、チカラを蓄えることが最善なのでしょう。
それが「正解」なのだと思います。
でも、そんなキレイごとではおさまらないし、余計にイライラしてしまいます。
これって、僕だけでしょうか?
かつて、僕がクローン病(消化器官の難病)で、長い間、闘病生活を送っていた時、まわりの多くは「焦らなくていいよ」と言いました。
僕を励ますために言ってくれていたのでしょうが、僕にはウザいとしか思えませんでした。
だって、まわりが大学を卒業して、就職を決め、独り立ちして、結婚して、子どもができて…
どんどん先にいかれる状況で、そんな気休めとキレイごとは、ムカつく材料にしかならなかったから。
きっと、僕は、精神的にも病気になっていたのでしょうね。
そんな焦りまくっていた当時の僕に言いたいことは…
焦りの原因は「人目を気にしている」ことなんだ。
だから…
「誰かと同じになろうとするのを止めろ」
「誰かの期待に応えなくてもいいんだ」
焦っている自分は、一生懸命に頑張っている証拠!
そんな自分を応援しなくてどうする?!
焦っていいんだ!
でも、焦って、動いて、どうしようもなくなったら、観念して「待つ」ことを覚えるんだぞ。
僕は、僕の味方だ!一番の応援者だから心配するな。
焦りが出てくるのは、焦りたいからです。
焦りたい人に「焦るな」なんて言う必要もないし、頑張りたい人に「頑張るな」とも言う必要もありません。
僕は、これまで、さんざん他人の優しい言葉に傷ついてきたから、あなたが焦りたい時には、焦るな!なんて言わずに、あえて「頑張れ」と応援をしたい!
待つことができる人は待ったらいいけど…
待てない人は、がむしゃらに動いて焦りまくったらいい。
たとえそれが「正解」に背くことであっても、自分が「やりたい」方法で結果に向かうことしか、あなたの「焦り」を解決できるものはないから。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕たちは、日々、いろんな問題に直面しますよね。
一刻も早く問題を解決したいし、それができるなら、こんなに苦しまなくても良いのですが、そこから抜け出すことは容易ではありません。
かつて仏教を学んでいた時に、「地獄とは自業苦」だと教わったことがあります。
自ら作った業(ごう)に苦しめらることが自業苦!
つまり、自ら掘ってしまった罠(問題)に、自らハマって苦しんでいる状況が、地獄という意味です。
だとすれば、苦しみから逃れたいと焦れば焦るほど、ズルズルと深みにハマってしまいますよね。
それでは、いったい、どうしたらいいのでしょう?
そこから抜け出すには…
まずは、自分の思い込みを外すしかありません。
執着を手放すのです!
そして…
今までの在り方を一新して、柔軟な発想を取り入れることが大切です。
かの有名なアインシュタインが、こんなことを言っています。
『いかなる問題も、それを作り出した同じ意識によって解決することはできません』
目の前の問題にとらわれている時、人は誰しも、視点が固定されて身動きがとれなくなっています。
もちろん、僕も同じです。
だから、そんな時は、専門家に素直に助けを求めることにしています。
なぜなら…
ひとりで“なんとか”できる問題なら、そんなに苦しまないですからね。
実は、問題の深い部分には…
・自分ひとりで何とかしなければイケナイという思い込みがあったり…
・「助けて」と言えないことがあったり…
・他人を信頼したり、頼れないことがあったり…
・自分自身を信じ切れないことがあったりします。
かつて、ある人が「言えると癒える」「話すと手放せる」と言っていましたが、世界は僕たちが思った以上に、優しくて、愛にあふれていますから、どうかひとりで“なんとか”しようとせずに、まずはまわりに言って、手放してみてくださいね。
京都駅前のおはなし会では、直接に質問していただけますよ。
(おかげさまで定期的に開催して5年になります)
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
人を「ゆるす」と楽になります。
そんなことはわかっています。
それでも「ゆるせない」ことの一つや二つ、ありますよね。
自分はもちろん、大切な人に危害を与えられた時や裏切られた時、人道に反することに直面した時…
ゆるせない想いは、どんどん膨らんで、ゆるすどころか、仕返してやりたい気持ちがこみ上げてきて、懲らしめてやりたい想いでいっぱいになるでしょう。
絶対にゆるせない!
それでも、人は、ゆるさないといけないのでしょうか?
はい!
やっぱり、ゆるす方がいいようです!
僕にとって「ゆるす」ことは困難ですが、これまで、いろんな「ゆるせない」事態を経験して、いまでは、こんな風に考えるようになっています。
ゆるせない時は、なにをやっても、結局、自分自身が苦しい想いをするだけ…
すでに自分自身がゆるされて生かされているんだから、ゆるした方がいいんだよなぁと。
そんな風に、何度も何度も言い聞かせています。
罪に大小はあったとしても、罪のない人間なんていません。
生きていること自体が、すでに多くの命の犠牲の上に成り立っているのだから、やっぱり、ゆるした方がいいんですよね。
だから、ゆるせない時は、相手をゆるすために頑張るのではなく、自分と大切な人たちが楽になるためだけに集中してください。
これは、決して、相手の罪を認めるわけではありません。
相手や罪を肯定するわけでもないです!
ただ、いまここにある安らぎを選択するということです。
心理学を勉強すると、ゆるせない裏側には、実は、ほとんど意識されないところに罪悪感や劣等感があって、相手をゆるせないのではなく、自分自身をゆるせていないことがあるようです。
・相手を徹底的に否定することで、自分自身を肯定しようとしていたり…
・ゆるすことが、負けることだと勝手に思い込んでいたり…
・怒りの裏側にある悲しみを、必死に隠そうとしていたり…
・本当の想いを「わかってほしい」というSOSだったり…
いろんなものが隠れています。
ゆるせない時は、こんな状況でも頑張っている「わたし」がいることに気づいて、相手を否定するエネルギーを自分を肯定するエネルギーに変えて、「よく頑張っているね」「ありがとう」と自分自身に言ってみてください。
それが一番良いです。
すでに頑張っているあなたへ
ありがとうございます。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕の「欠点」は、プライドが高すぎるところ。
そして頑固なところです。
とにかく、プライドが高くて、若い頃は、よく人を見下していました。
(ごめんなさい)
そして、独りよがりの自分勝手な信念と共に、頑なに動かないところがありました。
そんな欠点を、欠かすことのできない点に変えて、うまく活かせたら問題はないのですが、そんな簡単に活かせるわけもなく、今でも間違ったプライドが邪魔をして失敗することがあり、頑固さゆえに素直になれないことがあります。
心理学的には、欠点を肯定して、ありのまま認めて受け入れることが肝心だと言われます。
でも、これって奇麗事ですよね?!
そんな簡単にできれば、誰も苦労はしません。
そんな時、僕は、かつて茶道を習っていた時のことを思い出します。
一流の茶道具というものは、どこかいびつで、ヒビが入っていたり、欠けたものさえあります。
それが“わび・さび”であり、そこに虚飾(うわべの体裁)を捨て去り、真実を希求する心があると教わりました。
いびつな茶道具を見る度に、人間も同じで、ヒビが入っていたり、欠けているところがあるからこそ、それでいいんだなぁと思い出します。
だから、もし「欠点」で落ち込むようなことがあれば、その時は大きく深呼吸をして、いまここに、未熟な自分が成長していることに気づいてくださいね。
そして「まだまだ、だなぁ」と思いながらも、そんな自分の傍には“誰が”がいてくれることを忘れないでください。
人は…
欠点があるから出逢い、
未熟だから成長でき、
不完全だから愛し合えますからね。