「神様に祈ったのに、事故に遭いました。なぜですか?」
そんなご相談を、先日クライアントさんから受けました。
神社参拝の直後だったそうです。
正直なお気持ちだと思います。
願いを込めてお参りして、真面目に生きているのに、
なぜこんな目に遭うのか──
そんなふうに思ってしまうのは、自然なことです。
でも僕は、こうお答えしました。
「神様は、罰を与える存在ではありませんよ」
確かに、辛いことがあると、
私たちは「原因」を探したくなります。
「私のせい?」
「何か悪いことをしたから?」
「もしかして、神様が怒ったのかな?」
そんなふうに思ってしまうとき、
心の中にあるのは “不安” と “期待” の両方です。
でも、こう考えてみてほしいのです。
人生って、本当に複雑にできています。
良いことと悪いことが、いつも混ざり合ってやってきます。
そして、物事の“本当の意味”は、
その場ではなく、後になってわかることのほうが多い。
たまたま神社に行った後で事故に遭ったとしても、
それが「神様のせい」なわけではありません。
むしろ、
そこで立ち止まることに意味があるのかもしれないし、
「もっと大きな災い」から守られたのかもしれない。
そう考えると、
「出来事そのもの」をどう受け取るかが、大切になってきます。
原因探しに意味はありません。
壊れたものを戻すことも、
過去に戻ることも、できません。
でも、受け止めることはできる。
「これは、何かを教えてくれている」と。
僕たちが生きているこの世界は、
“単純な善悪”では測れない複雑さを持っています。
神様だって、
私たちを裁くためにいるのではなく、
見守ってくださっている存在です。
その視点を持つだけで、
見える景色が少し変わる気がしませんか?
最後に──
もし、あなたが今、
「なぜこんなことが起きたのか」と戸惑っているなら、
まずは、「意味づけ」から自由になってみてください。
それが、次の一歩につながるはずです。