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「神様に祈ったのに…」と思ったときに読む話

2025/07/17

「神様に祈ったのに、事故に遭いました。なぜですか?」

そんなご相談を、先日クライアントさんから受けました。


神社参拝の直後だったそうです。

 

正直なお気持ちだと思います。

 

願いを込めてお参りして、真面目に生きているのに、

なぜこんな目に遭うのか──

そんなふうに思ってしまうのは、自然なことです。

 

でも僕は、こうお答えしました。

 

「神様は、罰を与える存在ではありませんよ」

 


確かに、辛いことがあると、

私たちは「原因」を探したくなります。

 

「私のせい?」

「何か悪いことをしたから?」

「もしかして、神様が怒ったのかな?」

 

そんなふうに思ってしまうとき、

心の中にあるのは “不安”“期待” の両方です。

 

でも、こう考えてみてほしいのです。

 

人生って、本当に複雑にできています。


良いことと悪いことが、いつも混ざり合ってやってきます。

 

そして、物事の“本当の意味”は、

その場ではなく、後になってわかることのほうが多い。

 


 

たまたま神社に行った後で事故に遭ったとしても、

それが「神様のせい」なわけではありません。

 

むしろ、

そこで立ち止まることに意味があるのかもしれないし、

「もっと大きな災い」から守られたのかもしれない。

 

そう考えると、

「出来事そのもの」をどう受け取るかが、大切になってきます。

 

原因探しに意味はありません。


壊れたものを戻すことも、

過去に戻ることも、できません。

 

でも、受け止めることはできる。

「これは、何かを教えてくれている」と。

 

僕たちが生きているこの世界は、

“単純な善悪”では測れない複雑さを持っています。

 

神様だって、

私たちを裁くためにいるのではなく、

見守ってくださっている存在です。

 

その視点を持つだけで、

見える景色が少し変わる気がしませんか?



 

最後に──

もし、あなたが今、

「なぜこんなことが起きたのか」と戸惑っているなら、

まずは、「意味づけ」から自由になってみてください。

 

それが、次の一歩につながるはずです。