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立春。動かない安心より、動いたあとの清々しさを選ぶ

2026/02/04

勝手な自己都合解釈を終わらせるために

本を読んだり、

SNSや誰かの言葉に触れたりすると、


「今の私に、まさに必要なメッセージだ」

「これは、私に向けて書かれている」


そんなふうに感じる瞬間があります。


それ自体は、悪いことではありません。

むしろ、感受性がある証拠です。


ただし――

そこで止まってしまう人が、とても多い。


読んだ。

共感した。

癒された気がした。


そして、何も変わらないまま、日常に戻る。


これは、厳しい言い方をすれば

「理解したつもり」になっているだけです。


どんなに素晴らしい言葉も、

どんなに的確なメッセージも、

読んだだけでは、人生は1ミリも動きません。




すべては「実践」です。


動いた人だけが、変わる。

動かなかった人は、何も変わらない。


それなのに最近は、

「ありのままでいい」

「無理しなくていい」

という言葉だけを切り取って、


・動かない理由

・挑戦しない言い訳

・向き合わない正当化


に使ってしまう人がいます。


これはもう、

スピリチュアルでも、心理でも、優しさでもなく、

ただの自己都合解釈です。


ここは、はっきり言っておきたい。


「わがまま」なのか、

「自分を大切にしている」のか。


「甘え」なのか、

「本当に必要な休息」なのか。


この違いは、とても曖昧に見えて、

実は、驚くほどシンプルです。


それは――

動いたかどうか。


そして、

動いたあとに、どう感じているか。


・少し怖かったけど、やってみた

・面倒だったけど、一歩踏み出した

・逃げたかったけど、向き合った


そのあとに、


・どこか清々しい

・胸の奥がスッとする

・身体が軽い

・自分を誇らしく感じる


こういう感覚が残っているなら、

それは「自分のためになっている選択」です。


逆に、


・何もしていないのに安心した気になる

・動かないことで正しい人になった気がする

・心は楽だけど、どこかモヤモヤが残る


この状態が続くなら、

それは優しさではなく、停滞です。


本当に自分を大切にするとは、

自分に甘くすることではありません。


ときに、

自分に問いを向けること。

自分を少し動かすこと。

自分の可能性を信じて、一歩出すこと。


それができたとき、

心と身体は、ちゃんと教えてくれます。


「それでいいよ」

「今の選択、間違ってないよ」と。


言葉を集めるより、

共感を集めるより、

一歩、動いてみる。


それができた人から、

人生は、静かに、でも確実に変わっていきます。