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「道を聞かれる人」になれるということ。

2025/05/04

東京にいると、なぜかよく外国人の方に道を聞かれます。


駅前でも、信号待ちでも、

「あ、絶対に来るな…」

と感じたその瞬間、スッと近づいてこられて、声をかけられる。

「Excuse me…」
「ホテルはどこですか?」
「この場所に行きたいのですが…」

昨日も、スペインから来られた女性が、迷い込んだようにキョロキョロされていて、目が合った瞬間、にこっとしたら、一気に駆け寄ってこられました(笑)



幸い、多少は英語が話せるので、身振り手振りも交えて、目的地を案内。


不思議と、話しかけられるのって、

“話しかけても大丈夫そうな雰囲気”

があるのかもしれません。


でも、それはたぶん、僕自身が、何度も海外で道に迷いながら、たくさんの人に助けてもらってきたから。


ロンドンの駅、

シドニーのバス停、

まったく読めない標識の国で、

やさしく声をかけてくれた人たち。


その時の“安心”って、忘れられないんですよね。


だから今は、立場が逆になっただけ。

持ちつ持たれつ、助け合いのリレー。


はじめての場所には、ワクワクと不安が、どちらも詰まっています。


そんなときに、

「大丈夫。楽しんでおいでね」

と言ってもらえると、人って、ぐっと安心するものです。


僕もそんなふうに、誰かの“少しの不安”に手を差し伸べられるような、さりげない存在でありたいと思います。


道を聞かれるって、案外、光栄なことなのかもしれません。


神社 昌弘