病気になると、なぜ「ごめんね」ばかり言ってしまうんだろう。
2026/10/088回の手術を経験した僕が、看病する側になって気づいたこと。
「ちょっとアカンわ。助けてくれへん?」
先日、大切な友人から連絡がありました。
急いで駆けつけると、39度を超える高熱。

すぐに病院へ連れていき、診察を受けてもらいました。
薬をもらって帰宅したものの、本人は相当しんどそう。
僕にできることといえば、アイスノンを買ったり、経口補水液を用意したり、ゼリーやプリンなど、食べられそうなものを探すことくらい。
友人を寝かせたあと、ドラッグストアとスーパーを何軒も回りました。
「これなら食べられるかな」
「夜中に何かあったら困るな」
気づけば、買い物袋がいっぱいに。
心配性なのか、世話焼きなのか。
たぶん、両方です(笑)
「迷惑かけて、ごめん」
帰宅すると、友人が何度も言うんです。
「ごめん」
「迷惑かけて、ごめん」
謝らんでええのに。
しんどいときくらい、何も気にせず寝ていたらええのに。
そう思った瞬間、昔の自分を思い出しました。
僕は20歳でクローン病を発症し、8回の手術を経験しました。
4年間、口から食事をとれなかった時期もあります。
長い闘病生活のなかで、僕もずっと謝っていました。
「ごめんなさい」
「迷惑かけて、すみません」
病気になりたくてなったわけじゃない。
好きで寝込んでいるわけでもない。
それなのに、誰かに何かをしてもらうたび、申し訳なくなるんです。
自分が元気だったら、こんなに心配をかけずに済むのに。
自分さえ病気にならなければ。
そんなことを、何度も考えていました。
今回、僕は看病する側になりました。
そして、初めて気づいたことがあります。
大切な人が苦しんでいるのに、何もできないことが、こんなにつらいんだ。
代わりに熱を引き受けることもできない。
苦しさを半分もらってあげることもできない。
ただ、飲み物を用意して、少しでも楽に眠れるようにして、回復を祈る。
それくらいしかできません。
ああ、あの頃、僕を支えてくれた人たちも、こんな気持ちだったのかな。
そう思うと、胸がいっぱいになりました。
そして、不思議なことに気づいたんです。
友人から何度「ごめん」と言われても、僕は迷惑だなんて思いませんでした。
ただ、元気になってほしかった。
それだけでした。
もしかしたら、昔の僕を看病してくれた人たちも、同じ気持ちだったのかもしれません。
僕たちは、どうしてこんなに謝ってしまうんでしょう。
病気になったとき。
誰かに頼らなければならないとき。
思うように動けなくなったとき。
まるで、人の手を借りることが悪いことのように、「ごめんなさい」と言ってしまう。
でも、人間って、いつも元気でいられるわけじゃありません。
誰かを支える日もあれば、支えてもらう日もある。
それでええんやと思います。
もちろん、「ごめんね」という言葉には、相手を思いやる優しさもあります。
だから、無理にやめる必要はありません。
ただ、覚えていてほしいんです。
あなたが弱っていることと、あなたが誰かの迷惑になることは、同じではありません。
誰かに頼ることは、決して恥ずかしいことじゃない。
元気になったら、また誰かに優しくすればいい。
それまでは、安心して休んでほしいと思います。
そして今、誰かを看病したり、支えたりしている人にも伝えたいことがあります。
「何もしてあげられない」
そう思うことがあるかもしれません。
でも、そばにいてくれること。
飲み物を用意してくれること。
心配して、声をかけてくれること。
それが、どれほどありがたいことなのか。
僕は、長い闘病生活を経験したからこそ、よく知っています。
そして、支える人も、どうか無理をしすぎないでください。
看病する人だって、疲れます。
不安にもなります。
自分のことを後回しにしてしまうこともあります。
だからこそ、支える人にも、休む時間が必要です。
誰かを大切にすることと、自分を犠牲にすることは、同じではありませんから。
僕がカウンセリングで大切にしている「整える」ということも、こういう日常のなかにあるのだと思います。
何か特別なことをするのではなく、今できることを、ひとつずつ。
そして、自分自身のことも忘れない。
それで十分な日もあるんです。
あの日、友人には何度も言いました。
「謝らんでええから、寝とき」
そう言いながら、また何か買い忘れた気がして、スーパーへ走る僕。
もう、どっちが落ち着かなあかんのやら(笑)
でも、今回の出来事を通して、改めて思いました。
「ごめんね」より、「ありがとう」が似合う日もある。
そして、ありがとうさえ言えないほどしんどい日は、何も言わずに休んでくれたら、それでいい。
人間は、ひとりで生きているわけじゃないんですから。
20歳でクローン病を発症しました。

