最愛の人が亡くなれば、
「なぜ、亡くなったのか?」
「どうして、亡くならなければいけなかったのか?」
そう問いたくなるのは、当然だ!
「神社さん、なぜ、あの人は亡くならなければいけなかったのですか?」
「あの人の最後の声を聞かせてください」
もう何百回と、このような質問を尋ねられてきた。
僕自身も、17歳の時に父を亡くしているから、
「なんで、父が、あんなに早く亡くならなければいけなかったのか?」
「父が僕に伝えたいメッセージは、何なのか?」
それらを知りたかった。
だから、幼少期からの霊媒体質を生かして、自分でも追究しまくって、わざわざイギリスにまで渡って、専門機関で勉強をしたりもしてきた。
しかし、結局のところ、最終的には「運命」とか「シナリオ」という言葉に行き着いて、死の意味に関して、納得できるものはなかった。
たとえ、亡き父から、どんなに癒しのメッセージを受け取っても、現実で会えることは無く、その深い悲しみや辛さは無くならなかった。
当時の僕が理解したことは、亡き人たちは、決して、死の意味を理解することを望んではなくて、それよりも大事なことは、悲しみや苦しみから目を背けず、すべての感情と共にあることだった。
自分を大事にして、すべての感情と共にあること。
そして、泣きたい時に泣いて、悲しい時に悲しむということ。
残された僕にできることは、そのままの自分を認めて、許して、愛することだった。
かつては、死の意味を知って、亡き人からメッセージを受け取ることさえできれば、その深い悲しみが無くなると思っていた。
でも、残念ながら、悲しみは無くならない。
むしろ、悲しみは無くすものではなく、その悲しみと共に生きてゆく自分に、誇りを持って生きてゆくことが大事なんだと、亡き父から教わった。
死の意味は、自分が死んでからわかればいいことで、今できることといえば、昨日よりもちょっと前を向いて、ほんのちょっとでも前進すること!
そして、少しずつ幸せに生きようと努力してゆくことが大事なんだ、と学んだ。
亡き人にとって最大の供養は、
「残されたものたちが、元気で幸せであること!」
だから、それを忘れずに、今日もいきたいと思う。
神社昌弘(かんじゃまさひろ:本名)
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