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「ちゃんと勉強する」だけが、学ぶことではなかった。

2026/08/24

人生は、教室の外でも、ずっといろいろなことを教えてくれていた。

僕はずっと、「学ぶ」ということを勘違いしていたのかもしれません。

 

学校へ行く。

セミナーを受ける。

先生の話を聞く。

ノートを開いて、カキカキする。

 

そして、

「なるほど」

「ふむふむ」

と理解する。

 

僕にとって「勉強する」とは、そういうものでした。

 

ちゃんとお金を払って、

ちゃんと席に座って、

ちゃんとノートを取る。

 

それが「学ぶこと」だと思っていたのです。

 

ところが先日、その思い込みを見事にひっくり返されました。




先日、アメリカ人の友人に会いました。

僕とは、かなりタイプの違う人です。

 

企業研修で「自信」について教えたり、ウォーキングを指導したりしていて、本人もとても堂々としている。

そんな彼と、お茶を飲みながら話していたときのこと。

 

彼が僕に言いました。

 

「お前は、なんでそんなに控えめにしているんだ?」

「そんなに才能があるのに、なんで隠れてるの?」

「隠れていたら、何も意味ないじゃないか」

 

僕は、

 

「そうだよねぇ」

「うんうん」

 

と聞いていました。

 

なるほど。

ふむふむ。

 

……ほとんど他人事のように(笑)。

 

そして翌日。

 

彼が出演しているドキュメンタリーを観る機会がありました。

 

そこには、これからコンテストに出る人たちにウォーキングを教えながら、その人自身の魅力を引き出し、自信を持たせていく彼の姿がありました。

 

それを観ながら、僕は感動しました。

 

「うわぁ、この人の指導、受けてみたい」

 

すると、隣にいた柏崎さんが、

 

「えっ?」

 

と。

 

「昨日、彼は、神社くんに同じこと言ってたじゃん」

「というか、昨日もう指導してくれてたじゃん」

「もしかして、何も聞いてなかったの?」

 

……。

 

聞いていました。

ちゃんと聞いては、いたんです。

 

でも僕の中では、それが「学び」に分類されていなかったのです(笑)。

 

なぜだろう?

 

考えてみたら、理由はとても単純でした。

 

僕は、

 

お金を払って、

先生の前に座って、

ノートを開いて、

真面目に話を聞く。

 

それが「学習」だと思い込んでいたからです。

 

お茶を飲みながら、

笑いながら、

友人と話している。

 

そんな何気ない時間の中で、目の前の人が自分にとって大切なことを話してくれていても、

 

「はい、ここから授業です」

 

と言われていないから、僕の中では授業が始まっていなかった。

 

なんとも、もったいない話です。

 

そこで思い出したのが、以前、柏崎さんから聞いた「ブックスマート」と「ストリートスマート」という考え方でした。

 

本や学校、体系化された知識から学ぶ力。

そしてもう一つは、

人との関わりや経験、失敗、遊び、現実の中から学んでいく力。

 

振り返ってみると、僕は圧倒的に前者だったのだと思います。

 

本を読む。

先生から教わる。

資格を取る。

講座へ行く。

ノートを取る。

 

ちゃんと学ぶ。

ちゃんと理解する。

ちゃんと身につける。

 

一方、柏崎さんを見ていると、ずいぶん違います。

 

人と話しながら学ぶ。

遊びながら学ぶ。

失敗しながら学ぶ。

旅をしながら学ぶ。

笑いながら学ぶ。

 

普段は、かなりぼーっとしています。

 

そして時々、

 

「理由なんかいらないんだよ」

 

などと、僕にはよくわからないことを言っています(笑)。

 

だから僕は心のどこかで、

 

「この人、本当にちゃんと考えているのかな」

 

と思っていました。

 

ところが、一緒にいる時間が長くなって気づきました。

 

ちゃんと見ている。

ちゃんと聞いている。

 

そして、人との何気ない会話や出来事から、驚くほどいろいろなことを拾っている。

 

なるほど。

こういう「学び方」もあるのか。

 

そして今回、もうひとつ気づいてしまいました。

 

少々、恥ずかしい発見です。

 

僕は「勉強すること」が好きだっただけではなく、

「ちゃんと勉強している自分」が好きだったのかもしれません。

 

ノートを開いて、

カキカキ。

 

先生の話を聞いて、

ふむふむ。

 

「僕は今、ちゃんと学んでおります」

 

みたいな(笑)。

 

なんというナルシストでしょう。

 

我ながら、笑ってしまいました。

 

でも、そんな自分も含めて振り返ってみると、

僕は「ちゃんとすること」に安心していたのだと思います。

 

決められた場所で、

決められた方法で、

正しいとされることを学ぶ。

 

そこには安心があります。

 

けれど、人生で本当に大切だったことの多くは、そんなふうに教えてもらったものではありませんでした。


  • 病気になったこと
  • 思い通りにいかなかったこと
  • 誰かを好きになったこと
  • 人と別れたこと
  • 誰かに助けてもらったこと
  • 自分ではどうにもできなくなったこと
  • 何気なく言われた一言に救われたこと

振り返れば、僕の人生を大きく変えたことの多くは、教科書には載っていませんでした。

 

20歳で病気になったときも、

長い闘病生活の中でも、

人との出会いや別れの中でも、

 

「これは授業ですよ」

 

なんて誰も教えてくれませんでした。

 

それでも僕は、そこでたくさんのことを教わりました。

 

人の弱さも。

優しさも。

思い通りにならない人生との付き合い方も。


そして、自分一人では生きていけないことも。

 

そう考えると、

人生そのものが、ずっと先生だったのかもしれません。

 

なのに僕は、

 

「はい、ここから授業です」

 

と言われないと、ノートを開かなかった(笑)。

 

もったいなかったなぁ、と思います。

 

 

もしかすると今日も、

誰かとの何気ない会話の中に。

 

電車の中に。

食事をしている時間に。

仕事で失敗したことの中に。

笑っている時間に。

 

あるいは、自分が「こんなはずじゃなかった」と思っている出来事の中に。

 

これからの自分に必要な何かが、ひょっこり置かれているのかもしれません。

 

大切なのは、

もっと必死に勉強することではなく、

 

「これは学び」

「これは遊び」

 

と、人生を分けすぎないことなのかもしれません。

 

そしてこれは、カウンセリングをしているときにも感じることがあります。

 

僕が何か特別な「正解」を教えるというより、

 

その人がすでに経験してきたことや、

何気なく口にした言葉、

ずっと心のどこかで感じていた違和感の中に、

 

これからを生きるためのヒントが隠れていることがあります。

 

答えは、案外遠くにあるとは限らない。

 

もっと勉強しなければ。

もっと知識をつけなければ。

もっと立派にならなければ。

 

そう思って探しに行く前に、

すでに自分の人生から教えてもらっていることに、気づいてみる。

 

それもひとつの「学び」なのだと思います。

 

僕もこれからは、もう少し教室の外で学んでみようと思います。

 

ノートを開かずに。

カキカキせずに。

 

たまには、コーヒーでも飲みながら(笑)。

 

人生の先生は、案外、教壇ではなく、隣の席に座っているのかもしれません。