“自分らしく生きたい”——その願いは尊いのに、
やり方を誤ると、ただの“わがまま”に転落してしまうことがあります。
その境目にあるのは、たったひとつの問い。
「そこに愛はあるか?」

「本音で生きるんです」
「私は私で行きます」
この言葉、勢いがあって気持ちはよくわかります。
ただ、それによって周りが疲れてしまっているなら、
それは“自分らしさ”と呼ぶには少し乱暴です。
本当は「〜べき」という言葉を使いたくありません。
でも、
人間関係の基本だけは、
あえて“べき”と呼んでいいと、
僕は思っています。
長年カウンセリングをしてきて、
ここを外すと、必ずどこかに亀裂が入るからです。
言い方ひとつで、人の心は開いたり閉じたりします。
「嫌い」
「無理」
「ありえない」
「太りすぎ」
「ダサい」
「臭い」
たとえ、それが本音であっても、
これは本音ではなく、ただの暴力。
本音でぶつかるより、
思いやりで触れる方が、
遥かに強く、深く伝わるものです。
京都では昔から、
「親しき仲にも礼儀ありどすえ:笑」
と言われてきたように、
尊敬と尊重は、関係を長続きさせるための土台です。
もしあなたが最近、
誰かに雑に扱われていると感じるなら、
まずは自分自身をどれくらい丁寧に扱っているか、
そっと確かめてみてください。
そしてもし、
あなたが無意識に相手を雑に扱ってしまっているなら、
いつか必ずしっぺ返しが来ます。
これは精神論ではなく、自然の摂理です。
愛を欠いた言動は、必ず自分に戻ってきます。
だからこそ、
自分の言葉や態度を選ぶとき、
たったひとつの基準で十分なのです。
「この行動に、愛はあるだろうか?」
愛があるなら続ければいい。
愛がない相手なら、静かに距離を置けばいい。
戦う必要も、我慢する必要もありません。
距離は立派な選択です。
自分らしく生きるということは、
自分勝手に生きることではない。
自分の軸を持ちながら、
相手の人生も尊重する。
その姿勢こそが、
人間関係を豊かにし、
自分の人生も美しく整えていきます。
どうか今日も、
あなたの選ぶ言葉と行動に、
やわらかな愛がありますように!
