こんにちは。
神社昌弘です。
僕の趣味はカメラです。
アマチュアカメラマンだった母の影響を受けて、2007年から本格的に写真撮影をするようになりました。
おかげさまで、フォトエッセイ集も2冊(しあわせのありか/あなたらしく咲く)出版できて、即完売しました。
好き勝手に撮影しているだけでしたが、年数を重ねる度に良い写真が撮れるようになり、まわりからも認められて、普通の写真では物足りなくなっていきました。
いつしか、みんなを驚かせる凄い写真を撮りたくて、いろんなパワースポットにも出かけるようになりました。
ある日のこと。
有名なパワースポットに到着した瞬間、もの凄い光が差し込んできて、これは奇跡だと思って、急いでカメラに収めました。
その写真には、明らかに不思議な“銀色に輝く光”が写っていました。
よく見ると、それは七色に光っていて、どこか荘厳な雰囲気を醸し出していました。
しばらくして、その写真を恩師に見せたことがあったのですが…
「この写真、凄いでしょう!?」
「あるパワースポットで撮影したんですが、この凄まじい光を見てください!」
「この光が僕を包み込んで、凄いエネルギーをもらったんですよ!」
興奮して説明し終えると…
「たまたまだね」
って言われて、
「えっ?」
と拍子抜けしていると、
「これは勘違いだね」
って言われて、イラっとしました。
その時、ハッと目が覚めました!!
僕は「自分が特別だ」と思いたいところがあったんですね。
悲しいことに、いつも「自分が凄い人」だと思いたいところがありました。
だから、わざわざ凄い写真を見せつけて「神社さんは特別」「やっぱり凄い」と言わせたかったんですよね。
もし仮に、それが、本当に凄いエネルギーだったら、すでに『本当に凄いこと』、つまり、急に僕の著書がベストセラーになったり、宝くじが当たったり、大金が手に入ったり、奇跡のようなことが起こっているはずなんですよね。
でも、僕自身に奇跡が起こっていないということは、やっぱり『たまたま』だったのでしょう。
もちろん、僕自身が幸せを感じて、それに感動しているだけであれば、それはそれでよかったのですが…
それを誰かに見せたり、確認したり、それで凄いと言ってもらいたかったというのは、やっぱり、それは勘違いだったのです。
スピリチュアリズムを追究していた頃、僕は、他の人よりも感性が鋭いというだけで、いつも、心のどこかで、今の自分は本当の姿ではないと勘違いをしていて、本当の自分は別のところにいて、いつかウルトラマンのように変身できるんだと思っていたように思い出します。
本当の自分は、いまここにある『そのまま』の自分なのに、いつも別のところにいる自分を夢見ていた自分を恥ずかしく思います。
でも、その間違いと勘違いの経験があるからこそ、『ありのまま』という意味の、本当に深い部分を理解できるようになれたと思います。