「真面目だね」「しっかりしてるね」
そんなふうに言われてきたけれど、
本当はずっと、心の中で疲れていた。
おはようございます、神社昌弘です。
今日は、がんばり屋さんのあなたに、
そっと伝えたい話を書きました。
「ちゃんとしてるね」って、ほめ言葉だけど…
「ちゃんとしなきゃ、嫌われる」
「迷惑をかけたら、ダメな人だと思われる」
「誰かが困ってたら、僕が動かなきゃいけない」
そんなふうに思っていたかもしれません。
僕は、人一倍気を配り、人の感情に敏感で、空気を読み、先回りして動いてきました。
それは立派な「才能」だけど、ときに自分を置き去りにする“クセ”にもなっていた気がします。
本当は、ちょっと休みたい。だけど…
・頼まれたら断れない
・誰かが困っていると、手を差し伸べてしまう
・何かあると「僕が悪いのかも」と思ってしまう
そんな自分に、もうひとりの自分がツッコミを入れる。
「もっと楽に生きたいのに、なんで僕は“いい人”をやめられないの?」
答えは、シンプルです。
“いい人でいないと、不安だから”。
ちゃんとしていれば、
誰にも責められないし、
誰も自分を見捨てないと思ってしまう。
でも、
もう十分やってきたんじゃないかな。
ちゃんとしてる人が、一番疲れてる理由
「迷惑かけちゃダメ」
「人に気を使わないと」
この“ちゃんと病”、放っておくと心が擦り切れていきます。
なぜなら、「ちゃんとしてる自分」にしか価値を見出せなくなるから。
●疲れてるのに、がんばってしまう
●悲しいのに、「大丈夫」と言ってしまう
●本当はやりたくないのに、笑顔で引き受けてしまう
これは、僕自身の話でもあります。
・寝坊も遅刻も、一切なし
・忘れ物をした記憶がない
・どこへ行くにも、15分前には必ず到着
・初対面でも手土産を忘れず持参
・誕生日には必ずメッセージを送る
・恩を受けた人には、感謝の手紙を書いて近況報告
・部屋はいつもぴかぴか――
こんなふうに、書ききれないくらい「ちゃんとして」生きてきました。
でも、心のどこかが、ずっと張りつめていた気がする。
「ちゃんとしていれば、誰かに迷惑をかけない」
「ちゃんとしていれば、見捨てられない」
「ちゃんとしていれば、認めてもらえる」
そんなふうに、自分の存在価値を“努力”や“気配り”で証明し続けてきたのかもしれません。
これからは、“ちゃんとしない”練習を
「もう、ちゃんとしなくていいんだよ」
「ちょっとダメな自分も、好きでいていいんだよ」
最初は戸惑うかもしれません。
でも、小さな“ゆるめポイント”から始めてみてください。
・洗い物を後回しにする
・LINEの返信をすぐに返さない
・寝坊する日をつくる
・泣きたいときに、泣く
それだけで、自分が戻ってくる感覚があるはずです。
あなたは、もう十分「ちゃんと」してきた
だからこそ、これからの人生は――
「ちゃんと生きる」じゃなくて、「自分を生きる」時間にしませんか?