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心の処方箋

恋愛、人生、心について

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本気で人生を整えたい方は、どうぞ、相談室へ。

2026/09/09

僕は、未来なんか当てなくていいと思っています。

 

京都で育って、

見えない世界を身近に感じながら生きてきました。

 

わざわざイギリスまで行ってスピリチュアルを学び、

そのことを本にも書いてきました。

 

そんな人間が、

 

「未来なんか、当てなくていい」

 

と言うのですから、

 

「何を言うとんねん」

 

という話かもしれません(笑)

 

それでも、20年以上この仕事を続けてきた今、

僕はそう思っています。



 

未来が見えることより、

自分がどうしたいのかを、自分でわかっていること。

 

その方が、ずっと大切です。

 

僕はこれまで、

3万人以上の相談を受けてきました。

 

その中で、何度も聞いてきた言葉があります。

 

「どうしたらいいですか?」

「どちらを選んだらいいですか?」

「これで合っていますか?」

「私の未来はどうなりますか?」

 

もちろん、一緒に考えます。

 

必要であれば、

僕が感じたこともお伝えします。

 

でも、長くこの仕事をしているうちに、

僕の中に一つの思いが残るようになりました。

 

あなたの人生なのに、どうしてあなた以外の人が正解を持っていることになっているんだろう。

 

占い師。

カウンセラー。

スピリチュアリスト。

 

親。

夫。

子ども。

 

友人。

世間。

 

みんなの声を聞いて、

その最後に残った小さな場所に、

 

自分の気持ちを置いている。

 

僕は時々、

 

「逆やろ」

 

と思います。

 

まず最初に聞いてほしいんです。

 

「私は、どうしたい?」

 

たった、それだけです。

 

でも、この質問に答えられない人は少なくありません。

 

「わかりません」

 

とおっしゃいます。

 

ところが、

しばらく一緒に話していると、

 

少しずつ言葉が出てきます。

 

「本当は、もう嫌なんです」

「本当は、疲れました」

「本当は、行きたくありません」

「本当は、やってみたいんです」

「本当は、離れたい」

「本当は、もっと幸せになりたい」

 

僕は、その言葉を聞くたびに思います。

 

あるやん。

ちゃんと、自分の中に。

 

ただ、その声が聞こえた瞬間に、

多くの人が次の言葉で消してしまいます。

 

「でも、お母さんが」

「でも、夫が」

「でも、子どもが」

「でも、迷惑をかけるから」

「でも、嫌われるかもしれないから」

 

そうやって何年も、

時には何十年も、

 

自分の声より、

誰かの声を優先してきた。

 

僕は、それを責めたいとは思いません。

 

むしろ、

 

よくそこまで周りの人のことを考えて生きてきたなと思います。

 

優しいんです。

真面目なんです。

ちゃんとしているんです。

 

だからこそ、僕は伝えたい。

 

もう、自分まで置いていかなくていい。

 

人を大切にすることと、

自分を犠牲にすることは、

 

同じではありません。

 

僕自身も、

ずっと人の役に立とうとしてきました。

 

カウンセラーなんだから。

著者なんだから。

先生なんだから。

神社昌弘なんだから。

 

期待に応えよう。

ちゃんとしよう。

役に立とう。

 

そうやって20年以上生きてきて、

最近、自分にも聞くことがあります。

 

「で、僕はどうしたいん?」

 

人の人生については、

3万件以上、一緒に考えてきました。

 

それなのに、

自分のことになると僕だってわからなくなる。

 

人間、そんなものです。

 

だからこれは、

僕が皆さんに教えたい話ではありません。

 

僕自身も一緒に、

取り戻したいと思っています。

 

自分の感覚を。

 

好き。

嫌い。

 

うれしい。

悲しい。

 

行きたい。

行きたくない。

 

会いたい。

会いたくない。

 

やってみたい。

もうやめたい。

 

そんな気持ちに、

いちいち立派な理由がなくてもいいのだと思います。

 

僕は、

自分の中から出てきた小さな声を、なかったことにしないこと。

 

それが「自分を愛する」ということの始まりではないかと思っています。

 

「そうか。僕は嫌なんやな」

「そうか。僕はこれが好きなんやな」

「そうか。ほんまは寂しかったんやな」

 

まず、自分が聞いてやる。

 

それだけでも、

自分との関係は少しずつ変わります。

 

自分がわかる。

自分を信頼できる。

自分で選べる。

 

僕がカウンセリングやスピリチュアルを通して、

本当にお手伝いしたいのは、

 

たぶん、そこです。

 

だから僕は、

人を僕に依存させるスピリチュアルには興味がありません。

 

「神社さん、答えを教えてください」

 

ではなく、

 

「神社さん、私はこうしたいと思います」

 

と最後に言える人を増やしたい。

 

極端に言えば、

 

いつか僕なんか必要なくなればいい。

 

占い師がいなくても。

カウンセラーがいなくても。

スピリチュアリストがいなくても。

 

自分の人生の大切なところは、

 

自分で感じて、

自分で考えて、

自分で決める。

 

その力を取り戻してほしい。

 

僕は、そのためにスピリチュアルがあると思っています。

 

未来を知るためではありません。

 

自分を思い出すためです。

 

今日、

何か大きな決断をしなくても構いません。

 

ただ一度だけ、

自分に聞いてみてください。

 

「私は、どうしたい?」

 

そして何かが出てきたら、

 

すぐに「でも」で消さないでいてください。

 

叶えるかどうかは、

そのあと考えればいい。

 

正しいかどうかも、

そのあとでいい。

 

まず、

自分の声くらい、自分が聞いてやろう。

 

僕も、そうします。

 

僕を信じてほしいんじゃない。

 

最後は、自分を信じられる人になってほしい。

 

僕が20年以上、

この仕事を続けている理由は、

 

たぶん、それです。

 

毎週水曜日、

SNSには書ききれないことを

無料メルマガ「神社の手紙」に綴っています。

 

人生を大きく変えるためではなく、

少し立ち止まって、

自分の気持ちに戻るための一通です。

 

「神社の手紙」で、またお会いできたら嬉しいです。

 

美しく、自由に、豊かに。

整えることで、生き直す。


2026/09/02

僕は、光り物が曇っているのが嫌いです。

 

銀食器も、

アクセサリーも、

鏡も、

蛇口も。

 

光るためにあるものは、

ちゃんと光っていてほしい。

 

別に潔癖症ではありません。

 

……たぶん。

 

 

これには、京都の家で一緒に暮らしていた祖母の影響があります。

 

祖母は、よく言っていました。

 

「心は見えないでしょう。

だから、見えるところから磨きなさい」

 

子どもの頃は、

そんなものかな、と思っていました。

 

でも今は、

この言葉をかなり本気で信じています。

 

心も、

感性も、

直感も、

運も、

 

目には見えません。

 

だからまず、

目の前にあるものを丁寧に扱う。

 

靴を磨く。

鏡を磨く。

蛇口を磨く。

 

僕の家では、

榊の茎を毎日洗って生け直し、

できるだけ生花を飾ります。

 

部屋の空気が淀まないように、

サーキュレーターも回します。

 

僕にとっては、

特別な「開運法」というより、

暮らしの中にある小さな儀式です。

 

少し厳しいことを言えば、

 

見えるものを雑に扱ったまま、

見えない世界だけ整えようとするのは、

僕は少し違うと思っています。

 

僕はスピリチュアルな世界を大切にしています。

 

だからこそ、

 

神様にお願いする前に、

蛇口くらい磨いたらいい。

 

本気でそう思っています。

 

運をよくしたい。

直感を磨きたい。

人生を変えたい。

 

もちろん、それもいい。

 

でも、

 

部屋は散らかっている。

靴は汚れたまま。

食事も睡眠も適当。

自分の身体まで雑に扱っている。

 

それなのに、

見えない世界にだけ答えを求めるのは、

少し順番が違う気がするのです。

 

僕自身、

病気で人生がどうにもならなかった頃があります。

 

その闘病中、

 

「病気を治したいなら、

トイレを素手で掃除するといい」

 

と言われたことがありました。

 

もちろん、

トイレ掃除で病気が治る、

という話ではありません。

 

でも、僕はやりました。

 

誰も見ていない場所を掃除する。

 

汚れたら、

また掃除する。

 

昨日きれいにしても、

今日またやる。

 

とても地味です。

 

奇跡の話を期待されたら、

申し訳ないくらい地味です。

 

でも今振り返ると、

 

人生を立て直すというのは、

案外こういうことの積み重ねなのだと思います。

 

そして、

これまで3万人以上のお話を聴いてきて、

人の心にも同じことを感じます。

 

調子が悪くなると、

 

もっと成長しなきゃ。

もっと強くならなきゃ。

もっと学ばなきゃ。

 

僕たちは、

何かを「足す」ことばかり考えます。

 

でも、

 

本当は優しいのに、

人に使いすぎて疲れている人。

 

本当は自分で決められるのに、

人の意見を聞きすぎて、

自分の声がわからなくなった人。

 

十分頑張ってきたのに、

自信だけが曇っている人。

 

とても多いです。

 

なくなったわけではないんです。

 

少し、曇っているだけ。

 

だから僕は、

 

新しい自分になろうとする前に、

 

いま持っているものを、

もう一度磨いてみる。

 

それでいいと思っています。

 

人間ですから、

一度整えたって、

また散らかります。

 

心だって曇ります。

 

僕もしょっちゅう曇ります。

 

そうしたら、

また磨けばいい。

 

何か新しいことを始める前に、

 

今日ひとつだけ、

 

「すでにあるものを磨く」

 

をやってみませんか。

 

靴でもいい。

鏡でもいい。

財布でもいい。

ずっと気になっていた場所でもいい。

 

目に見えるところを、

ひとつだけ整えてみる。

 

磨いているうちに、

 

「私、本当は何に疲れていたんだろう」

 

そんな、

見えなかった自分の気持ちまで

見えてくることがあります。

 

人生を変えようとしなくてもいい。

 

まずは、

少し整える。

 

僕は、

そこからで十分だと思っています。

 

 

毎週水曜日、「神社の手紙」をお届けしています

今回のような、

 

「頑張りすぎた心を、少し整える話」

 

「人生を立て直すための小さな気づき」

 

「カウンセラーとして3万人以上のお話を聴いてきて感じたこと」

 

そして、

僕自身の闘病や人生の中で気づいたことを、

 

毎週水曜日、

メールでお届けしています。

 

人生を無理に変えるためではなく、

 

読んだあとに、

少しホッとできる。

 

少し自分に戻れる。

 

そんな手紙でありたいと思っています。

 

もし、

こういう話をまた読みたいと思っていただけたら、

こちらからご登録ください。

 

▼無料メルマガ「神社の手紙」

https://kanja.info/webform_13.m.html

 

必要な方に、

静かに届けばうれしいです。


2026/09/01

頑張っているのに、なぜか満たされない。

人に会っているのに、少し寂しい。

そんな心のまま、秋を迎えていませんか。



9月になりました。

 

まだ暑さは残っていても、

朝夕の風や、少し早くなった夕暮れに、

季節がそっと動き始めたことを感じます。

 

僕は秋になると、

何かを始めたくなるというより、

少し立ち止まりたくなります。

 

このままでいいのかな。

本当は、少し疲れているんじゃないかな。

最近、自分の気持ちをちゃんと聞いていただろうか。

 

そんなことを考えます。

 

人生は、ときどき、

前へ進むことよりも、

静かに自分の位置を確かめる時間が必要です。

 

疲れているなら、休む。

違和感があるなら、ごまかさない。

もう必要のないものは、少しずつ手放していく。

 

木々が葉を落とすように、

人にも「減らすことで整う季節」があるのだと思います。

 

今年も、あと4か月。

 

「もう4か月しかない」と思うより、

「まだ4か月ある」と思ってみる。

 

急がなくて大丈夫です。

 

この秋、

何かを足すことよりも、

自分にとって本当に大切なものを、

もう一度ゆっくり確かめてみませんか。

 

少し静かになった心には、

ちゃんと、自分の声が聞こえてきます。


2026/08/28

このたび、僕の処女作

『あなたにしか起こせない奇跡』が、電子書籍になりました。




僕にとって、とても大切な一冊です。


というのも、この本には、

今の僕につながる「原点」が書かれているからです。


病気のこと。

父の死のこと。

家族のこと。


幼い頃から感じていた、目には見えない世界のこと。


そして、

「人は、絶望の中からでも、もう一度生きていくことができるのか」

そんなことを、若かった僕なりに、必死になって考え、書きました。



29歳の僕が書いた本です

この本を書いたのは、29歳の頃でした。


今の僕から見ると、

若くて、

怖いもの知らずで、

ちょっと傲慢で(笑)、

そして、驚くほど真剣でした。


自分に起きたことには、何か意味がある。


この経験を伝えなければいけない。

誰かの役に立たなければいけない。


そんな思いが、ものすごく強かったのだと思います。


原稿を書き始めると、胸の中に溜まっていたものが一気にあふれるように、数日のうちに形になりました。


当時はまだ、著者としての実績もありません。


それでも、原稿の入ったUSBと紙の原稿を持ち歩き、

「いつか誰かに読んでもらえるかもしれない」と出版社を探していました。


そして、ご縁をいただいたのが、東洋出版株式会社さんでした。



僕の人生が変わった出来事

17歳の夏、父が突然亡くなりました。


家族で海水浴へ行った日のことでした。


泳ぎの得意だった父が、家族の目の前で溺死しました。


それまで医師を目指していた僕は、この出来事をきっかけに、

「生きるとは何だろう」

「人はなぜ生きるのだろう」

と考えるようになりました。


そして20歳の頃。


今度は僕自身が、クローン病という指定難病を発症しました。


何度も手術を受け、

食事をすることさえできなくなり、

鼻からチューブを入れて栄養を摂る生活が続きました。


食べられない。

思うように外へ出られない。


周りの友人たちは就職し、人生を進んでいく。

僕だけが取り残されていく。


一時は、本気で生きることを諦めようとしたこともありました。


けれど、その中で少しずつ、

「今日できることをやってみよう」

と思えるようになりました。


一歩だけ。

そして明日は、もう一歩。


そんな小さなところから、僕の人生は再び動き始めました。



「奇跡」の意味も、変わりました

当時の僕は、「奇跡」という言葉を、今よりずっと特別なものとして考えていました。


難病から回復すること。

不思議な出来事が起こること。

目には見えない世界から何かを受け取ること。


そんなことを「奇跡」だと思っていたのです。


けれど、あれから長い年月が経ちました。


カウンセラーとして3万件以上のご相談を受け、

たくさんの人生と向き合ってきました。


そして今は、少し違うふうに思っています。


奇跡というものは、もっと静かなものなのかもしれない、と。


朝、目が覚めること。

「何か食べたいな」と思えること。

誰かの言葉に、ふっと涙が出ること。


もう一度やってみようかな、と思えること。


「あの時、もう人生は終わった」

と思っていた人が、少しずつ別の形で歩き始めること。


それだって、十分に奇跡です。



「人生を変える」より、「人生を整える」

若い頃の僕は、誰かを「救いたい」と思っていました。


もしかしたら、自分自身がたくさん傷ついていたからこそ、

誰かを救うことで、自分も救われたかったのかもしれません。


今は、少し違います。


僕は、誰かの人生を変えることはできません。

人は、そんなに簡単には変わりません。


でも、

整うことはできます。


呼吸を整える。

暮らしを整える。

心の置き場所を整える。


そうすることで、人は少しずつ、

自分自身の人生へ戻っていくことができます。


今の僕が大切にしている

「整えることで、生き直す。」


という考え方も、振り返ってみれば、

この本の中にその種がたくさんありました。



時を越えて、もう一度

今回、東洋出版株式会社さんを訪問したことをきっかけに、

担当者さんから電子書籍化をご提案いただきました。


まさか、こうして年月を経て、

この本をもう一度世に送り出すことになるとは思っていませんでした。


改めて読み返してみると、

「ずいぶん力が入っているなぁ」

と思うところもあります(笑)。


今なら、違う表現をするところもあります。


けれど、それも含めて、29歳の僕です。


未熟だったことも、

苦しかったことも、

必死だったことも、

どうしても生きたかったことも。


全部、今の僕につながっています。


だから今回は、昔の文章を「今の自分に合わせてきれいに直す」のではなく、

あの頃の僕が精一杯生きて、精一杯書いた証として、もう一度送り出すことにしました。



人生の途中で、立ち止まっている方へ

もし今、

人生が思い通りにいかない方。


病気の中にいる方。

大切な人を失った方。


もう一度やり直したいけれど、どこから始めればいいか分からない方。


そんな方がいらっしゃったら、

焦らずに、この本を開いていただけたらと思います。


何か特別な答えが書かれているわけではありません。

 

ただ、一人の人間が、

何度も転び、

何度も絶望し、


それでも、

「もう一度、生きてみよう」

と思えるところまで歩いてきた記録です。


僕だけが特別だったわけではありません。

僕だけに奇跡が起きるわけでもありません。


あなたの人生にも、

あなたにしか起こせない奇跡があります。


そしてそれは、案外、

今日をもう一日生きてみることから始まるのかもしれません。


『あなたにしか起こせない奇跡』

著者:神社昌弘

Amazon Kindleにてお読みいただけます。

https://amzn.asia/d/02Ixz9vO


東洋出版株式会社の皆さま、

そして今回、電子書籍化をご提案くださったAさんに、

改めて心より感謝申し上げます。


若き日の僕から、今を生きるあなたへ。

そして、今の僕から、あの日の僕へ。

よく生きてきたね。


神社昌弘


2026/08/26

お盆に、亡くなった父から

「もっと自由に生きなさい」

という言葉を受け取りました。

 

その言葉をきっかけに、

僕は、自分がずっと「誰かの声」を自分の声だと思って生きていたことに気づきました。

 

 

お盆の夜、亡くなった父が来ました。

 

……と書くと、

急に話のジャンルが変わった感じがしますが、久しぶりにかなりはっきりした霊的な体験でした。

 

その夜は、まったく眠れませんでした。

 

昔の霊媒としての感覚が、

突然、電源を入れられたように戻ってきて。

 

父から伝わってきた言葉は、

「もっと自由に生きなさい」

でした。

 

僕は正直、

「いや、かなり自由に生きてますけど」

と思いました。

 

京都を離れて東京に暮らし、

自分で仕事をして、

好きなものを食べ、

好きな人たちと会い、

昔に比べればずいぶん自由になったつもりでした。

 

これ以上どうしろと。

 

亡くなってから注文が細かい父です。

 

でも、そのあと自分の中をよく見てみると、少しわかってきました。

 

僕はずっと、

「神社」という名前を背負っていたんです。

 

珍しい苗字だからというだけではありません。

 

家のこと。

先祖のこと。

自分が受け継いできたもの。

 

そういうものを大切にするあまり、

 

「神社家の人間として恥ずかしくないように」

「ちゃんとした人でいなければ」

「人の見本にならなければ」

 

と、知らないうちに自分を縛っていました。

 

父が言う「自由」は、好き勝手に生きろ、

という意味ではなかったのだと思います。

 

その名前を背負うのではなく、

その名前で遊べるくらいになれ。

 

そんな感じでした。

 

そして妙に納得したのが、

父自身が、それをできなかったということです。

 

だから僕には、やってほしいらしい。

 

困ったものです。

 

生きている時に言ってくれれば、もう少し早く気づけたのに。

 

 

僕は今回のことで、改めて思いました。

人は、「誰の声を聞いて生きているか」で、ずいぶん人生が変わります。

 

これは、付き合う友人を選びましょう、という単純な話ではありません。

 

毎日のように、

 

「もっと頑張れ」

「ちゃんとしろ」

「普通はこうするものだ」

 

と言う人のそばにいれば、いつの間にか、その声が自分の声になります。

 

逆に、

 

「それ、本当にあなたがしたいこと?」

 

と聞いてくれる人と一緒にいると、

自分の声を思い出すことがあります。

 

そして少し厄介なのは、

もう目の前にはいない人の声にも、

人は影響され続けるということです。

 

親。

昔の先生。

かつて大切だった人。

世間。

家族。

 

本人はもう何も言っていないのに、

自分の頭の中で、ずっと続きを言わせていることがある。

 

僕もそうでした。

 

だから僕は、

 

「ご先祖様は、立派な子孫になってほしいと思っている」

 

という考えを、少し疑っています。

 

少なくとも、

今回、僕が父から受け取ったものは逆でした。

 

ちゃんとしろ、ではなく、

ちゃんと自分を生きろ。

 

でした。

 

もちろん、こういう話を「本当に霊界から来た言葉なのか」と証明するつもりはありません。

信じるかどうかも自由です。

 

でも僕自身は、あの夜の言葉をきっかけに、

自分がどれだけ「立派でいなければ」に捕まっていたのかに気づきました。

 

それだけでも十分だったと思っています。

 

 

もし、今のあなたが少し苦しいなら、

「私は誰の声と一緒に暮らしているんだろう」

 

と考えてみてもいいかもしれません。

 

お母さんの声かもしれない。

会社の上司かもしれない。

世間かもしれない。

あるいは、昔の自分かもしれません。

 

その声に従い続けた先で、あなたは後悔しないでしょうか。

本当はもう、自分でも気づいていることはないでしょうか。

 

全部を捨てなくても、人生の方向は変えられます。

 

僕も48歳になって、まだ自分の中の「ちゃんとしなきゃ」と格闘しています。


完成する気配は、今のところありません。

たぶん、完成しなくていいのでしょう。

 

生きているうちは、

何度でも自分の人生に戻ればいい。

 

 

「自分の本音」がわからなくなったときに

一人で考えていると、

 

「自分の本音」と

「誰かから受け取った声」が、

 

ごちゃごちゃになることがあります。

 

もし今、

 

「自分がどうしたいのか、もうよくわからない」

「これは自分の本音なのか、誰かの期待なのかわからない」

 

そんなところにいるなら、カウンセリングで一緒に整理することもできます。

 

僕が答えを決めることはしません。

その人自身の中にあるものを、一緒に見つけていく時間です。

 

オンラインカウンセリング

https://kanja.info/webform_15.html

 

対面カウンセリング(池袋駅前)

https://kanja.info/contents_762.html

 

僕もそろそろ、

「神社」という名前を背負うのをやめて、

もう少しこの名前で遊んでみようと思います。

 

父も、その方が面白がるでしょう。