「調子に乗るな」
「後で苦労するぞ」
「そんなにうまくいくはずがない」
子どもの頃から、
あるいは大人になってからも、
こうした言葉を向けられてきた人は、意外と多いのではないでしょうか。
しかもそれは、
悪意のある人からではなく、
親や先生、上司、身近な“心配してくれる人”からだったりします。
だから、心に残ります。

否定された記憶としてではなく、
「自分は浮かれてはいけない」
「幸せを感じるのは危険だ」
そんな感覚として、静かに染み込んでいきます。
うまくいっている時ほど、
なぜかブレーキを踏んでしまう。
嬉しい出来事があっても、
どこかで「このまま喜んで大丈夫かな」と考えてしまう。
カウンセリングをしていると、
そういう人に何度も出会います。
そして多くの場合、
その人はとても真面目で、
周りを気遣い、
「ちゃんと生きよう」としてきた人です。
だからこそ、
この話ははっきりさせておきたいと思っています。
人生で調子がいい時に、
調子に乗らなかったら、
いったいいつ乗るのでしょうか。
「後で苦労するぞ」という言葉は、
一見、現実的で賢明な忠告に聞こえます。
でも実際には、
今の幸せを感じるな
と言っているのと同じです。
未来の不安を理由に、
今の喜びを先取りで奪ってしまう。
それが、本当にその人のためでしょうか。
「神様の罰が当たる」という言葉も、
よく耳にします。
けれど僕は、
それを信仰だとは思っていません。
誰かが幸せそうにしているからといって、
神様が罰を与える。
そんな存在なら、
この世界はとっくに壊れています。
多くの場合、
神様の名前を使って語られるその言葉は、
言った本人の不安や嫉妬、
あるいは「自分と同じ場所にいてほしい」という無意識の願いです。
それを、
あなたが背負う必要はありません。
不幸な人ほど、
人の幸せが怖くなります。
だから、
無意識に足を引っ張る言葉を投げてしまう。
一方で、
本当に幸せな人は違います。
人を褒め、
応援し、
「いいね」と言い、
人が調子に乗ることを喜びます。
その結果、
幸せな人の周りには、
また幸せな人が集まってきます。
これは精神論ではなく、
現実に何度も目にしてきたことです。

日本には、
謙虚や我慢を美徳とする文化があります。
それ自体は、
とても大切なものです。
ただ、それが
「自分を後回しにすること」
「喜びを抑えること」
にすり替わった瞬間、
人は少しずつ苦しくなっていきます。
我慢の先に、
必ず成長があるわけではありません。
多くの場合、
残るのは言葉にできない違和感と、
「なぜかしんどい人生」です。
だから僕は、
大人こそ幸せでいていいと思っています。
子どもに何かを教えるより前に、
自分がどう生きているか。
人生は、
楽しんでいいものだということを、
言葉ではなく、姿で見せる。
それが、
いちばん伝わる教育だと感じています。
不安を植え付けてくる人からは、
離れてもいい。
それは冷たさではなく、
健全さです。
もしあなたが、
本当に幸せになりたいと思うなら、
「誰の言葉を信じるか」を選んでください。
不幸な人の正論より、
幸せな人の一言を。
それを「ダメだ」と言う声よりも、
あなた自身の感覚を、
どうか信じてあげてください。
追伸
ここまで読んでくださったあなたは、
もう十分、自分の人生と向き合っています。
もしこの記事が、
ほんの少しでも
「肩の力を抜いてもいいのかもしれない」
そう思えるきっかけになったなら、
それだけで、この文章には意味があります。