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「ちゃんとしなさい」と言ったのは、誰だったんだろう。

2026/08/26

お盆に、亡くなった父から

「もっと自由に生きなさい」

という言葉を受け取りました。

 

その言葉をきっかけに、

僕は、自分がずっと「誰かの声」を自分の声だと思って生きていたことに気づきました。

 

 

お盆の夜、亡くなった父が来ました。

 

……と書くと、

急に話のジャンルが変わった感じがしますが、久しぶりにかなりはっきりした霊的な体験でした。

 

その夜は、まったく眠れませんでした。

 

昔の霊媒としての感覚が、

突然、電源を入れられたように戻ってきて。

 

父から伝わってきた言葉は、

「もっと自由に生きなさい」

でした。

 

僕は正直、

「いや、かなり自由に生きてますけど」

と思いました。

 

京都を離れて東京に暮らし、

自分で仕事をして、

好きなものを食べ、

好きな人たちと会い、

昔に比べればずいぶん自由になったつもりでした。

 

これ以上どうしろと。

 

亡くなってから注文が細かい父です。

 

でも、そのあと自分の中をよく見てみると、少しわかってきました。

 

僕はずっと、

「神社」という名前を背負っていたんです。

 

珍しい苗字だからというだけではありません。

 

家のこと。

先祖のこと。

自分が受け継いできたもの。

 

そういうものを大切にするあまり、

 

「神社家の人間として恥ずかしくないように」

「ちゃんとした人でいなければ」

「人の見本にならなければ」

 

と、知らないうちに自分を縛っていました。

 

父が言う「自由」は、好き勝手に生きろ、

という意味ではなかったのだと思います。

 

その名前を背負うのではなく、

その名前で遊べるくらいになれ。

 

そんな感じでした。

 

そして妙に納得したのが、

父自身が、それをできなかったということです。

 

だから僕には、やってほしいらしい。

 

困ったものです。

 

生きている時に言ってくれれば、もう少し早く気づけたのに。

 

 

僕は今回のことで、改めて思いました。

人は、「誰の声を聞いて生きているか」で、ずいぶん人生が変わります。

 

これは、付き合う友人を選びましょう、という単純な話ではありません。

 

毎日のように、

 

「もっと頑張れ」

「ちゃんとしろ」

「普通はこうするものだ」

 

と言う人のそばにいれば、いつの間にか、その声が自分の声になります。

 

逆に、

 

「それ、本当にあなたがしたいこと?」

 

と聞いてくれる人と一緒にいると、

自分の声を思い出すことがあります。

 

そして少し厄介なのは、

もう目の前にはいない人の声にも、

人は影響され続けるということです。

 

親。

昔の先生。

かつて大切だった人。

世間。

家族。

 

本人はもう何も言っていないのに、

自分の頭の中で、ずっと続きを言わせていることがある。

 

僕もそうでした。

 

だから僕は、

 

「ご先祖様は、立派な子孫になってほしいと思っている」

 

という考えを、少し疑っています。

 

少なくとも、

今回、僕が父から受け取ったものは逆でした。

 

ちゃんとしろ、ではなく、

ちゃんと自分を生きろ。

 

でした。

 

もちろん、こういう話を「本当に霊界から来た言葉なのか」と証明するつもりはありません。

信じるかどうかも自由です。

 

でも僕自身は、あの夜の言葉をきっかけに、

自分がどれだけ「立派でいなければ」に捕まっていたのかに気づきました。

 

それだけでも十分だったと思っています。

 

 

もし、今のあなたが少し苦しいなら、

「私は誰の声と一緒に暮らしているんだろう」

 

と考えてみてもいいかもしれません。

 

お母さんの声かもしれない。

会社の上司かもしれない。

世間かもしれない。

あるいは、昔の自分かもしれません。

 

その声に従い続けた先で、あなたは後悔しないでしょうか。

本当はもう、自分でも気づいていることはないでしょうか。

 

全部を捨てなくても、人生の方向は変えられます。

 

僕も48歳になって、まだ自分の中の「ちゃんとしなきゃ」と格闘しています。


完成する気配は、今のところありません。

たぶん、完成しなくていいのでしょう。

 

生きているうちは、

何度でも自分の人生に戻ればいい。

 

 

「自分の本音」がわからなくなったときに

一人で考えていると、

 

「自分の本音」と

「誰かから受け取った声」が、

 

ごちゃごちゃになることがあります。

 

もし今、

 

「自分がどうしたいのか、もうよくわからない」

「これは自分の本音なのか、誰かの期待なのかわからない」

 

そんなところにいるなら、カウンセリングで一緒に整理することもできます。

 

僕が答えを決めることはしません。

その人自身の中にあるものを、一緒に見つけていく時間です。

 

オンラインカウンセリング

https://kanja.info/webform_15.html

 

対面カウンセリング(池袋駅前)

https://kanja.info/contents_762.html

 

僕もそろそろ、

「神社」という名前を背負うのをやめて、

もう少しこの名前で遊んでみようと思います。

 

父も、その方が面白がるでしょう。