「できれば穏便に済ませたい」
そう思って、言いたいことを飲み込んだ経験は、
誰にでもあると思います。
そうやって、本音をしまい込む。
でも、
カウンセリングの現場で何度も見てきて、
はっきり言えることがあります。
本音を言わずに、
穏便に済ませるという選択は、
実は、かなり無理があります。
なぜなら、本音というのは、
どこかで必ず「誰かが傷つく」性質を持っているからです。
本音を言えば、相手が傷つくかもしれない。
本音を言わなければ、自分が傷つき続ける。
穏便に見える状態というのは、
たいていの場合、
どちらかが譲っているか、
どちらかが我慢しているか、
そのどちらかです。
以前、こんな相談がありました。
「夫は悪い人じゃないんです。
ただ、私の話をちゃんと聞いてくれない。
でも言うと、機嫌が悪くなるので……」
その方は、とても穏やかで、優しい人でした。
「まあ、私が我慢すればいいかな」
そうやって、何年もやり過ごしてきたそうです。
でも、ある日、些細なことで涙が止まらなくなった。
自分でも理由がわからない。
怒りでもなく、悲しみでもなく、
ただ、限界だった。
言わずにやり過ごすことは、
解決ではありません。
先送りです。
しかも、心はきちんと覚えています。
「私は、また後回しにされた」
「私は、また大事にされなかった」
それが積み重なると、
ある日、爆発します。
もしくは、静かに諦めます。
どちらも、かなりつらい。
じゃあ、どうすればいいのか。
答えは、とても地味です。
小出しで言う練習をすること。
いきなり本音を全部ぶつける必要はありません。
むしろ、それはおすすめしません。
「実はね」
「少しだけ聞いてほしいんだけど」
「前から気になってたことがあって」
そんな小さな言葉でいい。
たとえ相手の機嫌が一瞬悪くなったとしても、
言わなければならないときは、確かにあります。
その瞬間、
「空気を壊した自分が悪いのではないか」
そう思うかもしれません。
でも、空気を壊したのではなく、
見えない無理を、表に出しただけです。
もちろん、選択肢はもう一つあります。
一生言わない。
諦めて、やり過ごす。
期待しない。
それも、間違いではありません。
自分を守るための選択として、必要なこともあります。
ただ、その場合、
心のどこかで覚悟がいります。
「私は、ここを求めない」
「ここでは満たされない」
それを自分で引き受ける覚悟です。
どちらが正解、という話ではありません。
ただ、ひとつだけ確かなことがあります。
人は、言えたら癒えます。
話せたら、離せます。
そして、少し楽になります。
本音を言うことは、
相手を傷つけるためではありません。
自分を守るためであり、
関係を続けるための、
最後の誠実さでもあります。
もし今、
胸の奥に引っかかっている言葉があるなら、
今日でなくてもいい。
でも、
「いつか言う」という選択肢を、
自分から奪わないでください。
それだけで、
心は少し、呼吸しやすくなります。

カウンセラーという仕事をしていると、
よく言われます。
「神社さんは、いつも落ち着いていますよね」
「ブレないですよね」
「癒す側の人ですよね」
たしかにそう見えるのだと思います。
実際、目の前の人の話を聴くとき、
僕はとても冷静です。
でも今日は、
あまり表に出してこなかった話をします。
僕自身が、いちばん癒されていなかった頃の話です。

昔の僕は、
「癒す側でいなければいけない」と思っていました。
そうでなければ、
人の前に立ってはいけない。
相談に乗ってはいけない。
そんな、
誰に言われたわけでもないルールを、
自分に課していました。
だから、つらくても、
悲しくても、
腹が立っても、
「まあ、大丈夫」
「学びだよね」
「意味があるよね」
そうやって、
感情を“理解”に変換してきた。
今思えば、
かなり器用な逃げ方です。
あるとき、
もう何年も通ってくれているクライアントさんの前で、
ふいに、言葉が詰まりました。
いつものようにアドバイスしようとして、
でも、声が出なかった。
代わりに出てきたのは、
涙でした。
自分でも驚きました。
「え、ここで?」
というタイミング。
その瞬間、
その方がこう言ったんです。
「神社さんも、人なんですね」
その一言で、
肩の力が一気に抜けました。
癒す側である前に、
生きている人間だった。
感じていい存在だった。
それを、
僕はどこかで忘れていた。
それから少しずつ、
やり方を変えました。
無理に整えない。
わからないものは、わからないと言う。
腹が立ったら、
「今、正直しんどい」と認める。
すると、不思議なことが起きました。
クライアントさんが、
前よりも本音を話してくれるようになったんです。
以前より、
ずっと深いところの話を。
そのとき、はっきりわかりました。
人を癒すのは、整った言葉ではない。
生きている実感だ。
ちゃんと迷って、
ちゃんと傷ついて、
それでも生きている姿。
それを隠さなくなったとき、
言葉は、勝手に届くようになる。
今も、
完璧なカウンセラーではありません。
調子が悪い日もある。
腹が立つこともある。
弱くなることもある。
でも、
それをなかったことにしない。
「そういう日もある人間です」
と、ちゃんと自分に言う。
それができるようになってから、
人生はずいぶん楽になりました。
もし、この記事を読んでいるあなたが、
「ちゃんとしなきゃ」
「強くいなきゃ」
「癒す側でいなきゃ」
そうやって、
自分を後回しにしているなら。
一度だけ、
その役割を下ろしてみてください。
癒す前に、
生きていい。
支える前に、
感じていい。
それを許したとき、
人は不思議なほど、
自然に人を支えられるようになります。

追伸
この文章は、
誰かを励ますために書いたものではありません。
昔の自分に向けて書きました。
でも、もしあなたにも
何かが重なったなら、
それは偶然ではないと思っています。
スピリチュアルの世界では、
ときどき「奇跡の話」が主役になります。
•病気が一瞬で治った
•人生が急に好転した
•願った通りの現実が起きた
それを聞いて、
希望や勇気をもらえる人がいるのも事実です。
だから今日は、
あえて空気を読まずに書きます。

魂が本当に成長している人ほど、
派手な奇跡を語らなくなります。
これは、
長く人の心に向き合ってきて、
確信を持って言えることです。
魂の成長が浅いとき、
人は「分かりやすい変化」を求めます。
・一気に良くなりたい
・劇的に変わりたい
・人生をひっくり返したい
それは、悪いことではありません。
誰だって、苦しいときは
“分かりやすい救い”を求めます。
でも、魂が少しずつ成熟してくると、
関心は、そこから静かに離れていきます。
なぜなら――
本当に大切な変化は、
外から見えないところで起きる
と、体で知っていくからです。
魂が成長している人に起きている変化は、
こんなものです。
・無理な人間関係を、静かに手放せた
・嫌なことを、嫌だと言えるようになった
・自分を責める時間が、減ってきた
・小さな幸せに、ちゃんと気づけるようになった
•正直、地味です
•拍手も起きません
•SNS映えもしません
でも――
人生は、確実にラクになります。
ここで、大事なことを言います。
派手な奇跡を語る人が、
未熟だと言いたいわけではありません。
ただ、
魂の成長段階が違うだけです。
階段を上る途中なのか、
一段、踊り場に立ったのか。
それだけの違い。
本当に深い癒しが起き始めると、
人は、こんな状態になります。
「語る必要がなくなる」
これは、
魂が“静かに安定してきたサイン”です。
僕自身、
生と死の境界を何度も歩いてきて、
はっきり分かったことがあります。
奇跡は、
起きたかどうかよりも、
その後、どう生きているかがすべて。
一瞬の出来事より、
その後の日常の選び方。
ここに、魂の成熟が現れます。
もし今、あなたが
・派手な奇跡に、あまり惹かれなくなってきた
・静かな安心を、大切にしたくなった
・人に語らなくても、満たされている
そう感じているなら、
それは後退ではありません。
魂が、ひとつ大人になった証です。
最後に。
魂の成長は、
声高に語るものではありません。
日常が、少しラクになったこと
自分を、大切にできるようになったこと
無理を、しなくなったこと
それだけで、
十分すぎるほどの奇跡です。
スピリチュアルの世界では、
前世の話がよく登場します。
「前世は〇〇だった」
「前世のカルマが影響している」
「魂の記憶が目覚めていて…」
それ自体を、
僕は否定するつもりはありません。
実際、
前世という視点に救われる人が
いるのも事実です。
ただ――
今日は、あえて厳しいことを書きます。
前世の話をする前に、
今世を、生き切れているか。
この問いから、
目を逸らしてはいけないと思うのです。
カウンセリングをしていると、
こんな声によく出会います。
・やりたいことが分からない
・本音を言えない
・嫌な人間関係を断てない
・我慢ばかりで、人生が苦しい
ところが、話題はいつの間にか
前世・使命・魂の課題へと向かっていく。
ここに、
大きなズレがあります。

はっきり言います!
前世をどれだけ語っても、
今世の現実は変わりません。
現実が動くのは、
・嫌なことを「嫌だ」と言ったとき
・怖くても一歩、踏み出したとき
・自分を雑に扱う人から離れたとき
そういう、
地味で、勇気のいる選択をした瞬間です。
本物のスピリチュアルは、
過去に逃げません。
むしろ、
今の人生に、鋭い問いを突きつけてきます。
「本当は、どう生きたい?」
「その選択は、あなたの本心?」
「それ、誰の人生を生きている?」
この問いから逃げるために
前世を持ち出すと、
スピリチュアルは癒しではなく毒になります。
前世がどうであれ、
今世であなたは、
体を持ち、感情を持ち、
選択できる時間を与えられています。
この人生で
言いたかったことを言わず
行きたかった場所にも行かず
愛したかった人も愛さず
それで、
前世の話だけ立派でも、
魂は満足しません。
僕自身、
生と死の境界を何度も歩いてきて、
強く感じたことがあります。
魂が本当に喜ぶのは、
高尚な答えでも、
立派な設定でもありません。
・ちゃんと悲しむ
・ちゃんと怒る
・ちゃんと喜ぶ
・ちゃんと自分を生きる
ただ、それだけです。
もし今、あなたが
・スピリチュアルは好きだけど、現実が苦しい
・前世の話を聞くほど、置いていかれる感じがする
・もっと地に足のついた生き方がしたい
そう感じているなら、
その感覚は、とても健全です。
最後に。
前世は、
「言い訳」に使うものではありません。
今世を、生き切るための
背景でしかない。
まずは、
今日のあなたの人生を
ちゃんと選んでください。
魂の成長は、
そこから始まります。
昨年、クラウドファンディングで制作した
フォトエッセイ わたしを生きる。
その文章を、
柏﨑先生のキラットスクールに通う
三代穂乃さんが、朗読してくれました。
そして、飾りのない、まっすぐな声。
上手に読もうとする気配も、
感動させようとする意図もなく、
ただ、言葉を言葉のまま、差し出してくれています。
大人になると、
言葉はいつのまにか
説明や正論、役割を背負わされてしまいます。
けれど本来、
言葉は
もっと静かで、
もっとやさしく、
人を変えなくてもいいものだったはずです。
この朗読を聴いていると、
「何かをしなくてもいい」
「そのままで、もう十分」
そんな感覚に、自然と戻っていきます。
疲れているとき。
ひとりで過ごしたい夜。
理由はないけれど、心をゆるめたい時間に。
よろしければ、
音量を少し下げて、
深呼吸しながらお聴きください。
▼朗読動画はこちら
https://youtu.be/ThJ7hVNJ3DU?si=-SYJc_AtdxlLvUtL
この小さな朗読が、
誰かの心に、そっと灯りますように。