こんにちは。
かんじゃまさひろです。
もうずいぶん前のこと、コーチングの伊藤守さんの本を読んだ時に、こんな言葉に出会いました。
反省している間は「正しいわたし」でいられる。
後悔している間は「可哀そうなわたし」でいられる。
これを読んだ時、僕はドキッとして、当時愛用していた皮の手帳にメモしたことを覚えています。
あれから何年も経った今でも、まだハッキリと覚えているのは、それくらい衝撃的だったのだと思います。
それまでの僕は、反省や後悔によって人は成長してゆくものだと思っていたし、それらがあったからこそ、僕は学びや気づきを得て、自分なりに成長してきたと思い込んでいました。
でも、このメッセージを見た時に、ドキっとしたんです。
もしかしたら、僕は…
- 「反省」という言葉を使って、ただ自分自身を守っていただけなのかもしれない…
- 「後悔」という言葉を使って、自分に言い訳をしながら、できなかった自分を正当化していただけなのかもしれない…
そんな風に思ったんですね。
自分を正当化していたあの時、僕は自己憐憫(れんびん)と自己成長を混同して、勝手に成長していると思い込み、結果、本当に大切なことはわかっていなかった…
「正しいわたし」「可哀そうなわたし」でいなければ、自分を保てなかったし、ありのままを受け止めるだけの強さがなかった…
ま、若かったし、その時は、それなりに必死に生きていたから仕方なかったのですが…
だからこそ、いまは、どんな時も、ありのままの自分を認めて、許して、愛することが、何よりも大切なんだと気づいています。