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「恥ずかしい」は、はじまりのサイン。

2025/10/16

ヨガで気づいた“勇気の使い方”

昨日、友人に誘われて、ヨガに行ってみた。


もともと僕は「ヨガ=体が柔らかい人のもの」だと思っていた。

前屈しても、指先は床に届かない。

いや、届かないどころか――恥ずかしいほど離れている(笑)。


しかも、運動音痴だから、ヨガは僕にとって「無縁の世界」だった。


しかも女性が多いイメージが強く、男ひとりで行くなんて勇気が要る。

それでも今回は、「もう二度とチャンスは来ないかもしれない」と思った。


だから行った。

怖さも恥ずかしさも抱えたまま。




レッスン会場に入ると、やっぱり女性ばかり。


先生は若くてきれいな方。

しかも僕の真正面。

ポーズは取れないし、ふらふらするし、冷や汗が止まらない。


でも――

誰も笑わなかった。

みんなが、ただただ優しかった。


その瞬間、胸の奥で何かがほどけた。

「できない」自分を、笑わずに受け入れてくれる人たちがいる。


それだけで、こんなにも安心できるんだと知った。




思えば、何かを始めるときって、いつも“恥ずかしさ”と“勇気”がセットになっている。


完璧にできることよりも、不器用でも、まず「やってみる」ことの方が大切なんだと思う。


クラウドファンディングに挑戦したときも、まったく同じだった。


何もわからないまま、手探りで始めた。

でも、動いたからこそ、人と出会い、世界が動いた。




終わったあとの心地よさは、何とも言えない。


「ああ、行ってよかった」と、心の底から思えた。


ひとりでは踏み出せないことも、

誰かの一言で動けることがある。


そして――


誰かと一緒に変わっていくことで、

人生が少しずつ動き出すこともある。


もし今、何かを始めたいけれど、怖くて動けない人がいたら。

どうか思い出してほしい。


最初の一歩は、ひとりじゃなくていい。


まわりは、思っているよりずっと、あたたかい。

大丈夫。あなたも、きっとできる。