京都・東京・オンライン
  1. お布施ブログ
  2. 楽譜が読めない僕が、ピアノを“感覚だけ”で弾いてきた理由
 

楽譜が読めない僕が、ピアノを“感覚だけ”で弾いてきた理由

2025/04/19

こんにちは。

神社です。


僕がピアノを始めたのは、3歳のときだった。


姉のピアノ教室に付き添いで行った時、僕も興味を持ってしまって、姉と一緒に習うことになった。


でも、姉はすぐに辞めて、僕だけが教室に通うようになった。


だけど、中学生になるころには自然とやめていた。

当時は医者になることを目指していたから、塾の忙しさで、気づけばピアノから離れてしまっていた。


それでも、音を出すのが好きだった。

だから、時々、家の鍵盤に触れていた。


でも、実は僕、楽譜は読めない。


昔からどうしてもダメで、赤字でフリガナを書いてもらっても、頭に入ってこない。

先生の手の動きをじっと見て、それをそっくりそのまま覚えて弾いていた。


だから、手本がなければ弾けない子どもだった。 


そんな僕が、大人になって――

最近になって、あらためてピアノに向き合う機会をもらった。


きっかけは、YouTubeで一緒に番組を作っている柏崎さん


彼は、アメリカで音楽を専門的に学び、ピアノも本格的に教えられる人。

何気なく教えてもらったとき、言われた一言が、心に刺さった。


「楽譜ってね、作曲家の“想い”が詰まってるんだよ。」


――想い?


その言葉に、ドキッとした。


僕はずっと、自分の耳と感覚だけを頼りに音を追いかけていたけど、そこに“誰かの心”を感じたことは、正直なかった。 


楽譜に忠実に音をなぞること。

それはただの「お手本通り」じゃなかった!!!!


作曲家が、その時、その瞬間に感じた感情、

言葉にできなかった願い、想像していた景色――

そういったものが、小さな音符たちの中に詰まっていた。


それを知ったとき、僕の中で何かが静かに変わった。


今までは“自由に弾くこと”だけが正解だった。

でも、“誰かの想いを自分の手でなぞる”という美しさが、こんなにも深くて温かいものだなんて。


自由に奏でることも素晴らしい。

でも、譜面を通して人の想いにふれるという体験もまた、

心の奥を静かに震わせてくれるものなんだ。


ピアノって、音を鳴らす道具じゃなくて、

人の心と心をつなぐ、ひとつの手段なんだなと――


改めて、そんなことを感じた。


きっとこれからも、僕は楽譜をすらすら読むことはできない。


それでも、音の奥にある“誰かの想い”を、手で感じながら、

ゆっくり、丁寧に弾いていけたらと思っている。


神社 昌弘