昨日、久々に交流会に参加してきました。
思わぬ刺激と、“本来の自分”を見直す時間になりました。
やっぱり、無難に生きるって……実は一番むずかしい。

昨日は、いつもカットでお世話になっている
マルスタジオの潔さん主催の交流会に参加させていただきました。
交流会なんて、もう何年ぶりだろう。
会場に入った瞬間、「若さ」と「気迫」と「熱量」に圧倒され、
思わず背筋が伸びました。
集まっていたのは、ほとんどが
経営者・自営業・副業を頑張る方々ばかり。
未来に希望を持ち、“自分も周りも幸せにしたい”という意思のある人たち。
そして、全員が“普通じゃない”
いい意味で、とびきり個性的で、
自分らしさをどう活かすかを真剣に考えている人だらけ。
そんな中で、なぜか僕は、
「いやいや、今日のメンバーの中じゃ、僕が一番“普通”やろ」
と思っていたら——
周りからは、しっかり「変人認定」されました。
まぁ、ですよね。
病気をして、イギリスに渡って、
スピリチュアルを学問として学んで、
サラリーマンを経て、独立して10年。
冷静に考えたら、普通じゃない(笑)
でもね、こういう場に行くと毎回思います。
「普通だと思っている人」ほど、めちゃくちゃ変わっている!
けれど、多くの人はそれに気づかない。
いや、気づいていても“バレたらまずい”みたいに扱っている。
だから、変わっている部分を隠して、
あえて「普通」「無難」に寄せようとする。
でも——
そもそも、“普通”の人なんてただの一人もいない。
“普通になりたいと思っている人”が存在しているだけ。
そして……
「普通でいよう」とするほど、人は自分を失っていく。
なぜなら、普通でいようとする努力って、
「自分の個性を削る作業」だから。
本当はね。
何も盛らなくていい。
何かを隠さなくていい。
ただ息をして、そこに立っているだけで、
すでに“あなたという唯一無二の個性”が完成している。
それなのに、みんな口を揃えて言うんです。
「変人って思われたくないんです…」
わかる。
僕もそうだった。
「変わってる」なんて評価、昔はすごく嫌だった。
“頭がおかしい人”みたいに聞こえてしまって。
だから、必死で普通のフリをした。
背伸びして、合わせて、整えて、丸めて。
——でもムリ。
そもそも名前が「神社」やし。
どう足掻いても普通の道は無かった(笑)
だから、ある日ふっと思ったんです。
「あぁ、無駄な抵抗はやめよう」
するとね、不思議なほど人生が軽やかになった。
個性を隠さず、整えすぎず、
あるがままのままで立ってみる。
すると、自然に道が開いていく。
受け入れてもらえるし、必要としてもらえる。
そして何より——
自分が楽になる。
交流会で若い方々と話して、改めて感じました。
“普通じゃない”ことは、欠点じゃない。
武器です。
あなたが持つ「変わっているところ」は、
社会に必要とされる“尖り”であり、魅力であり、才能。
どうか怖がらずに。
そのまま、堂々と。
無難に生きるより、
あなたらしく生きるほうが、
何倍も美しく、強く、しなやかです。