もしあなたが、
そんな気持ちを抱いたことがあるなら、ぜひ今日のお話を読んでみてください。
祖先から受け継いだ智慧
僕の家系に伝わる「戦わずして勝つ智慧」
それは、1500年前の用明天皇の時代にさかのぼります。
第三皇子と共に「鬼が棲む」と恐れられた大江山へ向かった一団。
その中に、僕の祖先がいました。
人々は「刀を抜いて鬼を討ち果たす」と信じていましたが、祖先がしたことは違いました。
彼は鬼の正体を見抜いたのです。
鬼とは人の姿をした者であり、狂わせていたのは土地に淀んだ“悪しき気”。
そこで祖先は刀ではなく、祭祀と祓いによって土地を浄めたのです。
その瞬間、鬼たちは影を脱ぎ捨てるように消えていった──。
この故事を祖父から聞いたとき、僕は鳥肌が立ちました。
「戦わずして勝つ」
「闘わずして懲らしめる」
これは単なる伝説ではなく、僕自身の生き方に深く通じています。
カウンセリングの現場で
カウンセリングでも、こうした相談は少なくありません。
けれど実際に仕返しをすると、結局は同じ土俵で泥をかぶることになります。
心理学ではこれを「投影」と呼びます。
憎むほどに、その相手の影に自分が支配されてしまうのです。
では、どうすればよいのか。
戦わずして勝つ“3つのステップ”
まずは自分を浄める
深呼吸で整え、生活を調え、心を鎮める。これだけで「相手の毒」に飲み込まれなくなります。
徹底して反応しない
挑発にのらず、淡々と日常を送る。無関心ほど痛烈な仕返しはありません。
幸せになることを選ぶ
最終的にもっとも相手を打ちのめすのは、自分が笑顔で幸せに生きている姿です。
「あなたは、もう私の人生に影響を与えない存在だ」
これを態度で示すことこそ、エレガントな仕返し。
上司には成果で黙々と応え、元彼には新しい幸せを見せる。
それに気づいた相手が勝手に「ギャフン」となるのです。
本当の勝利とは
戦わずして勝つとは、相手を倒すことではありません。
自分自身の平和を取り戻すことです。
相手がどうであれ、自分は凛として幸せでいる。
それができたとき、相手は静かに敗北を認めるのです。
あなたは今、誰に「ギャフン」と言わせたいですか?
でも本当に大切なのは、あなた自身が笑顔を取り戻すことかもしれません。こんばんは、神社昌弘です。
夏も終わりに近づきましたが、まだまだ暑い日が続きますね。
夏は、テレビでは幽霊番組、街では肝試しやお化け屋敷が人気になります。
さらにお盆を過ぎた頃から、僕のところにも──
「不思議な体験をした」
「亡くなった方が夢に出てきた」
そんなご相談が増えました。
そこで今日は、少し「霊」についてお話したいと思います。
僕は「神社(かんじゃ)」という珍しい家系に生まれ、幼い頃から霊を見ることが当たり前の環境で育ちました。
でも、それは“特別な力”ではなく、むしろ負担の方が多かった。
正直に言えば──
霊が見えて得をしたことなんて一度もない。
20年前のスピリチュアルブームでは、霊能者が特別視されることもありました。
若かった僕も、正直チヤホヤされて調子に乗っていた時期もありました。
でも、今思えば未熟で、勘違いだったと思います。
霊とは「未練」や「後悔」「伝えたいこと」があるだけの存在。
だから、本来は怖がる必要なんてないんです。
なのに肝試しや心霊スポット巡りで「キャー!お化け!」なんて言われたら…
あなたが霊の立場なら、どう感じるでしょうか?
馬鹿にされたり、お化け呼ばわりされたら、怒って当然です。
僕はむしろ、そんな風に人を面白がる方が怖くて、悪質だとすら思います。
もし、
「霊に憑かれた?」
と感じた時は、心配はいりません。
多くの場合は「気のせい」です。
それよりも大切なのは、
つまり 元気でいることこそ最大の浄化法 なんです。
逆に「霊のせいだ」と思い込むことの方が問題。
波動が落ちれば落ちるほど、ネガティブなものを引き寄せやすくなりますから。
僕は相談を受ける時、勝手に「霊がついてますよ」なんて言いません。
必ず本人と霊、両方の同意を得てから関わります。
だから、もし「あなたの後ろに霊がいます」と怖がらせてくる人がいたら、要注意です。
本物の霊能者は──
✨ 人を怖がらせない
✨ 安心させる
✨ クライアントも霊も、両方が笑顔になれるように導く
これが基本です。
霊を“お化け”と捉えるのではなく、
「伝えたいことがある存在」
と理解してください。
大切なのは、こちらが 元気で笑顔で生きること。
それが霊に対する最大の供養であり、自分を守る力になります。
もし心配なことがあれば、YouTubeでも「浄霊」の方法を紹介していますので、そちらもぜひご覧ください。
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2025年8月15日。
父が亡くなってから、ちょうど30年が経ちました。
そして今年は、僕が父と同じ47歳になった特別な年です。
17歳の夏。
家族で出かけた海で、目の前で父が亡くなりました。
前夜から、不思議な“予感”がありました。
——それでも変えられなかった運命。
長い間、後悔と罪悪感を抱え続けてきましたが、47歳になった今、ようやくその想いは「ありがとう」に変わっています。
あの頃の自分を許し、父への感謝が胸いっぱいに広がるまでに、30年かかりました。
このラジオでは、父の命日に思い返した出来事や、その時の心の揺れ、そして年月を経て気づいた「感謝の形」についてお話ししています。
大切な人を思い出す日が、少しでも温かい日に変わりますように——
そんな願いを込めて。
昨日、誕生日を迎えました。
父が亡くなった歳と同じ47歳。
カウンセラーとして独立して、ちょうど10年。
いろんな想いがめぐる、そんな節目の朝。
いつも通り玄関を開けたら、
そこにいたのは――
……カエルでした。
しかも、かなり大きい。
15センチはあったと思います。
ここは、都内のマンションの上層階。
なぜ?どうやって?
一瞬、現実なのか夢なのかわからないくらい、
不思議な光景でした。
でも、なぜか怖くなかった。
むしろ、その目と目が合った瞬間、
「何か言いたげだな」と感じたんです。
カエルは、古来より縁起物として知られています。
「無事にかえる」
「福がかえる」
「金運がかえる」
「縁がかえる」
さらに、
“生まれ変わり”“再生”“変化の象徴”
とも言われています。
誕生日の翌朝に、突然現れたこのカエル。
もしかしたら、ただの偶然じゃなくて、
人生の折り返し地点に立った僕への
何かのメッセージなのかもしれません。
「変わることを恐れるな」
「過去も未来も、まるごと引き受けて前へ進め」
「もう、守られているから大丈夫」
そんな声が、聞こえたような気がしました。
いま、あなたの目の前に現れたもの、
ふと心に引っかかった出来事にも、
実は深い意味があるのかもしれません。
「ただのカエル」と笑い飛ばすには、
あまりに静かで、あたたかい出会いでした。おはようございます。
本日、7月31日。
47歳の誕生日を迎えました。
いつも見守ってくださる皆さまへ、心から感謝を込めてご挨拶させてください。
実はこの「47歳」という年齢は、僕にとってとても特別な意味があります。
というのも――
僕の父が人生の幕を閉じたのが、まさに47歳だったのです。
だからこそ、今日は単なる誕生日ではなく、
「ここから先を、父のぶんまで生きていく」
そんな新たな人生の扉が開く日でもあります。
20歳でクローン病を患い、
8度の手術と4年の絶食を乗り越えた僕にとって、
こうして47歳の朝を迎えられていることは、決して当たり前ではありません。
いま生きているこの時間は、
もう一度与えられた「延長戦」のようなものだと思っています。
だからこそ、ここからは――
やらなかった後悔ではなく、
やってみた誇りを選んでいきたい。
この10年、
僕は「神社昌弘相談室」として独立し、
たくさんの方と出会い、支えていただきながら歩んできました。
この道のりがあったからこそ、
いまの自分があります。
そんな感謝の気持ちを込めて――
実は、今日のこの誕生日に合わせて、
ずっと温めていた「あること」を、少しずつ動かし始めました。
本当は、ずっとやりたかったこと。
でも、ずっと怖くてできなかったこと。
誰にも言えず、心の奥でしまっていた想いに、
ようやく「形」を与えようとしています。
まだ詳しくは言えませんが、
今日という節目に「一歩踏み出す決意」をしたことだけ、
ここでそっとお伝えしておきます。
「自分を生きる」ということ…
それは簡単ではないし、何度も迷ってしまうけれど、
それでも――僕は、自分を信じてみたい。
これからの一歩が、
誰かの光になりますように。
そして、自分の人生をもっと愛せますように。
そんな想いをこめて、
今日からまた、新しい一年を歩み出します。
どうか、これからの僕も、見守っていてくださいね。