こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕は20代の頃、ほんの少しの期間ですが、イギリスで教師をしていました。
その時に「先生」という役割について深く考えさせられたことがあります。
日本では、先生の言うことが絶対で、先生から教えてもらった通りにすれば成績が上がり、それこそが知識を身に付ける最善だと思っていました。
もちろん、そのおかげで知識が増えて、良い成績がもらえて、何不自由なく育ってきたので、そのことには感謝をしています。
だから、僕が教える立場になった時も、かつての先生たちと同じように、生徒に教えるように指導したかったのですが…
イギリスに赴任をした時に、その姿勢を再考しなければイケナイ事態に直面しました。
それは、僕の勤務する教頭先生から「教える」姿勢を止めてくださいって言われたんです。
えっ!意味が分かりません…
と言うと、教頭先生は、こんな内容を伝えてくれました。
もともと「先生」というのは、先に生まれただけのもの。
決して偉いわけではなく、ただ知識と経験が、ほんの少し多いだけです。
教えることは素晴らしいですが、まずは、自分が学んだ知識や経験を「提示」するだけにしてください。
なぜなら、教えようとすることは、無意識に自分の方が正しいと思い込んで、自分の正解を押し付け、生徒を思い通りにコントロールするところがあるからです。
テキストには「答え」はありますが、人生には、これが正しいという「正解」はありません。
ここの生徒たちには、自分で考え、自ら行動できるように育ってもらいたいから、「教える」より「見せる」スタンスでよろしくお願いします。
そんなことを言われました。
当時は、僕もまだ若かったから「ちゃんと教えること」に必死になり過ぎて、どこか自分中心で、独りよがりのところがあったのだと思います。
日本でも山本五十六の名言に、こんな素敵なものがありますよね。
やってみせ 言って聞かせてさせてみて ほめてやらねば人は動かじ
話し合い 耳を傾け承認し 任せてやらねば人は育たず
やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば人は実らず
ここでも、まずはやって「みせる」ことから始まっていますよね。
教えるのも大切ですが、時々、立ち止まって、
・教え込もうとしていないか?
・自分の思い通りにコントロールしようとしていないか?
・自分の方が正しいと思い込んでいないか?
自身を振り返りながら、まずは「見せる」ところから始められるといいですよね。
先生だけでなく、親も、大人も、素敵な見本を「見せる」ように日々つとめられたらいいですね。